2009年1月に実際に起こったUSエアウェイズ1549便不時着水事故を描く。
監督はクリント・イーストウッド。『アメリカン・スナイパー』に続く実話。
ほぼ全編IMAXカメラで撮影されたとのことで、IMAXで観ました。IMAXが観られる状況ならば、オススメです。

以下、ネタバレです。









バードストライクにより左右のエンジンが停止、機長のサリーは飛行機をハドソン川に不時着させ、乗客155名全員を救う。
最初は救うまでの話なのかと思っていた。けれど、予告編を見ると、救った後で機長が容疑者になったと言われていた。さらに予告編だと、妻が「私はあなたを信じている」というようなことを言っていて、どうやら飛行機事故の後の話なのだなと思った。でも、アクション映画ならともかく、このような人間ドラマで、なぜIMAXカメラで撮影したのかなと思っていた。

サリーにかけられた疑いは、ハドソン川への不時着は乗客を危険にさらした、離陸した空港へ戻るか、他の空港へ着陸した方が良かったのではないかというものだった。国家運輸安全委員会によって、問い詰められていた。

私は単純だから、誰も亡くなっていないのだし結果オーライで今更そんなこと言わなくてもいいじゃないかと思っていた。
サリーだって簡単な決断をしたわけではないから、街中に墜落する悪夢を見たり、空母に乗っている戦闘機を見ると、それに自分が乗って命からがら着陸することを考えてしまう。PTSDになりかけているのだ。
それなのに、外部の人間が安全な場所から言いたいことだけ言う姿には憤りを覚えた。

公聴会のシーンは別にIMAXでなくてもいいんですが、サリーの悪夢の中の墜落シーンは音の迫力もさることながら、大きな飛行機が落ちていく様は大きなスクリーンだとより映えて怖い。
また、悪夢だけでなく、事故の様子もサリーが思い出しているという形で映像が出る。
飛行機からの映像と、飛んでいる飛行機を外側からとらえる映像。どちらも素晴らしかった。川に不時着し、水しぶきが上がる様子も大きいスクリーンならでは。
また、飛行機だけでなく、ヘリや救助するボートなど、いろいろな乗り物が出てくる。それが川に浮かんでいるところを遠くからとらえた映像も、テレビや小さいスクリーンでは見応えがないだろう。
通常版を観ていないからわからないけれど、IMAX版との画角の違いでも見え方が違うと思う。

もっと人間ドラマ寄りのものを想像していたし、妻の出番も多いのかと思ったけれど、妻とは電話をするだけで戻って抱き合うこともしない。もちろんサリーの心の支えにはなっていたとは思うけれど、重点は置かれていなかった。

後半にも公聴会のシーンがある。その中で、参加している全員でブラックボックスの音声を聞くシーンがある。登場人物は音声を聞いているだけだが、サリーと副機長は実際にその場にいたし、状況をありありと思い出す。そして、観客にも映像で見せる。208秒間の緊迫した状況。

公聴会の前にサリーが事故のことを思い出しているシーンでも不時着から救助までが描かれるが、ここでは機内や乗客の様子を中心に描かれていた。
その前に、少しの乗客について、家族との関係などを描くことで、155人がモブではなく、ちゃんと心の通った人間だと示されているのがうまい。ほんの少しの時間でも、乗客について描かれていると、キャラクターに親しみが湧いて、死者が出ていないというのはわかっているのに、より緊迫感が増す。また、自分も機内にいるような気持ちになってしまった。「大丈夫ですよ」と安心させるように言っていた客室乗務員の方々が、本当に危機の時には「衝撃に、備えて!」と声をそろえて言っていた。

それでも、慌てているのは乗客たちだけで、客室乗務員や副機長は冷静な対応をしていた。
また、管制官の男性もトラブルがあった1549便をなんとか救おうと必死になって導いていた。ボートで助けに来た方々も迅速に対応していた。

もちろん、タイミングが重なって、155人が救われたのは奇跡的な出来事だったのかもしれない。サリーも腕が良かったのだとは思う。でも、それだけではなく、その場に居あわせた人々が自分の仕事をそれぞれの場所で必死に、けれど冷静にこなしたことでの結果でもあるだろう。

この、人々がそれぞれの持ち場で仕事をする感じから、『シン・ゴジラ』や『オデッセイ』を思い出した。公聴会とか会議のシーンが割と多く、ウェットな描写が少ないのも『シン・ゴジラ』っぽい。

乗客の描写を入れることでモブに見せないというのもうまいなと思ったけれど、同じ不時着シーンが繰り返されても、外からの描写とコックピットの中だけの描写と、描き方が違うと見え方が違ってくるという構成がうまい。さすが、クリント・イーストウッド。しかも、96分とコンパクトなのもいい。
時間が短いから、サリーが家族の元に帰る様子まで入れることもできたのに、おそらくわざわざ抜いている。多分、入れたとしても、どこかで見たような映像になるだけだから別にいいやと思ったのではないだろうか。大成功だと思う。

トム・ハンクスが人格者の役にハマるのは、『キャプテン・フィリップス』や『ブリッジ・オブ・スパイ』でも明らかである。今回もとても良かった。冷静に、誰よりも冷静に努めようとしながらも、脈拍はいつもの倍、悪夢も見る。ジョギングで道路に飛び出してしまったりと、見た目よりも相当堪えている男を演じていた。
また、副機長役のアーロン・エッカートもすごく良かった。最近はアクション映画への出演が多く、『エンド・オブ・〜』シリーズの大統領もそれはそれで好きだけれど、初期のような演技も見たかった。今回、だいぶ痩せていて、どちらかというとどっしりした印象の機長の隣りにいるとひょろっとしていて頼りなくも見える。けれど、事故の時にも、機長の隣りの席で同じように生きるか死ぬかの状況を味わった。機長のことを一番わかっているのは彼である。もちろんサリーの判断を責めることはなく、どんな時にも一緒に反論して、サリーの味方になっていた。サリーが一人きりだったらもっとおかしくなっていたかもしれないし、副機長に救われた面は多いと思う。いい役でした。




