『シング・ストリート 未来へのうた』



『はじまりのうた』のジョン・カーニー監督。またまた音楽映画。
今回は80年代イギリスを席巻した、デュラン・デュラン、ザ・クラッシュ、A-haなどが多数使われている。

以下、ネタバレです。







『ブルックリン』では1950年代、本作は1980年代が舞台になっているけれど、どちらの映画でもアイルランドは同じく不況である。そして、主人公たちが、そこから抜け出そうとする。二つの映画のテーマは同じだと思う。

主人公のコナーは、貧困のために転校することになるが、その先の学校が荒れ放題。いじめを受け、校長からも疎まれる。そんな中で出会ったから、ラフィナは天使にも見えたのではないだろうか。
一目惚れをして、ラフィナがモデルをしていると聞くと、「僕のバンドのミュージックビデオに出てみないか?」みたいな誘い方をしていて、案外積極的だなと思った。
ただ、その時点ではバンドすら始めていない。相手が決まっているとは言え、モテたくてバンド始めるのと一緒ですね。

メンバーはすっと集まるし、演奏もわりとすぐうまくなるし、バンドとしてあっという間に形になる。あまりこのあたりは、映画内では重要視されていないようだ。
同じ荒れた学校の生徒のようだったし、コナー以外の子らも彼らなりの問題を抱えていたと思うのだ。赤毛だったり、黒人だったり、友達がいなかったり…。個性的っぽいのにあまり描かれないのが残念。
バンド内分裂みたいなのもなかったのかとか、ウサギを飼っている子は少し主張してたが、主人公以外の意見はあまり反映されていないようだった。
あくまでもコナー中心であり、コナーの夢(ラフィナと付き合う)のために都合良く集まったメンバーのように感じてしまった。

ラフィナは最初、すかした感じだったし、ビデオ撮影現場に現れた時も「騙された!帰る!」といったように怒るかと思った。けれど、バンドメンバーにメイクもしてあげる。ビデオ撮影にもノリノリだった。見た目と違ってこの子の性格でしょう。声もかわいい。もっと年上お姉さんかと思ったら、コナーの一つ上だった。

15歳の男の子の簡単に影響されてしまう感じが可愛かった。デュラン・デュランのビデオを見たら、作る曲も似ちゃう。
歌詞も、ラフィナのことを赤裸々に書いていて、すでに告白のようだった。でも、「このモデルっていうのは君のことじゃないからね」と隠しているのが良かった。

その他にも、ザ・キュアーの曲を聴いたあとにはロバスミの髪型にしてたり、スパンダー・バレエの『Gold』のMVを見た後にはポマードをつけて学校へ行ったりしていた。ホール&オーツの『Maneater』を聴いた後に作った曲も曲調が似ていた。いちいち影響を受けるのが可愛い。

ただ、次々できあがる曲にしてもMVにしても、ラフィナの協力があったとはいえ、すぐに形になっちゃったなとは思った。バンド関連のことでの苦労はないです。
これは、もしかしたら監督の特徴なのかもしれない。

『はじまりのうた』にしても、そんなうまくいくか?みたいなところがあったし。それか、音楽的な才能についてはある程度あるもの同士なのだろう。あと、音楽映画なのだし、曲ができない苦悩とかバンドの悩みなどはすっ飛ばさないと話が進まない。

また、そこでも悩んでいては映画が暗すぎてしまうからかもしれない。
コナーは家庭内の問題を抱えてて、学校でもいじめられて浮いていた。これで、バンドまでうまくいかなかったら救いがない。バンドやってるときくらい楽しくあってほしい。

バンド活動が上手くいくことで、学校での問題は克服しつつあり、ラフィナとも次第に仲良くなっていっていた(この辺についても、コナー以外のバンドメンバーにも上向きに働いていたんじゃないかなと思うけれど描かれません)。
それと反対に家庭内での問題はどんどん大きくなっていき、両親は離婚をすることになってしまう。

コナーにはお兄さんがいて、レコードをたくさん持っていて、バンド活動に関してアドバイスもくれて、ギターもうまく、音楽の先生のようになっていた。コナーも憧れているようだった。

