『デッドプール2』



2016年公開『デッドプール』の続編。
監督は『ジョン・ウィック』、『アトミック・ブロンド』のデヴィッド・リーチ。

以下、ネタバレです。









R指定では『ローガン』の興行収入を抜いたというニュースが出てきていましたが、映画の最初から『ローガン』をライバル視していて笑ってしまった。これは、映画を先に観てから本当に抜いちゃったんだ!と思いたかった(日本では10日くらい公開が遅い)。
また、序盤からデッドプールの体がバラバラになって、「こういう映画ですよー、気をつけてねー」という注意喚起がなされていたように思う。
その他、Fワードなど下品な言葉も満載だし、ヘリコプターの羽根で体がバラバラになったりなどやりたい放題で、これはR指定じゃないと無理。

序盤から恋人のヴァネッサが殺されてしまう。悲しみに暮れたところでオープニングに入るけれど、それが明らかに007のパロディ。特に『スカイフォール』か『スペクター』あたりの悲哀に満ちた感じです。でも中に『フラッシュダンス』のパロディも入っていたりともう滅茶苦茶。でも、ウェイド(デッドプール)本人は本当に悲しんでいる。

自暴自棄になっているところを、前作にも出てきたコロッサスに助けられて“恵まれし子らの学園”へ。ここが出てくるということで、本作は思った以上にX-MEN要素が強かった。
前作では予算がなくて(と劇中で言われている)、コロッサスとネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッドしかミュータントは出てこなかったんですが、今回は前作のヒットを受けて、デッドプールが「もっとちゃんとしたX-MENを出せよー」と言っている後ろにおなじみの面々が一瞬映る!
私はビーストしかわからなかったけれど、クイックシルバーやチャールズ、サイクロプスやストームなどもいたらしい。一時停止したいです。このために集まったというわけではなく、合成とのことだけれど、本作では予算があるのが暗に示される。

別の学園でミュータントの子供ラッセルが暴れているのを止めに行くんですが、そこで実は虐待されていたとわかって、デッドプールが汚れ役を買って出て学園の職員を殺し、ラッセルとともに収容所に連れて行かれる。
もうこのあたりで普通のいい奴というか、X-MENですよね。口は悪いけど。

ラッセルは収容所の中でもウェイドを慕うけれど、ウェイドは面倒がって遠ざけようとする。そんな中でケーブルという体が半分機械の強面の男がやってきて、ラッセルを狙う。今回のヴィランはケーブルなのかと思ったけれど、彼も彼なりに考えるところのありそうな根っからの悪人とはいえなさそうな人物だった。それはまるでサノスのような。
ちなみにサノスもケーブルも演じているのはジョシュ・ブローリン。タイムリーだしサノスネタはあるだろうとは思っていたけれど、「黙れ、サノス!」というセリフが出てきたときには笑ってしまった。

デッドプールは、ヴァネッサが遺した「子供があなたを成長させる」という言葉を信じ、ラッセルを救うためにメンバー集めをする。
ビル・スカルスガルド演じる強酸性のゲロを吐くツァイトガイストは制御するためなのか口に奇妙なマスクを付けていて外見がとても恰好良かったけれど大した活躍もなくて残念。
体が透明なバニッシャーは死ぬ直前に一瞬だけ姿が映って、あれ?ブラット・ピット?と思ったら、エンドロールに名前が出ていた。ご本人でした。
また、カメオ関連だとケーブルが最初に攻めてきたときに、収容所の監視係の二人が「ウェットティッシュでケツを拭いてから乾いたティッシュで拭くときれいになる」とかどうでもいいことを話しているんですが、これがマット・デイモンとアラン・テュディックだとか。気づかないって。マット・デイモンは『マイティ・ソー バトルロイヤル』に続き、クソカメオといった感じ。

バニッシャーもツァイトガイストも他のメンバーも全く役に立っていなかったけれど、強運というスキルを持つドミノは最高でした。御都合主義もパワーだからってことで納得できるし、ストーリーが止まることなく進む。ここがクライマックスというわけではないから、そこまで時間を割くことなく、テンポも良くなる。
そして、何よりドミノが恰好いい。

