『シェイプ・オブ・ウォーター』



ギレルモ・デル・トロ監督がゴールデングローブ賞の監督賞を受賞。意外にも、デル・トロ監督は監督賞を初受賞とのこと。他にも来週のアカデミー賞も13部門ノミネートされている。

ストーリーに難しい部分はない。口のきけない女性と半魚人のようなモンスターが恋をするというあらすじはもともと知っていたけれど、そのストーリーのままです。

ただ、細部まで丁寧に丁寧に作られた世界観と、聴いた瞬間にそれとわかるデスプラ節の音楽で、映画にどっぷりと浸かってしまい、観終わって数時間が経ってもまだ余韻が続いている。もっと長く観ていたかった。

鑑賞したのは『ブラックパンサー』と同じ日だったのですが、『ブラックパンサー』を先にして本当に良かったと思う。この状態では他の映画は頭に入ってこないし、他の音楽を聴くこともまだできない。

ちなみに、ぼかしについては、話の内容を邪魔するシーンでもなかったし、あれくらいなら仕方ないと思う。ぼかし無しバージョンの上映があっても、別にあえて観なくてもいいくらいです。

以下、ネタバレです。









途中までわからなかったんですが、アメリカとロシアが宇宙開発で競っていたので時代は冷戦下でした。
口のきけない女性イライザが主人公。政府の研究機関で掃除係として働いている。
彼女は絵描きのジャイルズと住んでいる。彼女は孤児らしいので、詳しくは説明されないけれど、親代りだったのかもしれない。一階が映画館、二階がジャイルズのアトリエ兼部屋、三階がイライザの部屋のようだったけれど、この家の作りからしてとても可愛らしい。猫も数匹飼っている。昔の映画もいくつか出てきて、映画愛にもあふれていた。

イライザは、ジャイルズはもちろん、一階の映画館の支配人や職場の友人ゼルダ(オクタヴィア・スペンサー)などにも好かれているし、口がきけないながらもいつも幸せそう。テレビで映画を観ながら、ジャイルズと座ってタップダンスをするシーンも可愛かった。
しかし、ただの聖人として描かれているわけではなく、映画開始直後に風呂で自慰をするシーンがあったりと、ちゃんと人間くさく描かれている。聖人だとわざとらしくなりそうだし、それが主人公ではあまりおもしろくならなそう。

彼女は職場に持ち込まれた秘密の生物に心を奪われる。見た目は半魚人のようだったが、半魚人という呼ばれ方はされていなかった。南米で神としてあがめられていたらしい。エラがあるけれど人型で、イライザが優しく話しかければ意思の疎通がはかれる。
映画を観る前にはこのクリーチャーは、水の中の影くらいであまりはっきりと出てこないのではないかと思っていたけれど、ばっちり出てくる。そういえば、デル・トロ監督でした。準主役級です。それくらい出番も多い。

この不思議な生き物は研究機関で解剖されそうになるが、イライザはゼルダなどと協力して奪還することに成功する。
もちろん人間ではないし、少しぎょっとするような見た目である。それでもジャイルズも差別はしない。
それなのに、不思議な生き物が家から外に出てしまった時、私は市民を大虐殺し、捕獲されて殺されるのではないかと思ってしまった。
ここまで、私は一体何を観ていたのだろうと思う。そういう話ではないのだ。私の中の差別する心に気づかされた。
彼は一階の映画館に忍び込み、呆然としながらスクリーンを観ていた。猫を食べちゃったのは仕方ないけど、本当は優しい。

いつもはバスタブの狭い中に押し込められていたけれど、バスルームのドアを閉めて、水が漏れないようにドアの下にタオルをつめて、イライザも裸になって水をいっぱいに溜めて抱き合うシーンは本当にロマンティックだった。
このシーンだけではなく、“彼”が水の中の生物だから、水の使われ方が効果的。特に雨の日、バスの窓に打ちつける雫が流れて一つになる様子をとらえた映像は綺麗だった。

また、“今は緑の時代”という言葉が出てきて、ジャイルズが描いたポスターのベリー系のパイの赤を緑に描きかえろと言われていましたが、その他にもキーライムパイやマイケル・シャノン演じるストリックランドの車やドロップの色も緑だった。“彼”の浸かっていた水にも緑色の粒が浮いていた。ところどころで印象的な使われ方がされていたので、映画全体のイメージがしっかりとかたまる。
また、最初、目の錯覚かと思ったけれど字幕も薄い緑色だった。エンドロールの文字もその色だったけれど、字幕はずっとその色だっただろうか。慣れてしまって普通の字幕の色に見えていたのか不明。

本作は絵本の挿絵のようなイラストのポスターがありますが、全編にわたってあのイメージそのままです。ポスターのイメージそのままの映画ってなかなかないと思う。

細かいこだわりを感じさせる小さい部分を織り込みながら、本当に丁寧に大切に作られているのが感じられた。
“彼”は撃たれた部分がすぐに治ったり、薄毛を気にしていたジャイルズに毛を生やすことができたりと、万能である。ラストも“彼”が海に帰り、イライザと別れて、イライザは“彼”を想いながらこの先の人生を過ごしていくのかと思っていた。しかし、お姫様だっこで水の中へ連れて行ってしまうし、キスで息を吹き返していた。

リアリティなんてものは関係ない。寓話なのだ。完璧に作り込まれた綺麗な世界と、そこに生きる優しい人物と、息づくロマンティックな恋愛。
デル・トロ監督がこんなにロマンティストだとは思わなかった。
この映画の世界、何もかもが一から作られていることを考えると、デル・トロ監督の頭の中を覗いてみたくなるし、本作では少しだけ見せてくれたのだと思う。
モンスターやクリーチャーを多少なりとも人間と別の存在と思っていたら、私みたいに猫を傷つけたあとに外に出て大虐殺…みたいなことを考えてしまうと思う。でも、デル・トロはおそらく、モンスターも人類皆兄弟というか、そもそも人類ではないけれど、私たちと同じ存在だと思っている。今までの映画を観てきても、大好きなのがわかる。本作では特に、同じ位置に立っているという監督の目線がわかりやすい。

あと、これも特に言及はなかったけれど気になったのは、イライザの首に爪の痕があって、それが原因で声が出なくなったらしいけれど、イライザが川のそばで捨てられていたことを考えると、それって…それって…。
(追記:↑と書いた時点では“彼”が捨てられていたイライザを傷つけて声が出なくなっちゃったのかなと思ってた。けれど、もしかしたら、モノローグで“王女様”という言葉も出てきたし、イライザももともと水の中の住民で、何かあって地上にあがり、その報いのような感じで声を失ったのかな、とも。人魚姫のように。そして、運命的に“彼”と出会って、水の中に帰って行ったのかな。水の中に連れて行かれたというより、そのほうがロマンティックですよね)

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