ムビチケ券(権?)が当たったので、『アメイジング・スパイダーマン』二回目。初日。
このムビチケが、IMAXでは使用不可とのことだったので、ユナイテッドシネマ豊洲の巨大スクリーンで観てみました。
スクリーンの大きさが把握できていないまま、通路のすぐ後ろの座席を予約したら、思ったよりも前方で、スクリーンが視界に入りきらなかった。特にアクションシーンは疲れてしまいました。
3Dも、席が前過ぎたせいなのか、スクリーンの性能なのか、IMAXのほうが飛び出してた印象。

以下、細かいシーンについて。ネタバレです。
ネタバレ前に、劇中で出てくる“ブランジーノ”という魚の丸焼きみたいな料理ですが、ブランジーノってシーバスのイタリアでの呼び名らしい。シーバスは日本ではスズキのことをさすようなので、スズキの丸焼きみたいなものでしょうか。






能力を手に入れて、制御できない状態での朝のシーンが好きです。目覚まし時計を止めようと叩いたらぶっ壊れる。顔を洗おうとすると蛇口が外れる。歯を磨こ うとすると歯磨き粉が鏡までびゅっと飛び出す。この一連を寝ぼけた状態でやるのが可笑しいし可愛い。音楽の使い方も洒落ている。

あとグウェンと、「好きだ」とか「付き合おう」とかお互い言っていないのに自然にいい雰囲気になって、そのあと、うきうきとスケボーをするシーンもいいです。ここも音楽がいい。

アメコミ映画というと、アクションに特化したものが多いですが、『アメージング・スパイダーマン』はアクションよりも青春ドラマシーンが良い。特にこの二つのシーンは、きゅんときます。

エマ・シーンとの二人のやりとりも見ていて楽しいんですが、アンドリュー・ガーフィールド一人でもかっこいい。
博士の家で崩壊率の数式を解いて見せた後、「どうして解けたんだ?」と聞かれた時に、自分のこめかみを少し自慢げにトントンとやるシーンが好きです。

最後のバトルを終えて、家に帰ってきて、カバンから卵を出すシーン、もう卵は必要ないよ、その伏線は回収しなくていいよと思ったけど、それは、“これから は心配かけません、約束を守ります”という誓いの印なのかもしれない。「きつかった」と弱音を吐いて、おばさんに抱きつく姿は、やっと素顔になって、遠慮 なく甘えられたようで、ほろりとくる。弱さを見せられるようになったのも、成長した証なのだと思う。

2007年公開。サム・ライミ版。1から3まで観ていません。いきなり3から観るのはどうかと思ったけれど、やっぱりわからない部分がいくつかあったのでまたちゃんと観たいです。
以下、内容に触れます。




ジェームズ・フランコと戦ってるけどなんで戦っているのかわからなかった。少しブロマン風味を感じましたがどうなんだろう。ハイテクっぽい空飛ぶ機械に 乗っていましたが、彼もスパイダーマンと同様、生身に近いようで、さっきまですごいバトルを行っていたのに、信じられないくらいに簡単に肉体が傷ついてい た。

黒いスパイダーマンは、見た目からしていかにも悪そうだった。「人の攻撃的な面を増長させる」みたいなことを言っていたけど、ピーター・パーカー自身の性 格も変わってしまっていた。バーでMJが歌っているところにピアノで参戦したり、どこかプレイボーイ的になっていた。でも、悪い顔になってるトビー・マグ ワイアが恰好良かった。



先行上映。IMAX3Dで鑑賞。
IMAXは久しぶりだったんですが、やっぱりスクリーンが大きいし、重低音の迫力がまったく違うというのを『アベンジャーズ』の予告で体感した。何度か観 ているのと同じ予告でしたが、爆発シーンなどが相当派手だった。次に流れた予告が『ダークナイト ライジング』。こちらはうってかわって、派手というより は静かで、橋が爆破されるシーンでも、その音は入っていない。ブルースはとらえられているし、何か悪い予感だけを感じさせるものだけど、期待がものすごく 高まった。もう一つは『プロメテウス』の3D予告。なんで、『アベンジャーズ』の予告が3Dではなかったのかが気になるけれど、この三作は全部IMAXで 観ようと思います。

