ずっと待っていたクリストファー・ノーラン版バットマンの三作目であり最終章。ジャパンプレミアとIMAX版で観ました。今回は『ダークナイト』ほど、IMAXカメラで撮影したシーンがわかりやすくなかった。それだけ、IMAXシーンが多いせいかもしれないですが、どうしてもIMAXで!という感じではないのかもしれない。
以下、ネタバレです。





このシリーズではゴードンとアルフレッドが好きなんですが、今回はずっとアルフレッドに賛同しながら観てました。
『ダークナイト』でも、序盤で「バットマンの限界はなくても、あなたは限界なのではないか?」と傷だらけのブルース・ウェインに向かって言うシーンが出てくる。引退の会見を開く前の「私も共犯でつかまりますか?」「僕は君が主犯だと言おうと思ってる」というやりとり中も、少しはしゃいだ様子だった。
今回なんて、ブルースは最初から杖をついて出てくるのだ。とてもではないけど、戦える状態ではない。しかし、こんな彼に、アルフレッド以外の人は、バットマンの復活を望むと言う。ゴッサムのことを思えば、バットマンしか状況を変えることができないというのもわかる。それにしても、バットマンを頼りすぎだし、ブルースも責任感が強いのと、ヒーローとしてのうぬぼれもあるのかもしれないけど、やらざるを得ないようになってくる。最後のほうで、キャットウーマンだけが「逃げちゃえば?」と言うくらいで、ゴッサムの未来はバットマン一人に託されてしまう。
でも、もっとも近しいアルフレッドにしたら、ゴッサムの平和より、ブルースの命のほうが大切なんですよ。「ご両親を埋葬して、あなたまで埋葬したくない」と涙ながらに訴えてましたが、執事とはいえ、家族同然のアルフレッドにとって、それほどつらいことはない。そして、三つ並んだ墓の前で「私が裏切ったせいで」とアルフレッドが泣きくずれるシーンは本当につらい。

しかし、映画はここで終わらない。最初のほうで、アルフレッドがフィレンツェのカフェの話をするシーンが出てくる。休暇で訪れたフィレンツェのカフェで、奥さんと子どもと一緒に幸せそうに生活しているあなたの姿を見る。でも、振り向くとそれは別人という。ここを受けてのラストというのがニクい。
お墓のシーンで一度寂しさを味わい、そのあと、カフェが出てきた時点で、観客は気づく。幸福な予感に、少し焦れったい気持ちになりながらカメラを追い、ブルースの姿を見つける。隣りにはセリーナ・カイル。これ以上のラストはないでしょう。ノーランありがとう!
ゴッサムが救われたシーンではなくて、フィレンツェのシーンで終わらせているあたりが真のハッピーエンド映画だと思う。

だから、ジョセフ・ゴードン=レヴィット関連で続編が作られそうな感じではあるけど、ブルースだけは完全に引退させてほしい。もうアルフレッドを悲しませるようなことはしないでください。


JGLがバットマンの隣りに乗っているシーンを観たときに、少しロビンっぽいなとは思った。警官じゃなくて、ロビンをやれば良かったのにとも思っていた。
だいぶ前に、次の作品にはロビンが出てくるような情報が流れていたのが頭の隅にあったせいもあるかもしれない。でも、その後にそんな話は出てこなかったので、有耶無耶になってなくなったのかと思っていた。
JGLが警官役で出ると聞いたとき、一体どんな役なのかまったく謎だったし、予告にちらちら出てきても、どうせ端役なんだろうと思っていた。でも、本編を観ていたら、かなり活躍しているし、これはただの警官ではないな、と。やっぱり!とは思いましたが、にやりとさせられました。


あと、インセプション組からだと、マリオン・コティヤール。出てきた瞬間からなんとなくあやしく見えたのは、『インセプション』を観ていたせいでしょう。最大のネタバレですね。ただの金持ちだとは思ってなかった。援助すると言ってきたときも、絶対に何か裏があると思った。会社を譲る話になったときも、警戒してしまった。だから、正体を現したときも意外性はなかった。しかし、モルに続き、またこの人がラスボスとは。ノーランは彼女のことなんだと思ってるんだろうか。


