『フランケン・ウィニー』


映画館で観ようと思っていて逃していたので飛行機内にて観ました。ティム・バートン監督作品。84年に作られた30分の短編映画を長編化したものとのこと。
キャラ造型がティム・バートンの描いたイラストの通りで、それが動くのだから可愛い。人間も動物も可愛かった。そのくせ、スパーキー(犬)やおヒゲちゃん(猫)については、見た目はぬいぐるみっぽくても、動きが誤魔化すことなく本物の動物みたいなのも良かった。しっかり研究されているような動き方をしていた。
あと、個人的に好みですが、トシアキが恰好良かったのでフィギュアとか欲しいけど、出てないみたい。
吹替で観たのでわからないんですが、トシアキはちゃんと日本人が話す英語になっていたらしいというのが気になる。

配給がディズニーなんですが、最初にロゴとシンデレラ城の映像と『星に願いを』が流れる場面、音楽が途中で一転しておどろおどろしいものになり、お城の背後も曇って…というのが良かった。ストーリーへのうまい導入の仕方でした。たしか、『トロン:レガシー』もこの画面が変えられていたと思う。

キャラクターや映像は良かった。でも、ストーリーの最後がちょっとどうなんだろうと思ってしまいました。

以下、ネタバレです。








タイトルにフランケンと付いていることからもわかるように、死んだ愛犬、スパーキーを生き返らせたことでのすったもんだが描かれています。他の子供も真似して死んだものを生き返らせたために、大変なことに。
それは、子供のしたことだから…では済まされないけれど、事態が終息して、大人が子供のいたずらを諭して一件落着だと思うんですよ。
ところが、大人たちがフランケンになったスパーキーをフランケンとして復活させることに協力しちゃう。そりゃあ、フランケンでもスパーキーの動きは愛らし かった。飼い犬とはいつも一緒にいたいよね。でも、不慮の事故とはいえ、一応は死んでいる。そのお別れまで含めないといけないんじゃないの? 悲しくても仕方ないじゃない。その辺をファンタジーだからといって有耶無耶にしてしまうのはどうかと思う。子供も観るだろう映画なんだし、ちょっとした教訓みたいなものは必要なんじゃないか。

短編のほうは観ていないので、違いはわからないけど、もともとこんな終わり方なんだろうか。そもそも、死んだ者を生き返らせたことで大変なことになったことは、みんな忘れちゃったんだろうか。今回スパーキーを生き返らせたら、いつか、うちのおじいちゃんも…とかってことになるよ。子供はそれが許されると思っちゃう。

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