『スパイダーマン』


2002年公開。サム・ライミ監督。『アメイジング・スパイダーマン』を先に観ています。2002年の時点で観ていたら、まったく印象が変わっていたのではないかと思う。





スパイダーマンになるきっかけである蜘蛛にさされる(噛まれる?)シーンは、サム・ライミ版のほうが自然でした。アメスパのオズコープ社のセキュリティの甘さは疑問が残ったので。

アメスパは蜘蛛の糸が出る装置を研究して自分で作っていたけど、サム・ライミ版では手の形や向きによって、手から糸が実際に出ていたみたいで、より蜘蛛っぽい。

女性に好かれるために車が欲しい→お金が無い→能力を使ってアマレスに参加して賞金GETという、町の平和などではなく、本当に自分のためだけにスパイダーマン能力を使おうとしていた。レスラーのマスクからヒントを得て、スパイダーマンの衣装を作るところは一緒。キック・アスのマスクは、ここで出てくるプロトタイプスパイダーマンを模したものなのかな。
また、自分のスパイダーマン写真を新聞社に売って採用してもらおうというのも、能力の利用の仕方がずるい。『スパイダーマン3』でも同じことをやっていたようだった。主人公があまり好きになれないと、作品自体もあまり好きになれない。

ヒロインであるMJがスパイダーマンのマスクの口の部分だけ出してキスするシーンは、命を二度救ってもらったとはいえ、唐突に感じました。ジェームズ・フランコ演じるハリーと付き合っていながら、というのもなんとも。
しかも、映画の最後のほうでは、中身をばらしていないのにピーター・パーカー自身を愛していると言っていて、流れがよくわからなかった。
対するハリーは、MJには振られるし、グリーンゴブリンなの知らないとはいえ、親は殺されるし、散々なのもかわいそう。

サム・ライミ版のスパイダーマンのほうがコスチュームが顔にぴったりしているようだった。アメスパはマスク自体が取れちゃうシーンが多かったけど、サム・ライミ版は、3でもそうでしたが顔についたまま、マスクが破けて隙間から顔が見える。

ラストでピーターはMJとうまくいくものの、正体は明かさない。授かった能力のことを思い、「力は呪い」と恰好良いことを言っていた。でも、結局、そのわりに3の最初では、スパイダーマンなのをMJも知っていたようだし、蜘蛛の力を使って、遊び呆けていた。2で何があったのか気になるけど、ピーターがこれ以上、蜘蛛の力を使って調子に乗るのを観たくない気もする。


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