その黒幕告白シーンで、毒気を抜かれたベインが優しい顔になっていて、やっといつものトム・ハーディの顔が見えた。また、過去シーンでマスク無しのトム・ハーディが一瞬だけ映ったのも良かった。そして、恋愛による涙まで流していて、完全に乙女でした。
というのも、ノーラン監督がトム・ハーディを見初めたのが『ロックンローラ』だという話があって。『Bronson』(チャールズ・ブロンソン役)かと本人は思っていたらしい。それか、ベインなら肉弾戦で『Warrior』っぽい。それが、ゲイ役乙女の『ロックンローラ』だというから、意外…と最初は思っていたけど、観終えた後だとなるほどと納得せざるをえない。


今回のブルースは最初から杖をついて出てきて、医者の話では足の軟骨が削れていて、いざスーツを着る前にもギブスをつけていた。殴り合いではベインにまったく勝てる要素はなさそうで、そのまま奈落に落とされて、絶体絶命。観ていて、絶望的な気持ちになった。
しかし、そこから、力強く這い上がる。これがRisesのタイトルの示すところなのかはわからないけれど、あきらめずにのぼり、外へ出て大復活を遂げる。ハンス・ジマーの音楽がバットマンのテーマを奏でて、カタルシスが生まれる。


今作は『ダークナイト』というよりは『バットマン ビギンズ』と繋がるところが多い。この前、リバイバルで『ビギンズ』を観ておこうと思ったのは、映画館で観ていないせいもあったけれど、リーアム・ニーソンが、「『ダークナイトライゼス』の撮影に参加したけど、現場に滞在したのは一時間半くらいで、自分でもどのシーンに出るのかわからなかった」と言っていたという、ちょっと可愛らしいエピソードを事前に聞いていたことが大きい。ラーズ・アズ・グール(リーアム・ニーソン)や影の軍団は、『ダークナイト』には出てこない。

それに、ゴードンとの最後のやりとりの元となるエピソードのことを考えると、『ビギンズ』は絶対に観ておいたほうがいい。あれがすべてのきっかけだったのだし、ゴッサムの未来がバットマンから託されたシーンです。


「ヒーローをやるならマスクをかぶれ」というセリフは、≒ですが、「マスクをかぶれば君もヒーローだ!」で『アメイジング・スパイダーマン』でも出てきた。正しい心があれば誰だってヒーローになれる。このような、ヒーロー物の一番核となる部分もふまえつつ、ビギンズでの伏線も回収して、華麗にラストをきめる。完璧です。2時間45分という上映時間のせいもあるのかもしれないけれど、充分な満足感、満腹感が得られる最終章だった。

『崖っぷちの男』


期待しないで観に行ったらおもしろかったという感想を聞いていたので、もともと期待してないし行ってみようかなと思っているうちに時間が経ってしまい、そのうちにどんどん期待が膨らんでしまって、結果的に期待した状態で観ることになってしまったけど面白かった。
情報はほとんど入れてません。サム・ワーシントンがビルの外側に立って飛び降りそうになっているポスターに載っていたキャッチコピー、「なぜ、ここに…?」そのままの心持でした。あと、ジェイミー・ベルが出てくるということくらいしか知らなかった。

サム・ワーシントンは今回が一番好きです。ちょっと恰好良く見えた。ジェイミー・ベルはますます良い感じ。小柄で、マッチョではないけど適度に筋肉がついていて、動きも猫みたいにしなやか。そもそもバレエをやっていただけある。
以下、ネタバレです。




いろんな場所で物事が同時進行していく。ホテルの外で飛び降りようとしている男と、ホテルの中の警察のごたごたと、隣りのビルの宝石強盗と、下に群がるマスコミと野次馬。うまく噛みあって、相互に関係しながら、徐々に状況が変わっていく。その中で少しずつ事実を明らかになっていく。
めまぐるしく変わる展開がスリリングで面白く、目が離せないままあっという間に終わってしまう。上映時間自体も短いけれど、集中力を途切れさせない見せ方をしていると思った。

