『ボーダーライン』の脚本のテイラー・シェリダンが監督・脚本。その時点で気づくべきだったんですが、“なぜここで少女ばかりが殺されるのか”というコピーから猟奇連続殺人ものだと勝手に思っていたのですが、もっと重く、深く、考えさせられる内容だった。ニック・ケイヴの音楽も合っている。
主演はジェレミー・レナーとエリザベス・オルセン。「この扉を出たら君もアベンジャーズだ」のホークアイとスカーレット・ウィッチコンビ。

以下、ネタバレです。













舞台はワイオミング州ウインド・リバー・カントリー。冬は雪深く、厳しい土地のようだった。ここにインディアン保留地が舞台。私はインディアン保留地というのも知らなかったんですが、先住民が集められた場所がアメリカ国内に300箇所以上あるらしい。
本作で描かれている限り、牛がピューマに襲われたり、周囲には何もなかったり、雪もかなり降るようだったりと、住むのも大変そうな場所だった。

ジェレミー・レナー演じる コリーはここで野生動物被害に対応するハンターをしている。どうやら妻との関係がうまくいっていないようで、妻はこの場所を離れるらしい。観ているうちに明らかになるのだが、妻はネイティヴ・アメリカンの血をひいていて、白人のコリーはここに婿入りしたようだ。
コリーは野生動物の捕獲途中に少女の遺体を見つける。裸足、口から血が出ていて暴行の痕もあるという異常な状況。口からの血は、寒さで肺が傷つき、出血したとのこと。夜はマイナス30度になるらしい。そして、都会からやって来たFBIのジェーン(エリザベス・オルセン)と地元の保安官と協力して捜査を進めていくことになる。
コリーも娘を同じように亡くしていて、しかも遺体は野生動物に食われてしまっていてもう検視も何もできない状況だったことがあとで明らかになる。だから、今回遺体を発見した時のコリーは、どんな気持ちだったのか想像するとやりきれない。今回こそ、どうしても犯人を捕まえたかっただろう。

ジェーンはこの土地のことを何も知らないから、いわば観客と同じ目線であり案内役である。最初に訪れた時は自動車も冬仕様ではなかったし、服装も薄着だった。見くびっている。でも、この場所の土地の異常さは捜査をするうちに明らかになっていき、私もそれを知っていく。あまりにも無知だった。

雪山で見つかった遺体の少女の兄はヤク中ということで、悪いやつとも付き合いがあって、映画を観ながら、ああその辺りなのかなと思う。でも、違った。ただ、この映画の場合は違ったが、保留地でのドラッグが蔓延も根深い問題らしい。

そして、捜査班は殺された(というか、暴行は受けていても、直接の死因は凍死)少女の彼氏がいた掘削所へ乗り込む。
捜査の進展具合がよくわからないし、FBIはジェーン 1人だけで、お手伝いは来たものの権限は持たず、犯人が捕まえられたら運とも言っていたし、もしかして捕まらないのでは…と思い出していた。
しかし、掘削員たちの暮らすトレイラーハウスの扉をジェーンがノックする。中では髭の男性がシャワーを浴びている。そのままの姿で扉を開くと、扉の外には“殺された”少女が。一瞬にして過去に場面転換し、事件の種明かしが始まった。うまい。
シャワーを浴びていた男性がジョン・バーンサルだったため、こいつが犯人か!と思ってしまいました。

二人がトレイラーハウスで会っていたところに、他の掘削員たちが帰ってくる。酔っていて、暴行をしたということだった。少女はここから裸足で逃げる。

彼氏も退役軍人のようだったが、退役軍人は職が見つからないらしいから、仕方なくここで働いていたのかもしれない。それでも、少女と一緒に、抜け出して新しい場所に行こうと話している姿は、たとえ夢物語だとしても幸せそうだった。
ここで働く他の白人たちも訳ありなのだろうとは思う。周囲に何もない、女もいない、楽しみがない。それはわかるが、だからレイプをしていいというわけはない。それに、インディアン保留地の近くで掘削をしているということは、追いやられた先住民たちをさらに追いやる行為でもある。

コリーは、逃げた犯人を追い、少女と同じように裸足で放置をする。「道へ出れば助かるが、お前など100メートルくらいしか走れないだろう」と言っていたけれど、本当にそれくらいしか走れず、すぐに肺から血を出していた。

少女は10キロ走ったのだ。それだけ、生きたいという強い意志があったのに、結局死んでしまったことを思うと本当にやりきれない。
親は自分のことを責めていたし、その気持ちもわかるけれど、少女のことは映画内でほとんど描かれないけれど、10キロ走って逃げたという情報だけで、性格までわかる。このあたりも描き方がうまいと思った。
たぶん本当にしっかり者で、親たちも信用していたのだと思う。

コリーとジェーンの病室での会話のシーン。「生き残るか、諦めるかしかない」というコリーの言葉が重い。普通に、のうのうと暮らしていては死んでしまうのだ。
保留地の中では、死因はガンより殺人の方が多いらしい。少女は、大人になるための通過儀礼のようにしてレイプをされる。そして、映画の最後には、『失踪した女性の人数は把握されていない』というテロップが出る。
やりきれない。こんなことなら、まだ猟奇殺人もののほうが救いがあった。

最近、ホワイトトラッシュを題材とした映画が多いけれど、本作はホワイトトラッシュとは違うけれど、こぼれ落ちた人々、見捨てられた人々、取り残された人々を描いているという点では共通していると思う。
そんな状況になっていることを、まったく知らなかった。知ることができただけでも、観てよかったです。



