『シカゴ』


2002年公開。日本では2003年。アカデミー賞もとった有名ミュージカル映画ですが観てなかったので観ました。

内容も知らなかったので、パッケージの三人は敏腕マネージャー(リチャード・ギア)と、人気ダンサー(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)と、人気ダンサーにいじめられる新人ダンサー(レネー・ゼルウィガー)かと思ったし、舞台はキャバレーかナイトクラブだと思ってたし、ショービジネスがテーマだと思っていた。

そのため、レネー・ゼルウィガー演じるロキシーが、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ演じるヴェルマの舞台を憧れをもって見ていて、きっとこの先、この子も舞台に立って、ヴェルマにいじめられながらも、敏腕マネージャーの力添えなどでのし上がり、最後には恋仲になるかなんかして、恋も仕事もうまくいった!みたいな話なんだろうなと思いながら観ていたら、序盤でロキシーが不倫相手を銃で撃ち殺したので驚いた。
おまけに人のいい夫(ジョン・C・ライリー)を騙して罪を逃れようとするなど、ロキシーはずる賢い人物だった。もっと夢にあふれた純粋な女の子なのかと思っていた。

結局、かなり序盤に刑務所に入れられ、ヴェルマとも刑務所で会う。敏腕マネージャーだと思ってたリチャード・ギアも弁護士で、しかもやり手ではあるけど金に汚く、誰とも恋仲になどならない。

弁護士だけでなく、ロキシーもヴェルマも、登場人物が全員したたか。いい人はロキシーの夫だけだった。

すごく広い意味で見たらショービジネス界が舞台だけれど、この映画自体はほぼ刑務所内が舞台である。でも、女性刑務所内の上下関係やのし上がり方はショービジネス界と瓜二つ。
また、いくら世間が注目していても、よりセンセーショナルな話題を持つほう(猟奇殺人を犯したほう)にどんどん人気が移っていくさまも同じである。
この対比が妙でおもしろかった。

また、刑務所内だともちろん景色も地味、服装も地味なのですが、ミュージカルシーンだけはナイトクラブ仕様に変わる。通常シーンのまま急に歌い出すタイプのミュージカルではなかった。囚人たちも弁護士も、煌びやかな衣装に身を包み、舞台もギラギラ豪華になっていた。

女囚人6人がそれぞれの投獄の理由を歌に乗せるのも恰好良かった。殺人シーンもパントマイムのようで、怖くない。血も赤いスカーフ。

ロキシーと弁護士の腹話術の歌が特に好きでした。ロキシーは人形に扮しているのでメイクが過剰。後ろで記者たちが操り人形になってるのも可愛い。

レネー・ゼルウィガーがキュートだった。ブロンドにパーマで、まるでマリリン・モンローのよう。ずる賢いけど憎めない。カールの大きさで印象が変わるのもかわいかった。
歌もダンスもうまかったけれど、この映画まで経験がなかったらしいのがすごい。演技もできれば歌って踊れる。

キャサリン・ゼタ=ジョーンズはさすがに歌もダンスも素晴らしく、迫力があった。
この二人は劇中でも嫌いあっているし、ずっと刑務所にいるし、最初に想像していた通りには競演することはないと思ったが、一番最後で二人揃った。見応えがありました。

リチャード・ギアはいままであんまり好きではなかったけれど、詐欺師まがいの役がよく似合っていた。“素敵な笑顔”が胡散臭く見える。
歌は上手すぎず下手すぎずといった感じでした。タップダンスはご本人らしいけど、かっこよかった。


2002年にBBCで放送された二時間弱のドラマ。ジョン・シムとの共演も多いマーク・ウォーレンがゲイ役だということで観ました。字幕が無い中で観たので完全には理解しきれていません。

主人公ティムが恋するのが教授だったので、学校内でのいざこざなのかと思ったら、早々に学校外の話になっていた。
恋に落ちる話が好きで、最初の方のエレベーターの中まで追いかけて行って、なんとなく二人は意識し合っているけれど、でも人が乗って来てしまう。ついにその人が降りて二人っきりになり…というシーンは良かったけれど、その先の進展は早かった。

そして、ティムが愛想をつかすのも早い。
“運命の出会い”(というようなことを本人は言っている)をして、教授を捨て、既婚の女性イサベルを好きになってしまう。
これはもしかして、ラブストーリーではなく、サスペンスなのかなという話の流れになっていく。

