『ウォークラフト』



原作は海外で大ヒットしたゲームですが、日本ではあまり知られていないらしい。ゲームの『ウォークラフト2』が出たのは1995年のようですが、2というからにはその前に1が出ているのだと思うけれど、いつ出たのか不明。

監督はダンカン・ジョーンズ。今までの作品とはだいぶ印象が違った。

以下、ネタバレです。






予告を見た感じだと、人間(善)対オーク(悪)という対立があって、オークの中に良いオークが出てきて人間と共闘するのかなと思っていた。
けれど、最初はオークしか出てこないし、夫婦の間に子供が産まれようとしていたりと、悪というイメージではなかった。
なんとなくですが、『猿の惑星』を思い出した。相手には相手の事情があり、人間には人間の事情がある。それぞれに世界があって、事情を抱えているから対立するといった感じに。

それで、私は人間なので人間側に共感すると思うでしょ? それが、できなかったのだ。かといって、オークに共感したわけではない。
遠い世界で起こっている出来事をぼんやりと眺めるだけになってしまった。いや、実際に遠い世界なんだけれど、それが身近なものと置き換えられない。

少しでもゲームを知っておいたほうが良かったかもしれないと思った。
固有名詞が人の名前なのか、場所の名前なのか、能力なのか、組織の名前なのかがわからないのだ。知らない単語が次々と出てくるので、一度出てきた単語もなんだったかがわからなくなる。理解が追いつかないので、結果、騒動からは離れた場所でぼんやりと観ているしかなくなる。没頭できないのだ。
最後に、人間側の主人公?が鼓舞するときに出てくる“アゼロス”すら何なのかわからなくなっていた。調べたら大陸の名前だった。

原作がそうだからそうなんだけど、洋モノのファンタジーRPGとかSLGの雰囲気だった。個人的には日本版のそれらのゲームはやっても、海外版はなんとなく難易度が高そうとか、世界観に馴染めそうでプレイしていない。そんな人が観る映画ではない気がした。映画の出来どうこうではなく、単純に合わない。

トビー・ケベル演じるデュロタンはオークの中でも邪悪な力を使うオークに疑問を持っていて、人間側と手を結ぼうとする。もっと交流があるのかと思っていたけれど、さほどないまま殺されてしまう。
冒頭で産まれた息子も赤ちゃんのままだったけれど、この先何かあるのだろうか。

ハーフオークのガローナは陛下の苦渋の決断により陛下を刺していた。それにより、ガローナはオーク内での地位が上がっていた。今後、デュロタンがなし得なかったような人間との架け橋になるのだろうか。

デュロタンの子が誰かに抱き上げられるという、どう考えても続編がありそうな終わり方だったし、ダンカン・ジョーンズも三部作構想と言っているそうだ。

本作が悪かったわけではない。このゲームが好きな人からしたら満足できる内容だと思う。違う監督だったら、作品の印象もまったく違ったと思う。私は、今までのダンカン・ジョーンズのこぢんまりした感じのアイディアSFが好きだったので、どちらかというと、またそっち系の作品が観たいのだ…。彼の次回作が仮に『ウォークラフト2』と『ウォークラフト3』だとすると、しばらくは戻ってこないですよね…。


でも、「小さい頃に父(デヴィッド・ボウイ)に『ラビリンス』の撮影現場に連れて行ってもらい、こんな映画が作りたいと思った」的な話がパンフレットに載っていたらしいので、もう何も言うまいと思った。好きな作品を作ってください。そして、いつか戻ってきて…。

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