『NO』


チリで作られたのは2012年で、日本でもその年のTIFFで上映されていたようなので、やっと本公開といったところ。
1988年、チリのピノチェト独裁政権に対しての国民投票の前に、テレビで賛成派、反対派がそれぞれ15分間のPR番組を放送する。その反対派にやり手のCMクリエイターが抜擢されて…という実話が元になっている。主演はガエル・ガルシア・ベルナル。
パブロ・ラライン監督はこれまでにも独裁政権の映画を撮ってきているらしい。

以下、ネタバレです。




奇想天外な方法で政治問題を解決するということで、偽映画を作って人質の救出に成功した『アルゴ』に似てないこともない。主人公の立ち位置も似ている。『アルゴ』の主人公、CIAのトニー・メンデスも一歩ひいたところから全体を見ていたけれど、この映画のCMクリエイターであるレネ・サアベドラも同じ。最初はNO派ではあっても、国民投票にはなんの期待もしていないようだった。

でも一歩ひいているからこそ見えてくるものというのもあって、彼が最初から断固NO派だったなら、もともとNO派の人たちが作っていたような、政権からの酷い仕打ちを集めた怒りに溢れたCMになっていたかもしれない。のめりこみすぎると、特に怒りにとらわれすぎると、まわりが見えなくなってしまう。
それを一歩ひいて、冷静に事態を見つめることによって、CMの方向を転換することができた。最初は仕事と割り切っていたのかもしれない。
怒りよりも、退陣後の明るく楽しく希望に満ちた世界を描くことで、自分と同じ、諦めていた民衆の心をつかむ。おそらくその頃には、自分も完全にNO派になっていたのだろう。

なぜおそらくなのかというと、作中で、レネはほとんど表情を変えないんですね。なので、感情が読み難い。もちろん、仕事中だから感情を出していなかったのかもしれないけれど。
ラスト付近でNO派の投票が過半数をこえたときにも、事態がすぐには把握できていない様子だった。信じられなさそうに外へ出て、沸き立つ民衆の中に身をさらして、じんわりと嬉しさがにじみ出て来るような表情をするガエルの演技がうまかった。決して喜びを爆発させるわけではない。でも、自分がいままでやってきたことは間違っていなかったと確信するような表情をしていた。

レネ自体も冷静だけれど、それを撮影しているカメラもまた冷静。手持ちで微妙に揺れているカメラと、登場人物に密着するような撮影方法から、ドキュメンタリータッチなのかなとも思ったけれど、登場人物がカメラを意識することはないし、違いそう。しかし、感情的にならず、淡々と登場人物を追いかけて行く。

画面がガサガサしていたり、アスペクト比が4:3(地デジ前のアナログテレビのサイズ)だったり、シーンとシーンの繋ぎがぶちっと切れるし、ピントが合うのに時間がかかる部分があるし、人と人が話しているときにそっちを向こうとしているカメラが追いつかなかったりと、わざと昔っぽく見せる演出をしているのかと思っていたけれど、ヴィンテージカメラで撮影されていたらしい。わざとじゃなくて、本当にそうなっちゃってたのか。

両陣営の作るCMがキモの映画だし、CMと普通のシーンの区別のために、CMは画面を揺らさず、日常では手持ちにしたのかもしれない。また、80年代のCMなのに綺麗な画面ではおかしいということでガサつく映像にして、CMだけがガサついているのも変だと思うし、全体的に古くしたのかもしれない。それによって、アーカイブ放送を見ていると錯覚しそうになった。2012年の映画なことをしばし忘れていた。

監督のインタビューでは、実際の昔の映像と馴染むようにヴィンテージカメラで撮影したと言っていたけれど、どれが実際の映像だったのかわからない。

監督がすでに撮影した他のピノチェト独裁政権の映画がどんな内容だったかはわからない。しかし、CMクリエイターを主人公にするという手法をとることで、私のようなピノチェト政権のことを知らない人が映画に興味を持って、独裁のことを知ることができた。映画の中と、更にその外側という二重の構造になっているようでおもしろい。

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