『そして父になる』


カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したこの作品、先行上映にて観てきました。
是枝監督といえば、テレビドラマ 『ゴーイング マイ ホーム』が記憶に新しい。テレビで毎週見られるのがすごく贅沢に思えるドラマに仕上がっていた。家族の面倒くささと優しさ、切っても切れない絆の深さがあたたかい視線で描かれていた。この作品も同じようなテイストです。是枝監督の家族ものはやっぱり最高。
『誰も知らない』のシリアス面と『歩いても 歩いても』の少し微笑ましい感じがうまく混ざっている。『奇跡』は観ていないですが、今回の作品とも通じる部分がありそうだし、近いうちに観たい。

同じ病院で産まれた子供が取り違えられていたことが六年後に発覚したことで生じる家族の困惑と葛藤。なんでそんなことが起こったの?という事件性を追及するのは最小限にとどめ、中心の人間とその家族の気持ちの変化をじっくりと描いている。

以下、ネタバレです。







たぶん話をわかりやすくするために極端にしているんだと思うけれど、取り違えられた二組の家族の残酷なまでの対比が映像で切り取られる。

野々宮家は福山雅治が演じる父親の良多が建設会社のエリート、都会のマンションの高層階に住んでいる。子供の慶多のお受験も成功し、順風満帆に見えるが、エリートゆえに仕事が忙しく、家のことはあまりかまっている時間が無さそう。
一方、リリー・フランキーが父親を演じる斉木家は地方都市の自営業の電気屋。客はブラジル人(多分)がちらっと来るくらいで、基本的に暇そう。ただ、時間はあって仕事場も家ということで、子供とは遊んであげられる。あまりお金も無さそうで、車も営業車の白いバン。

それぞれの家の車を俯瞰でとらえるシーンは、生活の違いを表していた。また、タイマーで写真を撮るシーンでもカメラを並べて置くけれど、野々宮家はCanonのデジイチ、斉木家は小さなコンデジだった。
そのシーンでの、それぞれの家族のポーズも全く違っていた。野々宮家は父親と母親の前に子供が立って、父親が子供の肩に手を置いて、まるで年賀状の家族写真のようなおすまし姿勢。対する斉木家は真っ直ぐ立ってもいない、変顔おちゃらけポーズ。

それだけ生活が違うと、当然子供たちもそれぞれの家族でまったく違う。
斉木家の琉晴は、ショッピングモールのフードコートで人数分のジュースを注文したときに、カウンターに出てきたジュースを奪うように持っていってしまう。テーブルまで我慢できない。また、飲み方もストローを平らになるまで噛む。しかし、父親である雄大のストローも同じように平らになっている。子供は親を見て育つというのが、この二本の平らになったストローの映像でわかる。また、別のシーンでは、斉木家の父親雄大は、病院名義の領収書を切るならと、家にいる 自分の親の分のカレーライスを持ち帰りで頼んだり、弁護士を交えての話し合いの場でも、空気を読まずに蟹を頼んでいたり。飲み物も最後にズズズと音を立てて飲んでいた。この辺を受け継いで、カウンターからジュースを持っていく子供に育ったというのがわかりやすい。

これだけ生活、育ち方が違うのだから、いざ、実はあなたが産んだ子供ではないので実の子と交換してくださいと言われても、そうそううまくはいかない。ただの六年間ではなく、産まれてからの六年間である。子供たちも急に変われと言われても、今日からは「斉木のおじさんがお父さんだ」と言われても対応できるはずもない。

今更そんなことを言われてもと思いながら、前の生活を続けるのが気持ち的には一番楽だろう。でも、血が繋がった子供が別の場所にいるし、その子供が育って親のことを知った時にどう思うだろう。

良多の育った家族についても少しだけ描写がある。深くは語られないが、どうやら、良多と弟の親も実の親ではないらしい(敬語を使っているから父親も両親とも違うのかと思ったら、父親とは血が繋がっていて、再婚したらしい。父親に敬語を使うのは『ゴーイング マイ ホーム』と同じ)。敬語で話すことからもわかるようにかなり反発しているようだったが、その父親に「血の繋がりが重要だ」と言われて、子供を交換し、実の子を育てようと決心する。

良多の育った家は決して金持ちには見えなかった。きっと良多は、父親に反発して、一人で死にものぐるいで働いて、高層マンションを買ったのだろう(よく見るとこのマンションも、周囲は下町のような古い街並で、ほとんど場違いな感じで綺麗なマンションが建っている。成り上がった限界が見える)。
そして、良多がほぼ恨んでいたような父親の意見に従ったということは、許したor和解したということなのかもしれない。いま血の繋がりが重要だと話すということは、父親からの謝罪ともとれる。
また、自分が血の繋がらない母親のことで苦労したので、自分の息子には同じ思いをさせたくなかったのだろう。お受験にしても、自分が苦労したから小さいうちからやらせようと思ったのだろうし、良多は良多で、自分が一番いいと思ったことを常に選択してきている。なのに、うまくいかない。

周囲では他にもいろいろなことが起こる。血の繋がらない母親との電話、そして、子供の交換した看護士とのエピソード。再婚したてで、相手の子供が懐かなくてむしゃくしゃして金持ちの家(ここでも良多の成り上がりが裏目に出ている)の赤ちゃんに恨みをぶつけた看護士。しかし、それから六年が経ち、その看護士の家の玄関先で良多と揉めていると、息子が助けに入る。この血の繋がっていない息子と母親のエピソード二つで、良多の心が揺れているようだった。