厳重な金庫内であれだけ好き勝手やって大丈夫なのか?とか、センサーを消火器で冷やすなんて回避の仕方で大丈夫なの?とか、クッションの上とはいえ飛び降りてすぐに走り出せるの?とか、細かい疑問点はいくつかあるけど、気にならない人向けではあります。

『戦火の馬』


結局、公開中に観に行けなかったのでBDで鑑賞。
予告から、“育てていた馬が戦地に連れて行かれてはなればなれ。戦争反対!”みたいなお説教くさい映画なのかと思ってましたが、それよりずっと優しく、力強いお話だった。
一頭の馬にまつわる様々な人間たちの群像劇という、少し変わったスタイルなのがおもしろかった。ドンパチもあるけど、それが中心ではなく、人間ドラマの要素が強い。戦争の残酷さばかりをクローズアップせずに、善き人々の心温まるエピソードが多かった。号泣という感じではなかったけれど、観終わったあとで、じんわりと感動が広がる。

また、ドイツ軍とイギリス軍、両側からの視点で描かれるので、敵/味方の話に簡単にまとめられていないのも良かった。軍の内部事情と、人の内面をしっかり描くことで、相手が何を考えているかわからない冷徹な悪魔ではなく、血の通った人間なのだというのがわかる。

主人公たりえる演技をするジョーイ役の馬がすごい。動きだけ見ていても本当にお利口なのがわかるんですが、ちゃんと表情も作れてた。特に、「ごめんな」と喋りそうなくらいの申し訳なさそうな顔が印象的。

ベネディクト・カンバーバッチとトム・ヒドルストンという、最近の英国若手俳優二人を揃えている点も楽しみの一つでした。トムヒさんは、いい役だったせいもあるんですが、今回が一番恰好良かったです。軍服もよく似合っていた。
バッチさんは、また今までとまったく違うイメージの役柄だった。といっても、『裏切りのサーカス』(忠犬)、『つぐない』(ゲス)、『SHERLOCK』(変人)くらいしか観ていないです。若さゆえの無謀さで突っ走るワンマン軍人役でした。顔に特徴があるので一つのイメージで固定されそうなものだけど、見事に演じ分けている。カメレオン俳優だと思います。


2002年公開。サム・ライミ監督。『アメイジング・スパイダーマン』を先に観ています。2002年の時点で観ていたら、まったく印象が変わっていたのではないかと思う。





スパイダーマンになるきっかけである蜘蛛にさされる(噛まれる?)シーンは、サム・ライミ版のほうが自然でした。アメスパのオズコープ社のセキュリティの甘さは疑問が残ったので。

アメスパは蜘蛛の糸が出る装置を研究して自分で作っていたけど、サム・ライミ版では手の形や向きによって、手から糸が実際に出ていたみたいで、より蜘蛛っぽい。

女性に好かれるために車が欲しい→お金が無い→能力を使ってアマレスに参加して賞金GETという、町の平和などではなく、本当に自分のためだけにスパイダーマン能力を使おうとしていた。レスラーのマスクからヒントを得て、スパイダーマンの衣装を作るところは一緒。キック・アスのマスクは、ここで出てくるプロトタイプスパイダーマンを模したものなのかな。
また、自分のスパイダーマン写真を新聞社に売って採用してもらおうというのも、能力の利用の仕方がずるい。『スパイダーマン3』でも同じことをやっていたようだった。主人公があまり好きになれないと、作品自体もあまり好きになれない。

ヒロインであるMJがスパイダーマンのマスクの口の部分だけ出してキスするシーンは、命を二度救ってもらったとはいえ、唐突に感じました。ジェームズ・フランコ演じるハリーと付き合っていながら、というのもなんとも。
しかも、映画の最後のほうでは、中身をばらしていないのにピーター・パーカー自身を愛していると言っていて、流れがよくわからなかった。
対するハリーは、MJには振られるし、グリーンゴブリンなの知らないとはいえ、親は殺されるし、散々なのもかわいそう。