スパイダーマンは原作未読、サム・ライミ版未見なので、違いや原作に沿っているかなどはわかりません。やや強引なこじつけの設定や、ストーリーのアラや、 その伏線は回収しなくていいよというところなど、気になる箇所はあったけど、それを差し引いてもおもしろかった。笑いどころや泣きどころがわかりやすく、 そのまま笑ったり泣いたりして観てた。
予告や前情報の限りだと、今までよりもドラマ性を大事にしているような印象を受けたので、重めの内容なのかと思っていたが、そんなことはなかったです。
それよりは青春ものだった。監督であるマーク・ウェブが『(500)日のサマー』を手がけた人だと観た後で知って、納得しました。特に、主演のアンド リュー・ガーフィールドとヒロイン役のエマ・ストーンがこの映画をきっかけに付き合い始めたと聞くと、二人のシーンは余計に甘酸っぱい。また、スパイダー マンの恰好をしていても携帯電話を手放さないあたりも若者らしい。おばさんからのおつかいの電話に出たり、暇つぶしにスマフォでパズルゲームもしていた。 親近感の持てるヒーローに仕上がっている。
親近感といえば、アイアンマンとかアニメ版の時をかける少女もそうでしたけど、能力を手に入れたときにはしゃいで使いすぎちゃうのが可愛かったです。

マスクも簡単にはずれるようだった。これは、観客にアンドリュー・ガーフィールドの麗しいお顔を拝ませるためのサービスかなとも思ったが、ピーター・パー カーが高校生だったので、お金が無くて、スーツに改良が加えられないのかもしれない。例えばこれが、ブルース・ウェインやトニー・スタークだったら、こん な限りなく生身に近いスーツにはならなかっただろう。

3Dも良かったです。相性がいいと思われる飛行シーンはなかったけれど、上から物が落ちてくる描写はありました。あと、『アバター』でも小虫がリアルでしたが、小さいものが浮いてくる描写も3D向けだと思う。
あとは、スパイダーマンらしい動き、ビルの谷間を振り子のようにして移動するときにはちゃんとこちらに飛び出てきてたし、手から出す蜘蛛の糸もこちらに来た。

以下、ネタバレです。




原作を読んでいないし、サム・ライミ版も観ていないのでどれくらい原作に沿っているのかわかりませんが、オズボーン社、セキュリティ甘すぎるのがなんと も…。もっと警備を厳重にしておけば、ピーター・パーカーがスパイダーマンになることもなかったし、博士とも会わなかったし、崩壊率を解いて博士に教えな ければ、リザードマンになることもなかったのに。ただ、それだと話は進まないけれど。
あと、ラスト付近で簡単にオズボーン社に入れるようにグウェンがあの施設の研修生だったのかと思うと、無理やりなこじつけ設定な気がする。

ラストでグウェンのお父さんが死に際に「もう娘とは会うな」と約束させる。もう危険な目には遭わせたくないという親心からだと思う。恋人と会いたくても会 えない、スパイダーマンであるがゆえに、ということなら重い物語になったと思う。でも、あっさりと「守れない約束もある」と言っていたので、破ってしまう ことが示唆される。普通の約束ではなく、遺言の意味もこもってそうな重要な約束なのに自分の恋模様を優先させるあたり、やはり青春ものというカテゴリでい いのだと思う。

グウェンが屋上から飛び降りるピーターを見て、「I'm in trouble.」とつぶやくセリフがあるんですが、予告だと「大変な人を好きになっちゃった」だったのに、単に「困った」になってた。尺の関係だろうけど、予告版のほうがキュートですよね。残念。

あと、ストーリーとか映画の出来とはちょっと別のところの話ですが、エンドロールで日本語の歌が流れるのがひどい。余韻が台無しになる。ソニーのレコメン ドアーティストなんだろうし、スポンサーの関係上仕方ないとは思うけど、どうにか回避できなかったのかと思う。せめて、字幕版では流さないでほしい。


ペドロ・アルモドバル監督作品。原作の『蜘蛛の微笑』は未読です。
予告からは想像できない世界でした。予告だと“奥さんを亡くした外科医が、誰かを奥さんの顔に整形手術して身代わりにしている”という話なのかと思った。これだけでもおもしろそうとは思っていましたが、それをだいぶ上回っておもしろかった。
以下、ネタバレです。









