DCエクステンデッド・ユニバース第四弾。え?この前に三作品も出てたっけ?と思ったけれど、『マン・オブ・スティール』『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』『スーサイド・スクワッド』に続く四作目。
映画前に11月公開の『ジャスティス・リーグ』の予告をやっていたが、それがこの次で、来年末(アメリカ公開日)の『アクアマン』、再来年四月(アメリカ公開日)『シャザム』と続いていくらしい。
『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』でもワンダーウーマンのくだりがかなり恰好良かったが、本作ではそれが全編で満喫できる。あの印象的なテーマ音楽もしっかり使われています。

以下、ネタバレです。











ガル・ガドット演じるダイアナが、ルーブル美術館で働いているところにウェイン産業の使いの者が写真を届けるシーンから始まる。
戦時中、今と変わらぬ姿のダイアナが写っていて、ダイアナはそれを見て過去に想いを馳せる…という導入部分。
結果的に映画はすべてダイアナの過去の回想だし、続編に出ることがわかってるから、死ぬの?死なないの?みたいなハラハラはない。ひたすらに彼女の強さを堪能する作りである。

不思議なバリアで守られた孤島にダイアナとアマゾネスが住んでいる。このバリアが戦いの神アレスから守るためだけのものだったのかわからないけれど、迷い込んだ普通の人間はバリアに弾かれることなく中に入れてしまう。よく今まで守られてたなと思ってしまった。原作にあるのかもしれないけれど、仕組みがよくわからなかった。

兵士のスティーブが迷い込んでくるが、ここから少しスティーブの回想も入り、回想の回想で時系列が混乱しそうになった。
スティーブ役にクリス・パイン。泳いで助けにきたダイアナを眩しそうに見る顔とか、素っ裸で自分の下半身を自慢する様子など、おどけた表情をしていて、こんな漫画っぽい顔もできるのかと驚いた。本作のクリス・パイン、かなりキュートです。

戦争を止めるためにスティーブと一緒にダイアナも人間の世界へ行く。入ってくるのが簡単なら出るのも簡単で、船で寝ている間にロンドンに着いていた。陸地ともそれほど離れてないようだし、やっぱりどう守られてたのか謎だけど、たぶんその辺を追及するのは無粋なのだと思う。

ここから少しカルチャーギャップコメディのようになる。ダイアナは自然がいっぱいでいつでも晴れていた孤島を出たことがなかったから、曇りで排気ガスもくもくのロンドンはまったく違う世界のようで勝手が掴めないようだった。それでもマイペースに振る舞う様子が可愛くもあった。

町中を歩いていても、ガル・ガドットがすごく綺麗なので一人だけ浮いてる…と思っていたが、まさに一人だけ浮いてる設定だった。綺麗すぎて周りと馴染まないというのもすごい。
洋服選びのシーンでは、目立たないようにと眼鏡をかけさせるが、隠せてないというツッコミが映画内でも入っていた。確かに眼鏡をかけて得意げに眉をあげるダイアナは、眼鏡をかけた綺麗な人にしか見えなかった。
ガル・ガドットはアマゾネスの島でも綺麗だったが、風景や衣装のせいで周囲と馴染んでいたのかもしれない。普通の服を着て、普通に町中にいると本当に綺麗さが際立つ。

第一次世界大戦当時のイギリスの女性蔑視批判もしているのが良かった。
会議に女性が参加してる!と軍人に言われて言い返したり。カルチャーギャップもあるのだろうが、持ち前の正義感により、世の中のおかしいことにちゃんとおかしいと声を上げていた。きちんとした主張も感じられた。

しかし堅物というわけではなくて、その一方で初めて食べるアイスクリームに目を輝かせていて本当に可愛い。

スティーブとその仲間(『トレインスポッティング』のスパッドでお馴染みの所以・ブレムナーもいた。憎めない役です。正装としてのキルトスカートも履いていた)と一緒に戦争の前線を目指す。なんとなく、戦争映画っぽい感じで観ちゃってたけれど、ここで正義感を爆発させたダイアナが頭に冠をつけ、マントをとって、ワンダーウーマンに“変身”する。そこでそういえば、これ『ワンダーウーマン』だったと思い出した。
そして、そりゃそうだという感じですが、めちゃくちゃ強い。一人で部隊を殲滅する。人間ごときが敵わないのだ。
スティーブと仲間もダイアナのサポートしかできない。

その後の救った村でお祭り騒ぎをするシーンで、スティーブはダイアナにダンスを教える。戦いでは敵わないけれど、ダンスではリードできる。ここのクリス・パインはダイアナを口説きにいっていて、ここではいい男っぽい演技をしていたのも良かった。いろんなクリス・パインが見られる。

ドイツ軍の毒ガス基地を破壊しに行くシーン、さっきの戦いぶりを見てたら、またワンダーウーマン一人で大丈夫なのでは…と思っていたら、人間ではないアレスが出てくる。そのため、人間ではない者同士の戦いと、人間同士の戦いに分かれることで、ワンダーウーマンとスティーブ部隊、両方に見せ場があるのが良かった。

ここでもクリス・パインが良かった。ワンダーウーマンとアレスの戦いには加担しない。できないのが見ただけでわかるから。
でも、せめて自分のできることはやろうと、毒ガスの積まれた戦闘機を盗む。もしかしたら、ダイアナの正義感に感化されたのかもしれない。
毒ガスを上空で爆発させる際に、当たり前だけれど躊躇する表情をしていて、それもとてもうまかった。勇ましいだけでなく、ちゃんと弱さも表現されていた。スティーブはワンダーウーマンとは違う、ただの人間なのだ。今回のクリス・パインは私史上最高のクリス・パインでした。

このシーンで涙が出たのは、クリス・パインの演技がうまかったせいもあるが、アレスが言うとおり、人間は愚かだけれど、全員が全員愚かなわけではなく、正しい心を持った人も存在するのだと示したからだ。人間も捨てたもんじゃない。そして、ダイアナもそのことに気づく。気づかなければ、ダイアナもアレスと一緒に人間を滅ぼしただろう。

そういえば、ドイツ軍の毒ガスを開発してた博士の女性、どこかで見たことがあると思ったら、『私が、生きる肌』のエレナ・アナヤだった。今回も顔に歪なマスクをつけた異様な風貌だったが、『私が、生きる肌』も似たイメージで何かしら影響されているのかなと思った。

ダイアナはアレスとの会話により神であることが明かされる。アレスを倒し、終始曇っていた人間界に光が射す。仁王立ちになるダイアナは文字通り神々しくて、ひれ伏したくなった。
ただのヒーローではなく、本当に女神様に見えた。彼女は完全に違う世界の人物だけど、人間界を救ってくださったのだ…。