佐藤泰志による函館三部作の三作目。映画化された一作目の『海炭市叙景』は観ていないのですが、『そこのみにて光輝く』は観た。ただ、三部作と言えども、函館が舞台というだけで、似てはいない。
ただ、(海を越えるとすぐに青森とは言え)函館の端っこ感とかどんづまり感は同じかもしれない。

以下、ネタバレです。








ラブストーリーならば、恋に落ちる瞬間が描かれているものが好きである。
本作ではポスターなどで、オダギリジョー演じる白岩と蒼井優演じる聡が恋仲になるのはわかっていた。だから、二人が初めて目があった時、出会いの瞬間、何かが変わるのかなと思っていた。だが、そこでは恋に落ちず。

その後、スナックで再会したときにもここかな?と思ったけれど、ちがった。その後でお店から二人で一緒に帰ったときかなと思ったけれどそこでもなく。

その後、夜の動物園でギャーギャーという鳥の騒ぐ声の後で空から大量の鳥の羽根が降ってくる描写があった。それについて、あとで説明があるのかと思ったけれど特に無かった。雪に見立ててるのかと思ったけれど、季節が違っていた。大量の白い羽根が降ってくるのは綺麗だし夢のようだしロマンティックだから、聡か白岩の心象風景をファンタジーっぽい映像で見せたのかと思った。けれど、その後で聡が羽根を持っていたので、現実だったっぽい。鳥の喧嘩かなにかだったとしても、あんなには抜けないだろう。

まあそれでも、ロマンティックだったし、これで本格的に恋に落ちたのだろうと思ったら、聡が理不尽であったり正論であったりする文句をヒステリックに叫び出す。
最初に鳥の求愛を体現していたときに、ちょっとエキセントリックな女性だなとは思ったけれど、夜の動物園で鳥の求愛を取り入れたバレエのようなダンスは美しかったしまあいいかと思った。『花とアリス』のバレエシーンを思い出した。
だけど、このヒステリーシーンで本格的についていけないなと思ってしまった。

聡のことを可愛いとか好きとか思える(白岩目線)とか、聡に共感できるとかなら二人のラブストーリーも見たいけれども、これではもう、恋に落ちなくてもいい。ラブストーリーではなく、白岩という男の人生で良かった。聡はポスターなどには出てくるけれど、メインキャラではなく、妻と別れた白岩が一瞬惹かれそうになって、でも通り過ぎていく女性ということで良かった。やっと出会って、今度こそ運命かなと思った女性と酷い目に遭って別れ、心にまた一つ傷を負うということで終わりで良かった。
職業訓練校の中でもぎすぎすしていたし、ここの人たちとの関係とか、ここの人たちの人生を描いてくれるのでも良かった。
職業訓練校という場所柄、結構個性の強いメンバーが揃っていて、彼らについてもっと知りたかった。聡にはついていけないと思ってしまったけれど、ここにいる人たちの心の痛みのようなものは理解できそうだった。

けれども、聡が謝りに来て、お店に同伴出勤をすることになる。聡は浮き沈みが激しいということだと思うけれど、謝りにくるところとお店での態度はさばさばしていて、これならば好感が持てるのだが、ヒステリックに叫んでいるところは別人のようだった。もう映画は中盤を過ぎているが、キャラクターがまったく掴めない。

白岩も白岩で、過去にあった出来事で傷を負っていて、今はそれを隠して、適当にいい顔をして、でも他人とは距離を置きながら暮らしているようだったので、どんな人物だかよくわからない。本心を隠しているのだからわからないのは当たり前だけれど、映画の登場人物だけではなく、スクリーンの外側で観ている私にもわからなかった。

店の中で、聡のことを白岩が抱きしめたとき、今度こそ本当に恋に落ちたのだろうと思った。
けれど、その後ですぐに元妻に会っていたし、指輪を返されて、指輪をしている自分の左手を慌ててポケットに入れて号泣していた。未練なのだろうか。聡の事を好きになったのならもういいじゃないかと思う。それとも、家族と恋愛は別ということだろうか。

職業訓練校でソフトボール大会があって、白岩は聡に見に来てくれと言う。まさかここで、彼女に誠意を見せるために、タイトル通りにフェンスをオーバーするホームランを打つわけじゃないよな…と思ったら、まさにその通りになってびっくりした。こんなベタな展開でいいのだろうか。こんなに綺麗にまとめようとするならば、出会いから恋に落ちて、仲を深めて…という綺麗な展開にしてほしかった。最後だけ普通のラブストーリーのようにされても、と思ったけれど、原作のあるものだしその通りなのかもしれない。
タイトルはもちろん、ただ単にホームランという意味ではなく、フェンスを越える=心の中の柵を乗り越えて君に近づくとか、鬱屈した日常を打ち破る意味も含まれているのだろう。清々しく爽やかで、何かを振り切ったようなラストだった。
だから、すべてはこれから、恋に落ちるのもこれからなのかもしれない。映画(原作も?)で描かれていたのは、それ以前の話だったのかも。

なんとなく、ラブストーリーにしても、『そこのみにて光輝く』のような極限の愛が見られるのかと思っていた。あれくらい、ギリギリのものが観たかった。そもそも、何を考えているのかよくわからない二人だったけれど、相手を求めているようには見えなかったのだ。
原作の作者が同じだったとしても、映画の監督は違うのだし、作風が違うのは当たり前なのだけれど。でも、ちょっとついていけないなと思ってしまった聡の鳥の求愛の行動が映画オリジナルだというのはなんとも言えない。