大筋はその予告の通りではあるんですが、目的が“奥さんの身代わりにするため”ではなく、復讐だった。もっとも、奥さんの顔にしている以上、身代わりという意味もあったのかもしれないが、それは結果的にそうなったように思える。
そして、“元は誰だったのか”というのが、娘を強姦しようとした少年という、意外すぎる答えだった。顔だけでなく、全身の整形もされていた。女性が着ていた全身タイツのようなボディースーツはなんのためなのかと思ったら、整形後に体の形が崩れないように安定させるためのものだった。

そのボディースーツの衣装デザインがゴルチエでした。全身肌色のものは、何も身に付けてないようにも見える。黒いものは人間の体の形が美しく見えた。黒いほうを着て、ヨガのポーズをとると、まるで芸術品のようだった。また、部屋から逃げるシーンでは走り方の歪さが際立った。

また、すべての元凶である、使用人(実は主人公の母親)の息子(実は主人公の兄弟)が屋敷を訪ねてくるシーンで着ているトラの衣装は、不穏な空気を作り出すのに一役買っている。カーニバルと言っていたが、ハロウィンのような全身の仮装です。屋敷の呼び鈴を押すときに衣装の爪の部分がアップになるのは、これから起こる不吉なことを暗示しているようである。

主人公の外科医が盆栽を趣味にしているようなのも気になった。松などを思い通りに形作るのと、人間の顔や体を作り直すのは似ているようにも思える。

外科医は、最初こそ、完璧な肌を作り出すための人体実験のように少年の体を使っていたようだったが、途中から、元少年、現在は見た目は妻そっくりな人物を愛し始めていたようだった。おそらく、トラに仮装した男に強姦されるのを見たあたりからのようだったので、独占欲が刺激されたのかもしれない。自分が完璧に作り上げたものが愛しくないわけはない。
しかし、見た目こそ完璧に妻の姿をしていても、中身は外科医に無理やり女に変えられた少年のままなので、当然悲劇が起こる。

話し方はどうだったのだろう。字幕では“私”とか“~だわ”など女言葉になっていた。スペイン語のヒヤリングなどできないのでわかりませんでしたが。

終わり方が少し中途半端に感じた。少年(見た目は女性)が屋敷を出て行くところで終わりでも良かったように思う。日も当たっていたし、輝かしい未来へと続くようだった。
その後、元働いていた洋服屋(?)へ行くシーンがあり、この先のこともちゃんと描いてくれるのかと思ったら、案外そこからは短く、ぶつ切りな終わり方だった。
男だった頃に、一緒に働いていた女性に「そのワンピース似合うわよ」とからかわれたワンピースを着て現われて、見た目は女性だけど自分はここにいた少年であるということを証明してみせる。その伏線の回収はなるほどと思ったし、その後で母親に名前を告げるシーンも良かった。しかし、その後すぐに切られてしまう。もう少し先まで観たかったです。

音楽はアルベルト・イグレシアス。予告でも使われていた、バイオリンが激しくドラマティックな曲がエンドロールで流れた。『裏切りのサーカス』では静謐でハードボイルドっぽい曲が多かったですが、どちらも好きです。


2008年公開。大統領狙撃事件が起きて、それを様々な人物の視点から検証していく群像劇。
一人のエピソードが終わると、また狙撃の前まで遡ってやり直す、同じシーンの繰り返しという点では『ミッション:8ミニッツ』にも似ている。けれど、『バンテージ・ポイント』はやり直して大統領を救う話ではなく、事実は事実として起こり、そこからの犯人追及の話です。様々な方面から見ることで、新たな事実が少しずつ浮き上がる。前のエピソードであやしいと思った人のエピソードを見ると、裏側が知れて犯人でないことが分かったりするおもしろい作り。
以下、ネタバレです。




一応、SPの男性が主人公の役割ではあると思うけれど、前の仕事で撃たれたせいで、精神的に少し不安定になっている。大抵の場合は主人公に共感しながらストーリーを追って行くけれど、この場合は、主人公すら信用できない。そのため、終盤まで先が読めないハラハラ感はあるけれど、登場人物一人一人に共感できないまま終わるので、深く入り込めない面もある。終わり方もあっさり。

最初に出てくるテレビ局の女性(シガニー・ウィーバー)とSPの男性(デニス・クエイド)の間には多少の遺恨があるようだったので、その辺をもっと詳しく見たかった気もします。