ダイアナの回想が終わり、ブルース・ウェインにメールを返すところで映画は終わる。本作はダイアナがジャスティス・リーグに参加するまでの話だったのだ。
完全に独立した話にしちゃっても良かったのではないかとも思ったけど、私はどうせ『ジャスティス・リーグ』も観るつもりだし、MCUみたいに見続けてないと何がなんだかわからないところまではいってないから大丈夫。

ただ、『ジャスティス・リーグ』はもしかしたら『ワンダーウーマン』を観てること前提になったりするのかなとは思った。
『ジャスティス・リーグ』の予告ではフラッシュとアクアマンをブルースがスカウトするシーンが入っていたが、ワンダーウーマンはすでに仲間になってるところから始まるのかもしれない。

どちらにしても、今後の展開が楽しみになった。ガル・ガドットの『ワンダーウーマン』がこの先も見られることが嬉しい。



2012年にイギリスで出版された『ボブという名のストリート・キャット』が原作の実話。
ホームレスで薬物中毒だった男性が、野良猫との出会いにより人生を一変させる。
メッセージ性はある映画だけれど、難しいことを考えずただの猫好きとしても十分楽しめる映画。

以下、ネタバレです。









これも、『ビニー/信じる男』と同じく、フィクションならば、こんなにうまくいくの?と冷めてしまいそうだけれど実話である。
両親の離婚により、自分の居場所がなくなってしまったジェームズ。
生い立ちは詳しくは描かれないので、ホームレスになったのが先か、ストリートミュージシャンになったのが先か、薬物中毒になったのが先なのかはわからない。原作には書いてあるのかもしれない。でも、ホームレスとドラッグが密接な関係なのがわかった。

ホームレスだけではなく、貧困層とも密に繋がっていそうだった。
施設の支援により住宅を与えてもらったジェームズの暮らしていた住宅地には、夜になると売人が外に立っていた。
ジェームズがボブと出会ったのが2007年ということだから、それほど昔の話ではない。まだまだ、イギリスの現状といってもいいのだと思う。

もちろんボブの力が一番大きいとは思うけれど、支援をしたヴァルの力も大きい。『ダウントン・アビー』のアンナ役でおなじみ、ジョアンヌ・フロガットが演じています。彼女もホームレス支援なのか、薬物中毒者の支援なのかわからなかったが、もしかしたら両方なのかもしれない。
薬物を断つのは1人、ましてやホームレスでは難しいだろうし、ちゃんとサポートしてくれる人がいたのは大きいだろう。それに、そのプログラムをジェームズがしっかり実行したのも素晴らしい。

でも、しっかり実行できたのもきっとボブとの出会いがあったからだろう。また、近所に友達ができたというのもある。ジェームズは1人じゃなくなったのだ。

ボブが元々どこかの飼い猫だったのか、捨て猫なのか、野良猫なのかも不明。懐くのがはやかったみたいだし、ずっと野良猫だったわけではないのかもしれない。
それとも、怪我をしているところを保護したから懐いたのかもしれない。猫がそんな恩義のようなものを感じるのかわからないけれど、猫の恩返しとしか言いようがない。

1人で路上で演奏をしていても見向きもされなかったけれど、猫と一緒ならみんな立ち止まる。ボブが、「僕を連れて行けば注目を集められるよ」なんて思っていたかどうかはわからないけれど、結果そうなって、ジェームズの人生も上向き始めたのだから不思議な縁もあるのだと思う。
ボブだってあの貧困地域で野良猫をやっていたら先は長くなかっただろう。もちろんジェームズだってどうなっていたかわからない。出会えてよかったと思う。

“人生どん底でもあきらめちゃいけない、セカンドチャンスは来る”というものと、“ホームレスや薬物中毒者へ支援を”というメッセージがこめられていると思う。

勇気をもらったり、考えさせられたりという面もある。
しかし、実は、深刻な事態だったり、真面目な意見よりもどちらかというと、アイドル映画の意味合いが強かったりする。
なにしろボブが可愛い。

映画内ではボブを演じているのは7匹のようだが、そのほとんどをボブご本人が演じたらしい。
最初に家に忍び込んできて、支援してくれたヴァルの差し入れのシリアルをがさごそ食べている時点から一気にボブのとりこになった。

病院で犬に怯える姿や、家のネズミを追いかける姿など、他の動物との戯れも可愛い。
肩にひょこっと乗って歩くのをさぼるのもちゃっかりしてる。
ジェームズが演奏しているアコースティックギターに乗ってるのも可愛いし、乗っていない時もそばでおとなしくしているからよっぽどジェームズが好きなのだろう。家でギターを弾いているときにも目を細めていたから音楽が好きなのかもしれない。
スーパーでボブ用の缶詰を選んでいるときは興味津々で鼻を近づけていたけれど、薬はすぐに顔を背けていて、その様子には劇場からも笑いが漏れていた。

もちろん喋ったりはしないけれど、常にゴロゴロのどを鳴らしている。

今ではトレードマークになっているマフラーも巻かれても、嫌がらずにちょっと得意げになっているようにも見えた。
映画内では、最初にお客さんからプレゼントしてもらった縞々のマフラーをしているところをガールフレンドが「ドクター・フーみたい!」と言って褒める場面も。さらっと『ドクター・フー』が出てくるあたりがイギリスだなあとも思った。

乳製品が好きらしい。特にスティッククラッカーにクリームチーズをつけたものが好きらしく、何かあった時用にスタッフは全員忍ばせていとのこと。映画内でも

また、「ハイファーイブ!」と言って手をさし出すとボブもペコッと手を合わせてくる様子も本当に可愛い。

ラスト付近で、ジェームズの本の出版イベントにジェームズさんご本人が登場して、「僕の人生そのものだよ!」という少しお茶目なシーンがありますが、その時にボブがジェームズさんご本人のことをすごく見ちゃっているのも可愛い。演技(?)を忘れて素の顔です。たぶんあれは、ボブもご本人だと思う。

普通の猫でもダメだったと思う。利口で、人懐っこくて、ジェームズを慕っている。これは、ボブだからうまくいったストーリーなのだと思う。

主演のジェームズを演じているのがルーク・トレッダウェイ。彼が好きだから余計にアイドル映画感が増した。
ボブ目線のカメラになるところもちょくちょくあって、その部分は、猫になってルーク・トレッダウェイと共同生活を送っているようでドキドキしました。個人的に好きなので許してください。

ジェームズはストリートミュージシャンなので、ルークは映画内で何曲も歌っています。10代の頃にハリー・トレッダウェイとバンドを組んでいたらしいし、『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』もバンドマン役だったから、歌うのは初めてではないはず。サントラは実質ルークのソロアルバムになるのでは?とも思ったけれど、本作の曲を手がけたイギリスのインディフォーク・バンドNoah And The Whale のフロントマンだったチャーリー・フィンクが歌っているらしい。ルークの名前もクレジットされているようなので、彼の曲も入っているのかもしれない(視聴した限りだと入ってなさそう…)。

