『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』



原題Sicario: Day of the Soldado。Soldadoはスペイン語のソルジャー。
前作も今作も国境付近の話ではあるので『ボーダーライン』でもいいんですが、今作は特に原題の『シカリオ』にしてほしかった。
監督は前作のドゥニ・ヴィルヌーヴに代わり、ステファノ・ソリマ。監督が代わっても、脚本がテイラー・シェリダンのままだったので、それほど心配をしていませんでした。
また、前作直後にはエミリー・ブラントも続投の予定だったようなのですが、結局、ベニチオ・デル・トロとジョシュ・ブローリンのみ続投。全く違う案件を扱っていることもあり、エミリー・ブラント演じるケイトは名前も出てこない。けれど、それでいいと思う。

前作の感想『ボーダーライン』

以下、ネタバレです。









前作を観た時には、もしかしたらケイトが殺し屋アレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)の心の支えになるのではないかなとも思っていたのですが、そんなウェットな再会は一切なかった。しかし、前作に比べると十分にウェットだったのではないかと思う。
前作はケイト視点だったので、アレハンドロの得体の知れなさが際立った。家族を皆殺しにされたことしかわからない。それもちらっと話してくれるだけだ。ただ、寡黙な男がちらっと身の上を話すのは、少し心を開いてくれたようでそれはそれでたまらなかった。

本作はアレハンドロ視点の部分が多い。また、前作はメキシコ麻薬戦争メインであったが、今回麻薬カルテルが扱うのは麻薬ではなく人間である。現在は密入国ビジネスの方が金になるのだそうだ。時代に合っている。

CIAのマット(ジョシュ・ブローリン)は相変わらずサンダル履きで飄々としている。ただ、序盤の海賊に対する拷問からして、かなり非道な手を使うのも厭わないというのが明らかにされる。直接肉体を痛みつけるわけではなく、家族が住む家を上空から映し出すカメラを見せて、おそらく無人機にて空爆する様子を見せる。これも今風である。『アイ・イン・ザ・スカイ』を思い出した。

マットとアレハンドロは麻薬カルテルを撹乱するためにハッタリにハッタリを重ねて、もう何が本当かわからなくなる。麻薬カルテルのボスの娘を誘拐して目隠しをし、DEAの服に着替えて、「助けに来たぞ」と言う。しかもこれが国の指示というのがすごい。

マットとアレハンドロはボスの娘イサベルを移送する。この途中で、攻撃されるんですが、このシーンがかなり迫力があった。カメラは車の中にいるので、イサベル(一応一般人)と同じ視点だ。しかも、長回しなので、容赦ない銃撃戦のど真ん中に置かれる。臨場感があり、怖かった。
ここではメキシコ警察もろとも皆殺しにしますが、本作は人が死ぬ数が多い。最初の自爆テロのシーンでも、犯人に向かって、母子がやめてほしいと懇願するが、母子もろとも吹き飛ぶ。普通情けを見せるシーンになりそうなものだけれど、ここも容赦なかった。

銃撃戦のごたごたでイサベルが逃げ出してしまう。マットたちはを先に帰らせて、アレハンドロだけが残り、イサベルを探すことになる。
ここでなんですが、イサベルが走って来た車に助けを求めるんですが、ここから出て来るのがあからさまに悪い奴なんですね。見た目から悪い。で、イサベルも逃げようとするんですが、連れ去られそうになったところで、アレハンドロが悪い奴を撃ち殺して救うという……。しかも、殺し屋とはいえ、見た目だけとっても、明らかにアレハンドロの方が良い。
銃撃戦に巻き込まれたあたりからイサベルに共感しながら観ていたので、ここで救ってくれたアレハンドロのことが王子様に思えた。

ここから二人で行動することになるのですが、ここからの展開はヴァイオレンス描写はあってもハッタリがなくなって、人間と向き合うヒューマンドラマになっているのがおもしろかった。
親子ではない女児と中年男性、決してベタベタしない関係、行かなくてはならない場所があるのに絶望的な逃避行…といった点から、『ローガン』の二人の関係性に似ていると思った。
そのためか、西部劇テイストを感じたのですが、本作のステファノ・ソリーマ監督の父親が『狼の挽歌』などで知られるマカロニウエスタンの監督、セルジオ・ソリーマだと聞いて、大いに納得してしまった。