本作は、アメリカでウディ・アレン監督の最高興行成績をたたき出したらしい。実は、私はウディ・アレン監督作品が苦手ですが、これだけ人気なのと、アカデミー賞にノミネートされていたので観てきました。

冒頭の、役者さんは出てこずにパリの景色が流される場面で、オシャレさに圧倒された。また、主人公が雨のパリにこだわったり、パリに住みたいと言うあたり、監督の言葉の代弁なのかなと思ってしまった。それくらい、パリに対する愛を感じました。
以下、ネタバレです。









主人公は12時の鐘のあと、走ってきた古い形の車に乗せられて、バーへと連れて行かれる。いつのまにかそこは憧れの1920年代、しかも生きている芸術家たちと触れ合える。いろんな人が出てくるたびに笑いが起こっていたし、ワクワクしました。バーやカフェも洒落てるし、パリのワンダーランドっぷりが加速し た。

ただ、どうしてこうなったかという説明が一切ない。夢、または酩酊状態が見せた幻なのだろうとも思うけど、途中に出てくる古本のせいで、タイムスリップの可能性も捨てきれない。その辺がわからなかったので、もやもやしたものが残ってしまった。
それでも、きっと、説明を求めるのは野暮なんだろうとも思う。結局、どうして過去へ行けたのかというのを描きたい作品ではなく、いろんな芸術家がたくさん出てきたらおもしろいよね!というところが主題なのだと思う。

あとは、主人公の成長譚でもある。過去のパリに憧れていた主人公が、マリオン・コティヤール演じる1920年代の女性アドリアナと一緒に、さらに昔 (1870年代か80年代くらい?)へとぶ。「ここに住みたい」とはしゃぐアドリアナを見て、初めて、客観的に自分の姿が見られたのだと思う。
過去の積み重ねが現代になり、つまらないと思っていた現代も未来から見ればまた黄金時代かもしれない。そう気づいて、もと居た世界へ帰っていく。それ以降はきっと、あの角で車を待つことはしなかったのではないか。主人公は小説家を目指していたので、自分も未来から見て誰かから憧れられる存在になることを目指し始めたんだと思う。

『ミッドナイト・イン・パリ』もアカデミー作品賞にノミネートされていましたが、受賞した『アーティスト』や『ヒューゴの不思議な発明』とともに、古きをたずねて新しきを知る作品だった。今年はテーマがはっきりしてたようです。

トム・ヒドルストンさんがフィッツジェラルド役で出てた。『マイティ・ソー』のロキ役のときは特に気にしてなかったけど、そのあと出てきた彼の写真やら情報やらを総合すると、どうやら相当愛嬌のある方らしくて好きになってきてます。『アベンジャーズ』も楽しみ。


2008年公開。アカデミー賞作品賞受賞。劇場公開時に観たきりでしたが、細部まで結構いろいろおぼえていました。
以下、映画というよりほとんどジェレミー・レナーについてですが、ネタバレあり。









この映画を観たときには、ジェレミー・レナーを知らなくて、出てきたときにはそんなに恰好良いとも思っていなかったんですが、でも映画が終わったときにはまんまと好きになっていた。それで、翌年の『ザ・タウン』では、同じような暴れん坊で銃ぶっ放つ役をやっていて、これまた恰好良かったのです。銃が似合って、何を考えているかわからない危うさがありながら、どことなく色気がある。

ゲイの殺人鬼役『ジェフリー・ダーマー』もレンタルで観ました。スプラッタ系なのかと思ったら、血がほとんど出ない、心理描写の多い切ない映画でした。この映画公開時、ジェレミー31歳。撮影したのがいつかはわかりませんが、20代後半から30代前半の若い姿が美しい。演技もうまかった。『28週後…』も銃を持った役でしたが、人間味あふれるいい役柄でした。

それらをふまえた上での『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』がとても良かった。他の作品では“眉間に皺が寄っている/冷静沈着/仕事はきっちりこなす”というような印象の役が多かったんですが、ここでは、それを引き継ぎつつも、“振り回される/冗談を言う/必死”などの違った一面も見られる。前までのギャップのせいもあってか、えらく可愛く見える。

