『ライオット・クラブ』



2016年公開。イギリスでは2014年公開。
優秀で美麗な男性たち10人だけが所属できるオックスフォード大学に代々引き継がれる秘密クラブの話。
実際にはライオット・クラブという名前ではなくブリンドン・クラブという名前らしい。一応実在するとは書いてあるけれど、なんせ秘密クラブだし、詳細はたぶん不明。

美麗な男たち、女人禁制、秘密クラブ…。魅力的なキーワードが並ぶし、“華麗で腐った世界”というのも公式側にその気があって書いてるのかわからないけど目をひくフレーズだった。けれど、言葉通り腐っていたし、下劣すぎて胸糞が悪くなり、気分が悪くなるだけの作品だった。こんな気持ちになる覚悟はなかった。
もう少し、デカダンス寄りだったり、お耽美だったりするのかと思っていたけれど、“気品”(これも公式サイトより)なんてなかった。ひたすら下品だった。
確かにクラブに所属しているメンバーは全員イケメンだし、服装もビシッと決まっている。だから、スチルだけ見る分にはいい。写真集でも出したらいいと思う。

クラブから二人が抜けたことで、新入生から二人加入する。
加入の儀式で、痰、尿、虫などを混ぜたワインを一気飲みしていて、うわあと気持ち悪くなりつつも、学生が馬鹿やってるなくらいにしか思わなかった。飲む側もいじめというわけではなく、クラブに勧誘された高揚感に舞い上がっていた。

映画はほぼライオット・クラブの新人二人の歓迎会である晩餐会について描かれている。
「近所のパブは出入り禁止でさ」みたいに言っていて、暴れるのはわかっていたし、各人にゴミ袋大のゲロ袋が渡されて、ひどい飲み会になる予感はあった。
それでも最初は、これは新たな酔っ払い映画になるのかなくらいの軽い気持ちで観ていたが、どんどんエスカレートしていく。

売春婦を呼んで全員の相手をさせようとする。断られて、嫌がらせで新人の彼女を呼ぶ。彼女が階級が低いのを馬鹿にする。
なんというか、人を人とも思わないというか、自分たち以外のことはどうでもいいというか、世の中は自分たちのために存在すると思っているというか。

店でぎゃーぎゃー騒ぐくらいなら、若者だから仕方ないと思う。しかし、田舎で細々と経営している店の調度品を壊すのはどうかと思う。
しかもそれを金で解決しようとした。そして、金を受け取らなかった店主を集団で暴行し、瀕死にまで追い込み、病院送りにする。

途中で誰か止めないのかなと思いながら観ていた。元々のメンバーは、近場で出禁になるくらいだし、新入りの二人が結託して、こんなのは間違ってると正してほしかった。
放蕩の限りを尽くした末にはやはりぎゃふんと言わされてほしい。そこにカタルシスがある。

けれど、ライオット・クラブは代々続いてきているものである。それがここで急に終わるとも思えない。

結局一人が警察に捕まるが、名門大学の代々続いてきている秘密クラブということは、世に出ている政治家、弁護士などにもその秘密クラブ出身者がいるのだ。つまり守られている存在なのである。
その警察に捕まった一人も出身の弁護士に助けられることが示唆されていた。

金持ちの上流階級の人間は何をやっても罰せられることがない。イケメンが下衆なことをするのがたまらないという意見もあるようだけれど、私は例えイケメンであっても、ここまでひどいと苛立ちしか覚えなかった。
監督が『17歳の肖像』のロネ・シェルフィグであることを考えると、告発なのだろうか。怒りを覚えれば監督の目論見通りなのだろうか。

ただ、私は美しい男たちが堕落をしていても、最後には更生するところが観たかったのだと思う。あと、当たり前のことだけれど、外部の人間に迷惑をかけるのは許せなかった。秘密クラブなら、クラブ内でわちゃわちゃやってろと思う。
あと、そのクラブの過去だと一人の男に半裸の女性が四、五人ついていたが、晩餐会では10人で1人の女性をどうにかしようとしていた。どちらも男尊女卑的だとは思うけれど、せめて、人数は逆にしてほしかった。

クラブのメンバー10人の中に『パレードへようこそ』でジェフ役だったフレディ・フォックスとマーク役だったベン・シュネッツァーが出演していた。二人とも『パレードへようこそ』での印象が良かっただけに、本作で印象が悪くなるのはもったいないと思ってしまった。
特に、マークは誠実のかたまりだったし、本作でもベン・シュネッツァーはクラブに少し不満がありそうだったからなんらかの突破口になるのかと思っていた。けれど、誠実な顔をして店主の眼前にポンド札をちらつかせるという役でなんとなく裏切られたような気持ちになってしまった。俳優さんに罪はないけれど、もう二度と観たくない作品。



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