2006年公開(イギリスでは2004年)。マシュー・ヴォーンが『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』の続編の監督を降板したという話題と、若いダニエル・クレイグが気になったのと、トム・ハーディが出ているので観てました。

八年前の映画とは思えない。スタイリッシュなことをやると、やはりその時代のブームみたいなものが反映されるので、あとから観ると恥ずかしくなることが多いと思うのですが、まったく古さを感じない。序盤の流れるようなカメラワークはミュージックビデオのような作りだった。もしかしたら、マシュー・ヴォーンはミュージックビデオ出身なのかと思ったけれど、特にそんなこともなさそう。ガイ・リッチーはそっち方面やCM出身らしいですが。

やっぱりマシュー・ヴォーンは『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』など、ガイ・リッチー監督作で製作をつとめていたことで有名になったせいもあって、比べられることも多いし、作風が似ている。今作も、マシュー・ヴォーンにとって初監督作ですが、もともとはガイ・リッチーが監督をつとめるはずだったらしい。登場人物の多いクライムムービーということで、題材自体が『ロック、ストック~』『スナッチ』『ロックンローラ』あたりに似ているのでテイストが似てしまうのは仕方ないとは思う。どちらも好きです。

それでも、特典映像に収録された監督インタビューでガイ・リッチーのこと聞かれすぎなのは少し可哀想だった。あと、低予算にこだわっているとも話していた。低予算で作れば、もしも興行収入がいまいちだったとしても文句を言われることはなく、好きなことができるから、とのこと。

特典映像には未公開シーンが多数収録されていた。誘拐された娘のエピソードはごっそり削られているらしい。それぞれの未公開シーン自体は興味深くはあったけれど、確かに入れると間延びしていたと思う。登場人物が多いだけに、主題から遠い場所のエピソードを入れ出すとなんでもかんでも加えなければいけなくなってしまう。ごっそり削ることで、話の中心がはっきりするし、なによりテンポも良くなる。

ダニエル・クレイグの若造っぷりが可愛かったです。今年公開された『ドラゴン・タトゥーの女』だと、大人の余裕でドンとかまえる色気のあるおじさんというイメージだったんですが、今作では周りに振り回され事件に巻き込まれていた。セクシーではあるけれど、まだまだ若い。ほんの八年前でも結構変わっている。恰好いいです。

トム・ハーディは今と比べて一回りくらい小さかった。役柄も見た目も『ロックンローラ』のハンサムボブと似ていた。

『ダークナイト ライジング』でダゲットの部下を演じたバーン・ゴーマンが出てきて少し気になりました。

クライム物だから人はたくさん殺されるけれど、残虐描写が少なかったのはたぶん意識的に避けてたんだと思う。人を撃つシーンでぐっとカメラがひいたり、殴るシーンも殴られる側の視点になったりと、見せ方の工夫がおもしろかった。

ラストは賛否両論あったらしく、何パターンか撮られていたらしいけれど、採用されたバージョンで良かったと思う。
あんなに惚れていた彼女を寝取られて、シドニーが黙っているのはおかしい。主人公と女性の乗った車の後ろをシドニーが追っかけて行って、その先どうなったかはご想像におまかせ、みたいなラストもあったらしいけれど、その辺はぼやかさずにはっきりやっちゃったほうがいいでしょう。
多少あっけないけれど、この幕切れは心に残るし好きです。


ユナイテッドシネマの秋シネマコレクションにて。少し前の人気作の再上映。いろいろと良いセレクションでした。本当は『おとなのけんか』も観たいところ…。
何度か観ているので、字幕を読まなくてもなんとなくの聞き取りで観ることができた。

恰好良い俳優が揃えられている本作ですが、一番最初に観た頃にはトム・ハーディが良くて、何度か観るうちにベネディクト・カンバーバッチが気になって仕方なくなり、今回はマーク・ストロングがとても恰好良かった。声も渋い。コリン・ファースは毎回好きです。

