『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』



ギリシャのヨルゴス・ランティモス監督。
本作もカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞しましたが、『籠の中の乙女』はある視点部門のグランプリ、『ロブスター』は審査員賞とカンヌ映画祭の常連でもある。

ただ、カンヌ映画祭だからというのもあるけれど、内容はいまいちわかりにくく変わっている。『籠の中の乙女』はラストでおいてけぼりになってしまった。『ロブスター』は揃えられているキャストほどキャッチーな内容ではなかった。
前2作に比べると本作はわかりやすかった。
独特の映像美とひんやりした世界観は相変わらずです。

出演はコリン・ファレル、ニコール・キッドマン、バリー・コーガン。

以下、ネタバレです。









まったく内容を知らないで観たのですが、コリン・ファレルとニコール・キッドマンの夫婦のもとにバリー・コーガンが養子としてやってきて、幸せな生活が一変するのかと思っていた。

だから、序盤にコリン・ファレル演じるスティーブンとバリー・コーガン演じるマーティンが密会していて、これから養子になるのかと思ってしまった。序盤ではすべての関係性が明らかにされない。
話が進むうちに、スティーブンとアナ(ニコール・キッドマン)の間にはキムとボブという二人の子供がいて、家族は円満のようだったし、マーティンにも母がいるようだったので、どうやら養子にはならなそうだと気づく。

マーティンはスティーブンにご執心のようだったが、スティーブンはつきまとわれていることをあまりよく思っていなさそうだった。しかも、マーティンの家に呼ばれた際には、マーティンの母から誘われる始末。

事態は少しずつ明らかになっていく。どうやら、心臓外科医であるスティーブンの執刀ミスによって、マーティンの父親は死んでしまったらしい。だから、ご執心とは言っても結局は恨んでるんですね。この辺の愛憎紙一重の想いがかなりぞくぞくする。
呪いなのかなんなのか、説明はないんですが、マーティンはスティーブンの家族三人は、「1.まず足が麻痺する。2.食欲がなくなる。3.目から出血をする。4.死に至る。」という予言めいたことを言う。この時点だと、もうマーティンもスティーブンにつらく当たっていて、「用事があるなら早く済ませてくれ」と言うんですが、上記の不吉なことをマーティンは早口で言う。普通、こういうことって、ゆったり、怖い感じで言いますよね。早口でなんでもないことみたいに言って、「早く済ませろって言ったから早口で言ったよ」と言うのが、逆にとても怖い。
しかも、それを止めるためには、スティーブンが家族の誰かを殺さないといけないと。
スティーブンを最高に苦しめるけれど、スティーブン自体は死なないというのも愛憎紙一重っぽい。

実際に足が麻痺していくんですが、末っ子のボブとアナがエスカレーターに乗っているところを長い間上から映していて、下に着いたところでがくんと足から崩れるのが怖かった。キムについても、聖歌隊で聖歌を歌っている途中で立っていられなくなってしまうのが怖い。
緊迫したシーンでバイオリンをひっかくような不快な音が鳴るのも怖かった。
ジャンル分けするならホラーなのかもしれない。

途中で執刀ミスはスティーブンが酒を飲んで手術に臨んだせいだとわかり、もう本当にスティーブンがどうにかするしかないんですが、そのどうにかが結局誰かを殺さなければならないということだから、どうしようもない。

誰を殺せば症状の進行が止まるということが家族にも知れると、家族三人がスティーブンに媚を売り始めるのがまた怖い。ボブは髪を自分で切って褒めてもらおうとし、さらに「父さんと同じ心臓外科医になりたいんだ」などと言う。キムは「命を授けたものが奪う権利があるから私を殺して」と言う。ただこれは本心なのかはあやしいと思ってしまった。アナはスティーブンの前で裸で寝転んだり「子供のどちらかがいなくなってもまた作ればいい」などと言い出す。
スティーブンも学校に出向いて、どちらの子供が優秀かなどと聞いていた。
きっとここまでがマーティンの望んでいたことなのだと思う。

結局、家族三人を目隠しして悲鳴が出ないように猿轡をして、スティーブン自体も目隠しをしてぐるぐるまわってルーレット形式で銃を撃っていた。結果的にボブを殺してしまう。
そして、スティーブンとマーティンが二人で会っていた喫茶店のような店で、スティーブン、アナ、キムとマーティンが顔を合わせるところで映画は終わる。
三人が自分の足で立って歩いているし、ボブがいないからマーティンはスティーブンが家族殺しを実行したのもわかるし、誰を殺したのかもわかる。
しかし、マーティンは怒るでも笑うでもない。何を考えているのかわからない。目がガラス玉のように青くて、そこからは感情が読めない。それがまた怖い。

普通の映画だったら、なんとか殺さずに終わると思う。しかも、一番の年少者を殺してしまった。ちょっとびっくりしたし、後味が悪い。嫌な気持ちにもなるけれど、それは観なきゃよかったというものではなくて、嫌な気持ちにさせるために作っている映画なのだと思うからいいです。

また、タイトルの『聖なる鹿殺し』なんですが、“アウリスのイーピゲナイア(イピゲネイア)”という、聖なる鹿を殺した男が自分の子供を生贄として差し出すことになるというギリシャ神話からとったらしい。このギリシャ神話を知らなかったのですが、知っていたらネタバレっぽくなりそう。
ただし、元にしたわけではなく、作った話に似ているギリシャ神話があったということらしい。

ホラーテイストだとは思うけれど、普通なら、たぶん主人公のスティーブンはひどいことをしたにしても、マーティンから何かしら赦されて、殺さなくても事態は解決するはずだ。また、マーティンがもう少しかわいそうな存在に描きそう。
しかし、マーティンはどこまでも不気味だった。駐車場にいるのがちらっと映るのが怖かった。

マーティンを演じているバリー・コーガン目当てでしたが、大満足。
マーティンは16歳で、『ダンケルク』のジョージも17歳なんですが、ご本人は現在25歳。演技力の高さがわかる。
あと、映画自体は静謐でまさに病院のような印象だったのですが、その中で殴られて、顔を血まみれにしているマーティンの姿はなぜか妙にどきどきした。
バリー・コーガンはボクシングをやっているとのことですが、そこまで筋肉質ではなくて、でも引き締まってはいて、少年らしい生々しさのある体でした。腋毛を見せるシーンもあった。

マーティンがどうやって呪いのようなものを発動させたのかはわからないけれど、理屈では説明できない存在感があった。『ダンケルク』とはまったく違う。この先の出演作も楽しみ。

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