『オデッセイ』



リドリー・スコット監督。マット・デイモン主演。ベストセラー小説の映画化。
原作『火星の人』を先に読んだ上での感想なので、小説のネタバレも含みます。











映画では、序盤に主人公のマーク・ワトニーが自分で自分の手術をするシーンがある。自分で患部を鏡に映しながら体に刺さった破片を取り除き、スキンステープラーでとじる様子がかなり生々しく、痛々しく流される。もちろん、死んだと思った彼がどうやって生きていたか?というのを示すためだとも思うが、こんないろんなことを一人でやってしまうような精神力の高さもここで表したのかもしれない。
けれど、こんなシーン、小説にあったっけ?と思ったら、マーク・ワトニーによってさらっと簡素な口調でほんの5行で書かれていた。9針縫ったと書いてある。なんにしても、この大けがを映像で表すとこうなる。

火星に一人残されたマーク・ワトニーが乗り越える大きな試練が二つあるんですが、その両方とも、映画だと意外にあっさりと解決したように見えてしまった。
じゃがに芽が出た時、地球と交信ができた時、両方ともやっと!と思った。当面の食料はこれで大丈夫だ!とか、これでひとりぼっちじゃない!とか、本を読んでいても思わずガッツポーズが出そうになった。

ただ、あっさり感じてしまったのは、最初に原作を読んだせいなのかもしれない。最初に映画を観ていたら、じゃがの芽を見て、やっと!と思ったかもしれない。
私は芽が出ることを知っていた。交信ができるようになることも知っていた。
途中で出てくる中国だって、小説だと、もっと得体が知れなかった。敵なのか味方なのかもわからない。協力してくれるの?してくれないの?とひやひやした。
けれど、これも、映画だとあっさり思えたのは、すでに協力することも知っていたからかもしれない。

何も知らない、まっさらな状態で映画を観たら、受ける印象が違ったかもしれない。
どうしたって、感動は、最初の一回が一番大きい。だから私は、なるべくネタバレを避けたいのだ。本作に関しては原作を先に読んでしまったけれど。

本作の予告編で、「帰れなかったら家族に伝えてくれ」というようなセリフがあり、その後に、女性と子供の映像が出る。原作のマーク・ワトニーは独身のはずだったのに、どう見ても妻と子供である。変に感動的な話にするために改変されているのかと思った。
けれど、本編を見れば、女性と子供はマルチネスの家族で、予告の時点で「家族に伝えてくれ」となっていたのは本編では「母親に伝えてくれ」となっていた。familyなのでどちらでも間違えではないが、何か、意図的なのかなとも思った。
ちなみに、海外版の予告でも、同じ映像の作りになっていたけれど、日本のように感動的に盛り上げるような音楽ではなく、ジミ・ヘンドリックスである(『All Alone』という曲?)。

ともあれ、変な改変がなかったのは喜ばしいことである。ほぼ原作通りだった。登場人物の多い作品だけれど、それも、全員について納得のキャスティングだった。マーク・ワトニー役のマット・デイモンはもちろん、ヘルメスクルーも最高。ルイス船長役のジェシカ・チャステインも合っていたし、マルティネス役はみんな大好きマイケル・ペーニャです。クルーにセバスチャン・スタンがいるのもいいですね。
NASAの職員など地上でマーク・ワトニーを援護する人たちも、キウェテル・イジョフォーやクリステン・ウィグなど豪華。個人的には、JPLの所長役に、ジョン・シムとの共演も多いベネディクト・ウォンが起用されていたのも嬉しい(観ている最中は太ってしまっていて誰かわからなかったけど)。

本を読んでいて私の頭の中で見えていた映像をそのまま映画にしてくれたように思える。ただ、やはり原作にあって、映画ではとばされている部分があることなどを考えると、原作のダイジェスト版のようにも感じてしまうのだ。

原作だと後半もMAVまでの一人旅が長く、きちんと距離が感じられるものとなっていた。嵐が来ていることを地上ではわかっているのに火星のマークだけが知らないという緊迫するシーンも。本の冒頭に火星の地図があり、今、マーク・ワトニーはこの辺で…などと辿りながらどきどきしたものだ。
映画ではそのような要素がなく、あっさりとたどり着いていたので、意外と近く思えてしまった。再び地球と切り離されてひとりぼっちになる不安感もない。

ただ、その代わりといってはなんですが、MAVで打ち上がったあとの、宇宙のシーンが長かった。
もちろん映画だから時間の制約があって、原作のエピソードの取捨選択をしたのだろう。そして、映像的に派手な部分を残し、強調したのだと思う。そりゃそうだ。本ではなく映画なんだもの。
だから、ジャガのエピソードについても、原作では土作りや水作りの途方もなさについて書かれているが、映像にすると、マーク・ワトニーが計算や考察をしているシーンが長くなってしまったりととても地味になってしまう。

それよりは、宇宙のシーンを長くしたほうがいい。『ゼロ・グラビティ』くらいは観たでしょとでも言いたいような感じだった。あの映画を観た人なら、宇宙で独りきりになる怖さを知っている。ふよふよと漂う頼りなさ。足りなくなる酸素。どうしてもあれを想像してしまう。火星でひとりぼっちだった男が宇宙でひとりぼっちに?なんてことも想像してしまい、ひやひやした。