また本作は、コヴェントガーデン、テムズ川、二階建てバスなどロンドンの風景もたくさん出てきて、イギリス映画としても堪能できる。
それだけじゃない貧困地域に立つドラッグの売人やホームレスたちなど、負の部分も映し出し、問題提起もされているが、可愛い猫ちゃんが見たい!という気持ちをきっかけにするのは間違いではないと思う。入り口はどこでもいい。



今までエドガー・ライト監督の映画はイギリスっぽさがあったけれど、本作はイギリス人以外の俳優も多く、音楽が中心の映画でありながら、イギリスの音楽はそれほど使われていない。
iPodで音楽を聴きながら、銀行強盗などの逃がし屋稼業をする“ベイビー”が主人公。

以下、ネタバレです。









オープニングからして、The Jon Spencer Blues Explosionの『Bellbottoms』が使われていて、ものすごく盛り上がった。車の運転席の男はノリノリで、曲に合わせて歌っている。歌っているというか、雄叫びである。でも多分、口パクだと思う。私も外ではやらないけれど、曲に合わせて歌いはせず口を動かすことはある。
途中の曲が盛り上がるあたりから超絶テクニックで車を運転し始める。動きが曲に微妙に合っているのがいい。一曲フルで使われるのでまるでビデオクリップのようだった。

次の曲もiPodで音楽を聴きながら街を半分踊りながら歩いていて、少しミュージカル調になっていて楽しかった。
昔、iPodのCMでシルエットが踊っているものがあったけれど、それを思い出してしまった。

ただ、この主人公のベイビーだが、音楽を聴きながら銀行強盗を超絶ドライブテクニックで逃すということでもっとぶっとんだ人物なのかと思ったけれど、嫌々加担していてこの仕事はやめたがっているようだった。これは映画のかなり序盤でわかる。

タランティーノ的なエキセントリックな人物ではなかった。超人的な力を持っているとその人物自体もエキセントリックなのかなと思ってしまうけれど、人物自体は普通の青年だった。ずっと音楽を聴いているのも幼い頃の事故の後遺症なのか、その事故で両親を亡くしているからPTSDなのか、とにかく、理由があってのことだった。
エキセントリックどころか、少し可哀想でもある。

だから、作品のトーン自体ももっとはっちゃけてるのかと思っていたけれど、案外普通というか、ちゃんとしたストーリーがあった。
それがいいか悪いかではなく、思っていたのと違った。

私は、逃がし屋が主人公で彼はそれを嬉々としてやっていると思っていたから、犯罪者が主人公の場合、共感しながら見ることができるかの不安もあった。
細かいことはいいんだよという感じで犯罪者が逃げ果せるクライムムービーだったら、それはそれでご都合主義になっちゃうし…と思っていた。
でも、実際にはクライムムービーではなく、青春映画ですね。それかヒューマンドラマ。犯罪は映画の主体ではなく、孤独な青年が人生を掴むまでが描かれている。

別にこれはこれでいいんですが、音楽を聴きながらカーチェイスをするというキャラクターがいいので、できれば三部作くらいにしてほしかった。本作は三部作の三作目、あと一回で借金返済だと告げられる前までのベイビー奮闘記を見たかった。
最初のジョンスペのあたりは割り切って、自分の仕事に自信を持って、嬉々としてやっているように見えた。その姿ももっと見たかった。

『スーサイド・スクワッド』の予告編でQueenの『Bohemian Rhapsody』に合わせて銃を撃つシーンがあったけれど、本作でも銃声と音楽がよく合っていた。
ただ、それも見ている時には楽しくてにこにこしてしまうのだが、その銃撃戦が終わったあとで取り返しのつかないこと(殺してはいけない人物を殺してしまったとか)があって、一気に真顔になってしまうということが何度かあった。さっきのシーンはどんな顔で見てるのが正解だったの?と思ってしまった。
できればもっと楽しい気分になりたかった。けれど、これもストーリーがきちんとしているが故だとは思う。

The Champsの『Tequila』に合わせて一仕事終えた後、ジェイミー・フォックスが決めゼリフのように「テキーラ」と言うのにしびれた。かっこよかったけれど、本作のジェイミー・フォックスは全体的に凶悪です。

また、ジョン・ハム演じるバディは、恋人が死んだことでベイビーを逆恨みし、執念で追いかけてくるが、なでつけた髪がどんどん乱れてくるのがセクシーだった。最初は大人の余裕を見せていて、ベイビーにも理解をしめそうとしてて、仲良くなるのかと思っていたのに、態度がガラリと変わる。余裕があった人物に余裕がなくなったのが、ヘアスタイルにも表れていたのが良かった。

また、ベイビーとバディがイヤホンを片側ずつ耳に入れて聴くシーンがあって、なるほど、そのための有線のイヤホンか、と思った。
今だったら機動性を高めるためにはワイヤレスイヤホンだと思う。またはヘッドホンのほうが、耳鳴りを抑える能力も高そうだし、格好も良い。
けれど、ヘッドホンは二人で一緒に音楽を聴くことはできないし、ワイヤレスイヤホンでは情緒がない。二人が線で繋がることで音楽だけではない他の何かも共有できる。

と思っていたけれど、ベイビーが持っていたのはiPodだったから、そもそもワイヤレスに対応していなかった。
iPodだけではなく、カセットテープや昔のテレコなど、ベイビーが持っているガジェットは昔のものが多かった。

劇中ではBeckの『Debra』も使われているが、劇中で出てくるデボラという女の子がこの曲を知っている。1999年リリースの『Midnite Vultures』に入っていて、私にとってはなんとなくそんなに昔の曲でもないけれど18年前である。デボラは20代前半くらいだと思うので、子供の頃の曲になってしまう。
もしかしたら、この映画の舞台自体が現代ではないのかなとも思ったけれど、ベイビーが幼い頃に両親からiPodをプレゼントされるくだりがあることを考えると、現代設定で良さそう。
デボラは、私の名前は変わっているからあんまり曲には使われないと言っていたから、子供の頃の曲でも思い出深かったのだろう。そして、ベイビーは単に昔のガジェットが好きなのだと思う。それか、最新のガジェットが好きじゃないのか。

最後の銀行強盗のとき、Blurの『Intermission』のイントロが流れて頭を抱えそうになった。イントロというか、インストナンバーなので歌はないからオープニングというか。
この曲は最初こそ遊園地のようなコミカルで楽しげな雰囲気だが、次第にテンポが速まり、混乱をしたように不協和音になり、ガチャガチャととっ散らかっていく。こんな曲で銀行強盗が成功するはずがない。この曲を知っていたので、流れ始めた時点で失敗することがわかった。

あと、Blurの曲が流れたことで、そういえば同じくエドガーライト監督の『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』ではブリットポップがふんだんに使われていたのを思い出した。あれはイギリス人のおっさんどもが若かりし日を想っている映画なので、20年前のイギリスの曲が使われているのも意味があったと思う。

