『奇跡』


2011年公開。最初にジェイアール東日本企画の文字が出るんですが、JR九州とジェイアール東日本による九州新幹線全線開通記念の企画ものとのこと。

両親が離婚して、母方と父方に別れて暮らす兄弟の話という情報しか知らなかったので、『そして父になる』のような家族ものなのかと思っていたけれど、どちらかというと子供たちの冒険映画でした。もちろん家族ものの側面はありつつも、子供主体だし、学校でのシーンも多い。

『そして父になる』でも両方の家の子供がいきいきと描かれていたが、今回は子供中心なので、より一層輝いている。そして、『そして父になる』の子たちよりも少し大きいので、しっかりとした意見を持っているあたりも面白い。

主演がまえだまえだなんですが、名前となんとなくお笑い?みたいなところまでしか知らなかったのも良かったのかもしれない。先入観がまるでなかった。姿見たのも初めてでした。
この二人はやっぱり少し慣れているのか、ちゃんと演技をしている部分もある。天真爛漫で場所にすぐに適応しちゃう弟と、いつまでも元の家族と元の生活が忘れられないしっかり者の兄。しっかりキャラクターも作られていた。そして、そのキャラクターが二人に合っていて良い。
電話で空気を読まずに野菜の話をするところや、女の子に囲まれているところなど父親に似ているし、新幹線に乗る金の工面の仕方も兄がおもちゃを売ったりしているのに対して、弟は直接父親に交渉するなどシンプル。兄弟の性格の違いがよく出ている。

演技をしているシーンも良かったけれど、たぶん勝手に喋らされているんだろうなと思うシーンも良かった。
大 きくなったら何になりたい?という夢について、丸くなって話すシーンや、はじめての熊本の町を散策するシーンはまるでドキュメンタリーのようだった。子供たちがかたくならずに素の表情で映っている。熊本で知らない人の家に泊まった夜のまるで修学旅行のようなはしゃぎっぷりも良かった。

新幹線がすれ違う時、子供たちがそれぞれの願い事を叫ぶけれど、その願い事でそれぞれの性格がわかりやすかった。
「女優になりたい!」と叫んだ子は、たぶん願いを叫んだことで自分の心がかたまったのだろう。家に帰った後、東京へ行くと親に宣言をした。
先生と付き合いたいと言っていた子は、結局は「父ちゃんパチンコやめてー!」と叫んだ。一番の願いはそれだった。
飼い犬が死んでしまった子は生き返ってと叫んだが生き返らなかった。それで死を受け入れたのだろう。
弟が叫んだことで、父親のバンドが番組に出ることになった。奇跡もちゃんと起こっていた。
そして、兄は「桜島火山が噴火して鹿児島に人が住めなくなって、また家族が一緒に暮らせますように」という願いを結局口にできなかった。「家族より世界を選んだ」と言っていたが、一つ大人になった。鹿児島の自分以外の人々のことも考えられるようになった。
別れ際に弟に「父ちゃん頼んだで」と言っていたので、もう家族は元に戻れないというのを受け入れたのだろう。
新幹線に乗るだけで、小学生にとっては大冒険なのだ。冒険をして、みんなきちんと成長している。

子供主体の作品ではあるけれど、この大冒険はいい大人たちに囲まれていなかったらなし得なかった。お母さん、おじいちゃん、保健の先生、老夫婦など、周囲の大人たちのサポートする様子の描き方も素晴らしかった。

子供たちが願い事を叫ぶ前に、モチーフ映像が連続して出てくる。
ポテチの袋に残ったカス、体温計の液晶に映る40.1度、桜島噴火の絵を描いたあとの茶色赤黒の絵の具の乗ったパレット、老夫婦の家で出前でとった親子丼、灰にまみれた水着のパンツ、自販機の下の100円玉、地面に棒でかかれたバッターボックス、フラダンスの指先、 死んでしまった犬のマーブル、駅にいた幸せそうな四人家族の後ろ姿、一口かじった鹿児島特産和菓子かるかん、自転車のベルを先生が指で魅力的にはじく様子、出発進行の駅員さんの指先、手の平に乗せたコスモスの種、笑顔の兄弟が二人一緒に写ってる写真、父親のインディーズCDのジャケット…。
これらはそれぞれ、映画内では映っていなかったものだ。自販機の下でお金を発見するシーンは出てきた。ポテチの袋に残ったカスが一番おいしいという話は出てきた。脇の下で擦ると体温計の温度が上がるから仮病に使えるという保健の先生のアドバイスは出てきた。だけど、実際には100円玉もポテチの袋の中も体温計の液晶も、その場では出てこない。
人物の顔が映らない、何気なく切り取られた写真のような映像ながら、本編で起こったいろいろな出来事をまとめて思い出すことができる。