『怒り』



吉田修一原作、李相日監督の『悪人』コンビ。
上映時間144分ですが、長さはまったく感じなかった。

以下、ネタバレです。









刑事が殺人事件の現場を調べているシーンから始まるため、考えていたよりもミステリーっぽいのかなと思いながら観始めた。

東京と千葉の房総と沖縄が舞台のストーリーが同時に進行していく。それぞれに素性のわからない謎の男が出てくるので、おそらくこの中の誰かが犯人なのだろうなと思いながら観ていた。
謎の男を演じるのは、綾野剛(東京)、松山ケンイチ(千葉)、森山未來(沖縄)。事件の指名手配の写真が映画中に出てくるけれど、この三人のいずれにも見えてしまう。顔の系統が似ている絶妙なキャスティングだと思う。この辺、原作小説だと叙述トリックを用いているのかもしれないけれど、映画だとばっちり映像が出てしまう。けれど、ちゃんと見てみても誰ともわからない感じがうまい。

三つの物語はほとんど同じ流れである。
素性のわからない男はあやしいけれど、ミステリアスでひかれてしまう。
モテモテで仕事も順調そうだけどどこか空虚感を抱えているゲイの青年。風俗嬢として働いていたけれど、体を壊し田舎に連れ戻された家出少女。波照間島に引っ越してきたばっかりで慣れない環境で生活する少女。
おそらく、ひかれる側も何か生活に満たされない部分があった。

出会って、ひかれて、あの殺人事件の逃亡犯では?と疑うタイミングも三つほぼ同時である。
この中の誰かが犯人なのだろうな。それか、三人ともただあやしいだけで、犯人はまた別にいるのか。それとも、時系列が前後していて、この三人は実は同一人物なのではないか。
素性のわからない男と出会う人物目線ではなく、刑事目線で推理しながら観てしまった。三人とものことを疑ったのである。

結局、三人のうちの一人(沖縄)が犯人で、二人は違った。違ったけれども、登場人物たちも素性のわからない男をそれぞれ疑った。殺人犯ではない人物の事も疑ってしまった。そのことで、無関係の人物を傷つけた。そして、私も疑ってしまったので同罪である。この話は警察ミステリーなんかじゃない。主題は誰が犯人かということではなかった。
更に、三つの話が進行していくと、それがどこかで関係し合う群像劇でも無かった。一つの同じ殺人事件が出てくるけれども、やりとりなどは無い。

考えてみたら、直人(東京)と田代(千葉)には共通点があった。
人を殺してはいなくても、後ろ暗いのとは違っても、ほっといてくれというオーラが出ていた。彼らは人と関わらず生きていきたいと思っていたのだ。
扉を閉じて閉じこもっていたところ、そこをこじあけるようにして、接触してきた人物がいた。優馬(東京)と愛子(千葉)だ。
直人も田代も様子を見ながら、おそるおそる心を開いていく。直人や田代にしたら、きっと、やっと心を開く事ができる相手に出会えたのだろう。しかし、二人とも、その相手に疑われるのだから、たまらない。こっちは接したくなかったのに、向こうからぐいぐい来たのに、結局こんなことになってしまう。やっぱり心を開くんじゃなかった。そう思ったと思う。

しかし、田中(沖縄)の場合は最初からフレンドリーだった。徐々に打ち解けるという過程がなかった。性格なのかもしれないけれど、何を考えているかわからない怖さがある。直人と田代のような人間味がない。

誤解がとけても、東京パートでは結局取り返しがつかないことになってしまう。謝る事すら許されない。
後から考えると、優馬の病気の母親と接するときに、直人が泣きそうな切ない顔をしていた理由もわかってしまう。
昼間も家にいていいよと言われたとき、母親に会わせてもらったとき、一緒の墓に入るかと言われたとき、本当に嬉しかったと思う。今までに感じた事の無い喜びだったろう。「信じてくれてありがとう」という言葉も、後から思い出すと胸が締め付けられる。

だからせめて、千葉パートの愛子と田代は幸せになってほしい。田代がもう一度電話をかけてきてくれて、本当に良かったと思った。田代は愛子と接するうちに、生きる喜びのようなものを思い出したのだろう。電話をかけるのも勇気がいったと思う。傷つけられるくらいなら、接しないのが一番だし、そうやって生きてきた。それでももう一度と思って電話をしたのだから、愛子が田代を変えたのだろう。
直人も、病気でなかったらもう一度優馬にコンタクトをとったのだろうか。あんな猫のような去り方をしたのも、もしかしたら直人の勇気なのかもしれない。

愛している人のことを信じていたら、こんなことにはならなかっただろう。でも、沖縄パートでは無条件で信じて、結局酷い目に遭う。それに、元々は素性がわからない人物なのだ。愛したからといって、無条件で信じるのは難しいだろう。

それに、愛しているからこそというのもある。愛子の父親は、娘の事を愛しているから、相手の素性を独自に調べた。そして、愛子に助言をした。愛子はその助言で揺れてしまい、田代を疑ったのだ。
ただ、ここも心配をするふりをして、愛子を疑っているから自分で動いたのかもしれない。

愛しているなら、何があっても相手の事を信じるというのは綺麗ごとだろう。そんなに簡単にいくわけはない。そこまで強くない。

それに、優馬も愛子も愛子の父親も、今までの生活を考えると、信じるのみでは生きて来れなかっただろう。

優馬はだいぶ生活が派手なようだったし、彼自身も騙したり騙されたりが日常茶飯事だったようだし、周囲の人間もそのような感じだった。
愛子の父親は、村の人たちの噂話で、愛子への偏見を持ってしまっていたかもしれない。狭い村での噂話は洗脳のようなものだろう。
愛子は客のどんな要望にも応えていたというのはもしかしたら信じていてそうなったのかもしれないけれど、その結果、酷い想いばかりをしたと思う。

