『A GHORT STORY/ア・ゴースト・ストーリー』



白いシーツを被ったゴーストのポスターが印象的。死んだ夫がゴーストとなって妻を見守る…というあらすじからラブストーリーだと思っていたけれど、それよりはタイトル通り、ゴーストの話だった。
監督は、デヴィッド・ロウリー。
スクリーンがスタンダードサイズで四隅が丸いという特殊なものなので、テレビだと小さくなってしまうかもしれない。プロジェクターをイメージしてるとのこと。
また、サウンドと、逆に音のない静寂部分も素晴らしいので、映画館向け。
長回しシーンも多くあるので、映画館の方が集中できると思う。

以下、ネタバレです。












まず、ゴーストのデザインがとてもいい。
白いシーツに黒い目が点々と付いてるだけだけれど、目があるから顔がどっちを向いているかわかりやすい。振り返ってる!とか、見てる!とか。喋らないし(字幕でゴースト同士のやりとりはあり)、表情はないのに気持ちがわかる。
あと、一応幽霊だけれど、怖くない。

音楽もいいんですが、それが止んだ時の、夜の虫の声と朝になって鳴く鳥の声、鼓動、風の音、テーブルで書き物をする生活音などが丁寧に切り取られている。できるだけ静かな環境で、耳をすませながら観たい。

ケイシー・アフレック演じるCとルーニー・マーラ演じるMが夫婦で、ポスターなどにもこの二人の名前が書いてあるから二人を中心に進んでいくのかと思ったらそうでもなかった。Cは序盤で交通事故で亡くなり、Mが残される。Cはシーツを被された状態でむっくり起き上がり、歩き出すが、誰にも姿が見えていない様子。声も出せないし、触れても気づかれない。

リンダという女性がMのいない間に家に入ってくる。説明台詞というか、台詞がほとんどないので、この人が誰だかわからないんですが、鍵を持っているということは姉か妹かなと思いながら観ていた。ただ、元気を出してというような手紙を置いていくけれど、壁の塗り直しのことなど業務連絡も書いてあって、本当の要件はこっちだろうと思うし、何かホールの食べ物(チョコレートパイらしい)を、一人になった人のところに持ってくるって相当無神経である。特に説明や喋ることはなくても、こんなちょっとしたことで性格がわかる。後からわかったんですが、姉妹ではなく不動産屋でした。すごく納得した。家族はこんなに冷たくない。

家に帰ってきたMはパイを床に座って、切り分けもせずにやけ食いのようにガツガツ食べる。ゴーストとなったCはそばに佇んでそれをじっと見つめている。
私たちはスクリーンのこちら側からさらにその様子を何もできずに観ているわけで、私たちもゴーストと同じだと思った。スクリーンの中の生あるものに声をかけることも触れることも干渉することもできない。
ガツガツいく様子をカメラは動かずにじっととらえる。おそらく4分くらいの長回しです。しかし、Mは途中で急に立ち上がり、トイレに吐きにいく。一切台詞はなくても、これだけで悲しみが伝わってくる。客席の私たち、そして向こうのゴーストには何もできない。

Mはこのまま家に残るのかなとも思ったけれど、引越しは決まっていたようだし、出て行ってしまった。おもしろいのは、CはMに着いていくのかなと思っていたのに、どうやら家に憑いているらしかった。序盤で夫婦がポルターガイストに悩まされていたので、他の霊もいるしここが住みやすい家なのかなと思った。

引越し前の片付いた部屋というのはとてもさみしくなるものだけれど、もしかしたらこのCのように、知らぬ間に何か親しい存在と一緒に暮らしていたのかなとも思ってしまった。

家にはラティーノの母一人子二人の母子家庭の一家が入居してくる。スペイン語の字幕はついていないけれど、表情などで大体どんな内容かはわかる。けれど、細かいセリフなどはきっとそれほど重要ではないのだろうなと思った。
この家族も見守るのかと思ったら、大暴れしてポルターガイストを起こし追い出していた。

その次は誰が所有していたのかはわからないけれど、若者がパーティーをしていた。うち、一人がなんとなく知ったようなことを長く話していたけれど、いまいち納得のできない内容だったし、聞いてた仲間たちもハテナって顔をしていて私も同じ顔になってしまった。

このまま、この家に住む人々のいろんな面を見続ける話なのかな…、それはどうだろう…と思いながら見ていたら、どれくらい時間が経ったのかはわからないが、家が廃墟になっていた。
ゴーストだから年は取らないし、時の流れも感じているのかいないのかよくわからなかった。でも、家はぼろぼろになっても、自分は変わらずそこにいる、この時の流れのズレは孤独感を生じさせるものだと思う。それに、この時の流れがズレてしまうのは私の大好きなパターンです…。