最初から好きな状態で『ハート・ロッカー』を観るのは初めてでしたが、あらためて、この映画はジェレミーを好きになるようにできていると思った。
死をも恐れぬ男。言うこともきかないし、ワンマンプレイが目立つし、最初の印象は悪い。しかし、仕事はできることが証明されて、好感度がグッと上がる。その後、少年の死に心を痛めるシーンで、仕事ができるだけではなくいい奴でもあることがわかって、更に好感度アップ。戦場から戻った普段の生活シーンの私服姿、なんとなくかみ合わない日常会話、スーパーマーケットでのうろたえ、赤ん坊との触れ合いと、さっきまでとは違った一面を見せて、また好感度をグンと上げる。その後のラスト、戦場へ戻った生き生きした表情と爆弾処理に向かう確かな足取りと後ろでかかるミニストリーで、完全に好きになってしまう。

これは、キャスリン・ビグローが女性監督だからじゃないかな…。関係ないかな…。
久しぶりに戦場から帰宅したとき、奥さん(離婚したと言っていたから彼女?)とのセックスシーンはないくせに、戦場での同じ部隊の男性たちとの濃厚な絡み合いはある。映画館で観たときにも気になったけど、改めて観返したら、上着は脱ぎだすし、どう見ても騎○位だし、そのシーンがやけに長いしで大変だった。この有名なホモソーシーンの前にも、序盤で、兵士同士の「聞いたらちゃんと返事をしろ」「デートか?」というやり取りがあったりもした。

手持ちカメラでドキュメンタリーっぽいリアリティを出したり、爆弾除去シーンの息が詰まるような緊迫感など、本来の見所はきっと別なところなんだろうなとも思いつつ、私にとってはジェレミー・レナーのいいところがつめこまれた映画になっている。



EUフィルムデーズ2012にて。EU各国の映画が観られる映画祭です。ポスター(?)からはデンマークの『ポートランド』という作品も気になった。『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』の監督の、長編デビュー作らしい。時間が合わず観られませんでした。ソフト化もされてないだろうし、残念(調べてみたら、VHSでは出ているみたい)。他にもいろいろと珍しい国の映画が気になったけれど、ロマン・ポランスキー監督の長編処女作ということで、『水の中のナイフ』にしました。ポーランド語です。

1962年の映画ですが、いま観てもとても面白かった。水の上のボートという逃げ場のない場所を舞台にしてるワンシチュエーションもの。出演者も富豪の男性、その妻、若者の三人きりです。芝居にも向きそう。この前観た、『おとなのけんか』とも似通っている部分がある。
撮影方法も俯瞰でとらえる画は少なく、ボートに一緒に乗っているような画が多い。あたかもボート上が世界のすべてであるかのようなカメラワークだった。

ワンシチュエーションもので重要な役割を持つ会話のテンポが心地よく、観ていて飽きさせない。また、ワンシチュエーションですが、その提供されている場所がとても狭いのもスリリング。水に落とされるのではないかとか、そんな狭いところでナイフを出さないでくれとヒヤヒヤした。加えて、駆け引きを感じさせる会話で、一触即発ムードになったりもする。
そんな中で、序盤は無鉄砲な若者をたしなめる富豪、両方に理解のある妻といった感じの関係性が、物語が進むにつれて少しずつ変化していくのもおもしろい。
以下、ネタバレありです。








原題は『Nóz w wodzie』。読めないし、当然意味もわかりませんが、『水の中のナイフ』という邦題の付け方は良いと思う。「森を歩くときにはナイフで道を切り開く」と若者は言っていた。つまり生きるのにナイフは必要だった。しかし、水の上では進むのにナイフが必要の無いことがわかって、新しい価値観を知る。そのナイフが水に捨てられてしまって、最初は大慌てで水中に探しに行くけれど、結局見つからなくても未練はないようだった。わかりやすい若者の成長譚。

言葉の一つ一つに裏の意味が隠されていそうで、字幕を考えながら読んでいたんですが、これは字幕を担当した方がうまかったのかもしれない。「肌を与える」という字幕が出てきて、今では見かけないけれど、趣があっていい表現だと思った。他にもいろいろと昔ながらの言い回しがいくつか出てきて新鮮でした。いつ付けられた字幕なんだろう。