結局、良多は父親の意見に従って子供を交換することになる。斉木家に行った慶多はその物わかりのいい大人しい性格からか、向こうの家に馴染んでいるようだったが、琉晴はそうはいかない。良多もやんちゃな子供との接し方がわからず、頭ごなしに叱るから、仲良くなれない。琉晴は一人で元の家へと帰ってしまったりと散々。
それでも、少しずつ打ち解けていく。良多がインターネットでテントの立て方を調べていたり、部屋の外で撃ち合いの真似事と「次、お父さんね」という声が聞こえて来たときに、慌てて武器になりそうなものを探すシーンが印象的だった。いままでやったことのない、父親らしいことをしないと、この子とは仲良くなれない。そう、慶多の前では父親らしいことをしていなかったのだ。

良多は気づくのが遅すぎる。きっといままでは、自分に重ねすぎて、慶多の気持ちを考えていなかったのだろう。
Canon のデジイチも、慶多に渡してそれっきり。シャッター押せるなんて自分の子供はすごい、ということだけで満足していたのだろうか。どんな写真を撮っていたんだろうと中身を確認したのが、とっくに慶多を手放したあとだった。だから慶多は「このカメラ、あげるよ」と言われても断ったのだ。中に入っている自分が撮った写真を、お父さんに見てほしかったから。
そこには自分や妻の寝顔が映っていて、良多はやっと、本当の意味で慶多と同じ目線に立った。

自分の決断は間違っていたのだと、良多は慶多を迎えにいくが、慶多は家を飛び出してしまう。口ごたえもする。初めての反抗は、斉木家で学んだことかもしれない。
並木道を歩く慶多と平行した道を歩く良多。その道が一つに重なり、良多が慶多の頭に手を置くシーンがすごく良かった。『ゴーイング マイ ホーム』でも思ったけれど、木の緑やその光の撮り方がふわっとしていてまるで二人を守るように優しい(実際に撮影したのは違う方らしいです)。

他にも影が効果的で、良多の妻みどりと慶多が電車に乗っているシーンで、「このままどこかに行っちゃおうか?」「パパはー?」「パパはお仕事が忙しいから…」というやりとりをしたあとで、みどりの顔が影で隠れて表情が見えなくなる。でも、悲しい顔をしているのは確かだろうな、という想像がかきたてられる。

全体的に、セリフで説明しすぎてないので淡々として見えるのかもしれないけれど、映像をよく観ていると、いろいろとヒントがちりばめられている。映像が雄弁に語っている。それがどんな意図で撮られたのか、正しくはわからないけど、いろいろと感じとれた。登場人物ひとりひとりがそれぞれ考えていることがわかる。いくつかの家族が出てくるけれど、本当にそれぞれ。薄っぺらい人物がいない。

起きてしまったことはどうしようもない。許せないけれど、タイムマシンもないし、過去には戻れない。そりゃあ、最初からやり直すのがいいに決まっているけれど、そんなことはできない。
どちらにしても、問題は残るのだから、せめて、よりよい未来にしたい。
勿論、どちらの子供を育てるかという選択も重要だけれど、良多自身が変わらなければいけないのだ。少しの間でも、実の子である琉晴と暮らして、良多は成長した。それで、この映画のタイトルに繋がってくる。



福山雅治の演技はまあ普通な感じではあったけれど、周りが上手い人ばかりだったので仕方ない。役には合っていた。特に序盤のいけすかなさは良かった。
リリー・フランキーは、演技してるのか素なのかわからないいつものあの感じです。

樹木希林と風吹ジュンはとても良かった。人生のいろいろを越えてきて、少々のことでは悩まなそうな強さを感じた。菩薩のよう。
良多の弟役で高橋和也が出てた。彼はちょいちょい出てきますが、良い演技しますよね。元男闘呼組がこうなるとは。
あと、セリフはないですが、看護士の夫役でピエール瀧が出てた。この人もすっかりいい俳優になってる。同じように出番は少ないけど、井浦新は重要な役。彼の言葉でも良多はいろいろ考える。

夏八木勲さんは息子との間にわだかまりを残す厳格で頑固な父親という『ゴーイング マイ ホーム』とほぼ同じ役。考えてみれば、『ゴーイング マイ ホーム』と今作は問題は違うけれど、自分の父親を鑑みて、自分の子供との付き合いかたを考えつつ成長、という根本的なテーマは同じ。名前も同じ良多だった。
そうするともう、主人公阿部寛で良かったんじゃないの?とも思ってしまいますが、エリートのいけすかなさは福山雅治のほうが上だし、元々、福山が何かやりませんか?と持ちかけて是枝監督が当て書きしたらしい。

あとは、子役の二人ですよね。琉晴の子は演技ではないような感じだけど、今作でデビューらしい。慶多の子はいくつか出ているみたいだけど、少し表情が乏しくもあるのは演じているんだと思う。ちゃんとそれぞれの家の子に見えるのがすごい。
『ゴーイング マイ ホーム』の女の子も良かったし、まだ観てないけど『奇跡』のまえだまえだもいいらしい。他の配役も見事だけど、是枝監督は子役を見つけてくるのがうまい。そして、作品の中での生かし方もうまい。

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