『判決、ふたつの希望』



前回のアカデミー賞外国語映画賞にノミネート(レバノン初)(受賞は『ナチュラルウーマン』)。ダブル主演だと思われますが、その一人、ヤーセル役のカメル・エル=バシャがベネチア国際映画祭で主演男優賞を受賞(パレスチナ人初)。
監督、脚本のジアド・ドゥエイリは、クエンティン・タランティーノの『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』にアシスタントカメラマンとして参加していたという経歴の持ち主。

予告を見ただけだとわからなかったけれど、某ラジオで難民映画と紹介されていて、確かに難民問題も扱われている映画でした。

単なるご近所トラブルのようなところから、話が意外な方向へ転がっていく。

以下、ネタバレです。













最初はバルコニーから水が漏れていて、工事に支障が出るからどうにかしろと業者が注意をしに行ったら、住民であるトニーが聞く耳を持たないため、勝手に配管に繋ぐ工事をしていたら、それをハンマーで壊すという暴挙に出られてしまう。
直してやってるのにその態度はちょっとどうかしてるし、怒りがわいた。だから、工事の現場監督であるヤーセルが「クズ野郎」と発した時も当然だと思った。

けれど、これについて、ヤーセルが謝罪をしなかったことが発端となって話がどんどん大きくなって行く。

トニーの態度にはいちいちイライラしたけれど、それは、トニーがレバノン人で、ヤーセルがパレスチナ難民であることが原因のようだった。単に気難しい性格というわけではなかった。
しかも保守派でその中でも極右政党を支持しているようで、そうすると難民だというだけでちょっとしたことでも許せなくなってしまうのは、仕方がないとも言えないけれど、一概に悪いとも言い切れないのかもしれないと思ってしまった。

トニーは序盤に、妻に「ここは暑いから、あなたの実家に戻りましょうよ」と言われても、「貯金をしてこの家を買ったから実家には戻りたくない」と言っていた。これも、ただの頑固な生活かと思っていたけれど、それも、後半に進むに従ってその理由も明らかになる。トニー自身も子供のころに住んでいた村を追われた経験を持っていた。そうなると、映画を観ながらトニーのことを、こいつ横暴だな…と思っていたけれど、もう責められない。

映画のほとんどが法廷劇なんですが、それぞれの弁護士が事態をまとめて話し、さらに裁判長がそれをまとめてくれるので話の流れというか、レバノンで何が起こっていた(いる)のか、ひいては中東情勢までがとてもわかりやすい。
レバノンの映画を観たのはたぶん初めてだと思うし、何も知らなかったけれど、その国の内情を知ることができるのは外国の映画を観る醍醐味だと思う。

ただ、この映画は深刻な事態を深刻に描くドキュメンタリータッチのものというわけではなく、両者の弁護士が実は父娘というのが途中で明らかになったりと、ちょっとウェットな面もある。それが映画の観やすさになっているのも魅力だと思う。

ついには二人は大統領に呼ばれたりするんですが、そのあと、ヤーセルの車のエンジンがかからなくて困っている時に、車工場勤務のトニーが戻って来て直してあげたシーンで涙が出た。困った人を助けてあげるという、普遍的な行いをするシンプルなシーンである。
その人の背景を無視して、一人の人間としてなら、ちゃんと親切にしてあげられるのだ。
また、終盤、ヤーセルがわざと罵ってトニーに突き飛ばす機会を与えて、喧嘩両成敗というか、これでおあいこねという感じになる。不器用だけれど、いい方法だと思った。互いの気持ちが理解できる。

映画内では、終盤になると、事が大きくなりすぎて、二人よりも周辺が騒ぎすぎていた。もう、ただ二人の話ではなく、みんなが自分の話として怒ったり罵ったりしていた。
その人の国、宗教、政治派閥など、信じているものや所属している場所。それが相反するなら敵対してしまう。自分が正しいと信じているから主張をわかってもらいたい。わかってもらえなかったり、逆に罵られれば、争いが起きる。
けれど、一方向からだけでなく、その人の背景なども交えて事情を鑑みれば、理解できることもあるのかもしれない。
でも、国、宗教、政治派閥などはその人を形作ってるものだと思うし、アイデンティティでもあるだろうから、それを全部とっぱらえというのは無理な話だろう。
それに、集団になると、よりヒートアップするだろうし、なかなか難しい。
ただ、一概にどちらが悪いとは言えないということは覚えておいたほうがいいんだろうなとは思った。

アメリカだとトランプ支持者なんかは個人的には信じられないけど、彼らにも彼らなりの事情があるのだと思うと、それも一概に非難するわけにもいかない。

難しい問題で、双方の言い分がわかった上でどうにもならないことが多くて、何度も唸り声をあげながら観てました。
ただ、邦題に入っている“ふたつの希望”という言葉はとてもいいと思う。原題はフランス語タイトルL'insulte、英語も同じ意味でThe Insultということで、単なる“侮辱”になってしまうので。

映画内では丸く収まるが、映画の最初に『この映画は監督と脚本家の意見であり、レバノン政府の見解ではありません』という注意書きが出たことを思い出した。映画を観て、何かが片付いた気持ちになってしまったけれど、いまだに問題は解決されていないのだ。



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