何度観ても、最後の『La Mer』のシーンが好きです。ずっと歌が流れているからセリフが無いというのに、登場人物の感情が一番わかりやすいのがこのシーン。いや、逆なのかもしれない。セリフが無いからこそ、誤魔化しがきかない。言葉でなんとでも言えてしまえば、気持ちなんて隠すことができる。ここでは、表情のみ、視線と視線の絡み方のみで、感情が伝わってくる。過去のシーンで交わされる笑顔と現在のシーンの悲痛な表情と涙とで、切ない気持ちになる。トーマス・アルフレッドソンは、はやくビルとジムの過去編を作って欲しい。

2010年公開。テレビにて。映画館でも観ました。

2よりもこちらのほうが火薬の量が多そうだった。特に終盤、アジトを脱出して逃げるあたりの爆破に次ぐ爆破と火の海具合はやりすぎ感に笑ってしまう。

彫り師役のミッキー・ロークが恰好良くて、結構良いキャラクターなので、2に出てこなかったのは残念。でも、オアシス的な役割というか、前線には出ないので、メンバーがほぼ前線に出っぱなしの2では出番がないのもわかる。ヴァンダム、シュワルツェネッガー、ブルース・ウィリスという2からの新キャラ・出番の増えたキャラにもお金もかかってるんだろうし。

忘れていたけど、そういえば、悪役が『ダークナイト』のマローニ役のエリック・ロバーツだった。

エクスペンダブルズの面々やヒロインなど、全員がとにかくバーニー(スタローン)を慕っているように撮られている。監督も彼自身がつとめていると考えるとなかなかこそばゆい。憎まれ口を叩きながらも、バーニーに認めてもらいたくて頑張るクリスマス(ジェイソン・ステイサム)が「惚れたか?」と冗談まじりにたずねるシーンが好きです。

終わり方は1のほうが好きでした。クリスマスがハンデをつけて、すごく遠くから投げたナイフがちゃんと刺さる。クリスマスの腕が確かなことがわかるし、ナイフが刺さる的側にカメラを置くことで、全員がこちらを向いていても不自然ではない。せっかく出演者が豪華なんだし、最後にしっかり全員の顔を見せる工夫がとられているのはいいですね。



映画館に豪華出演者の立て看板が飾ってあって、それを見たときに、リアム・ヘムズワースというクリス・ヘムズワースの弟さんが出ているのを初めて知りました。目元が結構似ていた。
前作では顔見せ程度だったブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガーもまあまあ活躍していました。
以下、ネタバレです。










リアム・ヘムズワースは、 実際の年齢が22歳ということで出演者の中でもダントツで若く、エクスペンダブルズの新入り役でした。しかし、ストーリー上のキーパーソンではありながら早々に離脱…。恰好良かったし、もう少し観たかったです。残念。

前作同様、もしかしたら前作以上に話の深みなどは一切無かった。同行していた女性が実は悪役側で…みたいなどんでん返しを想像していたけれど、特にそんな要素もなし。悪い奴がとことん悪くて、それをとにかく倒してくという、それだけの話。モブキャラはバッタバッタと死ぬ。でも、これだけ出演者が濃いと、それで十分おもしろい。むしろ、変に深みなんかは持たせないほうがおもしろいと思う。
さすがに年季の入った方々のアクションはやっぱりうまいし、それだけで見応えがあった。一番好きだったのは、メンバーの中では若者のジェイソン・ステイサムの教会のシーン。神父姿でナイフを自在に操る様が恰好良かった。いつの間にか、しっかりアクション俳優の仲間入りをしていた。

出演者の過去作オマージュが満載なのも良かった。スタローンのボクシングネタにはにやりとさせられたし、シュワルツェネッガーにいたっては「I’ll be back.」を連発、ダダンダンダダンというおなじみのSEまで付けてくる悪ふざけっぷり。でも、そもそもがそうゆう映画なので、しつこいくらいでいい。

