『セトウツミ』



原作は漫画とのこと。漫画の一話が読める秋田書店のサイトへ映画の公式サイトからリンクがはられているので読んでみたが、雰囲気はまったく一緒だった。景色などは実際の漫画の舞台に撮ったのだろうか。

また、堺市のロケ地MAP、原作のLINEスタンプ、映画本編には入っていない短編が三つ(個人的には二つ目の『タイミング』が好きです)と公式サイトがかなり充実している。(http://www.setoutsumi.com/)

主演の二人が放課後に喋るのが主な内容である。学生なのに、学校での風景が一切無い。だらだらと喋る。
それはまるでコントのようなやりとりなのだが、そのコントっぽさは関西弁なせいかもしれない。
主演は池松壮亮(福岡出身)と菅田将暉(大阪出身)ということで、二人ともネイティブな関西弁使いである。

私はそれぞれ『海よりもまだ深く』と『そこのみにて光輝く』でしか見たことが無かったのですが、どうやら旬の俳優らしい。
もちろん、この二人のだらだら喋りだけを目当てに行ってもいいと思う。独特なテンポだし笑える。
けれど、映画の内容が喋るだけではない。コピーが“「喋る」だけの青春。”となっているけれど、彼らの青春が喋るだけなのと、映画の内容が喋るだけなのとは違うのだ。ほぼそれだけだけど。
でも、会話の内容や二人の制服の着崩し方や靴の履き方から徐々に見えてくるものを察するのがおもしろい。彼らの家族構成や二人の関係性がわかってくる。
それに、二人以外のサブキャラも抜群にいい。

監督は(私の中で)ブロマンス描写に定評のある大森立嗣監督。

以下、ネタバレです。









舞台はほぼ同じである。川辺の階段のあたりに二人並んで座っている。
一話、二話といった感じのオムニバスになっている。けれど、オムニバスと言えるほどの違いは無く、制服が夏服だったり冬服だったりと、季節が変わって行くくらいです。

最初の一話は、神妙な顔つきというのが一つのテーマになっていて、ああ、顔で笑わすようなコントを何話かやるだけなのかなと思った。

けれど、伏線的に川を見ていたおじさんに学校の怖い先輩が近寄って行って、おや?と思った。瀬戸と内海が話しているシーンはほとんど長回しというか、正面から撮っているだけだけれど、このシーンは急に映画的になる。
どうやら二人は親子で、でも両親は離婚していて、先輩はお父さんから養育費を受け取って、でも18歳の誕生日の今日が最後で…というやたらと重めの設定が急に盛り込まれる。
二人の演技が素晴らしく、泣かされてしまった。

なるほど、こうゆうスタンスかと思った。ただ、コントを撮っているだけではない。

他にも出てくる人がそれぞれいい。
中条あゆみ演じる寺の娘、樫村さんは、瀬戸が言っていたけれど、確かにわびさびも感じる美人だった。
ものすごい美人だけれど嫌味ではない。けれど、美人ゆえに浮世離れしている。他の女子高生とは違っていて、描写はないけれど、たぶん校内でも一人きりっぽかった。
本当に綺麗に撮られていた。

二人の会話の端々には家族構成が出てくる。瀬戸に関しては母親が通りかかる。まさに大阪のおばちゃんといったヒョウ柄を着ていた。母親特有の謎の文面でメールを送ってくるが、愛情を受けているのもよくわかる。
父親は失業中。だから貧乏なのに、飼い猫(三毛猫)に高いエサをあげて離婚危機。喧嘩もしているけれど、母親は父親にも愛情がありそうだった。
認知症で徘徊癖のある祖父(この祖父も通りかかる)。祖母は亡くなっている。

内海の家庭環境は瀬戸の真逆のようで、金持ちの家だけれど家族の愛情は受けてなさそう。一切姿も出てこないし、謎。内海としても親について話す内容がないからなのか、瀬戸との会話にも出てこない。

家族構成など、二人の背景がわかると、ただ話しているだけでも会話に深みが増す。どうやら二人とも、能天気に見えて、幸せな生活を送っているわけでもない風だった。

何話かやったあとにプロローグ的な0話が入る。これは、内海と瀬戸が出会う前の話なので、喋る二人ではないし、一番映画的とも言える。
内海は一人きりで、それを気にするでもなく、周囲を馬鹿にしている。話しかけてくれる同級生もほぼ無視している。

塾までの時間のひまつぶしとして、川辺に座り、本を読みながらイヤホンで音楽を聴く。目も耳も、外界の情報をシャットアウトして、完全に一人きりになり殻に閉じこもっていた。

そこにある日、瀬戸が座ってるんですね。
(「サッカー部だったんちゃうん」)という内海のモノローグが入ることから、同級生の話を聞いてないようでちゃんと聞いてるし、瀬戸の存在も認識していたことがわかる。
その後、部活をやめた原因も、同級生は噂話として話していたが、内海は聞いてないようで、ちゃんと聞いていた。

結局、瀬戸は才能がありながら、他の人のために部活をやめた。いい奴なのも内海は知っている。

内海は塾までの時間が空いていた、瀬戸は部活をやめて暇、需要と供給だと言っていたけれど、それだけじゃないだろ。
後ろからわーわー話しかけてきていた同級生だって、おそらく内海と友達になりたかったのだと思う。それは無視したじゃないか。彼では駄目だったのだ。

瀬戸なら良かった理由は、おそらく、明るく見えても影で挫折を経験しているところと、本当は優しくていい奴なところだろう。
瀬戸は、内海がサッカー部時代のエピソード知ってるって知らないんだろうな。映画では出てこなかったけれど、原作でサッカー部在籍時の話をする回ってあるんだろうか。話の核になりそうなところだし、出てこないかな。

エピローグは樫村さん目線だった。二人のだらだら会話がだいぶ楽しくなってきたので、それで終わらせてほしかった…とも思ったけれど、これはこれでいい。
外部から見る瀬戸と内海二人の様子が描かれる。

樫村さんは瀬戸に好意を持たれているけれど、内海のことが好きなのだ。もしかしたら、内海も樫村さんのことが好きなのかもしれない。けれど、気持ちに応えられないのは、たぶん瀬戸のことを考えてのことだろう。

0話は内海のモノローグもあるし、内海の考えていることはわりとわかる。でも、瀬戸に関しては本心がよくわからない。でも、たぶんそれほど深く考えていなくて、話していることがすべてなのではないかなとも思う。

もしかして、映画でよくある、実は存在しないパターンだったらどうしようかと思った。孤独な内海の作り出したまぼろしだったら…。そして、樫村さんはそれを優しく見守る女子だったら…。

でも、瀬戸は瀬戸でただの馬鹿明るい奴ではなく、家庭に問題はあるし、可愛がっていた猫が死んで号泣する優しい部分もあるし、その前に変な形で部活をやめたりもしている。これらがなかったら、まぼろしを疑ったところだ。でも、瀬戸にも悩みもあるし、人間味はちゃんと感じる。

瀬戸の悩み、内海の悩み。だらだら喋ることで二人が同時に救われている。ちょうどいい存在に思えた。やっぱり需要と供給なのか?

喋りのコントだけ見て笑うだけでもいいけれど、喋るだけの映画とは言わないでほしい。大森監督のブロマンス手腕も堪能しましょう。くだらない馬鹿話とその裏側まで見たほうが絶対におもしろい。

上映時間が75分しかない。いくらでも観ていられる。三時間くらいやってほしい。どうにでもなると思うので、是非続編制作に期待したい。



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