優馬も愛子も、直人と田代と出会ってからは幸福で、まるで世界が変わったようだったろう。こんなに世界は輝いているのかと、人生捨てたもんじゃないと思っただろう。

それでも、変わらない過去はついてきて、影を落とす。
またか、と思ったのは、直人と田代だけではなく、優馬と愛子もなのだ。

愛する相手のことを無条件で信じて、なおかつ、幸せでいられたら、それにこしたことはない。
疑った優馬と愛子は、相手の事を傷つけた。傷つけられた側の気持ちを思うと苦しい。けれども、疑った彼らの気持ちもよくわかってしまって、それもまた苦しい。どうすれば良かったかなんてわからない。





カンヌ国際映画祭のある視点部門ある才能賞を受賞したルーマニアの映画。
おじさん三人が穴を掘る映画です。

以下、ネタバレです。







なんとなくタイトルや聞いていたあらすじから、わくわくする冒険活劇!みたいなものを想像していたけれど、わりとゆったりしていた。ヨーロッパの映画によくある間とテンポかもしれない。
借金がかさんで家を追い出されそうで…と深刻な様子だけれど、シリアスにならずにくすっとくる要素も入っていた。
そもそも、借金返済のために、家族が残したと思われるお宝を探すために穴を掘るという発想がシリアスにはなりえない状況だけれど。

映画の本編というか主要な部分が穴を掘っているシーンなのかと思っていたが、案外、掘りに行くまでが長かった。でも、会話が多く、コントのようなやりとりがおもしろかった。

800ユーロは貸せないけれど、上司に不倫を疑われながらも金属探知機の業者に赴き、400ユーロで仕事をしてくれる人をさがしてくる主人公。
金をとるとはいえ格安で、善意で週末に手伝ってくれた金属探知機の業者。

それなのに、掘っても何も見つからないからなのか、借金をしている当人は金属探知機の音がうるさくて頭が痛くなるとか、ぴりぴりしていて、おまけに金属探知機のおじさんを殴ろうとするなどひどかった。三人で仲良く穴を掘る話だと思っていたのに、ギスギスして、金属探知機のおじさんは途中で帰ってしまった。

掘っても何も見つかりませんでしたというパターンだと思っていた。掘っているのと違う、他の場所でも金属探知機は鳴りまくってたし、借金をしていた男はひどい態度をとっていたので、罰が下るのかと思ったのだ。

でも、金属の箱が発見される。中に入っているのが古い硬貨の場合、国の物になるため警察へ届けなければならないけれど、こっそり二人で山分けしようという魂胆だった。
けれど、箱を持ち帰る途中で警察に職務質問を受け、警察に連れて行かれる。

ここで、箱を開けてもらうために借金をしていた男は泥棒をしている友達を呼ぶんですが、その友達もよく警察に来たよなと思う。
別に悪さはしてないから逮捕はされないけれど…。周りの人に恵まれ過ぎている。

結局、中から出てきたのは古い株券で、警察に届け出なくても良いので、二人で山分けをしていた。

掘るのを手伝った主人公は、宝石ショップでこれとこれとこれと…あとこれ、それとこれと、大量に買い物をしていた。最初は奥さんにプレゼントかと思ったが、買いすぎである。
それより、こんなに買っちゃって大丈夫なのだろうかと思った。これで、実は株券が偽でした、無効です、どっひゃ〜みたいな展開があるのかと思った。
今度は主人公が借金をすることになり、借金の男が手伝ってどこかで穴を掘ってこれからもよろしくみたいな…。

けれど、特にそんな問題は起きなかった。株券の入っていた箱にアクセサリーを詰め、息子に「これが掘っていた宝物だよ」と見せていた。株券では子供には通じないから。

なるほど。主人公はきっと、息子のことを思いながら穴を掘る手伝いをしたのだろう。最初に『ロビン・フッド』を読んであげていたのもここに繋がるのかもしれない。

宝物を見て、他の子供も寄って来て、「触っていい?」などと言っていてひやひやしたのだが、「もらってもいい?」との質問に「いいよ」と答えていて、びっくりした。太っ腹すぎる。
でも、もともと宝くじが当たったみたいなものだしいいのか。これで、息子のいじめもなくなるかもしれない。義賊っぽくもある。

子供が遊具に高くのぼり、カメラがそれを追っていく。そして、カメラは空を映し、太陽を真ん中にとらえる。
映画内では音楽が流れていなかったけれど、ここでエンドロールとともに初めて曲が流れる。

野太い声からラムシュタインかと思っていたけれど、調べたところ、ライバッハの“LIFE IS LIFE”(87年)という曲だった。

宝石を配っちゃったことにびっくりして、エンドロールの音楽でも驚いた。更に、もう一つ驚いたのは、実話を基にしていたということだ。
借金の男の役の方の曾祖父や家族の実話らしい。彼が監督の友人で、監督が脚本も書きおろしたとか。
さらに、主人公の妻と息子も実際のご家族らしい。

作品のトーン自体はわりと淡々とした感じだったけれど、ラスト付近と映画を観終わった後に驚くことが連続して起きた。おもしろい映画体験でした。



どこかで悪役版アベンジャーズという書き方をされていて、DC勢マーベル勢双方を敵にまわしたなと思ったけれど、アメコミに詳しくない人にはわかりやすいとは思う。
監督は『エンド・オブ・ウォッチ』や『フューリー』のデヴィッド・エアー。