あと、地球での話も多く残されている。ただこれは、原作に余分なエピソードが追加されているというわけではなくて、マーク・ワトニーのシーンが削られているというだけの話である。比率として多くなっているというだけだ。原作通りにやったら、ほぼマーク・ワトニーの一人芝居になってしまう。出演者も揃っているし、映画としての見栄えも良くなる。
(中国が出てくることについて、ハリウッドが中国市場に媚びている!という怒りの声もあるようですが、原作通りです)

船長が残していったディスコソングが映画を彩るのもおもしろい。けれど、おそらく、船長コレクションではないと思うけれど、デヴィッド・ボウイの『STARMAN』が流れるシーンが感動的だった。
スターマンとはマーク・ワトニーのことかもなのかもしれない。火星で一人、うごうごしている彼については、畏怖とか尊敬とか、得体の知れなさとかいろんな感情がうずまいていたと思う。それでも、無事に帰ってきて欲しいという気持ちはみな同じ。彼の帰還にむけて、地球のみんなが力を合わせて作業している風景のバックに流れるのだ。
一つの目的に向かって、進んでいく。妨害する人もいないし、みんなが帰還を信じているのがいい。アメリカと中国も手を取っていて、小さいけれどここに世界平和を見た。宇宙から見たら、地球なんてちっぽけなものなのだ。

この感動的なシーンはラストに向かっていってるところなので、このあとで、マーク・ワトニーに火星での嵐と宇宙に放り出されるかも?みたいなのと二つも障害があったら、映画としてはくどいのかもしれない。あのいいシーンのあとでは一つの困難を乗り越えるくらいでいいだろう。ヘルメスクルーも活躍するし。

地球に届けられる写真で、マーク・ワトニーが変なポーズをして、NASA広報の女性が「『ハッピーデイズ』じゃない!」と言って呆れるシーンがある。『ハッピーデイズ』とは1974年から1984年に放送されたアメリカのドラマ(主演はロン・ハワード!)ですが、この辺の説明も省かれていた。
これはマーク・ワトニーが火星で暇で暇で仕方なくて、クルーの残していった昔のテレビドラマを見ていてつい出ちゃったポーズなのだ。昔のドラマを見ているシーンが一瞬映るけれど、あれが『ハッピーデイズ』なのだろうか。
それでも、マーク・ワトニーの飄々とした性格はよく伝わってきた。

これは原作でも映画でも同じなんですが、地球の側の人らの方が真剣だし、悲壮感にくれている。もちろんそう見えるだけかもしれない。小説はマーク・ワトニーのパートは一人称なので、彼の心の奥底までは見えない。けれど、とても軽いタッチで書かれているので読みやすい。

原作を読んでいてい一番笑ったのは、真剣な話をしているところでの、卑猥な言葉である。火星に一人残されていることで全世界の注目を集めているのを知っていて、ヘルメスのクルーには知らせないということへの反対をこめた嫌がらせでもあるのだろうけれど、ある言葉を記す。
映画だとこれは地球側で、マーク・ワトニーの発信を見た人たちが心底呆れた顔をしてため息をついているだけなんですが、原作だとばっちり書いてある。
もしかしたら、映画は年齢制限のせいで削ったのかもしれない。
火星に一人なのにこんなことができるなんて、余裕すら感じる。並大抵の神経ではない。

もちろん、死にたくないという思いがあってこそのことだとは思うけれど、飄々としていても、やるときゃやるし、意志も強いし、頭がいい。最初の段階から、諦めずに自分で考えていた。自分でというか、自分しかいないんですけどね。一人でも落ち着いて考えていた。

普通だったら、パニックに陥ったり、精神が病んでそのままひからびて死んでしまうのではないだろうか。
そして、置いていったクルーたちを逆恨みして、復讐に燃えて、迎えにきた宇宙船を奪って自分だけ逃げることも考えるだろう。
実際、どこかのマン博士がそのような状態に陥っていた。

けれど、マーク・ワトニーはそうはならないし、置いていかれたからそんな性格になったわけではない。元々の性格である。ヘルメスのクルーたちも、マーク・ワトニーの性格を知っているからこそ、通信で軽口をたたいたのだろう。

普通の話ならここで、クルーたちは罪悪感に苛まれ、ひたすら謝り…とじめじめした雰囲気になるだろう。ところが、マルティネスは「ヘルメスが一席空いてるから広々使える」などと冗談を言っていた。お互いの表情は見えない。けれど、お互いの表情はたぶんわかったのだろう。信頼関係のなせるわざである。冗談を言いあえるのも生きているからこそ。冗談をかますマルティネスの横で、ルイス船長がその辺にしときなさいよみたいな母親のような顔をしていて、その関係も素晴らしかった。

原作を読み終わったときにはマーク・ワトニーのことが大好きになってしまったんだけれど、映画だと、他の人たちについてもちゃんと描かれているので、もう登場人物全員が大好きになってしまった。からっとした雰囲気も含めて最高です。




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