ラッセル奪還作戦は失敗するけれど、ケーブルはなぜラッセルを狙うかの事情を話しにやってくる。
未来のラッセルに家族を殺されたために、ラッセルが学園長を殺す前にラッセル自身を殺してしまおうとタイムスリップしてきたケーブルと、子供なんだから学園長を殺さないよう説得すれば大丈夫だ殺すのはやめろというデッドプールと、意見は異なっても学園長殺害阻止という目的は同じなので組むことになる。
ここでもデッドプールが意外にまともでいい奴だった。本当にX-MENである。亡くなったヴァネッサのおかげかもしれない。
ここからのジョシュ・ブローリンがとても恰好良かったです。

これでケーブルはヴィランではなくなった。ラッセルが解放したミュータント、ジャガーノート(『X-MEN:ファイナルディシジョン』に登場したキャラ。やっぱりX-MEN要素が強い)ももしかしたらラッセルを食うかなと思ったら、あくまでも子分に徹していた。学園長も人間のままで、この人が何かに変身でもしたらヴィランになるかなとも思うけれど弱い。ちなみに学園長を演じたのがエディ・マーサン。今までどちらかというと良い人や気弱な人の役が多かったと思うので意外だった。でもちゃんと憎たらしいし、やはりうまいのだと思う。
大人のラッセルがヴィランなのかもしれないけれど、別に未来から攻めてくるわけでもない。現代の子供ラッセルも凶悪というにはまだほど遠い。

一概にヴィランを倒すというわけではないのにちゃんとヒーローものになっているのは、ケーブルがラッセルを狙って放った銃弾を、デッドプールが身を挺して受け止めて代わりに撃たれるというシーンがあるからです。
ちゃんと子供を守った。しかもそのシーンがスローモーションで、しかも流れる曲が、ミュージカル『アニー』の『Tomorrow』。この場面でこの曲という組み合わせは意外すぎたし、本当にずるい。卑怯とも言える。しかも歌っているのがミュージカルでアニーを演じたアリシア・モートンというのもずるい(予算…)。
アニーもラッセルと同じ、孤児である。“明日になれば太陽は昇る”と明るい未来を信じるような歌詞で、それは現在の状況に絶望しているラッセルに、デッドプールというかウェイドが伝えたいことなのだろう。
こんなの泣いてしまうしかない。

本編中でもデッドプールがカメラに向かって「ミュージックスタート」と言えば曲が流れ出すし、「歌い出しが似てる。♪雪だるま作ろうはパクリだ」と話すシーンもある。前作もだが、音楽の力が最大限に発揮されている。

ウェイドはラッセルの代わりに撃たれて死んでしまう(なかなか死なないお約束ギャグもあり)。ケーブルはタイムリープを一度だけできるとのことだったので、きっと、未来に帰るのをあきらめてここで使うのだろうなとは思った。
しかし、奪ったコイン、ヴァネッサとの思い出の品をここで使うとは思わず、伏線がちゃんと回収された気持ちよさがあった。

また、映画の最初から仲間になりたいなりたいと言っていたインド人のタクシー運転手のドーピンダーが、逃げた学園長をはねる。これも、しっかりとした伏線回収だと思う。ラッセルに殺させるわけにはいかないし、デッドプールももう殺さないとヴァネッサに誓った。でも学園長は逃げ出そうとしている。
学園長は普通の人間だから、普通の人間であるドーピンダーでも対抗できるのである。ちゃんと活躍の場が与えられた。

最後、みんなが横並びで歩いていたけれど、人種も性別の様々、服装だって統一されていない。それでも仲間であり、ファミリーなのだ。
序盤で、デッドプールが本作はファミリームービーだと言っていてまたまたあと信じられなかったけれど、本当にそうだった。R指定ですが。
デッドプールなのに気持ち悪いくらいよくできている。誰にでもおすすめできるし、みんなで観よう!というキャッチコピーも納得した。R指定だけれど。

かといって、R指定をとってしまったら、デッドプールの良さがなくなってしまう。
良い話であることは間違いないけれど、良い話という大枠の中でR指定をやるわけではなく、R指定は全力でR指定、なのに見終わると良い話だった…となってしまうのがどういった作りなのかちょっとよくわからない。よくできているとしか言いようがない。

エンドロール後では、ネガソニックがケーブルのタイムリープに使う機器を直していた。なので、ケーブルも未来に帰ったのかな。その映像はなかったけれど、ヴァネッサは救っていた。次作(あるかはわからないけどヒットしたみたいだしありそう)で登場できるがどうなるか。

また、ライアン・レイノルズギャグの過去作へ出張していろいろ改変するという自虐ギャグも。
なんかもう、デッドプールだけでなく、ライアン・レイノルズ自体も好きになってしまった。キャラクターや演じている俳優を好きになる映画は良い映画。



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