この本編関連モチーフ映像は『ゴーイング マイ ホーム』のエンディングでも、手の平に乗せたもみじ、餅ピザが出来上がったところ、子供からのおじいちゃん退院祝いのカードなど同じ形で出てきた。撮影が同じ山崎裕さんでした。

途中で流れるギターインスト曲がおしゃれで良かったんですが、挿入歌でくるりが流れて、もしやと思ったらエンドロールで流れる曲くるりで、音楽はくるりでした。おそらく、電車と言えば、という感じで抜擢されたのだと思う。


2011年公開。ジョセフ・ゴードン=レヴィッド主演。
がんを宣告された青年が主人公ながらも、暗くならない爽やかな青春映画。脚本を書いた方が実際にがん克服経験のある方らしい。実話という表記は特になかったので、ストーリーは一応オリジナルなのかも。

セス・ローゲン演じる主人公の友達がとてもいい。常に主人公の近くにいて、がんを宣告された時の彼女との反応の違いも顕著で、彼女がいかにも悲痛な表情だったのに対し、友達は50パーセントなんて高い確率だと笑う。
その後の接し方も変わらず、同じ調子でナンパしに行こうと誘っていた。主人公ががん宣告された直後に暗い表情にならなかったのは、この友達がいたおかげだろうと思う。

最後、手術へ向かう主人公を抱きしめたのも友達だった。その後の手術跡に薬を塗ってあげるのも…って、少しべったりしすぎな気もしますが、ともかく、彼女よりもお似合いなくらいでした。

作風が少しジェイソン・ライトマンに似ている。軽い作風ながらも、しっかりと人物が描かれていて、最後は爽やかな感動が残る。ジェイソン・ライトマン35歳 (10/19で36歳)、この映画の監督ジョナサン・レヴィン37歳と年齢も近いので、世代的なものもあるのだろうか。

レディオヘッドの『High and Dry』が使われていたり、会話中にドギーハウザー、ヴォルデモート、トータルリコール、ソウなどの単語が出てくるのも若い監督ならでは。重くなりがちな題材を仰々しくなく軽やかに、そしてリアルに描くのに役立っている。

『エリジウム』


『第9地区』のニール・ブロムカンプ監督作品。今回の主演はマット・デイモンですが、シャールト・コプリーも出てます。
『第9地区』に比べるとだいぶ重厚なSFで雰囲気は違うけれど、あとでよく考えると、やっぱり通じてくる部分も多くあった。
以下、ネタバレです。




かなりゴリゴリの本格的なSFだと思う。『第9地区』みたいに軽い感じで始まって、次第に大変なことに巻き込まれて…ではなく、わりと最初から重めで、ずっと緊張感が続く。主人公が序盤で余命5日の瀕死状態に。それをドーピングとマシーンの力で無理やり生かしながら戦っていく。

マット・デイモン演じる主人公のマックスが機械によって力を得て戦う様子は、『第9地区』でヴィカスが大型の機械に乗って戦う様を思い出した。
あと、なんといってもロマンチック。かなわぬ恋が『第9地区』にも『エリジウム』にもあって、SF特有のシャープでひんやりした背景とマシーンが満載でありつつも、人の心は失われておらず、その両者のバランスみたいなものの描き方がうまいと思った。ヴィカスは想い合っていながら、結局見せられない姿になってしまう。マックスも幼少期からの想いが通じたのに、結局世界と引き換えに自分の命を差し出すことになる。どうにもならない状態になってしまう切ない恋が両方の作品で描かれている。

ただ、『第9地区』のような奇妙や新鮮さは残念ながら感じられなかった。重厚に作り込んであるSFもこれはこれでおもしろいけれども、どこかで『第9地区』を思って観に行ってしまったので、少し印象が違ってしまった。

マックスにマシーンを取り付けるシーンなど、少し痛めというかグロテスクな描写も多々あって、このあたりも前作同様。ロボットが壊れて部品が飛び散るシーンは、未来的なグロテスク描写っぽくておもしろかった。