サム・ライミ版のスパイダーマンのほうがコスチュームが顔にぴったりしているようだった。アメスパはマスク自体が取れちゃうシーンが多かったけど、サム・ライミ版は、3でもそうでしたが顔についたまま、マスクが破けて隙間から顔が見える。

ラストでピーターはMJとうまくいくものの、正体は明かさない。授かった能力のことを思い、「力は呪い」と恰好良いことを言っていた。でも、結局、そのわりに3の最初では、スパイダーマンなのをMJも知っていたようだし、蜘蛛の力を使って、遊び呆けていた。2で何があったのか気になるけど、ピーターがこれ以上、蜘蛛の力を使って調子に乗るのを観たくない気もする。



2005年公開。映画館で観てなかったのと、『ダークナイト ライジング』に向けての予習兼ねて、リバイバル上映に行って来ました。






ブルースがバットマンになるまでが案外長かった記憶があったんですが、やっぱり長かったです。バットマンになるまでの特訓シーンのアクションが全体的に恰好良くない。クリストファー・ノーランはアクションが得意ではない監督だと思いますが、それを再確認できた。退屈だから長時間に感じられるのか、実際に長いのかわからない。バットマンが出てこないと画面がどうしても地味である点、親が殺害されたことに対する復讐という設定が暗い点も問題だと思う。

あと、少し前の映画だからかもしれないですが、青い花が見せる幻覚が安っぽいCGなのが気になった。目が光っていたり、鬼みたいなやつだったり。
『ダークナイト』や『インセプション』では、極力CGを用いておらず、それはノーラン監督の特徴であり魅力だと思っていましたが、『バットマン ビギンズ』においてはそこそこ使われていました。
ブルースの父親がゴッサム市民のために作ったモノレールもCGですね。忘れ形見っぽいのですが、ラスト付近であっさり爆破して、そのまま。『ダークナイト』では、特にモノレールの話は出てこない。それどころか、両親を殺害された話も出てきません。この辺は『ダークナイト ライジング』で回収されるのでしょうか?
その他にも、『ビギンズ』と『ダークナイト』でのぶつ切り間というか、設定の投げっぱなし具合が気になる点がいくつかあり、この辺は完結編である『ライジング』において、明らかにされるのか、気になるところです。きれいに終われるか。

ヒマラヤの上に建つラーズ・アル・グールの屋敷の外観は『インセプション』第三階層の病院に似ていた。和風というよりは中国っぽい屋敷の内装はサイトーの屋敷に似ていた。当主が渡辺謙さんなのも、今観るとなんとなく繋がりや監督の謙さんに対するイメージみたいなものが見える気がして感慨深い。

キリアン・マーフィーは『ダークナイト』にもちょこっと出てきますが、『ビギンズ』では主要な悪役なので出番が多かった。序盤の医師としての姿は眼鏡かけてすましていて恰好良い。後半、スケアクロウとしてバットマンを煽る顔、スプレーをかけられて見せる怯えた顔、どれも良かった。

レイチェル・ドーズ役はマギー・ギレンホールに代わって正解だったと思う。ケイティ・ホームズは仰向けに倒れたときのおっぱいが目立ってた。でも、このシリーズにはお色気要素は必要ないと思うので。でも、『ライジング』におけるアン・ハサウェイのキャットウーマンはお色気要員なんでしょうか。
『サンキュー・スモーキング』や『ダーク・フェアリー』のケイティ・ホームズは好きです。

ゲイリー・オールドマンは、ひときわ可愛く撮られていた。最後のバットモービルに乗る羽目になってされるがままになるシーンが特にいい。やっと、攻撃が命中したときのはしゃぎっぷりはこの映画一番の見所、かもしれない。