今回、ブリットポップからはBlurしか使われていないのは、多分、出ている俳優もイギリス人以外が大半だからだろう。ブリットポップを使うとどうしてもイギリス色が強くなってしまう。Blurの中でもインストにしたのもそれが理由ではないかと思う。
ちなみに、エドガー・ライト監督はBlurのアルバムの中では『Modern Life Is Rubbish』が一番好きらしい。私もです。

『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』の時も思ったけれど、本作でもジョンスペとか『Debra』とか、エドガー・ライトといやに音楽の趣味が合うなあと思ったら、やっぱり同世代だった。



もともとは2002年にスタートしたトビー・マグワイア主演の『スパイダーマン』、2012年に『アメイジング・スパイダーマン』があったためか、スパイダーマンになるまでのこと(首を噛まれるなど…)とか、ベンおじさんの死などは省略されている。3度同じことをやられてもなと思っていたのでよかった。
また、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』の続きです。そして、この先も続きそうで、完全にMCUの一部になっていた。
アニメや漫画や他の映画でスパイダーマンを知らない人が、この映画単体で楽しむことはできるのかは疑問。

監督は『COP CAR/コップ・カー』のジョン・ワッツ。36歳です。若い。
主演はトム・ホランド。21歳ですが、やっと15歳になった役を演じている。『インポッシブル』ではお兄ちゃんの役の子がやけに演技がうまいと思ったが、こんなに有名になるとは。

以下、ネタバレです。








そもそも、最初が『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』の裏話みたいな感じである。
あの空港での戦いのシーンの前後と最中に何があったかをピーター・パーカーがiPhoneで録画していた。
ちゃっかりしてる性格と、普通の高校生っぽさがわかる。もうこのPOV形式のアバンを観るだけで、トム・ホランド演じるピーター・パーカーに魅了されてしまう。最初からにこにこしてしまった。

高校に通っていて、学力大会みたいなものに出ていたのでたぶん頭もいい。けれど、スクールカーストでは下のほうみたい。好きな女の子もいるけれど相手にされてなさそう。

ただ、学校生活も描かれているが、それほど青春映画の要素はなかったと思う。出演の学生たちが『ブレックファスト・クラブ』の配置になっているパロディポスターがあったので、もっと青春寄りかと思った。
特に、最近観た『パワーレンジャー』が本作と同じく多人種で一見バラバラと思えた生徒たちが次第に仲良くなって…という内容だったので、それくらい青春映画っぽいのかなと思っていた。
ピーターが思いを寄せるリズ(原作でも出てくるようだが名前だけでキャラ自体は違いそう)もずっとピーターに興味なさそうだったのに急に好きになってた感じ。この辺はあまりうまくないなと思った。
ホームカミングというのはプロムみたいなもののようだったが、これがサブタイトルなので、もっと青春要素がうまかったら良かったのにと思ってしまった。

ただ、友達のネッドは良かった。小太り、アジア系という今までとは違う人選。映画序盤でピーターがスパイダーマンだと知りサポートする。もともとスパイダーマン的なものが好きな所謂オタクタイプなのもいい。ちょっとアントマンのマイケル・ペーニャっぽい。

青春よりもヒーローをとったのだろうと思う。それは、映画内のピーターもそうだし、映画の方向性としてもそうだ。
ピーターはシビル・ウォーの空港での戦いでトニーに呼ばれて、それ以来調子に乗る。思春期特有なのかもしれないが、自分はもっとできると自信に満ち溢れている。
けれど、トニーからの評価は低くて、もっとできることを示したいからヤキモキして暴走する。

全体的に今までのMCUで観ることができたような恰好良いアクションはあまりない。失敗ばかりである。スーツの補助輪機能をはずしても、高性能を持て余していた。
そんなだから、トニーからたびたびサポートが入る。
ただ、トニーはピーターのことをまだまだ子供だと馬鹿にしてるのかと思ったら、フェリーの事件のあとで唯一信用してたのが彼なのだとわかって驚いた。ピーターには父親も父親代わりだったおじさんもいない。だから、導ける男親の代わりになっていたのだろう。
トニーは口が悪いし、何だかどこまでが本心なのだかわからないけれど、本当は優しいのだと思う。彼だって父親を亡くしているし、父親との確執もある。なんとなく、『シビル・ウォー』でのことを思い出してしまい、つらくなった。

失敗をして、トニーが作った高性能スーツは取り上げられてしまう。ここでピーターが「スーツがないと僕は…」と言っていて、なるほどと思った。
ここからピーターが復活することで、『スーツはただの制服であり、正義の味方としてがんばっていれば誰でもヒーローになれる』というマーベルの信条を示すのだと思った。

だけど、スーツを取り上げられたピーターは気落ちして、ヒーロー業をやめて普通の高校生活に戻っていく。でも、普通の高校生活にも憧れがあったようだし、もしかしたらここから青春映画になるのかと思った。ホームカミングにもリズと行けることになった。スーツ(スパイダースーツではなくプロム用の普通のスーツ)を選んであげているメイおばさんも嬉しそうだった。こっちの人生に舵を切って、映画の方向性も変わるのかと思われた。

しかし、リズを迎えに行った家で玄関から出てきたパパは今回の悪役のバルチャーだった。
家族のことを隠してるのはわかっていたけれど、そう来るか!と思った。すっかり気持ちは青春映画になっていたので一気に振り戻されてびっくりした。

そして、ピーターはそこから手作りスーツで退治に乗り出すのもすごい。今までのスパイダーマンは最初に手作りスーツが出てきていたが、ラストバトルが手作りスーツとは。
もちろん低性能。性能というか、姿が隠せているくらいのものである。あとは身体能力とスパイダーセンスとネッドのサポートでカバー。

かなり無理のある戦いだったし、やはり不恰好だったけれど、バルチャーというか生身のエイドリアンを殺さずに助けることで決着がついた。
高性能スーツには即死モードも付いていたがそれも頑なに使わなかったし、別に彼女の父親だから救ったわけではないと思う。ピーターは優しい。でも、まだ本当の戦いをしていないのだとも思う。
ここでもトニーが助けに来たら興ざめだったけれど、一人でやってのけていた。

最後の会見云々のシーン、トニーの申し出を断るのはピーターが大人になったのもあるかもしれないが、「テストでしょ?」と言っていたので、一度断ることで合格なんでしょ?ここで新スーツにホイホイされちゃいけないんでしょ?というところまで読んでたのかもしれない。だとしたら、それはそれで大人だけれど。

トニーはトニーで、これは本心だったから本当に記者も用意していた。今後、この二人の何が本心かわからないような腹の探り合いも楽しそう。

それで、ポッツと婚約会見だか結婚会見を開いていたが、ハッピーの持っていた指輪だが、「2008年から」って、2008年と言えば『アイアンマン』の一作目が公開された年なんですが…。トニーは案外シャイでもある。