バーニーとクリスマスのケンカップル度は上がってた。彼女といちゃつくクリスマスに対しての、バーニーの嫉妬はこちらが恥ずかしくなるほど。いちいちかみついていた。

今回も打ち上げがあるかと思ったら、飛行機の中でのちょっとしたシーンだけでした。もっと長くてもいいのにと思ったけど、廃ホテル(?)での「最後の晩餐に何を食べたいか?」という無駄に長い話し合いのシーンも中打ち上げみたいなものだったし、アクション以外の部分はあんまり加えないようにしたのかもしれない。
今回は本当にアクションだけに特化した、シンプルなものが作りたかったのかもしれない。エクスペンダブルズ面々のアクション以外のシーンも好きなのですが、日常のわいわい話しているシーンは省かれてしまうのは仕方が無いのかな。

『アルゴ』


ベン・アフレック監督・主演作。偽の映画を制作し人質たちをロケハンに仕立て上げるという、小説よりも奇なる事実、CIAによるイランでの人質救出作戦を題材にしたあたり、まず目の付け所が大正解。これで映画がおもしろくならないわけがない。
ベン・アフレックが手がけた前作『ザ・タウン』は、いい映画だけど手堅いというか、少し地味な印象だった。しかし、今回は堅実さだけではない面も見られる。それでも、彼の高潔さとか生真面目さ、正しさみたいなものはちゃんと残ってるあたりが、監督としてのカラーを確立させた感じもする。
以下、ネタバレです。







実話なのでネタバレといっても、脚色はあると思いますが事実の通りです。私はその事実をまったく知らない状態で鑑賞したため、最後の最後までどうなってしまうのかわからなかった。

終盤の空港以降のシーンのつくりが特に素晴らしい。空港とCIAと映画スタジオをぱっぱっと切り替えながら状況を見せていくことで、リアルタイムにすべてが絶妙のタイミングで進んでいくのがわかる。どこかが少しズレても駄目になる、このギリギリの状況は観ていて本当にハラハラした。ラストに向かっての畳み掛けるように次々とピンチが訪れ、それを回避して…という展開は、くちびるかんで観てました。手に爪の跡も付いた。
飛行機が飛び立ち、イランの領空を出たシーンでは、これ以上ないというほどのカタルシスが訪れて、拍手をしそうになってしまった。終盤の演出は本当にうまくて、感心しながら観てました。120分が短く感じられるほどだった。

しかし、それだけではなくて、序盤の画づくりもおもしろかったです。ざっと歴史をおさらいするのですが、漫画のコマと報道のような映像が混ざっていて、重い事実を重苦しく見せず、テンポ良く辿っていく。フィクションとノンフィクションの境界が曖昧になっているのは、この先起こる奇妙な人質救出作戦へ向けての布石にも見える。

また、その序盤のあたりでは、歴史をまったく頭に入れてこなかったことを後悔して、もしかしたら難しい話なのではないか、予習してくるべきだったとも思ったけれど、監督・主演であるベン・アフレックが登場したあたりから、ストーリーに軽快さが加わる。
緊迫した状況ながらもそれだけではなく、偽映画製作現場での笑いの取り入れ方も良かった。特に、脚本の読み合わせのシーンはうまかった。淡々と声明文を読み上げるイラクの女性と、宇宙人のような奇妙な衣装でSF脚本を読み上げる偽映画のキャスト陣が、時に混ざりながら交互に映る。偽映画パートは呑気にやっているようにも見え、笑いも起きるが、実はこれは重要な作戦の一環だというのが思い出され、観ている側も気を引き締められる。この辺のさじ加減は監督の手腕によるものだと思う。

こんなのを見せられたら、ベン・アフレックの監督としてのこの先にもとても期待してしまう。もちろん、題材選びも良かったと思いますが、展開や演出も本当にうまかったし、これをベン・アフレックが?と思うと、贔屓目でよりうまく感じられた。文句無しにおもしろかった。

また今回、役者としてもとても恰好良かった。髭と長めの髪で野暮ったい外見ながらも、目が使命感と正義感に溢れたようにきらきらしていた。ただ、その髭や長髪が、顔の輪郭を隠すのに役立っていて恰好良く見えたのでは、という説もあるようですが…。