あと、序盤、やけに動くカメラでドキュメンタリーっぽく、貧困地域を生々しく描くのも前作同様かもしれない。



シャールト・コプリーが演じるクルーガーは、ヴィカスやマードックとは違うけれど、どこか頭のネジが吹っ飛んでいて、その点ではいままでと同じ。地上から宇宙に向かって大型の銃をぶっ放すシーンが恰好良かった。一応今回は悪役ではあるし、登場人物の紹介文では“冷酷”などという文字もおどっていたけれど、結局不憫な感じが可愛くなってしまうのは、シャールト・コプリーという役者の魅力なのかも。もちろん、マードックのような直接的な可愛さではないですが。キャラクターとしてはいままでと全く違うので、しっかり演じ分けはできる役者さんのようです。このぱっと見た感じは全然違うけれど、よく考えると根本は一緒というのが、それは『エリジウム』と『第9地区』の関係にも似ていておもしろい。

エリジウムの最深部でのマックスとクルーガーの対決シーン、梅のような花吹雪と日本刀のような細身の刀で、なぜか和風になっていたのが気になった。背景も真っ白で作り物めいていて、序盤の地上の風景とは同じ映画とは思えない。
その場所にクルーガーが遠くから現れるシーンは、胸のあたりの二つのライトが光って、意識しているのかどうかはわかりませんが目のようになっていた。人外のものが現れたような恐怖感をあおる撮り方がうまい。


カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したこの作品、先行上映にて観てきました。
是枝監督といえば、テレビドラマ 『ゴーイング マイ ホーム』が記憶に新しい。テレビで毎週見られるのがすごく贅沢に思えるドラマに仕上がっていた。家族の面倒くささと優しさ、切っても切れない絆の深さがあたたかい視線で描かれていた。この作品も同じようなテイストです。是枝監督の家族ものはやっぱり最高。
『誰も知らない』のシリアス面と『歩いても 歩いても』の少し微笑ましい感じがうまく混ざっている。『奇跡』は観ていないですが、今回の作品とも通じる部分がありそうだし、近いうちに観たい。

同じ病院で産まれた子供が取り違えられていたことが六年後に発覚したことで生じる家族の困惑と葛藤。なんでそんなことが起こったの?という事件性を追及するのは最小限にとどめ、中心の人間とその家族の気持ちの変化をじっくりと描いている。

以下、ネタバレです。







たぶん話をわかりやすくするために極端にしているんだと思うけれど、取り違えられた二組の家族の残酷なまでの対比が映像で切り取られる。

野々宮家は福山雅治が演じる父親の良多が建設会社のエリート、都会のマンションの高層階に住んでいる。子供の慶多のお受験も成功し、順風満帆に見えるが、エリートゆえに仕事が忙しく、家のことはあまりかまっている時間が無さそう。
一方、リリー・フランキーが父親を演じる斉木家は地方都市の自営業の電気屋。客はブラジル人(多分)がちらっと来るくらいで、基本的に暇そう。ただ、時間はあって仕事場も家ということで、子供とは遊んであげられる。あまりお金も無さそうで、車も営業車の白いバン。

それぞれの家の車を俯瞰でとらえるシーンは、生活の違いを表していた。また、タイマーで写真を撮るシーンでもカメラを並べて置くけれど、野々宮家はCanonのデジイチ、斉木家は小さなコンデジだった。
そのシーンでの、それぞれの家族のポーズも全く違っていた。野々宮家は父親と母親の前に子供が立って、父親が子供の肩に手を置いて、まるで年賀状の家族写真のようなおすまし姿勢。対する斉木家は真っ直ぐ立ってもいない、変顔おちゃらけポーズ。

それだけ生活が違うと、当然子供たちもそれぞれの家族でまったく違う。
斉木家の琉晴は、ショッピングモールのフードコートで人数分のジュースを注文したときに、カウンターに出てきたジュースを奪うように持っていってしまう。テーブルまで我慢できない。また、飲み方もストローを平らになるまで噛む。しかし、父親である雄大のストローも同じように平らになっている。子供は親を見て育つというのが、この二本の平らになったストローの映像でわかる。また、別のシーンでは、斉木家の父親雄大は、病院名義の領収書を切るならと、家にいる 自分の親の分のカレーライスを持ち帰りで頼んだり、弁護士を交えての話し合いの場でも、空気を読まずに蟹を頼んでいたり。飲み物も最後にズズズと音を立てて飲んでいた。この辺を受け継いで、カウンターからジュースを持っていく子供に育ったというのがわかりやすい。

