『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』



2014年公開『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の続編。監督は前作と同じジェームズ・ガン。他のMCU作品、『アイアンマン』も『キャプテン・アメリカ』などは続編で監督が変わっていたが、本シリーズは同じである。
他の監督では出せない特別で独特なカラーが確立されたと思う。それどころか、より濃くなっていた。もともと、一作目からかなりアクの強い作品ではあったが、さらに濃い。

以下、ネタバレです。









前作ではタイトルがバン!と出る瞬間が最高でしたが、本作も本当に最高で、みんなが最高だったと言っていたことがわかっているのだろうし、一際のこだわりとセンスの良さを感じた。
前作でもBGMというよりは登場人物が曲をかけて踊るのだけれど、本作も同様である。ただ、前作ではピーター・クイルが一人きりで踊っていたが、本作では彼は前作で見つけた仲間たちと一緒にいる。ただ、踊るのも曲をかけるのも彼ではない。
踊るのと曲をかけるのは、予告編などの段階から可愛い可愛いと好評だったベビー・グルートである。
彼がコードをつなぐと、Electric Light Orchestraの『Mr,Blue Sky』が流れ出す。軽やかなこの曲に合わせて、ベビー・グルートが本当に楽しそうにちょこちょこ踊っている。その後ろで、他のメンバーは緊迫したバトルを繰り広げている。でもカメラはバトルではなく、踊るグルートを追っていく。
もうここだけで最高だし、これこそが『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』だと思う。そうそうこれだと思い出した。
ノリのいい音楽、ダンス、個々の濃いキャラクターの生かし方、シリアスになりすぎない、でもやるときゃやる。作品のトーンがオープニングに凝縮されていた。

同じように本編中でも、グルートに押しちゃいけないボタンを教えるシーンで、外ではガンガンに激しい戦闘が行われていそうだったけれどそれを映さずに、ロケットが懇々と諭すシーンだけが映されている。先頭の途中でちょっとだけスターロードが顔を出したりする。何かが起こっている裏で何かが起こっている。当たり前のことである。でも普通は、戦闘している側をメインで映すだろうに、こっちをメインにするとはおもしろい視点の変え方である。
また、ここでの
ロケット「ネビュラにも聞いた?」
スターロード「(少し考えてから)聞いたよ」
ロ「本当に聞いた?」
ス「さっきヨンドゥに聞いたときに隣に立ってたから聞こえただろ」
ロ「ちゃんと聞いてくれ!」
というやりとりがお互いの性格が出ていておもしろかった。

本作では、このような何気無い会話やおふざけや笑いの要素がより多くなっていたと思う。たぶん、前作では初抜擢だったし、セーブしていたのではないだろうか。今回のほうが、より監督のやりたいように思いっきりできたのだと思う。この作品が作れて嬉しい!という単純な感情が伝わってくる。
序盤なんて、全然関係無い会話をしていてガモーラに「それ、今しなきゃいけない話?」と怒られていた。映画を観ている側も会話を一緒になって楽しんでいたけれど、スクリーンの中の登場人物が一番正論を言う。

檻に閉じ込められたロケットとヨンドゥのためにグルートが活躍する場面は繰り返しがやりすぎ感があったけれど、そのしつこさが好きです。ワープして惑星に飛ぶときの顔の変化も、もはやB級映画である。

惑星ソヴリンは、全身が金色で豪華絢爛、格調高くて、戦闘もゲームのような遠隔操作で…という世界観も監督が作り上げたのだろうか。今回、最初の原因ではあるけれど、サブの存在であるこの星は、この設定だけで、技術力は相当高そうとか、プライドも高そうとかいろいろと想像できる。
ラヴェジャーズの旗艦から切り離されたヨンドゥの船も、ファンネルのようにビームが出る丸型のものが機体に付いていて動く。一斉攻撃をするときにはその丸型が集まっていくのがおもしろい。

別の星もそうだし、機体もそうなのだけれど、さほど重要でない部分の作り込みが凝っていて、今回はほぼ地球外での話だけれど、本当にこの世界があるように思えた。
観ていてワクワクするこの雰囲気はなんなのだろうと思ったが、『スター・ウォーズ』を観ている時の気持ちと同じなことに気がついてしまった。だいぶおふざけが多いし、主人公たちは真っ当ではないけれど。

今回は、ピーター・クイルの父親に関しての話がメインになっている。はっきり言って、王道である。どんでん返しや奇をてらった部分はない。でもちょこちょことわきにそれながらやっているから、メインとなる話がこれくらいしっかりしているのはいいと思う。メインとなる話まで変わっていたら、本当にB級になってしまう。

ずっとさがしていた父。幼い頃に出来なかったキャッチボールを、大人になった今する。偉大な人で、自分もその偉大な力を受け継いでいて…ということを知ったことは、幼い頃に母を亡くし、その後、ヨンドゥにさらわれて、ラヴェジャーズとともに盗みなども繰り返してきたピーターからしたら、初めてまともになれるかもしれないと思えた瞬間だったかもしれない。ほとんど洗脳のように、父の言葉はピーターの心に甘く巣食ったと思う。父の惑星もキラキラしていて、夢のような世界だった。