リズは父親のことが原因で引っ越すことになってしまうが、同じクラブの女の子が、なんとなくあやしいとは思っていたけどMJである。
原作通りだとMJとピーターは恋人になるが、結局、悲劇に遭う。本シリーズではどうなるのだろうか。まだ悲劇に見舞われる雰囲気はまったくない。MJはほとんど活躍してないし、当たり前か。

そして、これも原作通りだけど、最後でメイおばさんにスパイダーマンのことがバレていた。
WTFが途中で切られていて笑ってしまった。このシリーズのメイおばさんの過剰なセクシーさも今後どうなるのか気になる。

MCUのお楽しみ、おまけ映像は刑務所に入っているエイドリアン。
正体を知ってるんだって?と聞かれて、「知ってたら殺してるよ」と答えていた。まあ、嘘なのであるが、そのセリフの真意が、これから殺すよってことなのか、助けてもらったから情けをかけたのかわからない。少し凶悪さがにじみ出る表情をしていたので、次作にも出てくるのかな。
マイケル・キートンの演技が素晴らしかった。リズの家に行ったときのパパの表情と、あれ?こいつ?と気づき始めたときの表情の変わり方がこわかった。

そして、最後のおまけ映像が、キャプテン・アメリカの広報映像。
学校でもビデオが流されていたが、キャプテン・アメリカは圧倒的に正しい存在の象徴としてとらえられているらしい。
「あと何本?」と疲れたように聞いていたが、何本撮らされたのだろう。学校用の他にも、兵士用とか職場用とかいろいろあるのだろう。大変。

字幕で観たが、ピーターの吹き替えが榎木淳弥さんなのが気になる。
ピーター・パーカーといえば、アニメ版では川田紳司さんの印象だが、この映画のトム・ホランド演じるピーターは絶対に榎木さんのほうが合う。途中で「女みたいな声」とも言われていたけれど、高めのほうがいいし、最後で成長したところは見せたけれど、あまりにも子供っぽい部分が多くあるからだ。
15歳にやっとなったところらしい。
それに予告で見た「大丈夫っす」の全然大丈夫じゃなさそうな、信用できない感じが合っていたからだ。
早口な部分が多いし、もしかしたら字幕よりも吹き替えのほうが楽しめるのかもしれない。きっと字幕にするからちゃんと読みやすいように整えて書いてる部分もあるのではないだろうか。もっと適当なことをたくさん言ってそう。

まだまだ危うい部分も多いけれど、かわいくて、この先も楽しみで、でも悲劇を経験して傷つくのがかわいそうだと思ってしまうヒーローだった。このスパイダーマンもおもしろかったです。



こちらも、シネマカリテのカリテ・ファンタスティック!シネマコレクション、通称カリコレにて上映。(追記:10/7より全国で公開されるとのこと)
原題は『SCORE A FILM MUSIC DOCUMENTARY』ですが、画面にはただ『SCORE』と書かれていた。

多数の映画音楽の作曲家のインタビューから映画音楽の歴史を紐解いたり、作成する過程や気持ちまでを描く。

映画作品のネタバレは普通に出てくるのである程度観ている人向け。
といっても有名作品ばかりだし、映画音楽のドキュメンタリーに興味がある人は観てるような作品ばかりです。

ドキュメンタリーなのでネタバレもなにもありませんが、感想というより備忘録のため、細かく内容に触れます。













もともと、リュミエール兄弟の頃から映画に音楽は付いていたらしい。1900年前後だろうか。無声映画でも、映写機の音をごまかすため音楽を流していたとか。
映画館には専門のピアノ弾きがいたというから豪華である。

それが変わって革命が起きたのが『キングコング』(1933年)。これで、初めて映画にオーケストラが使われたという。
音がないと安っぽくなってしまう画面にオーケストラが乗ると雰囲気が変わる。

『サイコ』もシャワー音のみではまったく怖くないし偽っぽく見えてしまう。それがあの有名な音がつくことで一気に緊迫感が生まれる。
あれも、バイオリンの端を弓でキュッキュと弾いているというのを初めて知った。普通の生活の中ならノイズになってしまうだけだが、あのシーンにはあの音しかない。すごい相乗効果だと思う。

おもちゃのピアノや小さいスチールドラムみたいな変わった楽器を使っている場合もあって、少し音効さんのようにも見えた。
『アングリーバード』や『怪盗グルー』シリーズのヘイター・ペレイラは、『ミニオンズ』でバイオリンをスタジオ奏者の方たちに「ウクレレみたいに爪で弾いて」とか「もっと揃ってなくていいから」とか「かたい音で」とか無茶とも思える注文をしていた。
頭の中に確固たる世界があって、その音を作っていく作業をしていた。

音というのは形にできないから厄介である。
作曲家が映像を観ながら監督と話し合っている場面もあったが、どの映画でもやっていることなのだろうか。
たいていの監督さんは思っている音を言葉で表現ができないらしいから、作曲家はそれを引き出すセラピストのような役割だと言っていた。

『007』からはジャズが取り入れられたそうだ。あの有名なテーマ曲を作曲したモンティ・ノーマンはビッグバンドのボーカルだったらしい。同じ頃、エンニオ・モリコーネによる西部劇の哀愁溢れる独特の楽曲たちも生み出された。これが60年代で、70年代になると、歌が入った曲も使われるようになっていった。

そして、80年代はジョン・ウィリアムズの時代である。
ジョン・ウィリアムズの楽曲はもうどれもこれも超有名で、映画内でも言われていたが、リズムだけでもどの曲かわかってしまう。
それが、『スター・ウォーズ』などの名シーンと合わせて流されるから涙が出てきた。
『インディ・ジョーンズ』ではあの有名なテーマ曲の他にBメロのような曲があって、ハンス・ジマーは「あれは自分のために作ったのだろう」と言っていた。

また、『ジョーズ』はあの二音がなくて映像だけでは何が何だかわからなかっただろうと言われていた。あの二音がどんどん速くなっていく様がエンジンがかかっていくようにサメが近づいてくる恐怖感をあおる。
また、これもハンス・ジマー談だが、「二音だけではなく、あのあとにちゃんと交響曲もあるんだ」とのこと。
作曲家としてそりゃそうなのだろうが、ハンス・ジマーはジョン・ウィリアムズのことをかなり尊敬しているようだった。

『スーパーマン』ではアカデミー賞授賞式なのかな、何かの授賞式で主演のクリストファー・リーヴが「あの音楽がなかったら、ワン、ツー、ヒュウ〜(落ちる音)…。飛べないよ」というスピーチをしていた。