主人公に感情移入しながら観たらまた違ったかもしれないけれど、私はどうもティムの身勝手な行動が許せなかった。振り回される教授が可哀想でしかたがなかった。教授役がマーク・ウォーレンだったので余計に教授贔屓で観てしまったのかもしれない。最初の方ではクールな教授が取り乱して涙を流したりする。
マーク・ウォーレンはいままで観た出演作ではわりとすっとぼけた役というか、適当に飄々と渡り歩く役が多い印象だった。今作ではとても恰好良いです。

ティム役のリー・ウィリアムスは元モデルらしく、美しく整った顔をしている。最初は顔だけかなと思ったんですが、演技もうまい。登場した頃のなんの憂いもない学生と、様々な出会いをして、巻き込まれている表情がまったく違う。なんとなく『アデル、ブルーは熱い色』の主人公アデルの最初と最後の豹変っぷりを思い出した。

特にラスト付近の少年合唱団時代の先輩とのシーンの表情はぞくぞくした。もう過去のことは忘れ、とっくに結婚をした先輩が出来心でティムの手に触れようとすると、ティムがそれに気づいて、先輩を見るんですね。おそらく初恋の相手なのだと思う。ちらっと見ただけなのかもしれないけれど、なにすんの?と怒っているような、でも少し誘惑しているような、視線が意味を持ってしまう。その後の涙目で縋るように見上げた表情も、これは気持ちが揺らいでもしかたがないと思えるものだった。

そして最後、イサベルがティムの家に訪ねてくる。ティムは喜びながら玄関へ駆けて行くんですが、これまで起こったことが心をかすめたのか、扉を開けられない。おそらくここで、教授のことを思い出していると思うんですが、自分だけが窓の外にある良いものに触れて幸せになる資格はないと考えたのではないかと思う。
扉の脇に座り込んで、扉の窓から差し込む光に手を伸ばしている姿は、まるで宗教画のように神々しくも見えた。美しいけれど、とても悲しい。
タイトルである“No Night Is Too Long”はリヒャルト・シュトラウスのオペラ『薔薇の騎士』の一節らしいのですが、このラストでもそれが流れているため、より宗教画っぽく見えたのかもしれない。

この、窓の外にあるあたたかい世界は汚れた自分には触れる資格がないものだ、というようなものは『フィルス』のラストにも通じると思った。あれは間に合わなかったのだけれど、結局ブルースは窓の外の光には触れられなかったという点では同じ。

原作小説のラストでは、ティムとイサベルが復縁するようなラストらしいですが、映画版の懺悔すら感じるラストの方が好きです。
それに、ここでイサベルについていってしまったら、ティムにはなんの成長もない。身勝手な若者のままだと思う。このドラマのような、イサベルをあえて拒絶するラストならば、ティムの成長物語の側面も見える。

マーク・ウォーレンも良かったのですが、やはり、リー・ウィリアムスの美貌なくしてはできないドラマだったと思う。
リー・ウィリアムスの他の出演作も観てみたい。

調べていたら、Suedeの『Trash』のPVにも出ているそうで見てみたけれど、たぶん一瞬映る白い服だと思うけれど、はっきりとはわからない。アルバム『Coming Up』のジャケットの人物もリー・ウィリアムスらしい。『Coming Up』、発売日には買っているので、1996年の時点でリー・ウィリアムスの姿を見ていたというのは何か不思議な感じ。

公開前ですが、オンライン試写会が当選したので観ました。最初と最後に少し野外のシーンがあるけれど、ほとんど飛行機内の出来事で映画が構成されている。『アイム・ソー・エキサイテッド!』と同じ構成ですね。内容はもちろん違っていて、こちらは閉鎖空間を生かした謎解きアクションです。

以下、ネタバレです。






オンライン試写会ですが、犯人が出る少し前に映像が終わって、犯人を予想して投稿、その後続きが視聴できるという企画のものだったのですが、難しく考え過ぎてしまったというか、願望が出てしまった。
女性陣のキャストが豪華だったので、彼女らになにかしらの過去があって犯行におよんだのかと思ってしまった。

