『ジェーン・エア』


今回の映像化の前に、1943年、1970年、1983年、1996年、2006年と何度も映像化されていて、翻訳版の小説も何冊も出ていて、しかも原作が1847年刊行であることなどまったく知らずに、予告とマイケル・ファスベンダーにつられて観てきました。かなり有名な文学作品であるにもかかわらず、内容を知らなかった。これは私が悪かった。

でも、予告も悪かったと思うんです。あれだけ観ると、“ジェーンは早々にファス演じる貴族と恋仲になって、いい場面で貴族に奥さんがいることが発覚、そしてドロドロした昼ドラ的な展開に…”というようなのを想像してしまった。どうしても、予告を見て一番ショッキングだったのは幽閉された奥さんだし、その人の登場を待ってしまう。
以下、ネタバレがあります。






しかし、奥さん以前に、まずファスがなかなか出てこない。主人公ジェーンの幼少時代の話が結構長い。そして、やっとファスが出てきても、なかなかロマンスが始まらない。ファスが気のあるそぶりを見せたり、甘い言葉を囁きはじめても、予告を観ている側としては「どうせ奥さんがいるんでしょ?」といちいち思ってしまったし、なかなか出てこないから、そう考えている時間が長かった。
いざ奥さんが出てきても、姿が出てくるのは一瞬。話の中心人物になるのかと思ったのに。確かに彼女の存在で方向は変わるけれども、あくまでも話の流れの一部。必要以上に強調して描かれない。予告だと、ファスは妻を幽閉しつつ、別の女に手を出す、どちらかというと悪者の印象だったが、映画内では弁明を聞く限り、それなら仕方がないと思えるような理由があった。ファスがジェーンのことを愛しているのはよくわかった。だから、そこで逃げることないのに、とも思ってしまった。このシーンが山場なのかと思っていたのに、映画はわりと淡々とすすんでいく。

でも、あとで知ったこととしては、刊行された1847年という時代に、自分で人生を切り開くような強い女性が珍しかったことや、自由恋愛自体もなかなか無かったらしいということからセンセーショナルを巻き起こした作品だったらしい。原作の時代背景のことなどまったく知らなかったので、下調べをしておくべきだった。別に、幽閉された妻の存在が話の中心ではなかったのだ。

映画の作りから、流れがとても大切にされている印象を受けた。だから、幽閉された妻のシーンで変に盛り上げてぶった切るようなこともしなかったのかなと思った。流れるように進んでいくストーリーをサポートするような映像や音楽も綺麗だった。富豪の家の調度品や、外の怖いくらい広大で何もない風景も素晴らしかった。この辺は、キャリー・ジョージ・フクナガ監督の力によるものなんでしょうか。前作『闇の列車、光の旅』はまったく違う題材のようなので観てみたい。

またアカデミー賞でノミネートされていた衣装もみどころだったと思う。叔母さんの大きく膨らんだ袖のドレスが変わっていたし、ウェディングドレスのヴェールも綺麗だった。家庭教師衣装のストイックさも地味ながら捨てがたい。

役者さん関連では、ジェーン役は原作では“ヒロインだけど容姿は普通”というのが特徴だったらしいんですが、ミア・ワシコウスカが演じているのは良かったと思う。可愛くはあるけど、取り立ててすごい美人というわけではないあたりが、なるほどと思った。でもそれは、笑顔の演技が少なかったせいもあるのかもしれない。ほとんどのシーンで神妙だったりつらそうな顔をしていて、唯一ファスとの蜜月シーンは短いながらも笑顔が見られて可愛かった。
最初に出てきた牧師役の俳優さん、ジェイミー・ベルって聞いたことあると思ったら、『リトル・ダンサー』の主人公の少年だった!
そして、売れっ子マイケル・ファスベンダー。ゴス衣装のコスプレも似合う。立派なもみあげのせいで、リンカーンにも似てた。深みのある声が素敵でした。『プロメテウス』も楽しみ。

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