序盤、Mが、「子どもの頃、引越しが多かった。紙に詩などを書いて小さく折りたたんで部屋へ隠しておく。また戻ってきた時にそれを見るとその時に戻れる」というようなことを話すシーンがあった。
Mが出ていったこの家にもメッセージが隠してあり、Cはそれがどこにあるのか知っていた。
しかし、メモを取り出そうとしたタイミングで家が取り壊されてしまう。

私は、壊された時でもぼろぼろになった時でも、何かのタイミングでMが家に戻ってくると思った。あのメモの内容を確認しに。そして、ゴーストの存在をなんとなく知って…みたいなことが起こるのかと思ったけれど、そんないやらしい泣かせのシーンは一切無かった。
Mはもう帰ってこない。

こんな酷なことがあるのか。家が無くなっても、ゴーストはそこに居続ける。
家の跡地にはビルが建ち、ビジネスマンが闊歩するその中を歩くゴーストという、シュールながらも物悲しいシーンもある。ゴーストは全てに絶望したのか、ビルから飛び降りる。
前の家で若者たちがパーティーを始めたあたりから話の流れに納得できない感じになっていたし、ここで終わったら嫌だな…と思っていた。

けれど、終わらずに、ゴーストのCは原っぱにいる。
男が原っぱにペグのようなものを打っている。
ゴーストがいるということは、ここは家があった場所なのかなとも思うけれど…と思いながら見ていたら、馬車がやってきて、時代がわかる。

ここに家の建つ前に時代が戻った。これで、ああ、ゴーストだから時をこえてしまった…と思った。本当に私の好きなタイプの話だった。何十年どころではない。何世紀も、過去も未来もこえて、CはMのことを待っている。
ペグのようなものを打っていた男は、家族に「ここに家を建てるぞ」と話していたが、次のシーンで先住民の声がして、あれ?と思ったら、次のシーンでは、家族全員が弓矢で殺されている。
ここも説明は全くないし、直接の描写はないけれど、開拓者が先住民族に襲われたのだ。
さらに次のシーンでは死体がミイラに、次のシーンでは白骨化している。時があっという間に流れていく。
とてつもない時を超えていく。ゴーストの真っ白だったシーツも汚れていて、それを見るだけで、孤独に過ごした時の長さがわかるようで、涙が出てくる。

そして、次のシーンでは、あの、無神経なリンダが、CとMの夫婦に家を紹介していた。ここで、ああ、家族かと思ったら不動産屋だったか…道理で…と思った。
でも、やっと、ゴーストは再びMに会えた。

けれど、会えたからといって、引っ越さないように仕向けるとか、Cの事故を未然に防ぐとかってことはできない。未来を変えることはできないから、ゴーストが増えちゃう。Mを見ているCのゴースト、を見ているCのゴースト(シーツが汚れているほう)といった具合に。
でも、Cが引っ越したくないと言っていた理由はわからないけれど、もしかしたら何か介入してたのかもしれない。
ゴーストはせいぜいポルターガイストを起こすくらいしかできない。それは映画の序盤で起こっていた怪奇現象ですね。ループしていた。

ゴーストが増えた時点で、シーツの汚れているほうのゴーストは、Mが隠した小さく折りたたんだ紙を見る。そして、内容を読んだところで、ぱっと消滅する。汚れたシーツだけがふわっと残される。
紙に書いてある内容については明らかにされない。けれど、少し前に、正面の家にいたゴーストが、誰かを待っていたけれど来ないことがはっきりしたという時にぱっと消える。おそらく、未練がなくなったところで消える(成仏?)というルール説明です。
なので、Cについても、メモの内容は明らかにされなくても、何かしら、納得すること、未練が消えることが書かれていたのだと思う。

紙に書かれていた内容が明らかにされるのはちょっとウェットすぎると思うし、ここまで見てきたこの作品には似合わない。極力説明台詞はない。死んだ夫が妻を見守るなんていくらでもおいおい泣かせることができそうだけど、そんなベタなことはやらない。このあっけなさがとても良かった。それでもボロボロに泣きました。

こんな終わり方だったら嫌だな…が全部回避されて、ものすごく納得したラストだった。だから、私はこの映画がとても好きになりました。

あと、またA24です。ますますすごいなといった感じ。


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