職業を明かさない、何故か窓際に座りたがるなど、謎の部分を持った乗客を演じたのがジュリアン・ムーア。主人公がアルコール中毒だというのは映画半ばで明かされるんですが、それを最初から知っていた様子のCA役にミシェル・ドッカリー。理由までは予想していなかったけれど、この二人の共犯かと思った。それか、どちらかが犯人で、どちらかが主人公と最後に恋仲になる。
観てるときには気づいていなかったんですが、もう一人のCA役はルピタ・ニョンゴだったらしく、知っていたら三人の共犯を疑ったかもしれない。

実は、一番最初は主人公を疑っていた。犯人が指定した20分後に殺してしまうのは彼だし、外側から追いつめられるようにして、気づいたらハイジャック犯のようになっている。おまけにアルコール中毒。
目に見えない犯人からのメールとやりとりをしているけれど、本当にそんな人物が存在するのか。二重人格とまではいかないにしても、一人でやっていることではないのか…。
このような精神的に不安定なリーアム・ニーソンを望んでしまうのは、たぶん『サード・パーソン』の影響だと思うんですが、もしかして…と序盤は思っていた。

しかし、結局、犯人はそれほど意外な人物でもなかったし、殺し方もあまり明らかにされなかった。
私は『96時間』などを観ていないため、あまりイメージではなかったんですが、そういえばリーアム・ニーソンはアクション俳優でもあるんですよね。おそらくこの映画は、謎解きというより、アクションに比重を置いた映画なのではないかと思う。

リーアム・ニーソンの繊細さ、不安定さはいかされていたと思うけれど、女性陣のキャストの豪華さがいかされていないのは残念。登場人物が多い作品なので仕方がないけれど、それぞれの演技は良かったので、もっと出番が多いと良かった。せっかくなので、もっと人物描写が見たかった。それか、誰かが、もしくは全員が犯人で、後半に豹変してほしかった。

閉じられた空間の中で、Wi-Fiを使ってのメール送受信で犯人とやりとりをしつつ、一人一人が殺されて行くというのは面白かった。まるで、アガサ・クリスティの作品のよう。そのため、肝心の謎解きにもっとひねりがあると良かったのにと思う。犯人がわかってからが盛り上がりに乏しいのがもったいなかった。

2004年のドイツ映画。日本で劇場公開されたのかどうかは不明。ドイツのナチス党員を育成するための士官学校、ナポラが舞台になっている。
映画の最後に、少しテロップが出て知ったんですが、このナポラという施設は本当にあったものらしい。けれど、映画のストーリーは実話ではないと思う。

ナチス政権下のドイツが舞台になっているし、一応戦争ものだと思う。もちろんテーマとしてあるのは、少年たちを戦闘要員として教育していく施設などあってはならないというものだと思う。しかし、銃を撃ち合ったりする戦闘シーンのようなものはそれほどなく、どちらかというと青春ものとして描かれている。

主人公のフリードリヒは工場に勤めながらボクシングをしていて、その試合の結果により、ナポラにスカウトされる。このままでは未来がないけれど、ナポラに行けば…と夢を抱いて、親の反対を押し切り、ナポラに入るところから話が始まる。

ドイツの少年がたくさん出て来るのは『コッホ先生と僕らの革命』に似ている。『コッホ先生〜』が1874年、『〜ナポラ』が1942年なので、時代はこちらの方が少し後だけれど、工場の家の子が学校に入って、自分の力で未来を切り開こうとするのが同じなのと、父親が強くて、子供が逆らえないのも同じ。これはドイツ独特のものなのかな。

『コッホ先生〜』でも、いろいろなタイプの少年が出てきたのですが、この映画もその面でも楽しい。あの映画のドイツ少年たちも美しかったですが、この映画の場合は軍服を着ているので更に美しいです。