『E.T.』のラスト付近の自転車で疾走するシーンは、あんなに力強く音楽で引っ張っていくシーンも珍しいとのこと。
そしてE.T.が宇宙船に乗り込むと音が小さくなる。けれど、最後は高らかにファンファーレが鳴らされる。ここで表現されているのは別れの悲しみではなく、E.T.を無事に宇宙船に届けるという任務を成し遂げたことを祝っているのだろうと脳科学の博士が説明していた。

この博士の話は他にもなるほどと思えるものが多かった。
音楽はメロディとリズム(時間)で脳で反応する場所が違うらしい。また、チョコレートを食べた時と同じく快楽の中枢が反応するとのこと。

映画を一本観る中で、視線は二万回以上動くらしい。それを音楽によって誘導することもできるとか。
でも、英語がわからないから基本的に字幕見ちゃうからなあと思いながら観ていたら、例として出されていたのが、『カールじいさんの空飛ぶ家』の最初の部分だった。ああ、あれは音楽だけのシーンだ。

『ロード・オブ・ザ・リング』は同じ短いフレーズが序盤から何度も出てきて、そのフレーズが耳に馴染んだ頃、そのフレーズを使った曲が盛大に流されて最高潮に盛り上がるらしい。
やはり音楽によって、感情がうまく誘導されている部分がありそうだ。

そして、ポストジョン・ウィリアムズのように紹介されていたのが、トーマス・ニューマン、ダニー・エルフマン、ハンス・ジマーの三人だ。
これも知らなかったのだが、ダニー・エルフマンはオインゴ・ボインゴというバンドで活動していたらしい。ビデオクリップを見ると、だいぶ前衛的な音楽だった。オインゴ・ボインゴとして来日したくらいだし、もしかしたら人気だったのかも。
そして、オインゴ・ボインゴファンだったティム・バートンが声をかけて『ピーウィーの大冒険』の音楽を担当し、ウマがあって、そのあとの2人のコンビっぷりは周知の通りである。

ハンス・ジマーの曲は、打楽器のリズムが独特だと言われていた。
『パイレーツ・オブ・カリブアン』の曲がオーケストラ版レッド・ツェッペリンと称えられていた。ジョニー・デップもジャック・スパロウはキース・リチャーズをイメージしたらしいし、全体的にロックなのか。

ハンス・ジマーは素晴らしい作品に呼ばれたときには有頂天になるが、その後で、「できなかったらどうしよう。ジョン・ウィリアムズに頼んでくれ!と思う」と言っていた。
当たり前だけれど、彼ほどの人物でも不安になるのだ。

他の作曲家も看板に自分の名前が出ているけれど曲ができあがっていないときにどうしようと思うと言っていた。『アルマゲドン』では映画完成までのカウントダウンをするタイマーが渡されたらしい。その実物も出てきた。

まあそれでも、ハンス・ジマーは毎回不安にはなるけれど辞める気はないと言っていてホッとした。
ハンス・ジマーはやわらかくて低くて素敵な声だった。
紫のビロードのジャケットにペイズリー柄のズボン、派手なしましまソックスというなかなかな服装だった。

そういえばそうだったと思ったけれど、『ラジオ・スターの悲劇』のバグルスのビデオクリップのバックでキーボードを弾いている姿も映りました。

『グラディエイター』のラスト付近で、曲にリサ・ジェラルドの歌が乗る。麦を触る手の映像は、女性ボーカルがあることで詩的な映像に昇華されたと言っていた。そのままならカットされていた映像だろうと。

『インセプション』のラストの部分が本当に好きで、観るたびにここまで気が抜けないと思っているんですが、そこについてもとりあげられていて、やっぱり特殊なシーンなのだと思った。

飛行機の中で目覚めるシーンの音楽は夜明けっぽいと言われていた。
そして、家族に会う。穏やかなシーンである。音楽も穏やかだ。でも、カメラが家族の再会からそらされて、ちょっとおかしなものが映って、あれ?と思っていると音楽が大きくなって、パッと消える。
いやー、よくできてる。
今回、ラストだけですが久しぶりに映画館で『インセプション』が観られて嬉しかった。
これは『ロッキー』や『スター・ウォーズ』、『E.T.』などについてもですが、短いシーンでもやはり家で観るのとは違う。

トレント・レズナーとアッティカス・ロスは、別ジャンルから呼ばれる例として出てきた。
実は、この映画の予告編を見ていて、ハンス・ジマーとかジョン・ウィリアムズはまあ当たり前としてとらえていたんですが、どうやらトレント・レズナーも出るらしいというのがわかって観ることにしたのだ。
もう立派な映画音楽の人だなと思っていたのですが、あくまでもナイン・インチ・ネイルズのボーカルとして紹介されていた。『The Hand That Feeds』のライブ映像が流れて、これが映画館で見ることができたのも嬉しかった。

トレントは、最初にデヴィッド・フィンチャーから話をもらったとき喜んだが、内容を聞いてみたらFacebookで最初はがっかりしたらしい。この時の呆れ顔が笑いを誘っていた。もっとセクシーな題材がやりたかったと言っていた。
でも、音楽を映画のないようを象徴的に表すものにはしたくなかったとのこと。
象徴的にしていたら、ありがちでダサい(とは言っていなかった)大学生の過ちモノになっていたかもしれないと言っていた。

そして、このような新しい音楽のつけ方が話題になって、映画音楽専門でなくてもアカデミー賞をとるのは当然だろうと言われていた。

これ以降、他の作曲家もより自由に映画音楽が作れるようになったし、制作者側もいろいろなジャンルの人に頼めるようになったらしい。

ただ、『ソーシャル・ネットワーク』が最初みたいな言われ方をしていたが、『ロスト・ハイウェイ』(1992年)でも音楽を担当している(アンジェロ・バダラメンティと連名)。そこからのつながりなのか、『ツイン・ピークス The Return』にはナイン・インチ・ネイルズがゲスト出演しているらしい。

エンドロールで時々見かけるロンドンのAir STUDIOも出てきた。もともと100年の歴史のある教会で、幽霊が出るらしい。イスがくるくるまわったとか。
『007 カジノロワイヤル』はそこで録音されたらしい。また、作曲のデヴィッド・アーノルドは『SHERLOCK』も担当している。

ロンドンだと有名なアビーロードスタジオは、壁が吸収しないからライブっぽい音質になるとのこと。

映画音楽の作曲家は自分で指揮をするタイプと、指揮は他の人にまかせてブースで監督のそばから見ていて、監督の反応も知りたいタイプがいるらしい。ヘイター・ペレイラやハンス・ジマーはこのタイプらしい。
自分で指揮をするタイプの作曲家は自分の子供が生み出される瞬間に立ち会うようだと言っていた。

オバマ元大統領は、大統領の勝利宣言のスピーチのときに『タイタンズを忘れない』のテーマ曲を使った。
映画の内容が人種問題を扱ったものだし、曲を聴いただけで同じような気持ちになるから使われたのだろうと言っていた。映画の曲の持つ力である。
ただ、作曲者のトレヴァー・ラビンには断りは無く使用されたらしい。苦笑していた。