これだけ生活、育ち方が違うのだから、いざ、実はあなたが産んだ子供ではないので実の子と交換してくださいと言われても、そうそううまくはいかない。ただの六年間ではなく、産まれてからの六年間である。子供たちも急に変われと言われても、今日からは「斉木のおじさんがお父さんだ」と言われても対応できるはずもない。

今更そんなことを言われてもと思いながら、前の生活を続けるのが気持ち的には一番楽だろう。でも、血が繋がった子供が別の場所にいるし、その子供が育って親のことを知った時にどう思うだろう。

良多の育った家族についても少しだけ描写がある。深くは語られないが、どうやら、良多と弟の親も実の親ではないらしい(敬語を使っているから父親も両親とも違うのかと思ったら、父親とは血が繋がっていて、再婚したらしい。父親に敬語を使うのは『ゴーイング マイ ホーム』と同じ)。敬語で話すことからもわかるようにかなり反発しているようだったが、その父親に「血の繋がりが重要だ」と言われて、子供を交換し、実の子を育てようと決心する。

良多の育った家は決して金持ちには見えなかった。きっと良多は、父親に反発して、一人で死にものぐるいで働いて、高層マンションを買ったのだろう(よく見るとこのマンションも、周囲は下町のような古い街並で、ほとんど場違いな感じで綺麗なマンションが建っている。成り上がった限界が見える)。
そして、良多がほぼ恨んでいたような父親の意見に従ったということは、許したor和解したということなのかもしれない。いま血の繋がりが重要だと話すということは、父親からの謝罪ともとれる。
また、自分が血の繋がらない母親のことで苦労したので、自分の息子には同じ思いをさせたくなかったのだろう。お受験にしても、自分が苦労したから小さいうちからやらせようと思ったのだろうし、良多は良多で、自分が一番いいと思ったことを常に選択してきている。なのに、うまくいかない。

周囲では他にもいろいろなことが起こる。血の繋がらない母親との電話、そして、子供の交換した看護士とのエピソード。再婚したてで、相手の子供が懐かなくてむしゃくしゃして金持ちの家(ここでも良多の成り上がりが裏目に出ている)の赤ちゃんに恨みをぶつけた看護士。しかし、それから六年が経ち、その看護士の家の玄関先で良多と揉めていると、息子が助けに入る。この血の繋がっていない息子と母親のエピソード二つで、良多の心が揺れているようだった。

結局、良多は父親の意見に従って子供を交換することになる。斉木家に行った慶多はその物わかりのいい大人しい性格からか、向こうの家に馴染んでいるようだったが、琉晴はそうはいかない。良多もやんちゃな子供との接し方がわからず、頭ごなしに叱るから、仲良くなれない。琉晴は一人で元の家へと帰ってしまったりと散々。
それでも、少しずつ打ち解けていく。良多がインターネットでテントの立て方を調べていたり、部屋の外で撃ち合いの真似事と「次、お父さんね」という声が聞こえて来たときに、慌てて武器になりそうなものを探すシーンが印象的だった。いままでやったことのない、父親らしいことをしないと、この子とは仲良くなれない。そう、慶多の前では父親らしいことをしていなかったのだ。

良多は気づくのが遅すぎる。きっといままでは、自分に重ねすぎて、慶多の気持ちを考えていなかったのだろう。
Canon のデジイチも、慶多に渡してそれっきり。シャッター押せるなんて自分の子供はすごい、ということだけで満足していたのだろうか。どんな写真を撮っていたんだろうと中身を確認したのが、とっくに慶多を手放したあとだった。だから慶多は「このカメラ、あげるよ」と言われても断ったのだ。中に入っている自分が撮った写真を、お父さんに見てほしかったから。
そこには自分や妻の寝顔が映っていて、良多はやっと、本当の意味で慶多と同じ目線に立った。

自分の決断は間違っていたのだと、良多は慶多を迎えにいくが、慶多は家を飛び出してしまう。口ごたえもする。初めての反抗は、斉木家で学んだことかもしれない。
並木道を歩く慶多と平行した道を歩く良多。その道が一つに重なり、良多が慶多の頭に手を置くシーンがすごく良かった。『ゴーイング マイ ホーム』でも思ったけれど、木の緑やその光の撮り方がふわっとしていてまるで二人を守るように優しい(実際に撮影したのは違う方らしいです)。