主人公のフリードリヒを演じているのはマックス・リーメルト。ボクシングでスカウトされているため、体は少し筋肉質で、ブロンド。

同室の室長みたいな子は、目が大きく、誰が見てもモテそうな風貌。Jonas Jägermeyrという役者さんが演じている。
あと、肉屋の息子役で出てきた子にすごく見覚えがあったんですが、この前観た『素粒子』でブルーノの若い頃の役を演じていた子だった。Thomas Drechsel。『素粒子』では演技がうまいと思ったけれど、今回は演技らしい演技はしていない。
『素粒子』で若い頃のミヒャエルを演じていたのがトム・シリングだったんですが、この映画ではガウライター(ナチス党地区指導者。知事と字幕ではなっていたけれど、誤訳らしい)の息子でコネでナポラに入ったアルブレヒト役。
アルブレヒトはフリードリヒと違って、別にナポラに憧れもなく、親に入れられたからしぶしぶいるという感じなんですね。そのせいか、他の子よりも体が小さく細い。とても軍隊に入れる雰囲気ではない。詩が好きで、感情豊かで繊細。無抵抗の兵士を撃った自分たちを“悪”と評し、それでも親の力か除名にはならないために、自ら命を絶つ。
一応、フリードリヒが主役だとは思うのですが、見せ場はアルブレヒトのほうが多かった。ナポラの中で一際異質で、目を引く行動をするのは彼だけだった。

フリードリヒは最初は能天気とも言える雰囲気で、ナポラに入った当初は軍服を着て、右手をびしっと挙げる挨拶のポーズを鏡の前でしてはしゃいでいた。そんな彼が、映画後半のアルブレヒトの死によって考え、ボクシングの試合を放棄し、ナポラを追放される。
観客にフリードリヒの目を通してナポラを見せ、アルブレヒトを見せているような作りだと思った。観客もフリードリヒと同じように気持ちが動く。ボクシングは強いけれど、変わったことはしない普通の人物なので感情移入しやすい。よくできた主人公だと思う。

今回もトム・シリング目当て。10年前のトム・シリングは体が小さいせいか、声変わりもまだしてないくらい少年のあどけなさがある。けれど、悩み、考える様もいいし、びしっとした軍服もよく似合う。今回はジェームズ・マカヴォイにはあまり似ていなかった。



原題は“SUNSHINE ON LEITH”。タイトル通り、スコットランドの映画。
監督は『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』のソープ役(主人公四人組の一人)のデクスター・フレッチャー。
『トレイン・スポッティング』のスタッフらしいのも、さすがスコットランド。

以下、ネタバレです。








ミュージカル映画なんですが、途中までオリジナルスコアなのかと思って観ていたら最後に使われていたのが“I'm gonna be”だった。じゃあすべて既存の曲だったのかなと思ったら、すべてがプロクレイマーズの楽曲で、原題の“SUNSHINE ON LEITH”も1988年にリリースされたアルバムのタイトルとのこと。
この映画自体がもともとは2007年にスコットランドで上演されたミュージカルで、脚本家の方が、国民的バンドであるプロクレイマーズの楽曲を使ったミュージカルを作りたいということで始まった企画らしい。バンドありきだった。

公式サイトなどには、ハッピーになれる!とか、スコットランド版『マンマ・ミーア!』とか書いてあるけれど、あのような突き抜けたハッピーさはない。大体、 『マンマ・ミーア!』は舞台がエーゲ海で、美しい海や島という舞台もあの映画のいい意味での脳天気なハッピーさを作り出していたと思うけれど、今作は舞台 がスコットランドである。リース、エジンバラ、グラスゴーである。そこからしてまず違う。

そしてオープニングも、イギリス兵がいつ死ぬかわからないという状況の中で、友人が地雷に当たるシーンなのだ。

家族とそれを取り巻く人々の群像劇のようになっていて、誰か一人が主人公というより、それぞれの気持ちがよくわかるような作りになっている。
誰もがハッピーになるわけではなくて、でも、それぞれの考えもわかるし、かみ合わないのもよくわかる。
だから、少しほろ苦い結末になってしまっても、アンハッピーエンドというわけではなくて、あたたかい気持ちになる。

『マンマ・ミーア!』のようにスコーンと爽快で楽しいというわけではないけれど、これはこれでとても好きです。

スコットランドの街並みが美しい。建物が古そうなのと、自然が残っていそうなところがいいです。都会と田舎の間のような感じがする。行ってみたい。

この映画、ミュージカルではあるんですが、歌が自然というか、ミュージカル映画にありがちな仰々しさがないのがいい。
出てくる役者さんが全員、すごく歌や踊りがすごくうまい!ってわけじゃないんですね。中にはうまい方もいるので、差がはっきりわかってしまったり。デイヴィーとイヴォンヌのシーンでは、イヴォンヌのうまさが目立ってた。でも、その慣れてない雰囲気が良くもあった。