『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』のブライアン・タイラーは45歳と若めの作曲家だが、映画館に実際に出かけて行って、客席を見渡して表情を確認しに行くのが楽しみらしい。また、上映後にトイレにこもって、他の個室から映画のメロディーの鼻歌が聞こえてくるのを聞くらしい。
自分が死んでしまっても作品は残るのが素晴らしいと言っていた。

エンドロールでは、2015年に亡くなったジェームズ・ホーナーのエピソードをジェームズ・キャメロンが話していた。
“sketch”という曲があって、ジャックがローズをスケッチするシーンに合っていたため、なるほどと思い使ったそうだ。しかし、“試作”という意味だったらしく、ちゃんと作り直すと言われたらしい。しかし、シンプルなピアノ曲が合っていたので、そのままでいいと言ったら、じゃあ、ちゃんとしたピアニストを用意すると言われた。
なので、「君に弾いてほしいんだ」と言ったらしい。

作曲家と監督のいい関係である。
そして、このいいエピソードを聴くと、これから映画を観る目が少し変わる。

『タイタニック』だけではない。今回紹介された映画もされなかった映画も、今までそこまで意識しなかった、けれど確実に心には入ってきていた音楽を、これからはしっかりと意識して聴いてみようと思う。



新宿シネマカリテにて、毎年行われているちょっと変わった作品を集めた映画祭カリコレにて上映。

ステファン・ダン監督初長編作品。カナダ出身なのと、同性愛もの、家族もの、音楽がふんだんに取り入れられたスタイリッシュな映像…ということこで、第二のグザヴィエ・ドランというふれこみのよう。
確かに雰囲気は似てるといえば似てるけれど、もっと初々しく爽やかで、丁寧に作ってある。ドランが適当というわけではなく、だいぶこなれてきたので肩の力も抜けている印象。

また、宣伝スチルはだいぶセクシーな場面が使われているがそのような映画だとは思わないほうがいいかもしれない。本当はもっと青春映画寄りです。

以下、ネタバレです。その他のドランとの違いなどについても。










幼い頃に目撃してしまった殺人事件。幼い頃の両親の喧嘩、そして離婚。主人公のオスカーは二つのトラウマを抱えて育ってきた。
高校卒業後の進路の話が出てくるので18歳くらいなのだろう。映画などの特殊メイクアーティストになりたいと思っている。
特殊メイクのモデルになってくれるガールフレンドがいて、彼女はオスカーのことが好きみたいだったけれど、オスカーはバイト先のワイルダーのことを好きになってしまったようで…。

いつからゲイなのかは映画内でも聞かれていたけれどわからないようだ。幼い頃のトラウマが何かしら影響したのかもしれないがわからない。そもそも、ゲイなのかすらわからない。ただ、一緒に暮らす父親はホモフォビアのようだった。あと、男性全般についてというよりはワイルダーのことが好きだったようだ。

自分に向けられた言葉の幻聴を聞いてしまう、思い切りの良い無茶な決断をしそうになる、自分のことを好きと勘違いをしてしまう…。もうこれらは恋する若者になら誰でもあることで、それは性別は関係ない。

ワイルダーとのキスシーンがとてもロマンティックだった。
ゆっくりと重なろうとする唇の合間にごうごうと流れる水の映像が流れ、静かながらも気持ちが溢れてきているのがわかった。

その前にパーティーで行きずりの男とセックスをしてしまったときには、それとはまったく違うとてもおぞましい映像だった。
嘔吐したネジは幻覚だろう。幻覚じゃなかったら家には帰って来ず、病院行きである。イメージなのかもしれないし、ドラッグが見せたものかもしれない。お腹が奇妙に動いていたのも幻覚だろう。おそらく吐き気をおぼえ嘔吐したということだと思う。

それはそのあとのシーンでもっと象徴的に出てくる。
ラスト付近、奇妙に動くお腹から鉄の棒を取り出して、父親に殴りかかる。
それは、幼い頃に見てしまった殺された男性に刺さっていた鉄の棒だ。きっと、その時からずっと腹の中に抱えてきた。刺さって抜けない記憶。トラウマの正体でもあると思う。
ずしっと重い、鬱屈した想いを、同じくトラウマになってしまった父親にぶつけたのだ。
これできっと、ある程度両方解消されたのだと思う。

おもしろい映像表現だと思う。けれど、ただのイメージ映像というだけではない。もちろん本当にあったことではないのだが、あとでお腹を触っていたしオスカー自身にとっては事実とも思える出来事だったようだ。

では、タイトルの“モンスター”とは何なのだろうか。

原題が“CLOSET MONSTER”だが、父親をクローゼットへ蹴飛ばす描写があったので、父親に対する想いのことかもしれない。
それか、トラウマの象徴である腹の中の鉄の棒のことなのかもしれない。
または、それらすべてをひっくるめているのかも。この映画自体が主人公が恋を知ってやぶれ、受験に失敗し、幼い頃のトラウマを克服し、両親とも決別し、思春期を終えて大人になる過程を描いていると思うので、思春期そのものなのかもしれない。

終盤で家を出た母親がオスカーに「あなたは首にへその緒が三重に絡み付いていたのよ。だから、この先の人生も大変だと思うから強く生きなさい」と言う。
突き放すようでいて、きっと母親にはそう言うことしかできなかったのだろう。
家を出て、一応、血は繋がっていても新しい家族が彼女の人生だ。だから、そこまでオスカーに近づくこともできない。逆に残酷だ。
だけど、適度に距離を保ちつつ、近くには寄り添ってあげている。
それに、オスカーはもう18歳である。「この家に一緒に住まない?」というようにいつまでも母親としてサポートするよりは、「家を出たらどう?」というアドバイスをしていた。

この、親子だけれど離婚して別々に住んでいる関係のさばさばした感じはグザヴィエ・ドラン映画では描かれない。
ドランの場合、母と息子の関係にいたってはもうほとんど恋愛関係のようになっている。愛憎が入り混じったドロドロした関係である。ドラン映画なら、母親が新しい家族を捨てていたかもしれない。

父親がオスカーの可愛がっていたハムスターを殺してしまうが、ラスト付近でそのハムスターは10年間ずっと可愛がってきたハムスターではなく四代目であることが明かされる。
ハムスターはオスカーの心の友達というか、他の人には聞こえない形で会話をしていた。それはもちろん本当にハムスターが話しているわけではない。イマジナリーフレンドのようなものだろう。

「四代目だよ」というのもハムスター自らが言うので、オスカーも本当は気づいていたのではないだろうか。10年は生きないのはわかっていただろうし、最初に飼ってもらったのはメスだったからずっとメスだと信じていたらふいにオスだと指摘された時に疑ったのかもしれない。
イマジナリーフレンドとの別れも描かれていて、オスカーが確実に成長したのがわかる。

