『ナチュラルウーマン』



アカデミー賞外国語映画賞受賞。
チリのセバスティアン・レリオ監督。前作『グロリアの青春』はジュリアン・ムーア主演でハリウッドリメイクも決まっているとのこと。
トランスジェンダーの女性が主人公ということ以外、何の情報も入れずに観ました。

以下、ネタバレです。












トランスジェンダーの女性が主人公だと思っていたのに、最初に出てきたのは初老の男性で、彼目線で進んでいくので、こっちが主人公だったか…と思った。彼、オルランドの恋人がトランスジェンダーのマリーナだったので、年の差もあるし、二人の恋路が邪魔されるのかなとストーリーを想像した。

しかし、マリーナの誕生日を幸せに祝った後(チリにもレストランでケーキが運ばれてきて、店員さんが♪ハッピーバースデートゥーユーと歌ってくれて、店の客が拍手をしてくれるというサービスがあるのを初めて知った)、自宅で動脈瘤で亡くなってしまう。

最初に連絡をとったオルランドの弟はまだ友好的だった。けれど、急死だったため、マリーナに疑いがかかり、刑事に尋問される。マリーナはうっすらと乳房が膨らんではいるけれど、ほぼ平らである。それでも格好が女性なので、刑事はあからさまに胸を見ていたし、名前を聞かれて「マリーナ」と答えても、本名は?などと聞き返していた。

その時点でも相当失礼だけれど、仕事先のカフェには女刑事が押しかけてくるし、オルランドと住んでいたアパートにも息子が入ってきて体をじろじろと見るし、アパートをはやく引き渡せと言われる。

元妻はもっと失礼で、実際にマリーナに会って、「キメラみたい」などと言っていた。
元妻は不倫されたわけだし、怒るのも当然なのかもしれないけれど、それとトランスジェンダー批判はまた違う。ただ、マリーナがトランスジェンダーでない若い女性だったとしても、なんやかんや文句つけたり酷いことを言いそう。葬式に来るなとも言いそうである。
大体、そんなだから不倫されるんじゃないの?と思い、観ながら憤ってしまった。

女刑事の抜きうちの身体検査も酷い。虐待の疑いをかけられて、全裸にさせられ写真を撮られていた。しかも、その様子を女刑事も見ているという。それって、もう疑ってるとかではなくて、ただの意地悪ではないの?と思った。

また、通夜に現れたマリーナを、息子や親戚が車で拉致したシーンもつらかった。直接的な暴力こそふるわれなかったけれど、顔にテープをぐるぐる巻きにされる。
マリーナを演じているダニエラ・ヴェガは綺麗なんですが、それが醜く歪む。監督の言葉として、「彼らにはこう見えている」というものがあって戦慄した。どうしてここまでの憎悪をぶつけられるのか。

トランスフォビアたちのマリーナに対する数々の仕打ちを見ながら、怒って、差別は良くないという気持ちにもなるが、本当のところ、この映画の本質はそこではないと思う。

マリーナはオルランドを亡くしたときに病院のトイレで座り込んでいたし、様々な場所でオルランドの幻影を見ていた。
外野がうるさすぎてそちらに目がいってしまうが、一番大切なこととして、彼女は恋人を亡くしたのだ。大切な人を亡くしたばっかりなのに、彼にゆっくり想いを馳せることもできない。通夜にも葬式にも出られないなんて。

マリーナが一番オルランドを愛してたかどうかはわからない。元家族側の描写が対マリーナでしか出てこないのでわからないが、元家族もオルランドのことは夫であり、父でもあるのだから大切ではあったのだろう(でも、オルランドについて、「マリーナとのことを知って変態だと思った」と言っていた。これも私には怒りポイントだった。そんなこと言ってる奴らがどうしてでかい顔をしているのか。家族だからというだけで。でも、“元”家族なのに)。それでも、マリーナにも別れを言う権利はあるはずだ。