デイヴィー役のジョージ・マッケイはイギリスっぽい顔立ちというか、サッカー選手っぽい顔立ちというか、気になりました。他の出演作も観たい。
去年末に発表されたBAFTAスコットランド・アワード2013を席巻した『For Those in Peril』という作品で主演らしい。日本で公開されるかわからないし、公開されたとしてもおそらくこのタイトルではないと思うので、見逃さないようにしたい。

また、アリー役のケヴィン・ガスリーはジェームズ・マカヴォイの『マクベス』に出演していたらしい。去年、私はこの舞台を観たので、知らぬ間に目にしていた。
ロブ役のピーター・ミュランも味のある歌声でした。うまいというわけではないけれどいい声。
歌のシーンはなかったけれど、イギリス兵役で『天使の分け前』の主演のポール・ブラニガンも出ていた。

ミュージカル映画で、脇役が急に歌い出すのが好きなんですが、ジーンが働いているミュージアム(ナショナルギャラリー?)の支配人が歌い踊り出すシーンが楽しかった。優しい同僚たちも一緒に歌う。場所がミュージアム内なのも楽しい。

アメリカでは2011年公開。日本ではおそらくDVDスルー。
まったく調べずに観ていたんですが、若い無名監督だと思っていたら、『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』のウィリアム・フリードキン監督だった。78歳。
後半にエロ鬼畜というか、少し過激なシーンが入るため、まさか、78歳の方が監督とは思わなかった。
もともとは、原題である『Killer Joe』と同名タイトルの舞台劇が原作らしい。

少し変わった話で、観ながらも、気持ちの持って行き方がよくわからなかった。
エミール・ハーシュ演じるクリスが自分の母親を保険金目的で殺そうと、マシュー・マコノヒー演じる殺し屋のジョーを雇う。
ジョーは警察官でもあるようだったので、実は事件の捜査をしていて、最後に警察官としての本領を発揮するのかと思ったらしなかった。
ジョーは、劇中でも“死んだ目をしている”と言われているんですが、何を考えているかわからない怖い人物。なんとなく、最後に正義感を発揮して安心させてもらいたかったのかもしれない。
しかし、最後まで怖いまま、むしろ、最後の方になるにつれて、怖い方に本領を発揮していた。

その怖い男を演じるマシュー・マコノヒーの演技が良かった。
ジュノー・テンプル演じるクリスの妹、ドティーがとても可愛いのですが、彼女を“担保”としてもらったときの部屋での様子も素晴らしかった。
怖い男なので、暴力的にどうにかするのかと思ったら、好きになった相手にはとても優しい。それでいて、きっちり手は出すし、そのシーンのセクシーさも良かった。

けれどやはり、最後の継母を殴るあたりからの鬼畜演技がすごかった。女性の顔面にパンチを入れて、血だらけの顔面のまま、男根に見立てたフライドチキンをしゃぶらせる、やりすぎともいえる描写。各国でR指定になっているみたいだけど、おそらくこのせいだと思う。

この映画に限らず、なんとなく、主人公はまともであってほしいとどこかしらで思いながら映画を観ているようで、ジョーが怖く、クリスも情けない以上、もう誰を心の拠りどころというか、共感どころにしていいかわからない。それで、気持ちの持って行き方がわからなくなってしまったのだと思う。

去年ロンドンへ行った時に見損ねた舞台がありがたいことに来日公演をしてくれたので観てきました。

2011年公開の映画版は観賞済み。スピルバーグ監督も舞台版を観て映画化することに決めたらしい。もともとはイギリスの児童文学が原作。

映画を観ていたのでストーリーはわかっていたんですが、とにかくパペットの馬の動きが繊細で、本当に生きている馬がステージ上にいるかのようだった。

登場のオークションのシーンでは仔馬で小さい。それでも、耳が細かく動いていたり、人間に怯える様子もわかる。
そして、「ジョーイ」と名前を呼んだ時にわずかに反応する場面は、アルバートと初めて心が通ったのも見て取れる。

何年か経った後、ジョーイが初めて出てきたシーンも驚いた。かなり大きいし、仔馬のときと比べて、体の筋肉がはっきりとついている。そして、上にまたがれる。
仔馬も大人になった馬も頭や首や耳、前側、後ろ側と三人で動かしていた。
動いてないシーンというのがなかった。ちゃんと動物がステージ上にいるように常に呼吸をしているし、耳や頭も細かく動いているのがすごい。
重い農具を引かされるシーンも、本当に重そうに、でも一生懸命引いているのがよくわかる動きだった。