他にも影が効果的で、良多の妻みどりと慶多が電車に乗っているシーンで、「このままどこかに行っちゃおうか?」「パパはー?」「パパはお仕事が忙しいから…」というやりとりをしたあとで、みどりの顔が影で隠れて表情が見えなくなる。でも、悲しい顔をしているのは確かだろうな、という想像がかきたてられる。

全体的に、セリフで説明しすぎてないので淡々として見えるのかもしれないけれど、映像をよく観ていると、いろいろとヒントがちりばめられている。映像が雄弁に語っている。それがどんな意図で撮られたのか、正しくはわからないけど、いろいろと感じとれた。登場人物ひとりひとりがそれぞれ考えていることがわかる。いくつかの家族が出てくるけれど、本当にそれぞれ。薄っぺらい人物がいない。

起きてしまったことはどうしようもない。許せないけれど、タイムマシンもないし、過去には戻れない。そりゃあ、最初からやり直すのがいいに決まっているけれど、そんなことはできない。
どちらにしても、問題は残るのだから、せめて、よりよい未来にしたい。
勿論、どちらの子供を育てるかという選択も重要だけれど、良多自身が変わらなければいけないのだ。少しの間でも、実の子である琉晴と暮らして、良多は成長した。それで、この映画のタイトルに繋がってくる。



福山雅治の演技はまあ普通な感じではあったけれど、周りが上手い人ばかりだったので仕方ない。役には合っていた。特に序盤のいけすかなさは良かった。
リリー・フランキーは、演技してるのか素なのかわからないいつものあの感じです。

樹木希林と風吹ジュンはとても良かった。人生のいろいろを越えてきて、少々のことでは悩まなそうな強さを感じた。菩薩のよう。
良多の弟役で高橋和也が出てた。彼はちょいちょい出てきますが、良い演技しますよね。元男闘呼組がこうなるとは。
あと、セリフはないですが、看護士の夫役でピエール瀧が出てた。この人もすっかりいい俳優になってる。同じように出番は少ないけど、井浦新は重要な役。彼の言葉でも良多はいろいろ考える。

夏八木勲さんは息子との間にわだかまりを残す厳格で頑固な父親という『ゴーイング マイ ホーム』とほぼ同じ役。考えてみれば、『ゴーイング マイ ホーム』と今作は問題は違うけれど、自分の父親を鑑みて、自分の子供との付き合いかたを考えつつ成長、という根本的なテーマは同じ。名前も同じ良多だった。
そうするともう、主人公阿部寛で良かったんじゃないの?とも思ってしまいますが、エリートのいけすかなさは福山雅治のほうが上だし、元々、福山が何かやりませんか?と持ちかけて是枝監督が当て書きしたらしい。

あとは、子役の二人ですよね。琉晴の子は演技ではないような感じだけど、今作でデビューらしい。慶多の子はいくつか出ているみたいだけど、少し表情が乏しくもあるのは演じているんだと思う。ちゃんとそれぞれの家の子に見えるのがすごい。
『ゴーイング マイ ホーム』の女の子も良かったし、まだ観てないけど『奇跡』のまえだまえだもいいらしい。他の配役も見事だけど、是枝監督は子役を見つけてくるのがうまい。そして、作品の中での生かし方もうまい。


2010年公開。寒さが厳しい地区の貧困層の話ということで『フローズン・リバー』と同じカナダ国境辺りの地域の話かと思っていたが、ミズーリ州らしい。合間とエンディングテーマにカントリーミュージックも使われている。アメリカの中では中部だけれど、この場所も夏は暑く冬は寒いという厳しい土地らしい。

クスリや犯罪が蔓延している閉鎖された村が舞台。17歳のリーは、父は逮捕され、母は病を煩い、小さな弟と妹の世話をして生活をしていかなくてはいけない。それなのに、父は保釈中に逃げ出して、家と森を担保にいれていると言う。裁判までに現れないと、家まで失うことになる。
そんな状態でも彼女には「どうしたらいいと思う?」と相談する相手もいなければ、助けてくれる人もいない。仕方なく自分で動けば、噂は広まって、ヘタに動くなと殴られる。八方ふさがり。終始いたたまれない。
金のために軍隊に入ろうとする面接のシーンで、断られはするけども、話してすっきりしたような顔をしていたのが印象的だった。