執事アルフレッドは『ビギンズ』でも『ダークナイト』でも変わらず献身的であり、ブルースの一番の理解者だった。『ビギンズ』と『ダークナイト』の間に続編らしい流れはあまり感じられなかったけど、アルフレッドの態度だけは同じだった。冗談めかした口調で粋なことを言うのもそのまま。暗い作品の中のオアシス的な存在です。

『かぞくのくに』

ジャパンプレミアにて鑑賞。予告を見たくらいで、事前情報はほぼ入れないで観ました。そのため、映画後に監督とキャストによる一時間近くの質疑応答にて、初めて知る事実もたくさんあった。興味深いお話をたくさん聞くことが出来た。

北朝鮮にいるために、個人の自由では日本へ来られなくなってしまった兄と25年ぶりに再会する家族の話。兄役の井浦新が、久しぶりの日本に戸惑いながら、少しおどおどと猫背の無表情で周囲を見回す演技がうまい。ARATAから井浦新に名前を改めて正解だったと思う。いつのまにか、漢字表記が似合う役者さんになってた。ただ、これはもうしょうがないんですが、スタイルが良すぎる。顔の小ささと背の高さが目立っていた。モデル体型が必要とされない役なので、長所がアダになってしまっていたのは残念。

井浦新だけでなく、妹役の安藤サクラの演技も自然で、少し揺れるカメラとあわせて、途中、ドキュメンタリーではないかと錯覚してしまった。上映後の舞台挨拶で、監督の実話に基づいていることと、監督の前2作がドキュメンタリーだったと知って納得した。
以下、ネタバレです。






兄が強い憤りとどうにもならない怒りをぶつける先がなくて、部屋の中をうろうろと歩き回るシーンがあるのですが、喋ってる人にカメラを移さずに、歩き回る様を執拗に追うように撮っていたのもドキュメンタリー的だと思った。その後、妹も、別の憤りを抱えて同じようにうろうろすることしか出来ないシーンが出てくる。どうしようもなさを発散することができない様子がよく伝わってきた。

兄が急に帰国することになったときに、まったく状況が理解できない妹が、いっそ呑気な調子で「どうゆうことー?」と問うのもリアルだった。本当に理解できない事実の前では、怒るよりも驚きよりも先に、このような反応をとるのだと思う。

ちなみに、監督のお話では、映画では三ヶ月滞在の予定が一週間で帰国することになっていたのが、実際は二週間だったとのこと。でも、何故急遽帰国することになったのかの理由の説明は映画と同じで一切無く、現在でも不明とのこと。

映画は監督の実話に基づいてはいるけれど、実際の兄妹間はもう少し遠慮のある関係らしい。井浦新と安藤サクラは、その奥底の感情をうまく引き出してくれたと監督が話していた。
安藤サクラが演じた妹のリエは、理解できなかったらはっきりとわからないと言うし、納得できなかったらだだをこねるし、怒りや憤りもそのまま、感情をさらけ出していた。演技というよりは、話を聞いて実際に安藤サクラが怒っていたらしいので、感情の爆発のさせ方が自然に見えたのだと思う。立場が鑑賞者に近いために、一番共感できた。

最後、兄が車に乗せられて行くときも、監督は実際には棒立ちで見送ることしかできなかったらしい。映画でも棒立ちバージョンも撮ったけれど、違うと思い、役者さんたちに自由に動いてもらったとのこと。
このシーンはかなり印象的だった。リエは車に乗り込んだ兄ソンホの腕をずっと離さない。執拗に掴み続け、車のドアが閉じられない。でも、兄も妹もなにも泣き叫んだりはせずに、言葉を発さない。掴んだところで兄が日本に留まらせることができないこともわかっているけれど、それでもどうしても離すことができない、葛藤と悔しさがわかる。