以下、ネタバレです。







原作を読んだことが無いし、マーベルだと、“ディスク・ウォーズ:アベンジャーズ”や“アルティメット・スパイダーマン”でなんとなくキャラクターを知る機会はあるのだが、DCとなるとほとんどわからない。今回の登場人物もジョーカーしかわからなかった。
『バットマン』とか『スーパーマン』シリーズなどで、個々の悪役を出してからのほうが大集合感が出るのかなとは思ったけれど、最初にスカウトするときに個々の自己紹介を交えたようなプロモーションムービーが入るのでわかりやすくなっている。
これが宣伝や予告編の通り、ポップでテンポがよく楽しかった。選曲もかっこいい。

ストーリーなのですが、悪役たちが主人公とは言っても、全員、家族とか恋人とか、大事な人を持っているので、だいぶ人間味があった。メンバーを集めるときに、「メタヒューマンのヒューマン部分が邪魔になるから悪党に任せる」みたいなことを言っていたけれど、この人らも充分ヒューマン部分が邪魔になっていた。
キャプテン・ブーメランはぬいぐるみ愛好家でそれを人質(?)にとられる展開は無かったし、キラー・クロックについても特に大事な人は出てこなかったけれど、他のメンバーは大佐を含め、全員大事な人がいて、そのせいで事が悪化したり進まなかったりと弱点になっていた。

特に、デッド・ショットは娘を溺愛していたり、仲間を大切にしたりと、正義の味方にしか見えなかった。ウィル・スミスが演じていたせいもあるのかもしれない。顔を隠すマスクも短時間しか付けていなかったから見た目も正義の味方っぽい。

ただ、本当に非情な極悪人集団だとすると、メンバー間で一人残るまで殺し合いをすることになったり収拾がつかなくなりそうだし、それこそ退治する側のバットマンやスーパーマンなどを出さなきゃいけなくなって、本末転倒になりそう。たぶん、ガラスを割ってアクセサリーを盗むくらいがぎりぎりなんだと思う。

ここにジョーカーがいたら…とは思った。前宣伝では、さも、スーサイド・スクワッドのメンバーですというような扱われ方をしていた。予告編に出てきた“Really,Really Bad.”(「お仕置きの時間だ」という字幕が付いていたと思う)と言いながら狂気の笑みを浮かべているシーンも、ハーレイ・クインになる前の女性を洗脳というか改造する前のものだった。

それで、仲間にも加わらないジョーカーが一体何をしているのかというと、恋人であるハーレイ・クインが収容所の外に出たものだから、救いに行こうとするべく暗躍している。ジョーカーにも大事な人がいて、その人が行動原理になっていた。狂気の人なのかと思っていたので驚いた。

他の人に対しては非情な振る舞いをするけれど、仲間や家族や恋人は大切にする。そして、見た目が派手。ああ、これはヤンキー映画なのだなと思った。ちょっと思っていたものとは違ったけれど、つまらないというのとは違う。

キャラクターも良かった。特にやはりハーレイ・クインですよね。マーゴット・ロビーは今まで美人だけど派手な顔で特徴はないかなと思っていたけれど、今作は本当にはまってる。表情やちょっとした動きが全部可愛い。あまりサイコパスという感じはしなかった。とにかく可愛かったし、服、髪型、メイクなどキャラクターデザインが最高。コミックス版だとピエロっぽさが強くて、なるほどジョーカーの彼女なのだなというのが見た目でわかる。

メンバーはヤンキー集団っぽいんですが、このメンバーを集めたアマンダ・ウォーラーが結局一番極悪人に見えた。集め方がまず、彼らの娘や恋人を楯にしているあたり非道。魔女にいたっては心臓を人質にとって、何かあるとぐさぐさと心臓を刺していた。
収容所から出したメンバーたちが逃げ出したらいつでも爆破できるように、首に小型爆弾を仕込んで、そのスイッチは手中におさめている。
口封じのために、同僚もためらいなく撃つ。一人ではない。複数人だ。
笑うこともない、もちろん家族など大事な人も出てこない。

この人が本作の敵ではなく、マネージャー的な役割なのもおもしろい。この先、DCの映画に三作出演するらしいので楽しみ。

エンドロール後にはブルース・ウェインと二人で会合をしていて、この二人のほうがよっぽど悪に見えた。

無事に事が済んで、でも悪人なので釈放はされず、彼らは収容所へ戻される。
この時に、クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』の最初の穏やかな曲調のあたりが流れる。『ボヘミアン・ラプソディ』が使われた本作の予告編がとても恰好良くて、でも予告編で使った曲を本編では使わないという傾向もあるし、使われないものだと思っていた。
仲間がばらばらになり、それぞれにまた日常が戻ってくる。けれど、ケーブルテレビとかエスプレッソマシンとか、前よりは少しだけ快適になる。この一人一人の描写と曲が合っていて、このまま終わるんだろうなと思っていたら曲が止まってしまう。

そして、銃をぶっぱなしながら乗り込んできたジョーカーがハーレイ・クインを救うという…。もう、悪役ではなく、囚われの姫を救いにくる王子様にしか見えなかった。ジョーカーなことを忘れました。





2013年公開『グランド・イリュージョン』の続編。邦題に“2”が付いていないのは、シリーズ物だと敬遠されるからなのかもしれないけれど、本作は前作ありきのものだと思うので、気づかずに本作を観てしまう人が出てしまうともったいない。事情があるにせよ、“2”を付けてほしかった。
本作だけ観ても一応内容はわかるようにはなっている。けれど、本作を観た後に前作を観ても、おもしろくないと思う。

以下、前作のネタバレも含んだネタバレあり感想です。








前作を観たのが結構前なので見直しました。一番大きなネタバレはもう知っているので、途中のカーチェイスのシーンなどが、なんでこの人こんなことしてるんだろう?と少し茶番劇っぽく見えてしまった(本作を先に観ると、前作を観たときにこうなる可能性がある…)。
それでもマジックショーのシーンは、私もその会場にいるみたいにワクワクしたし、有り得ないマジックっぽくってもちゃんとタネを説明してくれるし、ド派手なわりに最後は切ないのが良かった。