アレハンドロの心境の変化というか、どんどん優しい部分が現れて来るのがたまらなかった。前作ではちらっと見えただけだったが、本作では内面が現れて来る。
寡黙なのは変わらないけれど、ぽつんとある一軒家の聾唖者の男性に、手話で語りかけるシーンがとても良かった。普通に喋るよりも手話の方が雄弁だった。娘が聾者だったので手話が使えるのだと言っていたが、手話で会話している時には、娘に話しかけていたことも思い出していたにちがいない。
そして、一緒に行動する中で、イサベルのことも娘のように思えた部分もあると思うのだ。
しかし、その少し後に、イサベルの父がアレハンドロの家族を皆殺しにしたことが明らかになる。それでも、アレハンドロはイサベルのことを守ろうとしているのだと思うと余計に痺れる関係性である。
ちなみに、聾唖者の男性の家で休ませてもらった時に、『ローガン』のように、追っ手が現れて関係のない人物が殺される展開があったらどうしようかと思った。この映画のヴァイオレンス具合も酷いのでやりかねないと思ったけれど、それは無くて良かった。『ローガン』のあれは本当に酷くて、今でも思い出してしまう。

この映画は、もう一つの物語が並行するように描かれていた。国境沿いのアメリカ側、テキサス州に住むミゲルは、最初は学校の普通の子供とも会話をしていたけれど、従兄の誘いで徐々に麻薬カルテルの世界へ入っていく。14歳なのでまだ子供なんですが、大金を貰いながら仕事をするシーンが合間合間に入る。アレハンドロたちとどうつながって来るのかと思ったら、ミゲルはアレハンドロの顔をおぼえていて、密入国をする人々に紛れていたところを告げ口するのだ。そこで、アレハンドロとイサベルはばらばらになってしまう。また、アレハンドロを撃って殺すのもミゲルだった。

ここまでもどうなるかわからない展開が続いていたけれど、それでもアレハンドロとイサベルはなんとかうまくすり抜けてアメリカに戻れると思っていた。まさかアレハンドロが殺されてしまうとは……と思っていたら、肉片のようなものを落としながらもアレハンドロは生きていた。しかも瀕死状態なのに車を運転していた。一度、道路をはずれたところで車が止まった時には動かしたはいいけれど、死んでしまったか…と思ったけれど、車は再び動き出した。不死身である。

イサベルはというと、マットに救助されていた。マットもここまで非道だったし、イサベルのこともメキシコ警察を殺しているところを見られたし本当ならば口を塞がなくてはいけなかったけれど、救ったのだ。これは、アレハンドロが命がけで守ったことを思ってだと思う。
中盤以降は直接的なやりとりもなかった二人だけれど、ちゃんと考えているというのがわかって良かった。

ミゲルは14歳ながら人を殺したことで度胸が認められ、カルテルに正式に入ることになる。もう序盤のおどおどしていた様子はない。アレハンドロたちの話の裏で、もう一つ、少年の成長(?)物語も描かれていた。

この映画は更にここからが痺れた。舞台は一年後に飛ぶ。
ミゲルは一年でかなり成長(?)したようで、タトゥーが入り、見た目や服装もマフィアのようになっていた。調子に乗っているようだった。そんなミゲルが、控え室のような場所にいたところ、現実を見せつけるようにアレハンドロが現れる。死んだと思っていた、殺したと思っていたアレハンドロが。
ミゲルはアレハンドロを殺したことで今の地位や今の自分になれたわけで、彼が生きているとなるとアイデンティティが揺らいでしまう。それに、ああ、殺されると恐怖もするだろう。
そこで、アレハンドロは「シカリオ(暗殺者)になりたいか?」と問うのだ。これは、タイトルを『シカリオ』にすべきだったと思った。『ボーダーライン』ではセリフが効いてこない。まあそもそも、この映画を観に行くくらいなら、原題を知っているかもしれませんが。
そして、控え室の扉が閉まり、扉の外にいる私たちは中でどんな会話が交わされるのかわからない。そもそも、単なるスカウトなのか、それとも殺す前のセリフなのかもわからない。けれど、アレハンドロの最強具合がわかって、めちゃくちゃぐっとくるラストでした。

『シカリオ』は一応三部作らしい。次作があるのか、またイサベルとミゲルは出てくるのか、出てこずに一作目と本作のようにまったく違うものになるのか。いずれにしても、アレハンドロの王子様っぷりは変わらないと思うので、絶対に制作してほしい。

0 comments:

Post a Comment