帰国の日に、ソンホは昔好きだった女性に電話をして呼び出す。ソンホが唯一自分で行動するシーンだと思う。そのときに、女性はソンホに「二人で逃げちゃおっか?」と言うが、監督によれば、「このセリフを笑顔で言っているということは、本気で逃げようとはしていない」とのことでした。また、「同窓会のシーンには後半があって、そこで脱北の話も出ていたけれど、今回は帰る人の話なので、それはまるまる削った」とのこと。また、「今後、脱北でも映画を作ってみたい」とも。
監督の口から「脱北」という言葉が出て、どきっとしてしまった。「逃げちゃおうか?」というセリフが出たときに、そうだそうだ、ぜんぶ捨てて逃げてしまえと思ったけど、話はそんなに単純ではない。女性と二人で逃げるのは単なる駆け落ちではないのだ。フィクションではあるけれど、限りなく事実に近い映画なのだと思い知らされた。

ヤン・ヨンヒ監督は、一本目のドキュメンタリー映画で北から謝罪文を書けと言われ、書く代わりにもう一本映画を撮ったら入国禁止になったらしい。家族のことを描くほど家族と会えなくなると苦笑まじりに語っていた。暗い顔をするわけでもなく、怒りを表情に出すわけでもなく、苦笑とは言え、笑えるのがすごい。徹底的に戦う姿勢が垣間見れた。凛とした印象の、とても恰好良い監督さんでした。

『かぞくのくに』は、韓国を含む、いろんな国の映画祭に呼ばれている。多くの人の目にふれることが何より重要だという考えから、監督自ら、積極的に出席していく予定だそうです。


今年は『モンスターズ・クラブ』が公開され、秋には『I'M FLASH!』の公開も控えている豊田監督。『ナイン・ソウルズ』のリバイバル上映へ行ってきました。監督と板尾創路さんと渋川清彦(KEE)さんのトークショー付き。『ナイン・ソウルズ』が公開されたのがもう9年前ですが、いまになっていろいろ裏話が聞けるとは思っていなかった。いろいろ興味深かった。

まず、司会のかたに「思い出に残っているシーンは?」と聞かれて、板尾が「原田さんが最後の雨の中を走るシーンは必要ないんじゃないかとちょっと怒っていた。でもそのシーンを久しぶりに観たらグッときた。原田さんに伝え損ねた」と答えたことから、全体的に原田芳雄さんメインの話に。

田んぼで松田龍平と原田さんがやり合うシーンは春先の撮影で、夜は案外寒かったらしい。泥々になったところに毛布をかけられて、余計寒いと怒られたとか。でも、あの長回しのシーンは、出演者みんな思い出深いらしい。撮り方がうまいと思うのは、白いツナギの中に二人だけ泥で茶色い人がいるから、カメラが少し引いても中心がどこだかわかりやすい。
このシーンで龍平と原田さんを発見するのは大楽源太さんだったらしいけど、忘れていて、鬼丸さんがアドリブをきかせた。

渋川さん、板尾がそれぞれが去るシーンで原田さんへ向けてのセリフ、「お前に俺の気持ちがわかるか」と「逃亡犯でも結婚できますかね?」は直前で加えられた。原田さんには了承を得なかったらしい。他にも、監督は原田さんが出ているからといって、下手に出ることはないと思っていたらしい。

最後に監督が、「このようにフィルム撮影した映画をフィルム上映することは少なくなってきてる。五年後くらいには無くなるんじゃないか」と言っていた。もう貴重な機会になってしまっているんだと思うと、少し寂しい。もちろん、IMAXでのくっきりした映像も好きだけれど、フィルム上映はこれはこれで残して欲しい。

ちなみに、原田さんの命日が7/19、『ナイン・ソウルズ』が公開されたのが9年前の7/19だったらしい。


豊田監督ではまず『青い春』を好きになって、そのあとに『ナイン・ソウルズ』を観て、一気に大好きになりました。
観るのは久しぶりでしたが、おもしろさを再確認した。やっぱりとても好きです。