ただ、大きなネタバレはもうバラされたし、結局すべては一つの復讐のために…という目的も完遂された。それで、続編で何をやろうというのか。

続編は30年前の、ディランの父親の金庫抜け失敗の事件の回想から始まる。前作に入れても良かったシーンではないかと思うくらい、前作の続きである。

結局、ディランから指令を受けてフォー・ホースメンが悪人を倒すためにマジックショーをしていたというのが前作のネタバレである。
本作も序盤で、ディランからの指令で、携帯電話会社の不正をあばくために、プレゼンテーション会場を乗っ取ってマジックショーに変える。
ホースメンが出てくるシーンは本当にワクワクしたのだが、ショーに入りきらないうちに、バレてしまい、あっという間に逃げることになる。

前作のマジックショーのシーンが好きだっただけに、すぐに終わってしまって残念だったのだけれど、逃げるために用意していたトンネルを抜けた先がマカオだった。ショーをしようとしていたのはニューヨークである。

驚いたし、映画のストーリーを効率的に進めるための、特に説明のされない瞬間移動なのかなと思った。でも、これのトリックもちゃんとタネが明かされる。結構すぐに明かされるので、結局あれはなんだったの?と、もやもやすることもなく観進められる。

ほとんど誘拐みたいな形で四人はマカオに連れてこられたんですが、そこで待っていたのがダニエル・ラドクリフ演じるウォルター。富豪であり、死んだことになっていて、彼に関する個人情報は存在しない中で隠れて悪事を働いている人物だ。悪人なのだろうけれど、愛嬌があるし、その時点では本当の悪人なのかわからなかった。
今回は彼の依頼でホースメンが動く。

彼の部下であり、わりとキーとなるキャラでメリットの双子の兄弟も出てくる。ウディ・ハレルソンの一人二役ですが、こちらには髪の毛があり、結構マシュー・マコノヒーに似ていた。『トゥルー・ディテクティブ』で共演していたし、私生活でも仲良しらしい。
少し色を黒くして、クセのある演技をしていたが、意識しているのかしていないのか。演技分けがおもしろい。

チップを盗み出すために会社に潜入するのだが、潜入自体には前作で便利すぎると思った催眠術を使うのでそれほど手間取らない。

問題は盗み出したあと、係員によって四人が身体検査をされるんですね。
チップはトランプのカードと重ねられていて、四人の間でトランプのカード(とチップ)が行き来する。
手の裏側にあったカードがぱっと表側に移動したり、髪の毛の裏に隠されたり、服の中を滑ったり。

トランプのカードが手の中で消えるというのは、多分マジックの基礎だと思うが、それが存分に楽しめた。
そんなうまく隠せるものなの?とも思うけれど、この前、大道芸人フィリップ・プティ(映画『ザ・ウォーク』の方)の番組を見ていたらタネあかしを交えながら本当にやっていたので、技術的には可能なのである。
このシーンのことかわからないが、この映画では、俳優さんたちが実際にマジックの訓練をしていて、過剰な編集は極力しないようにしているそうだ。
特に、ジャック役のデイヴ・フランコは部屋の反対側にカードを投げて物に当てることができるようになったというからすごい。
前作でも思ったけれど、マジックというのは実際に肉眼で見ないと、ほら、すごいでしょ?と見せられても疑ってしまう。映画はもちろん、テレビでも、映像でならどうにでもいじれてしまう。特に、昨今はCGの技術も進化している。
けれど、本作では、「なるべく実際のマジックを見せて、嘘がないことを見てほしかった。そのために猛特訓をした」と監督は語っていた。
マジック映画を作る上でそこを気にしてくれているのは信頼がおける。

依頼されているとはいえ、ホースメンがやっていることは犯罪だし、FBIも犯罪者集団として彼らを追いかけている。
クライム・ムービーとマジックが合わさっているのがこの映画をおもしろくしているし、オリジナリティがあるところだと思う。
だから、ショーでド派手に見せるのがこのシリーズの売りだと思っていたし、今回もショーのシーンがさぞ盛り上がるんだろうなと思っていた。けれど、派手さは無くても技術で見せるカードマジックのシーンもとてもおもしろかった。
クライム・ムービーならではの、バレるの?バレないの?のヒヤヒヤさもある。

後半ではちゃんとショーのシーンもあった。
その前哨戦のようにして、ロンドンの街角で、メリット以外の三人がそれぞれちがう場所でマジックを披露している。
ルーラに関してはちゃんとしたマジックを披露する前に退散することになるからあっさりしているけれど、アトラスとジャックに関してはここもちゃんとタネが明かされる。天気すらも操れるのだ。

そして、最後のマジックショー。騙される覚悟をしていた。それはこの映画を観るのに臨む姿勢でもある。今回も何かしらどんでん返しがあるのだろうと思っていた。
それでも、最後にぱっと目が覚めるような、世界が一気にひっくり返るような展開にはにやりとさせられるやら驚かされるやら。かなり大掛かりで、やはりド派手である。最後にあの前作と同じテーマ曲が流れると、拍手したくなってしまう。
けれど、四人(とディラン)は終われる身なので、事が済んだらさっと姿を消す。そこには爽快感が残るのだ。

ホースメンがマカオに誘拐された裏で、ディランとサディアスの因縁めいた関係が描かれる。このあたりは、一応最初のシーンでわかるかもしれないけれど、前作を観ていたほうがよくわかると思う。
実は前作で気になっていたところだったのだ。サディアスを収監することには成功したけれど、そんな復讐でディランが得たものはあるのか。そもそも、本当にサディアスが悪いのか。罪を着せて無理矢理逮捕させたようなものだし…ともやもやしていた。