一方で、ロケット、グルート、ネビュラの一派はラヴェジャーズの旗艦へ。そちらは暗く、汚い。前作でピーターを逃したことで、ヨンドゥは裏切り者扱いをされてクーデターが起こる。ロケットとヨンドゥは一緒の檻に閉じ込められるが、性格がよく似ていた。粗暴な喋り方で素直になれなくて、人付き合いが苦手。でも本当は優しい。それで、お互いが、なんかこいつ似てるなという気持ちになるから、絆が芽生える。

そうして奇妙な友情が芽生えた後の脱出劇が恰好良かった。ヨンドゥの口笛で操る弓を使ってのアクションが爽快。ヨンドゥは口笛を吹きながら歩いているだけなのに、敵がばったばったと倒れていく。弓は赤い軌道が残るのだが、まるで縫い物をするように、綺麗に敵をつなげていく。わざとというか、旗艦の中の電気がパッと消えて軌道だけが光って見える演出も恰好良かった。

ただ、一方ではピーターが惑わされそうになっていて、一方ではヨンドゥの実はいい人っぷりが見えてくると、ピーターと一緒にいる実の父が怪しく見えてくる。
ストーリーの展開は王道なので、その通り、文字通りの化けの皮が剥がれてくる。そして、育ての親であるヨンドゥがピーターを助ける。そうなのだろうなと思う展開でも、これがとてもアツいし、ピーターが今の仲間との絆を確認する展開は泣けてしまった。

結局、ヨンドゥはピーターを救い、自分は犠牲になる。ここまで笑える要素を細かく配置してきたから、もしかしてうっそでしたー!とばかりに生き返ったりするのではないかとも思ってしまったが、生き返らない。
これは、もしかしたらスクリーンの向こうにいる彼らも同じ気持ちだったのではないかと思う。ヨンドゥなら生き返りそう。生き返るのではないか。死んだのは嘘だと言ってくれ。きっとそう考えていただろう。でも、もちろん動かない。

そこへ、ヨンドゥを追放したかつての仲間が弔いに駆けつけ、ラヴェジャーズ式の弔いとして、花火を上げる。
POVではないけれど、ピーターたちが乗っている船に私も乗って、その窓から花火を観ているような映像になる。スクリーンいっぱいに、多数の宇宙船からの花火が映し出される。IMAXで観たので、大画面で色も綺麗で、見応えがあった。
またヨンドゥの飛んでくる弓など、3Dを意識した映像もあったため、IMAX3Dで良かったと思った。
また、4DXの動きは監督監修らしいのでそちらも気になる。観てみたい。

本作は最終的には宇宙を救うけれど、発端はピーター個人の話である。実の父と育ての父、そして、現在、周囲にいる大切な“家族”。ガモーラとネビュラの豪快で愛憎入り混じった姉妹喧嘩もあった。
そういった狭いけれど、身近なものを守っていたら、結果的に宇宙も救われたという感じだ。

だから、一応MCUの中には組み込まれているけれど、続きものではない。インフィニティーストーンやサノスなどは出てくるけれど、アイアンマンなどは出てくる気配はない。この先、彼らがアベンジャーズにどう関わってくるかは気になるところだけれど、あくまでも、アベンジャーズにちょっと出るだけで、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーには出てこないだろう。原作ではアイアンマンが加入していたこともあるそうだけれど、映画では本当に本シリーズだけトーンが違うし、濃い。トニー・スタークとは合わなそう。

最近のMCU作品は前作とか前々作とか、もっと前まで遡らないと話がわからないことが多い。それはそれで、壮大だし楽しいけれど、本作は単体でも楽しめる貴重なMCU作品だと思う。

もっと言えば、ベビー・グルート可愛いという気持ちだけで、前作を観ずにいきなり本作を観ても楽しめるかもしれない。ギャグも楽しいし、ストーリーは誰でも楽しめる家族ものだ。
でも、いきなり本作を観て楽しい!と思ったら、絶対に前作も楽しめると思うので観てほしい。

ラストではグルートがすでにベビーではなくなっていた。ティーンである。携帯ゲームをしていて、後ろからピーターが話しかけても、面倒くさそうに応対するだけ。まるで、反抗期の息子と父親のようなやりとりが可愛くもおかしい。とてもキュートなベビー・グルートは一作だけという潔さもいいです。

次作も同じくジェームズ・ガンが監督をすることが決まっているらしい。ここまで来たら、最後まで同じ人じゃないと作り上げられないだろう。三作目はさらに濃くなりそうな予感。

また、個人的な好みですが、ピーター・クイルを演じたクリス・プラットが前作よりも、というより他の映画よりもだいぶ恰好良かった。役にはまっていたせいもあるかもしれない。






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