『キングコング:髑髏島の巨神』



予告を観ていて大猿が大暴れするだけの映画ではないとは思ってたけれど、想像していたよりも面白かった。

また、IMAXの一部の劇場限定のクリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク』の映像も観てきました。

以下、『ダンケルク』についてもネタバレがあります。










まず、『ダンケルク』について。
実は、『キングコング』半分、『ダンケルク』半分くらいの気持ちで観に行ったのに、なぜか映画の開始時間を間違えていて途中からになってしまいました。
たぶん、オープニングの1分くらいを見逃しているのでわからないのですが、映画の冒頭5分間なのかもしれない。それか、5分間に編集された予告なのか。
『ダンケルク』は1940年のダンケルクの戦いを描く実話とのこと。
あまり情報を入れたくないので詳しくは調べていないのですが、映像は撤退シーンだったのかもしれない。

トム・ハーディが戦闘機のパイロット役で、顔に近いというか、自分も戦闘機に乗っているかのようなカメラワークだった。
飛行機のエンジン音や爆撃音はおなかにびりびりくるくらいで、間違いなくIMAX案件だと思う。
戦闘機に乗っているパイロット目線のシーンもあり、IMAXの巨大なスクリーン一面に青空が映し出されるシーンもあった。一面の青は、デレク・ジャーマンの『BLUE』を思い出す。ただ、パイロット目線なので、空がぐるぐるまわっていて、酔う人は酔いそう。

またその戦闘機と同時に地上でのシーンも流れる。新米兵士(ハリー・エドワード・スタイルズ?主役?)なのか、一般人なのか、板一本のところを渡れ渡れと周りから囃し立てられて、勇気を出して渡ると周囲から大喝采が起こる。
そして、大きな船に多数の人が乗り込んでいく。船を見上げているのはマーク・ライランス。

上空で戦闘機を撃墜したトム・ハーディがやっちまったみたいな顔をしてからすぐにまあいっかみたいな顔をする。地上で(船に乗ろうと?)並んでいる人々に撃墜された戦闘機が落ちてくる。

そこまででした。タイトルが出て終了。ほんの5分(全部は見られてないから4分くらい)でも釘付けになる映像だった。バリバリの戦争映画っぽい。9月の公開が本当に楽しみ。



あらためて『キングコング』について。

1973年、ベトナム戦争が終わったあたりの話。
研究者チームやカメラマンが、元SATやベトナム帰りの兵士たちを護衛につけて、不気味な島へ潜入する。
さあ探検するぞ、何がいるのかな?と思いながら見ていたけれど、ワクワクする間もなく、あっという間にコングが出てくる。
いや、何がいるのかなと思いつつわかってはいたし、あまりにも焦らされたら早く大きい猿が見たい!となっていたと思うのでいいのだけれど。それにしても、真打登場が早かった。

その最初の攻撃で、部隊は三方向に分かれてしまう。民間人中心のチームと兵士中心のチームと一人だけのチーム。
この一人チームがトビー・ケベル。出るのを知らなかったので最初にキャスト名が出たときに、『猿の惑星:新世紀』の印象が強くて今回ももしかしてコング役なのかと思ったら違った。兵士でした。追記:ちゃんと調べてみたら、コングのフェイスモーションキャプチャーもトビー・ケベルだった。やはり、猿といえばトビー・ケベル。

民間人チームは島に暮らす現地の人々のテリトリーに迷い込む。そこで、第二次世界大戦時からそこにいて戻れなくなっていたアメリカ人に会う。
このマーロウを演じるのがジョン・C・ライリー。アバンでちらっと出てきたのも彼だった。
アバンでは、男二人が争っている。一人は日本人で演じているのはMIYAVIだった。『アンブロークン』も良かったですが、ここでも、日本兵役。ねちっこい目つき(褒めている)が合っていた。
マーロウがえらく恰好いい。結局、争ってはいたけれど、日本兵とも仲が良くなったらしいが、彼は島に住む怪物に殺されたようだ。彼の魂を胸に、形見である日本刀で戦う。
最後にも、マーロウの帰国後の様子が流れるし、実質本作の主役だと思う。
次作からは出ないとは思うけれど。

