『パディントン』



『くまのパディントン』の実写映画。日本でも有名なキャラクターなのに、こんなに待たされるとは思ってませんでした(イギリスでは2014年11月に公開)。
実写とはいえ、もちろん、パディントンはCGだし、エンドロールでも“実際の熊は傷つけていません”の注意書きが出る。けれど、コスタリカユニットというのがあったようなので、パディントンの故郷ペルーの様子は、ペルーではないけれど、実際にコスタリカで撮影をしたらしい。

以下、ネタバレです。








内容や登場人物はほぼ『くまのパディントン』準拠のようである。ただ、悪役であるミリセントは出てこないようなので、パディントンがロンドンを目指す原因になる冒険家も出てこないのかもしれない。
また、原作だと、パディントンはすぐにブラウン一家に受け入れられるようですが、映画は受け入れられるまでがテーマと言っていいと思う。ブラウン一家の家は仮住まいで、冒険家の家を探してすったもんだを起こすので、やはり絵本には冒険家も出てきていないと思う。

異国の地での周囲からの受け入れられなさ、この苦々しさは映画特有のものなのだろう。
パディントンは、ペルーからイギリスのロンドンに着いた時、礼儀正しく挨拶をし、次に天気の話題を出し、とマニュアル通りに進めようとするがうまくいかない。ビジネスマンは気にせずにすたすたと早足で歩く。「者を売りつけようとしてるんだろう!」などと恫喝を受けたりする。

ブラウン一家の家に行ってからも、父親のヘンリーは距離を取りつつ追い出そうとしていたし、隣りの家のカリーさんはペルーへ追い返そうとしていた。ミリセントも、受け入れたらそのうち熊だらけになっちゃうわよと言っていた。

パディントンがペルーからロンドンにやってきて受け入れられるかどうかというのは、ただほのぼのしたお話というわけではなく、現代の移民問題や難民問題に重ねることができそう。生活習慣の違いや困っているときに手を差し伸べられるか、そして家族として迎え入れることができるのか…など、考えさせられる。

そもそもパディントンというキャラクター自体が、第二次世界大戦中に疎開する子供にヒントを得た造型になっているらしい。“この子をよろしくお願いします”と書かれてある札を首から下げ、カバンに資金が入っているとのこと。パディントンの場合はマーマレードでしたけれど。
ところで、作者のマイケル・ボンドさんが映画にもカメオ出演しているらしい。ご容姿も今回映画のパンフレットで初めて見たばかりなのでどこに出ていたかはわからない。

映画のところどころでは、カリプソが多く使われている。1950年代にトリニダード・トバゴからの移民が持ち込んで、イギリスでも大流行したらしい。
原作の『くまのパディントン』も1958年に出版されているので、映画も同じ時代が舞台となっている。
合間合間でミュージシャンが演奏していて、ちゃんと歌詞にも字幕が付いていたけれど、パディントンの気持ちを代弁するかのような内容だった。これは移民の気持ちでもあるのだ。生まれた場所とは違う、初めての場所に来て不安感を抱えながらも、前向きで楽しい内容だ。

元々はポール・キング監督の妻が『London Is The Place For Me』というカリプソのコンピレーション盤を気に入っていて、この音源を出しているレーベルHonest Jon'sの共同出資者であるブラーのフロントマン、デーモン・アルバーンに連絡をとったという。
そして、デーモンがミュージシャンを集め、D Lime feat. Tabago Crusoeというバンドを作ったらしい(デーモン自身は演奏には参加していません)。

デーモンがやってきたことが、映画『パディントン』で生かされるという不思議な縁がおもしろい。また、調べるうちに、イギリスの歴史などもわかって興味深く、この映画が一層好きになった。

なんというか、この映画がロンドンそのものというか、居心地がいいのだ。何も移民だけではない。旅行者も同じような気持ちになる。
ロンドンには様々な人種の人々がいるのが見た目だけでわかる。住んでる人も観光客も大勢居て、澄まして歩いていれば紛れられる。受け入れられたのだと感じる。
思った以上にロンドンという街を描いている映画である。