また、四代目だというのを最後に明かすのは父親擁護の意味も含まれているのではないかとも思う。
殺してしまうのはひどいことには変わりないけれど、少しはやわらぐ。

オスカーが幼い頃、ベッドに入って寝る前に、父親が風船を膨らませてそこにこれから見る夢の内容をふきこんでオスカーのおでこに当てて空気を抜くという行為をしていた。素敵な夢の見せ方である。
ここからも、根っからの悪人ではないので許してあげてほしい、という監督からのメッセージを感じる。この優しさもグザヴィエ・ドラン映画では考えられない。不器用な人は不器用なまま放置である。

だから、グザヴィエ・ドランの場合、ラストはぶつっと切れて、あとは自分で考えてねと言われたような気持ちになる。
後味が悪い。決して嫌な気持ちになるというわけではなく、その後味の悪さも心地よくはあるけれど。その辺がたぶん、グザヴィエ・ドランのうまいところだと思う。

グザヴィエ・ドランの場合はどちらかというと家族に焦点があてられていると思うが、この映画では家族のことや好きな人のことが描かれてはいても、大筋はオスカー個人の青春映画だと思う。青春映画というか青春の終わり映画だろうか。

結局、オスカーは家を出て、芸術家が暮らす島(ソルトスプリング島)で一人暮らしを始めた。様々な出来事が一応解決した。もちろんその先のことはわからないけれど、そこまで描いてくれることで、明るい未来が見える。イライラが最高潮に募って父親に鉄の棒で殴りかかろうとしたところで暗転して終わったらどうしようかと思った。

音楽が多用されていたり、イメージ映像なども使われているともっとアート寄りになってしまいがちだ。すると、様々な出来事が投げっぱなしで、そこで終わり?とぽかーんとしてしまう映画も多いと思うけれど、この映画はとてもきれいにまとまっている印象。途中までからは想像できない穏やかなラストだった。丁寧に作られているのが感じられた。




トム・クルーズ主演のホラー映画。
ではなく、ダーク・ユニバースというプロジェクトの一作目である。
今回のマミー(ミイラ)や、透明人間、フランケンシュタイン、狼男、ドラキュラなど、モンスターを扱った往年の映画を蘇らせる企画らしい。
本作も1932年の『ミイラ再生』のリブートとのこと。
ユニバーサル・ピクチャーズが、アベンジャーズなどのMCUやDC側のDCEUに対抗するためのプロジェクトとも言える。

以下、ネタバレです。








ダーク・ユニバースのことをなんとなくしか頭に入れていなかったため、次回作からもトム・クルーズ演じるニックがいろいろなモンスターを倒していくシリーズなのかと思ってしまった。どの程度のクロスオーバーなのかはわからないけれど、本作を観る限り、主役はモンスターではなく、ニックだった。だから、クロスオーバーするとしたら、ニックが共通して出てくるのだろうと思ったのだ。
それか、ニックの力で蘇った相棒のクリスとコンビの力で解決。
または、ハイドを宿したジキル博士との共闘。

本作でニックはモンスターの力を得る。おそらく、アマネット王女と同じ力だと思われる。クリスも一度死んで蘇っているからなんらかの力を持っていてもおかしくない。終わり方も続きを予感させるものだった。

ニックは途中まで、特殊な武器を持つこともなく、ゾンビだかミイラだかわからないけれど蘇った死者を素手で殴って倒していた。頭を殴るとサラサラと崩れるのだ。
けれど、アマネット王女にはすっ飛ばされていたし、とても素手では対抗できそうになかった。なんの攻撃が効くのかもよくわからないし、明確な弱点もしめされていなかったのでどうするのかと思ったら、ニックは自らに呪われたナイフを刺して、アマネット王女と同じタイプのモンスターになってしまった。

結局これで倒すことはできたけれど、シリーズもので、終盤でこの展開があると、ここまでがプロローグなのかと思ってしまったのだ。デビルマンのように、手に入れた悪の力を影で良いことに使うダークヒーローものシリーズの開幕かと思った。

これでアマネット王女とニックの関係も終わりなのだろうか。というか、モンスターが主役のシリーズなのに、主人公っぽい主人公(なんせトム・クルーズ)にあっさり倒されてしまっていいのか。

モンスターが主役のダーク・ユニバースシリーズだというなら、もっとアマネットを活躍させてほしかった。アマネット役のソフィア・ブテラは魅力的だったしもっと見たかった。

序盤、古代エジプトであったことは口頭で説明されて、それに総集編のような映像が付いているものだったけれど、ここはもう少しちゃんと見たかった。
あと、アマネットがニックを“選んだ”けれど、ならもっともっと執拗に執着してほしかった。モンスターではあっても見た目がゾンビなわけではないから、いっそラブストーリーにしてしまっても良かったと思う。相手もトム・クルーズだし、美男美女だ。

しかも、アマネットの攻撃方法がキスをして口から生気を吸い取るという方法である。何かしらうまく使えたのではないか。
おそらく同じ能力を得たニックは、最後、アマネットにキスをして生気を吸い取って倒していた。ここに愛があったらもっと複雑になっておもしろかったとも思う。

映画を観た直後は、次回作ではキスでばったばったと敵を倒すトム・クルーズが観られるのか!楽しみ!と思っていたけれど、そのような趣旨のシリーズじゃないようなので、おそらくトム・クルーズは出ない。残念。

本作でトム・クルーズ演じるニックは本当に良かったのだ。軍隊に入っているが勝手に行動するし、盗み癖があって姑息。女性を置いて逃げたりする。完璧じゃない人物なのがいい。
全裸になるシーンもあって、久しぶりにトム・クルーズの裸を見たなという感じにもなった。また、いつも以上に肌がつるつるに見えて、とても55歳とは思えなかった。いいトム・クルーズが観られる作品であることは間違いない。だから、この映画がダーク・ユニバースではなく、ニック三部作(ニックが人間に戻るための旅)だったら良かったのにと思ってしまう。

トム・クルーズは出ないけれど、ジキル博士役のラッセル・クロウはダーク・ユニバースをつなぐ存在として出てくるらしい。ジキル博士の研究機関プロディジウムが中心となっていくらしい。ロンドンの自然史博物館の地下にある秘密の研究機関というのはわくわくするし、ちらっと出た牙のついた髑髏とかは気になった。今回ももっと出てきたら良かったのにと思う。
ジキル博士も、今作ではハイド氏に脅かされてロクに活躍しないというか邪魔をしていた。今作の調子だと、こんな不安定な人がシリーズをナビゲートできるのかなと思ってしまった。

今後のダーク・ユニバースはジョニー・デップが演じる『透明人間』とハビエル・バルデムが演じる『フランケンシュタインの花嫁』が決定しているとのこと。フランケンシュタイン博士役も気になるところ。