『最終目的地』


アメリカでは2008年公開というから4年前の映画だったんですね。
アンソニー・ホプキンスの恋人役を真田広之が演じているという情報だけしか知らずに観に行ったのですが、最初、登場人物の相関図がよくわからなかった。作家の伝記を書く許可をもらうために、青年が家族がいるウルグアイへ向かうのですが、アンソニー・ホプキンスが作家なのかと思った…。
以下、ネタバレです。家族の関係性くらいは頭に入れていったほうが、話に入っていきやすいです。



アンソニー・ホプキンスは死んだ作家の兄、その恋人が真田広之。そして、作家の妻と作家の愛人と愛人の娘が一緒に暮らしています。
それぞれ個性が強くて、ギスギスした空気が漂っている中に、見た目普通の少し冴えない、聡明な彼女に愛想をつかされ気味の主人公がやってくる。彼がうまく風通し役になる。

主人公の青年はそれほどでもなかったけれど、主要人物四人の演技が上手かった。ゆったりしていて渋めな話なだけに、役者さんたちの演技力が際立っていた。

真田広之、いいですね。英語もうまいし、演技もナチュラルでした。ふわっとした優しい役柄も合ってた。全裸で寝てるシーンもあったけど、いやらしくない。
アダム(アンソニー・ホプキンス)とのエピソードも良かったです。アダムはピート(真田広之)を自分と一緒にいても幸せになれないと考えて、彼を解放するために金を工面しようとする。それを知ったピートは「僕はもう40歳だ! 25年間一緒にいたのに!」と怒る。
そりゃ、アダムみたいな爺さんからしたら、まだまだ若者に見えるかもしれない。でも、40歳は立派な大人で、自分の意思でなければ近くになどいない。嫌ならとっくに自分から離れている。その辺の事柄もちゃんと口に出さないと、はっきりと相手には伝わらないんですね。25年間の中でなあなあになっていたことが、解消された。

主人公の青年・オマーが言われるがままにアダムの宝石を密輸していたら、金は出来たかもしれないけれど、犯罪者として捕まっていたかもしれない。また、ピートがそんな方法で作った金を手切れ金として受け取ることもないだろう。
オマーが蜂に刺される事故があったから、彼の彼女のディアドラがウルグアイへ来た。ディアドラがアダムからの密輸依頼をオマーに代わって断ったことで、結果的に事態が良い方向へ大きく進んだ。すべてが繋がっている。

そして、その宝石をピートが犯罪ではない方法でさばいて金を作り、本当に金が必要な人物へと渡す。
常に眉間に皺を寄せ、居心地が悪そうだった作家の本妻のキャロライン(ローラ・リニー)。真に解放されたがっていたのは彼女で、その辺も、義理の兄であるアダムと昼間から酒を飲みながらゆったりと会話をする中で明らかになる。金を渡すのと引き換えに、土地の権利を譲り受けることで、キャロラインは家を出られる、ピートは土地を有効利用できるという誰もが納得の結果になった。

シャルロット・ゲンズブールは、『アンチクライスト』が強烈だったせいもあるのかもしれないけれど、幸薄顔/愛人顔に見えた。今回も愛人役がよくハマってました。彼女のいるオマーを好きになってしまい、またしても…という感じではありますが、最後は強さみたいなものを供えた幸せな顔になってただけに、幸薄顔/愛人顔も演技なんでしょうか。着ていた古着風のワンピースも可愛かったです。

静かながらも映像で登場人物の気持ちが察することができるシーンがいくつもあった。
ベッドに寝ているオマーにディアドラがレースのカーテン越しに話しかけるシーン。顔の表情が透けて見えるような薄いカーテンではあるけれど、二人の間を隔てているものはそれ以上に感じられる。この二人の関係はもう終わりなのだと思う。

蜂に刺されたオマーを見舞うために、アーデン(シャルロット・ゲンズブール)が運転する車の助手席にディアドラが乗っている。多数の牛が車の前を横切って、気まずい時間が流れる。どうにも手持ち無沙汰になったのか、アーデンは「医者が私をオマーの彼女だと勘違いして…」といま話さなくてもいい話を切り出す。間が持たないときって余計なことを話してしまいますよね。痛いほどわかる。