今回、サディアスは敵なのか味方なのか、わからない感じでホースメン(アイ)、ウォルター一派、FBIの間を立ち回る。
そして、最後に明かされる真実…。
飛行機のマジックでスカッとした後で、やっぱりしんみりとしてしまう。でも、そのしんみりも前作とは違っている。前作で残ったもやっとした雲のようなものがすっかり拭われた。
悲しいけれど、良かったと思える。ちゃんとオトシマエがついた。
これはこの作品を観ただけでは味わえなかった感動だし、もちろん前作の最後でこのような想いは抱けなかった。
二作セットで楽しみたい。

けれど、このしっかりとしたオトシマエをつけて、作品をまとめあげたのが一作目とは違う監督というのに驚いた。本作の監督はジョン・M・チュウ。
すでに三作目の制作も決まっているとのことだけれど、どうなるのだろう。ここですっきり終わらせてもいい気もするけれど…。
ディランの父が何故金庫を開けられなかったのか。ディランは開けられたのに。みたいな部分だろうか。誰かの陰謀っぽい感じもする。
また、ホースメンの過去は今回もあまり描かれていないので、その辺だろうか。

でも、前作と今作とで、女性メンバーは変更になっているので過去編をやるのも難しいか。前作の紅一点アイラ・フィッシャーは妊娠したため、降板。
元彼女のヘンリーがいないため、アトラス(ジェシー・アイゼンバーグ)の童貞色が強まっている。前作はちょっとイケメンっぽい感じだったけれど。

ウディ・ハレルソン演じるメリットは相変わらずヘラヘラ飄々としているが、兄弟の関係では悩んでいそうだった。あと、あの見た目でバイクに乗れないのも可愛い。

前作で死んだことになっているデイヴ・フランコ演じるジャックも若造感そのままで可愛かった。カードマジックが得意ということは手先が器用で、それを生かしてスリをしていたということなんだろうな。前作からの設定なので今更ですが。

新しい女性メンバーはリジー・キャプラン。
四人の中で一番男前。でも、かといってガサツというわけではなくキュート。決してお飾りではない。女らしいところがあるようでないようである。魅力的なキャラクターだった。

前作ではマーク・ラファロ演じるディランは熱血FBIから最後に裏の顔になるところがセクシーだったんですが、今回は最初っから裏の顔である。なので最初からセクシーなのと、途中でアクションありマジックありと、今回のほうが見せ場が多いしキャラとして好きです。火も吹く。

でも、セクシーではあっても、一癖も二癖もあるモーガン・フリーマン演じるサディアスの前では圧倒的に子供だった。前作の主役はホースメンの四人ではなくディランだったなと見終わってから思ったんですが、今作ではホースメンとディランではなくサディアスだと思う。

そして、モーガン・フリーマンとマイケル・ケインと並んでると、どうしても『ダークナイト』を思い出す。車内で悪巧みをしている。
マイケル・ケインの息子がダニエル・ラドクリフという役柄で、あー、なるほどイギリス…と思った。人を殺した直後に優雅にお紅茶を飲んでいて、イギリス人っぽさが増していた。
マイケル・ケインは前作よりも開き直ったような極悪人役だった。

マカオのマジック屋の親子も良かった。ただの愉快な親子かと思ったら、ちがったのもおもしろい。
何もわかってないようで、全部わかってるのは彼らでした。良いキャラクター。

この中の誰が続投することになるのかも気になる。ただ、それによってある程度ストーリーの予想もできてしまうので、知らないままでいたい。本作を見る前にもキャストの確認がネタバレに繋がりそうだったので、調べるのは控えていた。いつになるのかわからないけれど、次回作にも期待しています。

『アスファルト』



フランス郊外の団地が舞台と聞いて、なんとなく殺伐としたものを思い浮かべてしまったのは『ディーパンの戦い』のせいだろう。
それか、最近観た『ハイ・ライズ』のせいで、どんなコロシアイ団地生活が始まるのかと思ってしまった。
タイトルから無機質でひんやりしたものを感じ取ったせいかもしれない。
または、フランス映画のイメージかも。

けれど、実際には、思っていたものとは違って、笑いが各所にちりばめられたあったか人情群像劇だった。

以下、ネタバレです。





住民たちが話し合っているシーンから始まる。エレベーターが壊れたけれど管理会社は金を出さないので住民たちで出し合おうというのだ。けれど、それに「二階だからエレベーター使わないし」と反対する人物が一人出てくる。結局、彼だけエレベーターを使わないことを条件に金を出さなくて良いということになる。いますよね、こうゆう協調性のない人。

協調性がないせいなのか、一人暮らしで特に友人などもいないようで、その後の彼一人のシーンはしばらくセリフがない。モノローグもない。
しかし、説明はなくとも、画面を見ていれば彼に何が起こったのかがわかる。

住民会議で訪れた部屋で、500ユーロを出すことをケチったばかりに、他の人たちが寝室へ移動して話し合いをしたから、その会議をした部屋にあったエアロバイクが目に入ってほしくなった。そのエアロバイクを自動で使っている最中に、寝てしまったのか気を失ったのか、とにかく足だけが長時間動き続け、結局車いすで生活することになった。
そして、車いすで団地の前にたたずむ彼を見て、観客からは失笑混じりの声が漏れていた。
因果応報というか、結局こうなるというか。

それで、住民がエレベーターを使わない時間を見計らって買い物をしに行こうとするんですが、当然それは夜中になる。
私は、フランス郊外の団地なんて治安が悪そうだし、夜中に車いすで出かけたら襲撃をされるのではないかと思ってしまった。『ディーパンの戦い』だと、しょっちゅう銃撃戦も起こっていたようだし。