トップソーンという黒い馬と二頭がステージに並ぶ様子も圧巻。一頭でさえ目を奪われる馬パペットが、二頭いるとどちらを見たらいいかわからなくなるほどだった。
ジョーイより少し大きく、すらっとしている。ジョーイは少しもったりした体。戦場慣れしているトップソーンは慣れてないジョーイを最初は疎ましく思っていたけれど、次第に仲良くなっていく。
馬のことなのに、ましてやステージ上ではパペットなのに、感情がしっかり伝わって来た。

騎馬隊のシーンでは五頭くらいが並んでいて迫力があった。隊列を組むからジョーイとトップソーン二頭では足りないのだ。薄暗いシーンだったので、本物のように見えた。奥の方のパペットは前一人と後ろ一人の二人で動かしていたようだった。後ろの人は馬にまたがる人(人形)も動かしていた。

トップソーンが死んだあとシーンは、トップソーンのパペットが横たわってステージに置かれていて、本当に魂が抜けた…死んでしまった…と思った。そこにあるのはただのパペットだった。

ジョーイが有刺鉄線に絡まるシーンも迫力があった。それまでわりと大人しめな馬だったので、なんとかはずそうと暴れる様子は怖いくらいだった。

また、馬以外のパペットも少し出て来るのですが、それらの動きも本物のようだった。特に、コミカルな動きの多かったガチョウ。カーテンコールにも出てきていた。

結構場面が変わる話だし、先に映画を観ておいたほうが背景がわかりやすい。ああ、あのシーンだなというのが、頭の中で補完される。あと、第一次世界大戦の流れもわかっているとより理解しやすいかもしれない。

ジョーイが有刺鉄線に絡まったあとに、イギリス兵とドイツ兵が互いに話したりコイントスをするシーンが映画ではもっと長かった気がするんだけれど、舞台では短めだった。映画で好きなシーンだったので、もっと観たかった。映画を観直したくなった。

あと、ラスト、映画ではジョーイとアルバートの再会のあともすったもんだあって、確か父親と本格的に和解をしていた気がするんですが、舞台では再会後、ジョーイに乗ったアルバートが家に帰還して終わりだった。本当にそこで終わりなのかわからなくて、拍手をするのをためらってしまった。
あのシーンは原作にあるのかもしれないし、スピルバーグが足したのかもしれないけれど、はっきりと和解まで描くのは優しさのつけたしなのか。より映画っぽくしたのかもしれない。


『LIFE!』


ベン・スティラー監督/主演。てっきり、脚本もベン・スティラーなのかと思っていたけれど、もともと原作小説があり、1947年に映画化もされていて、今回はリメイクとのこと。
原題は『The Secret Life of Walter Mitty』で、登場人物名が入るものは邦題にはなりにくい印象なので、仕方ないかなとは思うけれど、ちょっと検索はしにくい。

以下、ネタバレです。







主人公は“LIFE”というNEWSWEEKのような雑誌の現像部で働いているが、雑誌をオンライン化するため廃刊、人員整理に巻き込まれる。このあたりは今の時代ならではだと思うので、原作だとどうなってるんだろう。
その廃刊にあたって、最終号の表紙にカメラマンが写真を指定してきたのだが、そのネガが見つからない。そこで、ネガを探す旅=カメラマンを探す旅に出かける。
写真の現像をする部署だから当然職場も暗い。恋人紹介サイトのプロフィールに書く内容もない。
そんな彼が、カメラマンショーンの写真を見て、誘われるように、一念発起して旅立つシーンがいい。歴代のニュースが表紙を飾った雑誌のパネルの前を走り出 す。自分の目で見よ、みたいな、“LIFE”という雑誌の信念が、映像内に組み込まれる様子はビデオクリップのよう。オープニングのタイトル名や後で出 てくる同僚からのメールも同じ手法が使われていた。
この一念発起のシーンで流れている曲がアーケイドファイアの『Wake up』。主人公ウォルターを後押しするような、勇気づけられるような曲調が、とてもよく合っている。