俳優さんたちも魅力的です。
まず悪役の女性がニコール・キッドマン。ブラウン一家の面々がほわほわしているので、これだけ厳しめの美人が出てくると悪役として際立つ。
骨董屋グルーバーさん役がジム・ブロードベント。ちょっとした役だけれど、出てくると画面が締まる印象。シリーズ化してもっと活躍させてほしい。
ブラウン一家の親戚兼家政婦のバードさん役にジュリー・ウォルターズ。『リトル・ダンサー』のバレエ教室のコーチ役の名優。
お隣りのカレーさん役にピーター・カパルディ。『ドクター・フー』で12代目のドクターを演じた。『ドクター・フー』は11代目のマット・スミスの途中までしか見ていないので、スチルでは見ていても動くピーター・カパルディを見たのは初めてだった。今回、ケチで意地悪なじいさん役だったので、どんなドクターなのか想像がつかず気になる。

ブラウン一家の母親役はどこに出てきてもいい演技をするサリー・ホーキンス。『ブルージャスミン』では映画内唯一の良心のような役を演じて、アカデミー助演女優賞にもノミネートされた。『THE PHONE CALL/一本の電話』もアカデミー短編映画賞を受賞していた。そういえば、あれの電話の相手はジム・ブロードベントでした。
彼女は善人を演じることが多いように思うけれど、今回も善人です。

ブラウン一家の父親役はヒュー・ボネヴィル。『ダウントン・アビー』のグランサム伯爵役で有名。子供を思ってのことでも、あれもこれも禁止!とやっていて、ダウントンの旦那様に似た役だった。旦那様もコーラやメアリーから「石頭!」って言われたらいいのに。
途中からは、パディントンに親身になって、まさかの女装姿まで見られて満足。

そして、パディントンの声がベン・ウィショー。元々、コリン・ファースだったらしいけれど、コリン・ファースはヒュー・ボネヴィルより年上だということで降板することになったらしい。
ベン・ウィショーの声は特徴的なんですが、澄ましていて、飄々としている感じがとても合っている。悪気はないけどトラブルメーカーになってしまうのがよくわかる。
礼儀正しさと、純粋さもよく伝わってきた。彼は悪い人間がいるなんて思っていない。誰にでも、帽子を取ってきっちり挨拶。財布を落とした人を見かけたら、どこまでも追いかけて届ける。
そもそもロンドンに来るまで、人間を一人しか知らないんですね。それも伝聞。だから、人間を信じきっている。終盤で悪人に捕まって剥製にされそうにはなるけれど、団結したブラウン一家に助けられるし、人間に絶望するところまでは行っていないと思う。ロンドンで人間に絶望し、故郷のペルーに帰るという話だったらさみしかったけれど、ブラウン一家に家族の一員として受け入れられて終わる。良かった。

後半の自然史博物館での攻防はなかなかのスペクタクルでした。両手にコードレスのハンディ掃除機を持ち、その吸引力で壁を登っていくのは、音楽からもわかるけれど『ミッション:インポッシブル』のパロディ。『ゴースト・プロトコル』でイーサンがドバイの高層ビルを登るシーンですね。

パディントンは今でもロンドンで楽しく過ごしているらしく(?)、彼のTwitter(@paddingtonbear)が頻繁に更新されている。ちなみに、日本公開日には、「日本公開を祝って、イレブンシスにグルーバーさんと和菓子とお茶をいただきました。いつものパンとココアじゃなくね」と書いてあった。イレブンシス、#elevensesというハッシュタグがよく使われていて、おやつみたいなものかなと思っていたけれど、アフタヌーンティーのような軽食習慣で、午前11時に行われるものらしい。原作では、グルーバーさんのお店でパディントンがイレブンシスをとる描写が多いらしい。グルーバーさんも移民のため、パディントンの良き話し相手になっているのだとか。

掘り下げていくと、イギリスの文化についても知ることができる。俳優、音楽、ロンドンという街、文化…、私にとっては、好きなものがたくさんつめこまれたおもちゃ箱のような作品だった。

そして、これに限らず、映画を観るとよくあることですが、劇中に出てくるパディントンの好物、マーマレードがとてもおいしそうだったので、ジャムを買って帰りました。

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