けれど、夜中なのでスーパーが開いていない、忍び込んだ病院のスナックの自販機で、金を入れたのに落ちてこないで途中で詰まる…という程度の悪いことが起きるだけだった。

序盤で酷い態度をとった人物には、その後罰が与えられることが多いが、彼に与えられた罰はその程度のものだった。
そして、その後には、夜勤看護師の女性との出会いがある。
コテンパンにはしないあたりに、監督の優しさを感じた。

優しさは作品全体を包んでいる。
最近観た高層マンション映画『ハイ・ライズ』は、セックスと暴力に満ちていたけれど、この映画には一切出てこない。

治安は良くはないのだと思う。貧困問題も直接は描かれていない。けれど、壁にはスプレーの落書きがたくさんあったり、移民だったり、母子家庭だったりと、観ていれば察することはできる。治安の悪さや貧困など、外側ではなく、内側の人物について描かれている作品なのだ。

同じ団地の住民だが、直接は関わらない三編の話が同時に進行していく。

車いすの男性と夜勤看護師の他には、母がおそらく働きに出ていてほとんど家に居ない高校生と近所に越して来たかつての大女優の話。女優はおそらく60代なので、年齢は親子以上に離れている。けれど、男子高校生がどんどん女優に興味を持ってひかれていく様子が、恋愛すれすれに見えてドキドキした。

もう一編はアラブ系移民の女性とNASAのアメリカ人宇宙飛行士の話。なぜか団地の屋上に降りてしまう。地上についてすぐスタスタ歩いていたし、女性の家の電話を借りてNASAに電話をかけると「はい、NASAです」と会社のように応対され、待ち受けの音楽が『美しく青きドナウ』(『2001年宇宙の旅』で使われた)だったりと、ほとんどコントのようだった。女性の息子は服役していて、宇宙飛行士を息子のように思っているようだった。たぶん宇宙飛行士も同じように思っていたと思う。言葉が通じないながらも、ジェスチャーや“トイレット”など共通の単語を駆使してコミュニケーションをとっていく。

三編とも、人と人が出会い、打ち解けて行く話だ。私は恋に落ちる瞬間が描かれている映画が好きだけれど、このように、出会って打ち解ける過程が描かれているのもいいなと思った。

群像劇は大抵、それぞれの話で一人が主人公になるが、この映画では三編の登場人物が二人いて、二人のどちらかが主人公というわけではない。どちらの気持ちもわかり、両面で楽しめるものとなっている。彼の物語であると同時に彼女の物語でもあるのだ。

彼らはそれぞれ傷を抱えている。車いすの男性はもちろんのこと、夜勤の看護師も生活がつまらなそうだった。男子高校生は一人で起き、冷蔵庫から牛乳をパックに直接口をつけて飲む。注意する人物(母)がいない。女優も過去には活躍しても、年を取って仕事がなさそうだった。宇宙飛行士も宇宙で一人きりで孤独に過ごしていた。アラブ系の女性も息子が服役している。

そんな中で、磁石がひかれあうようにして、出会うべくして出会ったのだ。会話によって、お互いがお互いに救われる。
けれど、その出会いは一発逆転の運命の出会いほど強いものではない。
相変わらず高校生は一人で自転車に乗っているし、女優は仕事がもらえるかわからない。車いすの男性と夜勤の看護師は結局お付き合いをするのかわからない。アラブ系の女性の息子はいつ出所するのかもわからないし、着陸に失敗した宇宙飛行士の今後もどうなるのだろう。

日常はそれほど変わらない。けれど、少しずつ足りなかった何かが、満たされないながらも少し回復したのではないか。鬱々とした毎日に小さくても穴が開いて、風通しが良くなったのではないか。
運命の出会いではなくても、きっと忘れられない出会いになっただろう。

そして毎日は続いて行く。完結はしない。でも、さあ、これからだという気持ちになる。

劇中の各所で、キィーキィーという謎の音が鳴っていて、登場人物たちは「子供の泣き声」とか「叫び声」とか不吉なものを想像しているようだったが、実際には屋根の無いコンテナのようなものの扉が風で軋んでいる音だった。

そんな悪い方向にばっかり考えるな、大丈夫だよというメッセージにも感じた。やっぱり監督さんが優しい。

男子高校生役の俳優さんが気になったので、フランス人俳優さんはわからないんだよなーと思いながらエンドロールの名前を追っていて、マイケル・ピットの名前があって驚いた。アメリカ人宇宙飛行士を演じていた。私の中だと『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のトミー・ノーシスとして有名です。ハリウッド版『攻殻機動隊』にクゼ・ヒデオ役で出るとのことですが、日本人名のままなのか。じゃあ、スカーレット・ヨハンソンも草薙素子なのか。

男子高校生役はジュール・ベンシェトリ。最初女の子かと思ったけれど、胸がなかった。美形でかっこいいけれど、若いしかわいい。劇中では猫背で、やる気がなさそうで、でも60代女性に向かって挑発するような生意気な態度もとる。ぺちっと叩きたくなるようなおでこで、日本人だとタッキーとかKENN系です。

今後注目だと思いながら、公式サイトで監督さんの写真を見たら、彼もやたらと恰好良いのに驚いた。パリ郊外の団地育ち、役者としても活動をしているらしい。
そして、名前がサミュエル・ベンシェトリなのも驚いた。ジュール・ベンシェトリくんのお父さんでした。
母はマリー・トランティニャン。本当にフランス人俳優に詳しくないのでわからないのですが、出演作はいくつか知っている。彼女は2003年に亡くなっている。ジュール・ベンシェトリくん、5歳の時ですね…。劇中では父親を亡くした高校生役なのも何とも言えない。

ジュール・ベンシェトリ出演作は過去に二作あり、いずれも日本未公開とのこと。残念。