九人の脱獄犯の話というだけで、ハッピーエンドは見えてはこない。それぞれが娑婆で会いたい人、やりたいことなど、思い残しを抱えていて、それを実行していく。
一台のワゴンで移動していくロードムービーのような面もある。捕まっている人たちなので、気性が荒かったり、一癖も二癖もあるが、次第に一体感からか、友情にも似たものが芽生えてくる。おもしろおかしい面もありながら、一人、また一人と願いをかなえるためにワゴンを降りていくのが切ない。
観ていくうちに、九人全員のことが好きになって、全員幸せになってほしいと思うけれど、脱獄犯ということが前提なので、幸せになれるはずはない。


ここ数年はすっかりお爺さん役が板についていた原田さんも、九年前の映画だけあってまだお父さんくらいの役柄。
龍平も、『青い春』の学ランほどではないですが、美少年っぷりが堪能できる。大体、未散という名前がいい。全員が女装するシーンがあるんですが、龍平は普通にいる女の子のようで可愛い。

瑛太がまだEITA表記だった頃ですね。カネコローンというローン会社を経営している役なんですが、その会社のCMでクソラップを披露している。カ!カネが欲しけりゃ!(ネ!がネーチャンなんとか、で、コ!が股間がなんとか)とにかく、世の中の醜悪なものをベタベタにかためたような役です。最高。
北村一樹も下品な言葉を吐きまくるチンピラという、ひどい役を楽しそうにやってる。


主要人物が九人、その一人一人にまつわる人や逃亡の途中で出会う人など、登場人物がかなり多い。そのせいもあるかもしれないですが、スクリーン内に見せる要素を多く取り込んである。前面で会話している後ろで複数人が揉めていたりとか。一つのシーンに情報量がおおいので、複数回観ても新たな発見があって楽しめそう。

特にうまいと思ったのは、まず、ぶつぶつと文句を言いながら坂を下りていく父親(原田芳雄)の姿が映される。カメラがそのまま坂の上へ移動すると、そこではなんの関係もないように娘の結婚式が行われている。花嫁と花婿が腕を組んでいる背中。教会の中へ入っていくと、まるでシャットアウトするかのように、教会の観音開きの扉が係員によって両側からかたく閉じられる。
脱獄してまで祝ってほしくない、教会の扉は親子の関係を断つようだが、娘が子どもの名前に父親の名前からしっかり一文字入れているあたりが泣かせる。

他にも、煙草の吸殻で作った相合傘を踏まないとか、それが偽札か!とか、細かい凝ったシーンがたくさんつめこまれている。


ティルダ・スウィントンとエズラ・ミラーの映画だと思っていたけれど、ティルダの映画だった。エズラ・ミラーは青年期のケヴィンだけだけど、ティルダは様々な時代をすべて演じていた。
案外セリフが少なく、映像で見せる作品だった。ティルダの表情だけで、いろいろと読み取れるものがある。時代時代によっての落差が大きく、演じ分けが素晴らしい。ストーリーは予告から想像できる通りだったけど、時間をバラバラにする見せ方がおもしろかった。

目玉のアップが何度か出てくるのも気になった。目玉に反射しているコピー機の光や、黒目の中に映る的など、撮影の仕方に独特のフェティシズムを感じた。
あと、冒頭のトマトを投げあう祭りや、パンにたっぷり塗られたイチゴジャムなど、赤への拘りも多く見られた。どうしても血を連想させる。

音楽が微妙にシーンとズレているのが、気持ち悪いような逆に心地良いような感じで妙に耳に残る。爽やかなシーンではないはずなのに、わざと爽やかな曲だったり。車で三味線みたいな曲を聴いていたり(しかも、「その曲嫌いだから消して」と息子に言われてしまう)。
この奇妙な音楽を担当したのが、レディオヘッドのジョニー・グリーンウッド。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』もちょっと気持ちが悪くて、やっぱり耳にひっかかる感じでしたが、ここでもやはり。