ラスト前のシーンの大雨は、少しありがちというか演出過多だったかもしれない。でも、アーデンに追い出されて、アダムとピートのところに駆け込んでアドバイスを受けるのは好きでした。あのシーンが晴天だったら、オマーはそのまま帰国してしまったかもしれない。

数年後の様子もまた良かった。
キャロラインがオペラ鑑賞に来ている。眉間に皺も寄っていないし、ひっつめていた髪の毛を下ろしていて、雰囲気が優しく変わっている。隣りにはパートナーらしき男性がいて、幸せそう。
ここで偶然会うのがディアドラだというのもおもしろかった。ディアドラの隣りにもパートナーがいる。コロンビア大学で教授をやっているらしく、彼女らしいエリートコースを驀進中のようだった。そして、いま住んでいる場所が近いことを話し、電話番号を交換する。なんとなく気が合いそうにも見える二人の再会はこの先に繋がりそうだった。

絡まっていた糸が解けて、すっとすべてが収まるべきところに収まって、幸せな結末を迎える。最終的には、複雑だった人間関係も納得のいく形になっていた。なるほど、そこが彼らの“最終目的地”なのだ。


ボーン三部作の第二弾。レガシーを観るために第三弾のアルティメイタムを先に観ました。そのため、最初のアイデンティティでヒロインだったマリーがどうやら亡くなったらしいというのは知っていたんですが、その亡くなりかたがかなり適当。しかも話の序盤すぎる上に、ストーリーのキーにもなっていない。必要のない人を退場させたのかなとか、ヒロインを変更したかったのかなというのがありありとわかってしまった。哀しい。

けれども、先の展開を見れば、確かにストーリー上、ボーンに恋人は存在しないほうがいいのも明らか。駅やホテルをひょいひょいと軽快に逃げるには、単独行動のほうがいいだろう。一人なので当然セリフもなく、黙ったまま、静かに人ごみに紛れていく。なんとなく、『ドライブ』の最初のシーンで、主人公がスタジアム帰りの客に紛れるシーンを思い出すようだった。やはりボーンは肉体派というよりは知的である点が魅力だと思う。
そう考えると、改めて、『ボーン・レガシー』はマッチョアクションだったと思う。あれでは普通のアクション映画になってしまう。

スプレマシーはラストも良かった。両親殺した謝罪をしに、わざわざ娘の元へ行くとは思わなかった。この力押しだけではない悲哀がたまらない。

操られているだけで本当はいい奴だということで、敵方にも情報提供者が現れる。パメラから本名を知らされて、ジェイソン・ボーンの謎がまた一つ明らかになる。しかも、これがラスト付近というのが、タイミング的にも続編を匂わせていて良い。
電話越しの「休んだほうがいいんじゃないか? 疲れた顔してる」という、すぐそばにいることを暗に知らせるセリフはアルティメイタムにも出てきたけど、結構好きです。小憎い。本当に三部作はどれもこれも面白かった。



1987年公開作品ですが、今回観たのは〔ニュー・ディレクターズ・カット版〕ということで、監督が色彩と構図を多少変更したもの。2008年のカンヌ映画祭で上映され、日本でも2009年とわりと最近上映されたらしい。
有名作ですが、タイトルを聞いていただけで、内容はまったく知らないまま、今回初めて観ました。

一言で言ってしまえば、とても雰囲気の良い映画。ゆったりと流れる時間と風景と音楽。ずっと観ていたくなる。ファンが多いのも納得。
ストーリー自体も重大事件が起こるわけではない。しかし、最初は痛いくらいにひりひりと乾いた空気が、一人の人物の登場によって、少しずつゆっくりと和らいでいく。

