『クリード チャンプを継ぐ男』



『ロッキー』の続編が今になって作られるなんて想像していなかった。私は観たことはあるくらいで、特に『ロッキー』に強い思い入れがあるわけではないけれど楽しめた。強い思い入れのある方なら、より号泣間違いないと思う。ロッキーの盟友であり、試合中に亡くなっ たアポロ・クリードの息子が主人公。
続編とはいえ、古くささがなく、フレッシュな手法がとられているのも本作の特徴だと思う。
それもそのはず、監督は『フルートベール駅で』のライアン・クーグラー。29歳。主演がマイケル・B・ジョーダンなのもその繋がりなのかもしれない。マイケル・B・ジョーダンは『クロニクル』の人気者生徒会長候補役も良かった。
また、スポ根ものというよりは、ヒューマンドラマに重きが置かれているのも個人的には見やすかった。でも、試合シーンも迫力や爽快感がありました。

以下、ネタバレです。









最初ですが、児童養護施設にいたアドニスを、メアリー・アンが引き取りにくるシーンだけでちょっと泣いた。メアリー・アンはアポロの本妻でアドニスは愛人の子なんですよね。それでも育てようとする、その懐の深さ。
そして、次のシーンでメキシコの違法格闘場みたいな場所でアドニスがボクシングをしていて、あー、こうゆうのってボクシング映画にはよくあるよね…と思うんですが、その何時間後というテロップが出て、アドニスがスーツを着てオフィスワークをしている。しかも、そのスーツが似合っている。昇進も決まったという話が出ている。そして、高級車に乗って豪邸へ帰って行くという、ちょっと今までのボクサーとは違うタイプ。

いい暮らしをさせてもらっていて、おそらくメアリー・アンにも愛情をもって大切に育ててもらったのだろうなというのがわかる。もしかしたら、就職口も斡旋してもらったのかもしれない。映像を見るだけで、引き取られたアドニスのここまでの生活がなんとなくわかる。
それは、マイケル・B・ジョーダンのしゃんとした佇まいのせいかもしれない。

ロッキーにも、話し方がちゃんとしてるから勉強もできるだろと言われていたし、ビアンカにもボクサーなのに不良っぽくないと言われていた。
今までのボクシング映画だと貧乏で、ハングリー精神旺盛で、ファイトマネー目当てでボクサーを目指すパターンが多かったと思う。
アドニスがボクシングをやろうと思う理由は、会ったことのない父親への憧れや、血などです。少し変わっていておもしろい。

セリフなど無粋な説明は交えず、事情を察することができるような映像は、一回目の勝利のあとの打ち上げでも見ることができる。
ぱーっとやるか!みたいなことを言っていたのでどんな豪華パーティなのかと思ったら、ロッキーとアドニスとビアンカの三人のみのホームパーティだった模様。
テーブルの上にはオレオのクッキー&クリームらしきフレーバーなど大容量アイスの容器が三つ。一人一つ食べたのかもしれない。
テレビでは『007/スカイフォール』。地下鉄が斜めに滑り落ちてくるシーンが一瞬映る。あんなの一瞬しか映らなくても『スカイフォール』だってわかるし、わざわざ映したということは、三人が鑑賞してた映画が『スカイフォール』である意味もあったのかもしれない。少し調べてみると、両方とも世代交代の話だから、とか、この映画が父と子供の映画で、スカイフォールは母と子供の映画だから、という意見もあった。
どちらにしても、三人が試合の興奮そのままに『スカイフォール』やアイスをチョイスしているところが、想像できてかわいい。ソファに座ったまま、三人で寝てしまっている、あのシーンだけでそこまでの行程がありありとわかるのだ。

また、序盤、父親の過去の試合をプロジェクターみたいなもので壁に映して、そこにアドニスが重なるようにしてシャドーボクシングするシーン。ここもセリフはないけれど、そんなプロジェクターとかホームシアターめいたものが家にあるだけでよい暮らしをしているのがわかるし、それでもここでの暮らしよりも父親と同じボ クシングをしたいという強い気持ちも伝わってくる。