フランクリン役のジョン・C・ライリーは、なんとなく『おとなのけんか』と同じような役だと思った。いい夫そうでいて、あんまり深く考えていない。楽観主義者。
エズラ・ミラーは恰好良かった。口をひん曲げて笑う悪い顔は大袈裟だったけど好きです。やっぱり、少し松潤に似ている。現在は髪の毛が長いようなので切ってほしい。
ティルダ・スウィントンは中性的でエキセントリックで、みたいな印象ではもうなくなった。演技も文句のつけようがないし、この映画では全編通して女性だった。

以下、ネタバレです。




予告でのセリフ、「産まれた息子がなぜか懐かない」の“なぜか”の部分が映画内で明かされないし、「私が悪かったのでしょうか」というセリフを受けては悪くないと思うとしか言えない。
産まれたときから自分の子になぜか嫌われていて、いくら愛情を注いでも嫌がらせがエスカレートするばかりで、なんてことはリアリティがないと思って、少しもやもやしていた。

しかし、エズラ・ミラーのインタビューで、「ケヴィンは人の気持ちを察するアンテナが敏感」と言っていて、なるほどと思った。
赤ちゃんなら泣きやまないことはあるだろうし、それを嫌われていると過剰にとらえていただけなのかもしれない。他の部分も、フランクリンが言う通り、子どもらしい無邪気さゆえなのに悪意を感じたのかもしれない。多少育児ノイローゼ気味だったのではないか。
もともと、冒険家だったようなので、それを子どもができて諦めたという面もあったでしょう。そのせいで愛情を注ぎきれず、それをケヴィンが察して、反発したのかもしれない。
そして、最後に抱きしめるシーンでやっと息子を愛せたのではないか。夫と娘を殺され、殺した息子は刑務所へ。一人きりの期間に考えていたのは、ずっとケヴィンのことだったはずだ。


『ダークナイト ライジング』の公開に備えて、そもそも、キャットウーマンって何者なのか、敵か味方かもわからなかったので観てみました。2004年公開。
ネタバレです。







スパイダーマン3の黒スパイダーマンと同様、キャットウーマンになると性格まで変わってしまうんですね。これは、猫が乗り移ってるということでしょう か…。瞳孔も縦長になっていたし。前半はドンくさいイメージだったハル・ベリーが、髪も切って、メイクも変わって、後半とても綺麗になっていた。キャット ウーマンの衣装も可愛いけれど、キャットウーマンになるまでが結構長かった。
美術館に忍び込んで盗んでいたので、怪盗なのでしょうか。それで恋人が刑事で、しかもキャッツ!?ってどこかで聞いたことがある。

シャロン・ストーンがかなりおばさんに見えたんですが、ショートカットのせいかな。若いモデルに仕事を奪われる役なので、おばさんっぽいのが狙い通りなのかもしれない。

この映画では化粧品会社で働いていましたが、元々原作だと売春婦設定だったり、ティム・バートン版だと実業家の秘書だったりと設定が一致しない。でも、義賊であることは変わりなさそう。
『ダークナイト ライジング』ではどうなるのか楽しみ。


2012年に映画館で観た映画の上半期ベスト10
1.『裏切りのサーカス』
2.『ドラゴン・タトゥーの女』
3.『ザ・マペッツ』
4.『おとなのけんか』
5.『ファミリー・ツリー』
6.『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』
7.『ドライヴ』
8.『孤島の王』
9.『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』
10.『SHAME-シェイム-』

『アメイジング・スパイダーマン』までの中で決めました。
『宇宙人ポール』は去年公開のため抜きました。『J・エドガー』も最初に観たのが去年なので抜いています。

1位は迷わなかったです。何度でも観たい。映画館でもまだやってるのかな? でも観に行きづらい時間/場所だと思うので、早くソフト化されてほしい。手元に置いておきたい。
2位3位は僅差。音楽のトレント・レズナー補正で『ドラゴン・タトゥーの女』を2位にしました。
5位6位も僅差。それより『おとなのけんか』が好きかなと思ったので4位に。
7~10位も僅差。順位をつけなくてもいいくらい。
次点で『私が、生きる肌』。その次が『アメイジング・スパイダーマン』あたりです。