そんな中でも、ふてぶてしいまでに気丈に振る舞ってはいたけれど、ラスト付近の、殺されて池に沈められた父親の屍体の腕を持って引き上げるシーンではさすがに涙を流していたし、これ以上つらいことはないだろう。しかも、確かに死んでいると証明するために、それを持ち帰るため、腕をチェーンソーで切り取るのだ。

ジェニファー・ローレンスの演技がすごい。肝が据わったような強い光を持つ目と、挑戦的な顔をしたときの色気がいい。
なんとなく、一筋縄ではいかない役が多いのかもしれない。
ヤンキー的というか、育ちがあまりよくなさそうな役という点では『世界でひとつのプレイブック』と同じかも。

ジェニファー・ローレンスはこの作品でもアカデミー主演女優賞にノミネートされていましたが、“主演”女優賞なら、『世界にひとつの〜』よりこっちだろうと思います。

『BU・SU』


1987年公開。
金鳥ゴンの“亭主元気で留守がいい”や禁煙パイポの“私はコレで会社をやめました”などのCMを手がけた市川準監督。

10代の富田靖子がとても可愛い。一応アイドル映画なのだと思いますが、ほぼ笑わず喋らない。ブスっとしているからこのタイトルなのだと思う。ぽつりぽつりとしたセリフしかないので、ほとんど表情のみの演技なのですが、不思議な雰囲気があって良かった。

あと、その無表情さが日本舞踊を踊るにも似合っていた。白塗りで八百屋お七を舞うシーンも本当にお人形さんみたいで可愛い。

最初と最後のお母さんとのシーンだけトーンが違っていて、最後のシーンではやっとちゃんとした笑顔を見せるのですが、これらのシーンはクランクアップ後に撮ったとのこと。

撮影中も役作りのために、監督からは“富田靖子に話しかけるな”というお達しが出ていたらしい。いまの青春映画だと若い人たちで和気藹々とやったりするみたいですけどね、というインタビュアーの質問にそうゆう雰囲気は苦手だと答えていて、私の中での富田靖子の好感度が上がりました。


 2012年8月末、日本の各所でヒュー・ジャックマンが目撃されていたんですが、ついに公開されました。
なんだか思っていたよりもほのぼのというか、アクション映画というより本当に不思議の国NIPPON探訪みたいな雰囲気でしたが、そういえば『ウルヴァリン:SAMURAI』というタイトルが発表された時にそうなるんじゃないかっていう予感はあったことを思い出した(原題は『The Wolverine』)。

以下、ネタバレです。









日本が舞台とはいっても少し出てくるくらいかと思ったらほぼ日本だった。日本人の俳優さんも多く出演していて、半分くらいのセリフは日本語でした。英語が通じなくて困ってしまうというようなシーンも出てくるので、吹替え版で観たらその辺の可笑しさはよくわからないと思う。

ガイジンさんが日本に来て、異国の文化に戸惑いながらも次第に馴染んでいく話だった。バラエティーの旅番組っぽい。アクションはおまけです。
お葬式でお辞儀をさせられたり、嫌がるお風呂内で無理矢理体を洗われたり、新幹線のリクライニングを思いっきり倒して快適さを満喫してはしゃいでみたり、ラブホテルの仕組みがわからなかったり、ご飯にお箸を立ててはいけないと注意されたり。
そんなすったもんだは吹替で観たら面白さ半減な感じがするので字幕向けだと思う。

本当の日本文化と外国の方から見たおもしろ日本文化がまぜまぜで出てくるので、少しよくわからなくなってくる辺りは混乱する。大企業は警備にNINJAを雇ってるとか、本当かなと思ってしまう。
あと、序盤の真田広之のアクション剣道が本当にそんな技があるっぽく見える。このシーンとか、真田広之が監督とかに言われるがままやったのかと思うと少し可愛い。

真田広之、もっと出番が多いのかと思ったら案外少なくて残念だった。対決シーンも短いです。二刀流、恰好良かったのでもっと観たかったし、最後の敵にしてほしかった。真田広之は『最終目的地』がすごく良かったのでもっと観ていきたい。