父親がアポロであることを黙っていて、ビアンカが怒って少し喧嘩になるシーンも撮り方がおもしろかった。
二人の言い合いを交互にカメラを切り替えてパッパッと映す。ちょっとコミカルな印象になって、これはおおごとにはならないなというのがわかる。実際、あっという間に仲直りしていた。

ビアンカは、アドニスが引っ越すのも何も言わずに笑顔で見送っていたし、とても好感がもてる女性だった。

最初、アドニスがご近所の音楽がうるさくて文句を言いに行こうとしたのがそもそもの出会いで、おそらく、アドニスはそこでもう恋に落ちてたと思う。
デートじゃないよ、食事だよっていう誘い方もかわいかったし、そこでのやりとりもとても爽やかで好感が持てた。

聴いている曲がそのままBGMに変わる手法や、スポーツニュースやドキュメンタリーなどのテレビの映像がそのままスクリーンに大写しになるのも、最近の若い監督らしさを感じる。おしゃれだと思う。

トレーニングのシーンも、鶏を追いかけるとかなわとびとか様々なメニューをこなしている様子がコラージュされていた。短くまとめられているが、どの項目も確実に上達していくのがわかる。トレーニングを汗臭くしなかったり、長く時間を割かなかったりしたのは、スポーツという部分以外にも重きを置いているからだと思う。

ここまで触れていないけれど、もちろん、シルヴェスター・スタローンも出ている。最近のスタローンは映画でお茶目な面を見せることが多く、たぶん、わかってやっていると思う。今回も老眼鏡をかけて「クラウド?」と言いながら雲を見上げてみたり、早朝にアドニスを起こすためにひょこひょこ踊ってみたり。

今作ではもちろんロッキーとして出てくるけれど、途中で病気になるせいもあるけれど、スパーリングのみでもちろん試合にも出ないし、ほとんど打つこともない。本当にアドニスが主役なのだ。

ロッキーの銅像が街に建っていたり、ジムに来ればみんなが歓迎したりと有名人であり、映画の世界がかつてロッキーが活躍していた世界と地続きなのがわかる。この世界ではロッキーが伝説である。
そして、ロッキー=スタローンではないけれど、現実世界ではスタローンがほとんど伝説のような存在であるから、劇中でアドニスがロッキーを尊敬するように、監督もおそらく、スタローンを尊敬し、憧れを持って撮影しているのが伝わってくる。

この映画の予告編で「一緒に戦おう」というようなセリフを見たけれど、すっかりボクシングのことなのかと思っていた。
映画の中で、ロッキーはエイドリアンとポーリーの墓の近くにイスを常備し、そこで新聞を読むことを日課にしている。セコンドには立つけれど、一線を退いているのだ。
それでは何と戦うのかというと、病気である。

最初は治療を嫌がっていたけれど、アドニスが説得をする。二人は疑似親子のようであり、友人のようでもあった。戦う対象は違うけれど、共に戦う。トレーニングシーンの少なさからもわかったが、単にスポーツものというより、ヒューマンドラマに仕上がっている。

『ロッキー』を観たことがない人でも知っているであろう、ロッキーが階段を駆け上がり上でガッツポーズをする名シーン、あの階段は通称ロッキー・ステップと呼ばれているらしいが、それが本作でも出てくる。ただ、治療中のため、息もたえだえで見ていて切ない。しかし、隣りにはアドニスがいる。二人でのぼりきり、そこから見る景色はあの時とは少し変わったかもしれないけれど、おそらく気持ちは同じだと思う。

あくまでも主役はアドニスで、ロッキーは出しゃばりすぎず、でも、確かな存在感を持って、尊敬とともに描かれている。旧作にたよりすぎていないのがいい。

これは、有名すぎるテーマ曲にも同じことが言える。そのままは使わず、フレーズがちりばめてあるのが粋である。その匙加減がちょうどよいのだ。

ちなみに、いい映画を観た…と感動しながらエンドロールを見ていたら、最後に“字幕:アンゼたかし”のテロップ。また一つ、忘れられないアンゼ映画ができました。

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