この少し後に、別の場所へ移動するのに、酔っ払いの運転するヘリコプターに思い切って飛び乗るシーンがあるんですが、ここでウォルターは同じように曲に後押しされる。ここで使われているのが、デヴィッド・ボウイの『スペイス・オディティ』。ウォルターが片想いをしている女性が歌っている妄想を見るので、正しくは歌だけでなく女性にも後押しされているけれど、本当によく合うし、名曲具合が際立つ。女性の声に、ボウイの声が重なるのも良かった。
ウォルターの場合はロケットではなく、簡素なヘリコプターではあるけれど、lift offもする。飛び立って地上を見て、ここから本当に冒険が始まる。
思い出しても少し涙ぐむくらいいいシーンだった。
この曲は1969年にリリースされたらしいので、リメイク元では当然使われていない。

ネガとカメラマンを探す旅は、少しずつ手がかりを見つけ、居場所が明らかになっていく。謎解きものというか、ミステリーの要素もあるのが楽しい。

それに加えて、グリーンランドとアイスランドの雄大な景色も素晴らしい。空を飛ぶ無数の鳥や野生動物など、ナショナルジオグラフィック的な映像も多いし、映画館のスクリーンで観たかった。
そこを走ったり、自転車に乗ったり、スケボーに乗ったりしながら移動していく様子はまるで冒険のよう。困難に遭遇しながらも、周囲の人間が助けてくれるのも、一人旅であっても力強さを感じた。

ただ、普通の冒険ものと少し違うのは、いくら地の果てのような場所にいても、携帯電話に仕事の電話や恋人紹介サイトから問い合わせの返答などが来る。このあたりもいまの時代のことだし、リメイク元ではどうなっていたんだろう。
この、どこに居ても電話がかかってきたり、メールで職場に呼び戻されたりするのは、逆に考えると、どんなに遠い場所で別世界のような気がしていても、携帯電話は繋がるし、すぐに帰って来られるんだから大丈夫というメッセージがこめられているような気がした。非現実に思えても所詮現実なのだ、だから、怖がらずに、どこでも行き たい場所に行ったらいいじゃないということを言いたいのかなとも思った。そして、それはこの映画のテーマでもあると思う。しかし、そうすると、リメイク元は一体どんなテーマなのだろう。

カメラマンを見つけてからはわりと急展開で、バタバタと話が進んで行く。また、急にコメディ演技(空港でのスキャン、ピアノを売るシーンでの家族のハグ、エレベーター内での同僚とのハグ)やコメディセリフのやり取り(“LIFEのモットーは?”“I'm lovin' it.”“それはマクドナルドだ”)が多くなり作風も変わる。ベン・スティラー節といった感じ。

ラストはうまくいきすぎとは思うけれど、あの丸くおさめ方はとても好きです。映画だし、ハッピーエンドでいい。何より、観て良かったと思えるし、爽やかな気持ちになれる。

カメラマン、ショーンを演じているのがショーン・ペン。どちらかというと繊細なイメージを持っていたんですが、今回は世界を飛び回るフォトジャーナリストということで、危険を顧みないワイルドな男の役。最初の、ウォルターを旅に誘い出す時のモノクロ写真ではショーン・ペンなことに気づかなかった。
実際にショーン・ペンが出て来るシーン自体は少ないけれど、観ている側もウォルターも常にこのカメラマンのことを考えているし、最後の粋なはからいもあって、結局映画全編に出ている印象。

ベン・スティラーは少し物悲しさを纏う中年男役がうまかった。特に、いわくのある元バイト先のチェーン店を見つけた時の表情が、なんとも言えない。現実からは遠く離れているはずなのに、こんなところにもチェーン店があって、そこでバイトをしていた頃のいいとは言えない出来事を思い出す。ここも、世界の狭さを描いているようだった。
また、映画中でウォルターは何度も決意を決めるのですが、その時のベン・スティラーの少し怯えたような、でも気持ちを決めた強さを感じる表情も良かった。
勿論、後半のコメディ演技も好きです。

ウォルターの想い人を演じたクリステン・ウィグも、意地悪髭上司を演じたアダム・スコットもコメディ俳優。
恋人紹介サイトの運営の男性を演じたパットン・オズワルド、どこかで見たことがあると思ったら、『ヤング≒アダルト』のあの人か。この方もコメディアンと、周りはコメディ畑の人でかためていそう。