いろんな場面で爆笑ではなくクスリと笑いが起こる映画ですが、サムライ型のロボ設計図が出てきた場面では失笑が怒っていた。けれど、これは原作にも出てくるらしいです。全体的にすごく漫画っぽい展開だけれど、映画の流れは自体はオリジナルらしい。シルバーサムライ(そんな名前だったのか)とか、マリコと結婚したり(結婚するのか)は原作漫画に出てくるのだとか。

調べていたら、日本国内での撮影スケジュールが出てきた。

“8月29日から9月2日は東京都港区の増上寺で撮影
9月3日は秋葉原万世橋横のパチンコビッグアップル秋葉原店と上野駅で撮影
9月4日は移動と福山駅で撮影
9月5日は広島県福山市鞆町の鞆港などで撮影
9月6日と7日は愛媛県今治市大三島町宮浦で撮影
9月8日と9日はオフ
9月10日と11日は鞆町内でロケで日本国内ロケ終了”

ということは、長崎では撮影してないですね。

ジェームズ・マンゴールド監督作品は『ナイト&デイ』を観たいと思いつつまだ観れていない。
あと、ローガン(ウルヴァリン)の昔の恋人ジーンが魔女っぽいなーと思ったら、ヘングレで魔女をやっていた人だった。その印象か。

それから、特にもうMARVEL作品では定番なので、みなさん席を立たないですが、エンドロールの途中でわりと長いおまけ映像が入ります。X−MENシリーズを観たくなる。


『The World's End』の邦題が決まりました。第6回したまちコメディ映画祭にて。先行上映で本公開は2014年春。エドガー・ライト監督、サイモン・ペグとニック・フロスト出演のいつものメンバーで、『ショーン・オブ・ザ・デッド』、『ホット・ファズ−俺たちスーパーポリスメン!−』に続く三部作の三作目とのこと。『ショーン・オブ・ザ・デッド』がゾンビ映画への憧れ、『ホット・ファズ』がポリスアクション映画への憧れ、そして、今作はSFになるのかな。
英国俳優満載でそれだけでも満足なのに、五人の学生時代の仲間でかつて果たすことができなかった夢であるパブ巡りをするという内容も楽しい。

以下、ネタバレです。











最初のシーン、輝かしい過去、若かりし日々を話すペグの老いっぷりがなかなかのものです。目の周りの皺と髭、そして、話している状況がアル中の更生施設?というのも笑えない。

若い頃は楽しかった。いまのこの状況は本当の俺じゃない。あの頃に戻りたい。
そんな気持ちがサイモン・ペグ演じるゲイリー・キングの原動力になっている。だから、自分が楽しかった時代の仲間たちを彼らの事情もかまわず集め、迷惑がられているのに気づいているのか気づいていないのか、とにかくはしゃぎまくる。周囲のみんなは大人になってしまって、自分だけが子供のまま。だけど、あの頃楽しかった気持ちはみんなも一緒だろ?と信じて疑わない。

私は彼らよりも少し年代が下だけど、ほぼ似たようなものだし、気持ちがすごくよくわかる。みんな仕事や家庭があると、遊んでくれなくなっちゃう。時が過ぎているんだし、当たり前のことだけど、さみしい。

また、使われている曲が90年代初頭の特にUKロックなのも、その頃青春を過ごした人たちには、より響く。本当に音楽って、聴いていたその頃のことを瞬時に思い出してしまう。
プライマル、ハピマン、The Stone Roses…。エンドロールに使われていて、ゲイリーもTシャツを着ていたThe Sisters Of Mercyは80年代後半と少し前だけれど、ゲイリーが学生時代に憧れていたということで、その頃流れていた音楽との時差があるのかな。

Pulp の『Do You Remember The First Time』は気づかなかった…けど、曲が曲だけに、あのあたりかな。Blurの『There's No Other Way』はゲイリーが最初に車で現れるときに大音量でかけてたけど、ちゃんと流れたのはイントロだけだった。Suedeの『So Young』は2コーラス目が飛ばされていたものの、最初から最後までまるまる使われていた。この曲の内容的に映画とも合っている。特にサビが“we're so young and so gone,(僕らは若すぎて歯止めがきかないから)”というわけでそのまんまですね。

ちなみに、ここで五人並んで歩いているときに、若者五人組とすれ違いますが、この五人って後で出てくる五人だったのかな。あと、最初か二軒目のパブからもうスクールディスコのポスターが貼ってあるんですが、このポスター、目の部分が光ってた? 単にメガネかもしれない。あと、パブの看板とその後の展開についても因果関係があったとかなかったとか。いろいろ確かめたいのでもう一度観たい。

