『キャロル』



『ベルベット・ゴールドマイン』のトッド・ヘインズ監督。主演のケイト・ブランシェットとルーニー・マーラはアカデミー主演、助演女優賞他、様々な賞にノミネートされ、カンヌ国際映画祭では、ルーニー・マーラが女優賞を受賞している。

原作は『太陽がいっぱい』のパトリシア・ハイスミスの『The Price of Salt』。1952年にクレア・モーガン名義で出版され、1990年になってようやくパトリシア・ハイスミスだと明かされたという。
理由については、当時は同性愛小説は出しづらかったというものと、彼女自身も同性愛者でこれが自伝的小説であるというものがある。

以下、ネタバレです。









少し前に『クリムゾン・ピーク』の感想で“あの人があの子のことを好きになった理由がわからない”みたいなことを書いたんですが、この作品の場合は好きになる理由がわからなくても納得してしまった。一目惚れである。
出会いからして衝撃的だった。テレーズはデパートのおもちゃ売り場で販売員をしていて、そこにキャロルが来る。もう来た瞬間から目を奪われていた。
クリスマス時期だからテレーズはサンタ帽をかぶっているんですが、それが少しミスマッチというか、間抜けに見えてしまう。サンタ帽をかぶっていることを忘れて、ぽけっと見とれてしまう。
極めつけに、キャロルが去り際に、「それ、可愛いわよ」とサンタ帽を褒めるんですよね。もう、ここで完全に恋に落ちたと思う。出会いの瞬間から心を奪われ、恋に落ちる。この流れがとても美しい。

また、1950年代が舞台ということで、その時代風のお洋服、メイク、ヘアスタイルなども美しい。
テレーズはお洒落で可愛らしく、キャロルはエレガントで上品に。主演の二人が本当に美しく、うっとりしてしまう。まるで美術品を眺めるかのような映画鑑賞だった。

二人が逃避行に出かけてからは、ほぼ二人芝居のようになる。特にケイト・ブランシェットは目の伏せ方、タバコの吸い方、指先にまで気を遣ったような演技だった。
車で走り出してすぐあたり、寝てしまったテレーズをキャロルが見つめるシーンがある。悲しそうな、少し怖いような表情にも見えたので、もしかして、殺すのかなとも思った。それか、どこか遠くへ逃げて心中でもするのかと思った。
けれど、あれはテレーズへの申し訳なさだったのかもしれない。

二人の関係が公のものとなり、別れなくてはならなくなったとき、テレーズがタバコを吸うシーンがある。気を静めるために吸っているのだろうが、泣きながら吸っているためにむせてしまうなど、まったくタバコが機能していない様子がリアルだった。

別れたキャロルはどんどんやつれていく。輝きやエレガントさが失われていく。
テレーズはキャロルに電話をするが切られてしまう。ここの二人の悩んだ末に震える指で電話をかけ、震える指で電話を切り、という逡巡具合も本当に素晴らしい。気持ちが痛いほど伝わってくる。
キャロルがやつれていく一方で、テレーズは電話を切られたことで忘れる決心をする。仕事も順調で、逆にいきいきとしていく。

そんな中で、すべてを捨てたキャロルがテレーズを呼び出す。笑顔を取り繕いながら必死にお喋りをするキャロルを、テレーズが無表情で見ている。キャロルが「綺麗になったわね」というけれど、この時のテレーズが本当に綺麗になっている。あか抜けたような印象を受けた。

けれど、この無表情は、今更…という顔なのだろうなと思った。こうゆうパターンをいくつも見て来た。気持ちのすれ違い。一人が求めたときにもう一人が無視をし、もう一人が求めるとすでに手遅れ。どうしてうまくいかないのだろう。

そこで二人は別れ、テレーズは友人のパーティーへ向かう。ところがテレーズは浮かない顔で、パーティーを途中退席しタクシーを走らせる。
あれ?待って、もしかして…と思っていたら、テレーズがキャロルの姿を見つける。
そこで、カメラはテレーズの目線になる。気付いて…!と思っていたら、キャロルはこちらに目を止めて、ゆっくりと、それはそれは綺麗に微笑んだ。

キャロルがテレーズの姿を見つけ、微笑むまでの数秒、息が止まってしまった。カメラがテレーズ目線だったこともあり、私もテレーズの気持ちになってしまい、ああ、私この人のこと好きだと思った。
びっくりした。大ハッピーエンドだった。

同性愛を描いた映画で、ここまでのハッピーエンドはなかなか見ないと思った。
“時代のせいで偽名を使って本を出版し…”などという背景を聞いていたら、もっと社会情勢などを交えながら、同性愛者が迫害されてしまうのかと思っていた。周囲のせいで、彼女たちは離ればなれになってしまうのだろうと思っていた。
病院で治療などというエピソードもちらっと出てくるが、あくまでもにおわせるだけで、そちら方面のことはほとんど描かれない。ロマンティックな方面に徹底されている。少女漫画的といってもいい。

もちろん、『チョコレートドーナツ』や『パレードへようこそ』などの問題提起も大切だと思う。それを観て、許せないと怒りをおぼえたし、考えさせられることもいろいろとあった。
けれど、同性愛を扱っているから必ずしも問題提起をしなければいけないというのは逆に差別だと思う。ナンセンスでもある。

特に本作は、実際にあったことに着想は得ていても、フィクションである。そろそろ、異性愛と同じ形で同性愛が描かれてもいいと思う。

最後のケイト・ブランシェットの余裕すら感じられるゆったりした優雅な微笑みは、もちろん美しいし、愛おしいものを見る愛に溢れたまなざしであるとともに、ハッピーエンドで何が悪いの?とでも言っているような強さまでもを感じた。


0 comments:

Post a Comment