序盤、ブレンダがヒステリックに喚き散らし、果ては夫を追い出してしまうシーンで、これは観ていられないと思った。不快な想いに頭痛がするほどだった。しかし、夫が本当に出て行ってしまうと、こっそりと涙を流していて、この人は悪い人ではなく、不器用なだけなのだと察することができた。ヤスミンがカフェや事務所を片付けたシーンでも怒っていたけれど、結局、自分のほうがおかしいことにすぐに気づいたり、ブレンダの子供がヤスミンに懐いたあとも、「自分の子供と遊びな!」とガミガミ言ったあと、すぐに「ごめん、言い過ぎた」と謝りに来ていた。

このヤスミンという女性がとても魅力的だった。ドイツからの旅行者でカフェ併設のモーテルに泊まるうちに、カフェの住民に溶け込んでいく。この女性がふくよかなのがまたいい。優しそうだし包容力がありそう。

ラスト付近のミュージカルのようなシーンの多幸感も素晴らしい。かつて閑散としていて、常連さんがぽつりぽつりとしか訪れなかったカフェは満員御礼。お客さんを巻き込んでの合唱と合間に挟まれる手品ショー。一緒に手拍子をしたくなる。

なんとなく、アート映画の印象があったので、もっと高尚でわかりにくいものを想像していたけれど、そんなことはまったくなかった。クスっとしてしまう小さな笑いがふんだんに取り込んであったのも好印象。有名作にはちゃんと理由があるのが良くわかった。



ボーンシリーズのスピンオフ作品。三作目『ボーン・アルティメイタム』の裏で起こっていたことという設定。
ジェレミー・レナーは本作で大ブレイク?と思われたけど、なかなか厳しそうな気がする。
以下、ネタバレです。











アルティメイタムの序盤で殺される記者をちらっと出してみたり、パメラを登場させてみたりと話をリンクさせようとする努力はうかがえたけど、もっと繋がりを密接にしてくれたほうがおもしろかった。出てはくるものの、直接、今回の主人公であるジェレミー・レナー演じるアーロンとは関わってこない。
また、ジェイソン・ボーンは名前や写真だけで出てくるため、あちらの大物さが強調されてしまう。アーロンから見て、雲の上の存在のように思えて、対比として今回のアーロンがやたらと小物に見えてしまう。

こんなことなら、ボーンシリーズのスピンオフなどにしないで、ジェレミー・レナーで新しいアクション映画を撮ってくれたほうが良かった。
はっきり言って、ボーン三部作を予習する必要もなかったけど、“トレッドストーン”などの作戦名は説明もないままバンバン出てくるので観ておいたほうがいいのかな…。
これはジェレミーファンとして本当に残念なことだけれど、予習をしたことによって、ボーン三部作がいかにおもしろかったかがよくわかる皮肉な結果になってしまった。

今回のレガシーは、一応ボーンシリーズに共通するような逃亡劇はあるものの、そもそもなんで逃げているのかがわからなくなってくる。
また、アーロンが危険分子という感じでもない。どちらかというと、一緒に逃げている女性(博士)を逃がすなという風で、もうアーロンは必要なんじゃないの?と思ってしまった。
最強の追っ手である、No.3のかませ犬感もひどい。直接の殴り合いや撃ち合いもなく、逃げるのを追う途中で自滅してしまう。

ラスボスは一応、エドワード・ノートンだったのかもしれないけれど、彼がまったく魅力的じゃなかったのも問題。キャラも悪かったのかもしれないけれど、少しも恰好良く見えなかった。今回はCIAというよりは製薬会社側で指示を出しているんですが、ボーン三部作のクリス・クーパーやデヴィッド・ストラザーンのほうがよっぽど悪役として魅力的だった。エドワード・ノートンは怖くもないし、それほど大した仕事をした風でもなかった。

前半と後半がバラバラなのもどうかと思う。前半は雪山で特訓をしてるんですが、もう雪山なら全編雪山で良かったのではないか。都市部での逃亡を中心とするなら、雪山シーンがもっと短くていい。

私はジェレミー・レナーが好きなので、ジェレミー恰好良いなー、恰好良いというか可愛いなーという気持ちだけで観ることができたけど、特にファンでない人の目にはどう映っただろう。
それとも、もっとここをこうしてくれたらおもしろかったのにという箇所が多く見受けられたのは、ジェレミーファンだからなのでしょうか。