この村で民間人チームはマーロウから、現地の人はコングを神として崇めてるという話を聞く。
そもそも、コングだけではなく、大きな怪物がたくさん出てくるというのは予告を観て知っていた。けれど、そいつらが人間に対して総攻撃を仕掛けてくるのかと思ったけれど、どうやら違って、いい猿タイプだったらしい。
ゴジラにしても、人間の味方のいいゴジラと人間に対して攻撃を仕掛けてくる悪いゴジラがいるらしいがそれと似ている。
コングは、最初にヘリから攻撃されたのを避けるときもかわいそうに見えた。だって、最初に轟音を鳴らしながら島に爆弾を撃ち込んでいったのは人間の方だ。コングに同情してしまう。

しかし、兵士中心のチームはそんな話も知らないし、仲間を殺された復讐心に燃えている。こちらのリーダーは大佐なので、部下に対する責任感や正義感が余計に強い。
頑固で、いくら説得してもコング憎しの感情は消えない。例えば、こちらのチームが現地の人の村にたどり着いていたらどうなっていただろう。それでも気持ちを変えなかったのではないかと思うくらい頑固だった。
演じているのがサミュエル・L・ジャクソン。コングと睨み合うシーンがあるのだが、二人の顔がアップで交互に映し出されると、明らかにサミュエルのほうが悪い顔に見えてくる。

大きいタコとか大きいトカゲのようなスカルクローラーなどとコングが対決する。タコは足を引きちぎって、つるつると食べていた。
スカルクローラーとの対決では木を刀のように使ったり、鎖で締め付けたりしていた。道具を使えるというのは知能が高い。
最初こそ、スカルクローラーの大きな口を両手でつかんで開こうとするなど、本能のままに戦っていたけれど、終盤にはちゃんと作戦があるような戦い方をしていた。プロレスのようにも見えた。自分に危険がないのならば、大きい者たちの戦いを間近で見てみたいと思ってしまった。大迫力である。

また、ブリー・ラーソン演じるカメラマンの女性を救っていた。そこまで心の触れ合いはなかったけれど、自分に危害を加えてこない人間と攻撃してくる人間の区別もつくらしい。人間の敵ではないのだ。なんとなく、感情があるようにも見えた。

最後にドラミングと咆哮シーンがあり、監督に君たちが観たいのはこれだろう?と言われているようだった。大サービスである。

また、現地の人の村からの出港シーンやコングの大きなしゃれこうべが転がる墓場もゾクゾクする恰好良さだった。
マーロウのボートもハンドルに野球ボールが付いているなど凝っていた。

音楽に70年代の曲が使われているのも良かった。BGMではなくて、登場人物が映画内でかける感じで使われる。ブラック・サバスの『パラノイド』は1970年、デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』は1972年。1973年の話なので、最新の曲っぽく『ジギー・スターダスト』が使われているのがおもしろい。
また、音楽を聴くというのは、登場人物たちにとっての平穏な日常である。だから、それが急に消された時が非日常で、この映画ではその切り分け的な意味もこめて音楽が使われていたのも印象的だった。
後半では、70年代ヒット曲は一切使われない。音楽を聴いている場合ではなくなるからだ。

エンドロール後にゴジラを思わせるシルエットとあの独特な咆哮が登場。
いずれ出てくるという話かと思っていたけれど、もう、すぐに出てきてしまいそうだった。
今回でコングの恰好良さがよくわかったので、コングとゴジラの対決はやめてほしい。できることなら、共闘してほしい。けれど、共闘したら強すぎて敵なしになってしまいそうだし無理かもしれない。

0 comments:

Post a Comment