『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』


ティム・バートンは製作総指揮には名前が入っているが、監督はジェームズ・ボビンに変更。
実は、前作はそんなに好きではなかったため、観る予定はなかったけれど、『ザ・マペッツ』が好きだったので観ました。
本作の原題が『Alice Through the Looking Glass』、『鏡の国のアリス』の原題が『Through the Looking-Glass, and What Alice Found There』だったので、『鏡の国のアリス』を原作としているのかと思ったけれどそうではないらしい。
そもそも、一作目にも出てくる白の女王は『鏡の国のアリス』に出てきたキャラクターだし、ヘレナ・ボナム=カーターが演じる赤の女王は、外見や「首を刎ねておしまい!」というセリフなど、ハートの女王と合わさったようなキャラクターになっている。
今作は特に、そもそも原作とはあまり関係がなさそう。鏡を通り抜けた先でチェスが繰り広げられているのは原作の通りらしいので、ここだけオマージュなのかもしれない。
以下、ネタバレです。



最初、アリスは船で旅をしている。海賊に襲われそうになっているし、海は大荒れだし、海洋アドベンチャーのよう。一体何を観にきたのかなと思ってしまう。ただ、映画の始まりが夜空にチェシャ猫が浮かび上がって、にんまりと笑った歯が三日月に変わるので、紛れも無くアリスなのがわかる。
ただ、描かれているのは不思議の国ではなく、現実世界のようだ。父親の船は売らねばならず、プロポーズを断った相手からは嫌がらせのような扱いを受ける。中国で手に入れた奇抜な色と形のドレス(チャイナドレスではない)はパーティでは浮いてしまい、アリスと現実世界の馴染めなさが現れているようだった。
そのドレスが、というかドレス姿のアリスが、鏡を通じて訪れた不思議の国ではまったく違和感がなかった。世界もカラフルだし、アリス自体が馴染んでいるのだろう。この表現がおもしろかった。

帰ってきたアリスを仲間たちが歓迎する。可愛いけれど、各々の説明は一切ないので、その辺が知りたかったら前作を観たほうがいいと思う。けれど、直接的な続きではありません。ハンプティ・ダンプティも最初に出てくるだけだけれど、ちゃんとサービスで割れてくれた。
マッドハッターが、家族が実は生きているのではないか、過去に戻って救ってくれないかと、アリスに無茶な願いをする。ハッターは死にかけているのでそれを助けるために、アリスは時の番人タイムのところへ行き、タイムマシンのような機械を盗み出す。詳しくは説明されないけれど、多分それはタイムにとっても核というか心臓のようなものらしく、タイムが徐々に弱っていく。

本作は、不可能なんて言葉が一番嫌い、なんでもチャレンジしてみる!というのがテーマになっていたようで、それは確かに大切なことだと思う。けれど、その行動のせいで、苦しんでいる人がいたらどうなのだろう。
信じたことを疑わずまっすぐに突き進む、それは長所でもあると思うけれど、ハッター第一で、他人の迷惑を考えないのは短所にもなってしまう。長所と短所は紙一重なのだ。
だから、アリスがタイムマシンを使って時間旅行をしていても、ワクワクはせずに、ただの身勝手な行動に感じてしまった。

結局、赤の女王の頭が大きくて戴冠式でハッター家族の作った冠がかぶれなかったことで恨みを買ったらしいのだが、更に過去に遡るとそもそも、赤の女王の頭が大きくなったのは白の女王のせいだったんですね。
こうなると、本作の悪役はアリスを執拗に追ってくるタイムでも赤の女王でもなく、アリスと白の女王なのではないかと思えてくる。タイムを演じているのがサシャ・バロン・コーエン、赤の女王を演じているのがヘレナ・ボナム=カーター。2012年公開の『レ・ミゼラブル』の意地悪夫婦を演じていた二人である。なので、なんとなくその印象で騙されてしまった。ちなみに、白の女王のアン・ハサウェイの『レ・ミゼラブル』でコゼットの母を演じていた。配役だけ見たら完全に騙される。

ただ、騙されたと思っているのが私だけで、映画の中では何事もなかったように、なんらかの方法でタイムと赤の女王が“やっつけられて”、めでたしめでたしで終わってしまったらどうしようと思っていた。それではまったく共感できない。
しかし、終盤「どうして私だけが酷い目に遭うの。こんな容姿でなければ愛されたのに」と赤の女王が泣きながら本音を吐露したのだ。それで、ちゃんと血の通ったキャラクターになる。

赤の女王ではなくハートの女王だけれど、原作のイラストだと、妙に頭が大きい。ただ、ハートの女王なので、白の女王的な存在もいないだろうし、頭が大きくなった原因まで想定されていないだろう。おそらく、ティム・バートンも想定していなかったはずだ。
頭が大きいことで、コミカルで威圧的でギョッとする印象が与えられる。その姿形だけだろう。

けれど、赤の女王自身は本作ではその容姿にコンプレックスを抱いていたというのがわかる。ずっとずっと昔から。それはアリスがタイムマシンで過去に遡っても変えられない。けれど、過去を顧みて、未来を変えていくことはできる。
白の女王は子供時代に過ちをおかした。それは変えられない。けれど、大人になった今でも、「ごめんなさい」と謝った。遅くなかったのだ。こうして、歪で邪悪でしかなかった赤の女王が救われた。個人的にはティム・バートンよりジェームズ・ボビン監督のほうが、キャラクターに寄り添って、優しい目線を向けている印象を受けた。
つい、誰が悪者なの?誰を倒す話なの?という感じで観てしまっていたが、誰も悪者ではないのだ。

また、タイムにしても、アリスがタイムマシンを盗んで混乱させたことをちゃんと謝っていた。
序盤に出てきたタイムはガミガミしていたし、サシャ・バロン・コーエンなこともあったし、主人公を追いかけてくる者として、いかにも悪役だった。だが、終盤では王のような風格があった。悪い意味で威圧的だったのが、良い意味で威圧的に変わっていた。これはサシャ・バロン・コーエンのうまさだと思う。素晴らしかったです。

そして、もちろん、アリスなので、ちゃんと行きて帰りし物語形式になっている。現実世界に戻ったアリスは結局、母親と大海原へ乗り出す。二人で同じような服装でしゃんと背筋を伸ばしているのが良かった。力強く、爽やかなラストだった。
アリスの母親を演じているのが、リンゼイ・ダンカン。前作と同じキャストですが、前作の2010年の時点では特に意識していない女優さんだったけれど、『ドクター・フー』(シリーズ4.5の“火星の水”)や『SHERLOCK』(シーズン3-3“最後の誓い”)、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(演劇批評家)など、観るもの観るもので気になっていました。今作も良かった。

“悪いことをしたら謝りましょう”だけでは、子供向けの教訓めいている。しかし、本作は、過去にしてしまった過ち、胸の奥にチクリと残っているもの、そんなものを抱えながら、時間を過ごしてきた大人向けでもある。前作より断然こちらのほうが好きです。

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