パブを巡ってビールを飲みまくるので、とても喉が乾きます。タップから注がれるさまが上から撮影されていてうまそう。また、水を注文したメンバーがいて、ビールを四杯注いだあとに同じアングルで五杯目に水を注ぐというのはよくオチがついたコントっぽい撮り方。今回に限ったことではないけれど、テンポがいいです。

特に前半、ゲイリーが上機嫌でペラペラ話す様子は聞き取ろうとすると早口で大変。でも、それが映像に独特の勢いを与えている。ただ、本当にだいぶ忙しないので、ソフト化されたらじっくりと見直して観てみたい。

三部作とも、大量の敵が襲って来て、立てこもって戦うというあたりは構成が同じです。一つ違うのは、今回はボケがサイモン・ペグでつっこみがニック・フロストというところでしょうか。今回はニック・フロストが巻き込まれる側です。
しかし、最初こそ静かな語り口で落ち着いていたけれど、次第に壊れてはくる。ロボットとの最初の対戦のときにエルボー・ドロップを炸裂させたときには、会場内から拍手が起こっていた。あと、ショットグラスを飲み干すシーンでも拍手。
ただ、いつもよりは悪ふざけがないです。あくまでも、ペグがボケでした。

途中から散り散りになってしまいますが、学生時代の仲良し五人組は大人になってもやっぱり仲良しに見えた。本人たちはどう思っているかわからないけど、私にはそう見えました。一緒にはしごしたくなった。
演じた他の三人は、パティ・コンシダイン、マーティン・フリーマン、エディ・マーサン。
パティ・コンシダインという人はよく知らなかったんですが、『ボーン・アルティメイタム』のサイモン・ロス役と言われると、なんとなくそうだったかな、というくらいですみません。『ホット・ファズ』にも出ていたようです。
マーティン・フリーマンは最近だと『SHERLOCK』ですっかりお馴染み。『ホビット』でも『銀河ヒッチハイク・ガイド』でもそうでしたが、事件に巻き込まれる役が多い。今回も巻き込まれた。『ホット・ファズ』にも出ていたようです(憶えてない…)。
エディ・マーサンは顔が特徴的なせいか、ちょくちょく見かけるあの人ね、という感じ。個人的には『アリス・クリードの失踪』が印象に残ってます。

エンドロールを観ていて、ビル・ナイの名前があって、出てたかな?と思ったらネットワークの声でした。ピアーズ・ブロスナン然り、ベテラン英国俳優もちゃんと出ています。

ストーリーは結局は世界を救えてないんですよね。だから、邦題のサブタイトルの最後は“!”ではなく“?”にしたほうがいいんじゃないかと思う。
でも、頭半分割れていても不動産業が営めるくらいだから平和なのかな。あと、滅んだ未来だと、なんでみんなフードみたいなのかぶっているのか気になる。元ネタはあるんでしょうか。『クラウド・アトラス』でも同じ恰好してた。

最後の最後、水を注文するシーンは、観終わったあとにはどうかなーと思ってしまったけれど、いまとなってはあれで良かったと思う。お酒を飲んで楽しくやっていてほしい、という気持ちはあるけれど、病人ですからね。それに、その少し前、壊れていく世界を見ながら親友アンディに肩を抱かれて弱音を吐くシーンがいいんですよね。今回はニック・フロストの役のほうが大人でもある。それで、最後にビール頼んでたらだめでしょう。水でも、相変わらず大暴れしてるみたいだし、あれでいいんだ。あれ以上のラストはないです。


今回、したコメで観たのでトークショーも付いていたんですが、イギリスの文化について少し補足があった。
一つ驚いたのは、トイレにすぐに行ったら、酒が弱いとみなされるらしいです。なので、マーティン演じるオリバーは何軒目かの移動中に「そろそろトイレ行ってもいいかな?」とわざわざ仲間に断り、ゲイリーは「昔より酒に強くなったな」というようなことを言う。

あと、オリバーが序盤で連呼している「WTF!」は「What The Fuck!」の略で、Fワードが言い難いのでこうなっているらしい。「なんてこった!」みたいな意味みたいなので、「OMG!」とも近いのかもしれない。