序盤は学校も辞めたらしいし、長髪ひげ小太りによれよれのTシャツで、ただのボンクラのように見えていた。ただ、そこには両親との深い確執があり、長男としての責任もあったようだった。
大麻が切れたと言っていたのが本当だかわからないけれど、弟のコナーに本音をぶちまけるシーンがつらかった。
ある程度、兄が犠牲になることで、弟のコナーは好きにやっていられる。それをコナー自身はそれまでまったく知らなかった。

体育館のような場所で演奏するシーンがとても良かった。エキストラとして数人を呼んで、「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のパーティーのシーンのように指を鳴らして踊って」と言うが、エキストラの子らは映画を観たことがなく、ダンスも上手くいかない。
でも、演奏が始まれば、バンドメンバーの衣装もびしっと決まる。ステージの下にはたくさんのお客さん。ミュージックビデオの主役であるラフィナも入ってくる。両親もいて、仲良く踊っている。兄貴も髪を切って爽やかになっていて、バイクで駆け付ける。最高に幸せな空間である。
だけど演奏が終わると、元の寂しい体育館に戻る。両親とお兄さんはもちろん、ラフィナも来ない。現実をつきつけられたようだった。

ラフィナはロンドンに行ってモデルとして活動するという夢にやぶれ、アイルランドに帰って来る。
メイクと髪型のせいかもしれないけれど、普通の女の子になってしまい、年相応に見えた。けれど、まったく魅力的じゃない。
そんな彼女が、今度はコナーのバンドに逆に感化されていたのも良かった。

学校でギグをやるんですが、ここでやる曲がバラードやパンクも混じっていて、ここまでバリバリのニューロマだったので、できればそのままやってほしかった。けれど、バラードはラフィナに対する想いであり、パンクは校長批判だったので、それに合った曲を、ということだったのかもしれない。ニューロマはかっこつけ成分が強く、メッセージを強く伝えるのには向かないのかも。

コナーはラフィナと一緒に、祖父の小さい釣り舟でアイルランドからイギリスを目指す。
思いつきで行動をするのも15歳だと思うけれど、アイルランドからいちぬけみたいな感じで、残される人々の気持ちはどうなっているのだろう。

バンド仲間は? コナーがラフィナと付き合うために集められて、バンド活動もうまく行きそうだったのに、コナー以外のメンバーはアイルランドに残されてしまうのか。
ウサギを飼っていたメンバーは「俺たちを引き上げてくれ」と言っていたし、「これが最後のライブになるかも」という言葉に「いいよ」と応えていたのであれで了承したのだろうか。
いじめっこをローディーとして雇ったのだから、本当はもっと活躍させてあげてほしかったが。

両親はどうでもいいとして、お兄さんはどうだろうか?
彼自身もドイツに行こうとしてあきらめてるという話がでてきた。それは、やろうと思えばできたことだったのか、それとも長男だから無理だったのか。
コナーとラフィナを海へ連れて行ったお兄さんは「やった!」って言ってたし嬉しいのだろう。夢を託したということか。
それとも、兄も、弟の突然の行動に感化されて、これからでもなんでもできると思い、動くのだろうか。
お前だけ逃げやがって、みたいな気持ちにはなっていないことは確かだ。

あと、どれくらいの確率でイギリスへたどり着けるのだろうか。小さく立ち乗りで屋根もない釣り船である。波でも転覆しそうだった。入国はできるのだろうか。
私はそんな細かいことを考えてしまっていたが、そんなこと考えずに、好きな女の子と二人で向かうという行為自体が大切ということなのだろう。

この時に流れていた曲では、振り返るな、前を向いていけ、なりふり構うなというようなことが歌われていて、コナーを応援しているようだった。
曲調は80年代ではないなと思ったら、歌っているのが、アダム・レヴィーンでそりゃそうだと思った。『はじまりのうた』に続いての楽曲提供になる。出演はありません。

後半に出てくる曲はニューロマっぽくないものが多くて、好きだったバンドと私の音楽性の違いにより、好きじゃなくなるパターンに似ていて、少し寂しかった。
でも、前半に出てくるものは、歌詞も素晴らしいし曲も好きだった。音楽映画なのだから、曲が素晴らしいということが一番重要である。

どの曲にもラフィナを好きという気持ち、その時にコナーが考えていること、そして何より音楽が好きという気持ちがぎゅっとつまっている。瑞々しい。
聴いていて、字幕で出る歌詞を読んで、涙が出た。サントラが欲しい。



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