結局、火葬場の職員にお願いして火葬前のオルランドに別れを告げさせてもらっていたのでほっとした(ここでは、チリでは家族は火葬が終わるのは待たないんだと思った。文化の違いなのか、宗教の違いなのか)。
ここで、マリーナは初めて涙を見せるんですよね。ここまでもかなり辛い目に遭っていたが決して泣かない。パンチングマシンやシャドウボクシングで怒りを発散させていた。お別れができて本当によかった。

原題は『una mujer fantástica』。直訳すると“幻想的な女性”で、英語のタイトルも『A Fantastic Woman』なのでそのままのようです。
邦題の『ナチュラルウーマン』は挿入歌『(You Make Me Feel Like)A Natural Woman』から取られているのだと思うが、“ありのままの私を見てくれるのはあなただけ”という歌詞が印象に残っているのでいい邦題だと思う。

劇中では鏡の使われ方も印象的だった。街中で、家で、マリーナは自分の姿を見る。それはありのままというよりは鏡にうつった姿である。あくまでも姿形なのだ。オルランドが見ていたのは姿形も含まれてるのかもしれないが、内面も含めてのマリーナだ。
マリーナが全裸でベッドに寝ながら、股間の部分に丸い鏡が置かれていて顔がうつっているというシーンがあった。これはそのままのシーンというよりは、彼女自身が大切で性別は関係ないというイメージでもあるのかと思った。

アパートや車、飼い犬など、彼との思い出の品を全部奪われたマリーナに唯一残されたのがどこかわからない鍵…という、少しミステリーっぽい要素もあったのがおもしろかった。たびたび映されるが不明で、でもマリーナの働くカフェの客が同じ鍵を持っていて、サウナのロッカーだとわかる。
マリーナは体がまだ男性の部分もあるから、男性用のサウナへ潜入していく。心は女性なのだから相当勇気がいる行為だと思うが、それでも、意を決して入っていき、ロッカーを見つける。
ロッカーの中が映されるが、真っ暗で何かがあったのか、なかったのかは不明だった。

マリーナの誕生日に、オルランドは滝に行くチケットをどこかに忘れたと言う。この滝は『ブエノスアイレス』でも出てきた滝で、その繋がりで出したのかと思った。映画のオープニングが滝の映像である。
また、動脈瘤に繋げるたけのフックとしての、ど忘れかと思っていた。
映画の後半でもう一度、滝に行くチケットの件が重要なシーンで出てきて、脚本もうまいと思った。

元家族らが折れたのか、本当に必要なかったのかはわからないが、マリーナは飼い犬だけは取り戻していた。
エンドロールで流れていた曲は、死者を弔うような歌詞だった。この先は外野にも邪魔されず、飼い犬と一緒に、オルランドのことを思い出しながら暮らしていってほしい。

主演のダニエラ・ヴェガの顔が魅力的。目に強い意志が宿っている。映画内で本当に酷い扱いを受けていて、挫けそうになっても必死で生きている。マリーナが、飛んでくる葉っぱやゴミなどに負けずに、向かい風に向かって歩く映像が印象的だった。
そして、映画を観た後、私もそんな風に歩きたくなってしまう。ふざけんなとか負けるもんかという気持ちになる。観た後に歩き方が変わる映画はいい映画。

ダニエラ・ヴェガは歌手でもあるらしく、劇中でサルサやオペラを歌うシーンがあったがおそらく吹き替えではなさそう。
また、実際にトランスジェンダーということで、監督は最初、この映画の脚本などについてダニエラに相談していたらしいが、主演女優のキャストに迷っていたところ、目の前にいるじゃないか!となって、彼女に決定したらしい。

公式サイトを見ていて、音楽がマシュー・ハーバートだったことに驚いた。また、エンドロール後に出たアンゼたかしの文字にも驚いたと同時に嬉しかった。アンゼさん、このようなスモールバジェット映画の字幕も担当するんですね。

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