若者役の人が少しユアン・マクレガーに似ていた。『ゴーストライター』の主演がユアンだったし、監督好みの顔なのかもしれない。

EUフィルムデーズは東京国立近代美術館フィルムセンターでやっていたんですが、大人500円という素晴らしい価格設定だった。映画館というよりはホールのようだったけれど、映像の上映に適している空間でもあると思う。他の企画もいろいろやってるみたいだし、また行ってみたいです。


今回の映像化の前に、1943年、1970年、1983年、1996年、2006年と何度も映像化されていて、翻訳版の小説も何冊も出ていて、しかも原作が1847年刊行であることなどまったく知らずに、予告とマイケル・ファスベンダーにつられて観てきました。かなり有名な文学作品であるにもかかわらず、内容を知らなかった。これは私が悪かった。

でも、予告も悪かったと思うんです。あれだけ観ると、“ジェーンは早々にファス演じる貴族と恋仲になって、いい場面で貴族に奥さんがいることが発覚、そしてドロドロした昼ドラ的な展開に…”というようなのを想像してしまった。どうしても、予告を見て一番ショッキングだったのは幽閉された奥さんだし、その人の登場を待ってしまう。
以下、ネタバレがあります。






しかし、奥さん以前に、まずファスがなかなか出てこない。主人公ジェーンの幼少時代の話が結構長い。そして、やっとファスが出てきても、なかなかロマンスが始まらない。ファスが気のあるそぶりを見せたり、甘い言葉を囁きはじめても、予告を観ている側としては「どうせ奥さんがいるんでしょ?」といちいち思ってしまったし、なかなか出てこないから、そう考えている時間が長かった。
いざ奥さんが出てきても、姿が出てくるのは一瞬。話の中心人物になるのかと思ったのに。確かに彼女の存在で方向は変わるけれども、あくまでも話の流れの一部。必要以上に強調して描かれない。予告だと、ファスは妻を幽閉しつつ、別の女に手を出す、どちらかというと悪者の印象だったが、映画内では弁明を聞く限り、それなら仕方がないと思えるような理由があった。ファスがジェーンのことを愛しているのはよくわかった。だから、そこで逃げることないのに、とも思ってしまった。このシーンが山場なのかと思っていたのに、映画はわりと淡々とすすんでいく。

でも、あとで知ったこととしては、刊行された1847年という時代に、自分で人生を切り開くような強い女性が珍しかったことや、自由恋愛自体もなかなか無かったらしいということからセンセーショナルを巻き起こした作品だったらしい。原作の時代背景のことなどまったく知らなかったので、下調べをしておくべきだった。別に、幽閉された妻の存在が話の中心ではなかったのだ。

映画の作りから、流れがとても大切にされている印象を受けた。だから、幽閉された妻のシーンで変に盛り上げてぶった切るようなこともしなかったのかなと思った。流れるように進んでいくストーリーをサポートするような映像や音楽も綺麗だった。富豪の家の調度品や、外の怖いくらい広大で何もない風景も素晴らしかった。この辺は、キャリー・ジョージ・フクナガ監督の力によるものなんでしょうか。前作『闇の列車、光の旅』はまったく違う題材のようなので観てみたい。

またアカデミー賞でノミネートされていた衣装もみどころだったと思う。叔母さんの大きく膨らんだ袖のドレスが変わっていたし、ウェディングドレスのヴェールも綺麗だった。家庭教師衣装のストイックさも地味ながら捨てがたい。

役者さん関連では、ジェーン役は原作では“ヒロインだけど容姿は普通”というのが特徴だったらしいんですが、ミア・ワシコウスカが演じているのは良かったと思う。可愛くはあるけど、取り立ててすごい美人というわけではないあたりが、なるほどと思った。でもそれは、笑顔の演技が少なかったせいもあるのかもしれない。ほとんどのシーンで神妙だったりつらそうな顔をしていて、唯一ファスとの蜜月シーンは短いながらも笑顔が見られて可愛かった。
最初に出てきた牧師役の俳優さん、ジェイミー・ベルって聞いたことあると思ったら、『リトル・ダンサー』の主人公の少年だった!
そして、売れっ子マイケル・ファスベンダー。ゴス衣装のコスプレも似合う。立派なもみあげのせいで、リンカーンにも似てた。深みのある声が素敵でした。『プロメテウス』も楽しみ。