『No Night Is Too Long』


2002年にBBCで放送された二時間弱のドラマ。ジョン・シムとの共演も多いマーク・ウォーレンがゲイ役だということで観ました。字幕が無い中で観たので完全には理解しきれていません。

主人公ティムが恋するのが教授だったので、学校内でのいざこざなのかと思ったら、早々に学校外の話になっていた。
恋に落ちる話が好きで、最初の方のエレベーターの中まで追いかけて行って、なんとなく二人は意識し合っているけれど、でも人が乗って来てしまう。ついにその人が降りて二人っきりになり…というシーンは良かったけれど、その先の進展は早かった。

そして、ティムが愛想をつかすのも早い。
“運命の出会い”(というようなことを本人は言っている)をして、教授を捨て、既婚の女性イサベルを好きになってしまう。
これはもしかして、ラブストーリーではなく、サスペンスなのかなという話の流れになっていく。

主人公に感情移入しながら観たらまた違ったかもしれないけれど、私はどうもティムの身勝手な行動が許せなかった。振り回される教授が可哀想でしかたがなかった。教授役がマーク・ウォーレンだったので余計に教授贔屓で観てしまったのかもしれない。最初の方ではクールな教授が取り乱して涙を流したりする。
マーク・ウォーレンはいままで観た出演作ではわりとすっとぼけた役というか、適当に飄々と渡り歩く役が多い印象だった。今作ではとても恰好良いです。

ティム役のリー・ウィリアムスは元モデルらしく、美しく整った顔をしている。最初は顔だけかなと思ったんですが、演技もうまい。登場した頃のなんの憂いもない学生と、様々な出会いをして、巻き込まれている表情がまったく違う。なんとなく『アデル、ブルーは熱い色』の主人公アデルの最初と最後の豹変っぷりを思い出した。

特にラスト付近の少年合唱団時代の先輩とのシーンの表情はぞくぞくした。もう過去のことは忘れ、とっくに結婚をした先輩が出来心でティムの手に触れようとすると、ティムがそれに気づいて、先輩を見るんですね。おそらく初恋の相手なのだと思う。ちらっと見ただけなのかもしれないけれど、なにすんの?と怒っているような、でも少し誘惑しているような、視線が意味を持ってしまう。その後の涙目で縋るように見上げた表情も、これは気持ちが揺らいでもしかたがないと思えるものだった。

そして最後、イサベルがティムの家に訪ねてくる。ティムは喜びながら玄関へ駆けて行くんですが、これまで起こったことが心をかすめたのか、扉を開けられない。おそらくここで、教授のことを思い出していると思うんですが、自分だけが窓の外にある良いものに触れて幸せになる資格はないと考えたのではないかと思う。
扉の脇に座り込んで、扉の窓から差し込む光に手を伸ばしている姿は、まるで宗教画のように神々しくも見えた。美しいけれど、とても悲しい。
タイトルである“No Night Is Too Long”はリヒャルト・シュトラウスのオペラ『薔薇の騎士』の一節らしいのですが、このラストでもそれが流れているため、より宗教画っぽく見えたのかもしれない。

この、窓の外にあるあたたかい世界は汚れた自分には触れる資格がないものだ、というようなものは『フィルス』のラストにも通じると思った。あれは間に合わなかったのだけれど、結局ブルースは窓の外の光には触れられなかったという点では同じ。

原作小説のラストでは、ティムとイサベルが復縁するようなラストらしいですが、映画版の懺悔すら感じるラストの方が好きです。
それに、ここでイサベルについていってしまったら、ティムにはなんの成長もない。身勝手な若者のままだと思う。このドラマのような、イサベルをあえて拒絶するラストならば、ティムの成長物語の側面も見える。

マーク・ウォーレンも良かったのですが、やはり、リー・ウィリアムスの美貌なくしてはできないドラマだったと思う。
リー・ウィリアムスの他の出演作も観てみたい。

調べていたら、Suedeの『Trash』のPVにも出ているそうで見てみたけれど、たぶん一瞬映る白い服だと思うけれど、はっきりとはわからない。アルバム『Coming Up』のジャケットの人物もリー・ウィリアムスらしい。『Coming Up』、発売日には買っているので、1996年の時点でリー・ウィリアムスの姿を見ていたというのは何か不思議な感じ。

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