2008年公開『マンマ・ミーア!』の10 年ぶりの続編。
前作を観てはいましたが、楽しかったという印象のみで、内容をほぼ忘れていました。たぶん、前作を観てからのほうが楽しめると思うので、復習をしておけばよかったと思った。また、本作を観ると絶対に前作が観たくなる。
監督はオル・パーカー。『マリー・ゴールドホテルで会いましょう』シリーズの脚本の方。

以下、ネタバレです。











まず、前作の主人公であるメリル・ストリープ演じるドナが亡くなっていて、前作ってそんな結末だったっけ?と思ったけれど、違った。本作は映画公開と同じく、前作より10年後設定とのこと。そして、ドナが亡くなったのは去年と言っていたので、前作では描かれていないですね。
娘のソフィは母の残したホテルを改築し、そのオープンパーティの準備を進めている。
その合間に母の昔の出来事が展開される。

とはいえ、過去の話ばかりというわけではなく、現在と半々くらいです。現在のソフィを演じるアマンダ・サイフリッド他、ドミニク・クーパー、すちゃらか男3人組(ピアース・ブロスナン、コリン・ファース、ステラん・スカルスガルド)、ダイナモスの2人(クリスティーン・バランスキー、ジュリー・ウォルターズ)と現在版キャストは続投。

過去のドナを演じるのがリリー・ジェームス。元気で奔放なドナがとても可愛い。ドナと出会う若いハリー、ビル、サムもそれぞれ可愛い。歌ももちろんうまいです。ハリー役の ヒュー・スキナーは少しマット・スミスに似ていた。『レ・ミゼラブル』に出ていたみたいなので、そこでアマンダ・サイフリッドと共演済みなのかな。レストランでの二人のダンスが楽しかった。ビル役のジョシュ・ディランはトム・グリン=カーニーと同じ学校(ギルドホール音楽演劇学校)で年も近い友人らしく、彼目当てでもありました。トム・グリン=カーニーもミュージカル映画に出てほしい。サム役は『戦火の馬』などのジェレミー・アーヴァイン。ちょっと情けない3人組…というかドナが魅力的すぎて3人組が情けなく見えてしまうのかもしれない。

彼らの他に若いダイナモスの2人も登場。彼女たちはいい友人であり、強い。ふられっぱなしでも、ドナを恨むことはしない。
現在の2人は、恰好良い男性を見れば「静まれ、私のヴァギナ」と言っていたりと相変わらず、口が悪い。でも恰好いいし、やはり可愛い。若い頃のキャストも、現在のキャストも全員可愛いのだ。
それに全員、良いキャラクターである。悩んだりはするけれど、人を恨まずにあっけらかんとしていて、いやなことがあっても、憂さ晴らしにケーキを食べたりお酒を飲めば忘れてしまう。だから、男3人ともどろどろの関係にはならないし、ダイナモス2人とも仲良しのままだ。これもドナの性格もあるのかもしれない。
映画を観ていて、嫌な気分になることがまったくない。

ソフィは、ホテルのオープンのパーティをやろうとしたけれど、嵐が来てめちゃくちゃになってしまう。飛行機も飛ばず、ゲストも来ない。島にいるサムはサポートをしてくれているけれど、ほかの父親2人は仕事でそれぞれ忙しい。
ご都合主義といえばそうなのだけれど、ハリーは長い会議を切り上げるし、ビルはスピーチに替え玉を立てる。双子だった。本来なら双子はご法度ですが。
また、フェリー乗り場で、過去に助けた男性に会って、恩返しをしてもらう。漁師たちが船を出してくれて、皆でパーティへ向かうのだ。
本当ならこのあたりの脚本にケチをつけたくなるところだけれど、今回は楽しく観てしまった。

そして、島に派手な船がやってくる。
コリン・ファースとステラン・スカルスガルドが船首でタイタニックポーズをやってるのが可愛かった。
そして、ここで満を辞してダンシングクイーンが流れる。
コリン・ファースもちゃんと踊っていて可愛い。人がたくさんいる中、コリン・ファースを目で追ってしまった。
コリン・ファースはこの前のシーンでも、椅子に縛られたまま海に落とされてずぶ濡れになったりと、散々だけれど可愛い。

また、パーティでの現在ダイナモス2人と亡くなったドナの代わりに現在ソフィの3人で歌うのも良かった。衣装も最高。過去シーンのダイナモスが店でマンマ・ミーアを歌うシーンも良かった。
ダイナモス関連のシーンは過去も現在も全部良かった。この映画はいいシーンが多すぎる。

メリル・ストリープに関しては、『ブリジット・ジョーンズの日記3』のヒュー・グラントも写真だけだけだったことを思い出した。きっと契約関係で写真だけになってしまったのだろうなと思っていた。でも、もし予算の関係ならば、ちょっとシェールの部分がおまけ的な要素としては長いと思ったので、シェールをばっさり削ってはどうか…などと思っていた。しかし、最後の最後、ソフィが赤ちゃんを教会に洗礼のために連れていくシーンで、ちゃんとメリル・ストリープが出てきた。これがすごく効果的でした。
出ないと思っていたのが最後に出てきて一曲歌う、しかもすごくうまい。それに、今までは写真で動かなかった母が動き、ソフィとの母娘のデュエットが実現する。
一緒に歌っていた曲は本来ならばラブソングなのだろうか。しっかりと母娘や絆の歌になっていた。
最初にドナが死んでいるということが明らかにされることで、全体的に楽しく能天気ではあるけれど、感傷的な空気が密かにずっと漂っていた。しかも、もちろんソフィにとっては母、男たち3人にとっては恋人、ダイナモスの2人にとっては友人ということで、ただでさえ喪失感は大きいけれど、前作の主人公であり、メリル・ストリープでもあるということで、失ったものをより大きく見せていた。
それが映画最後にきっちり出てくるのは、真打ち登場というか、出てくると出てこないでは映画の印象がだいぶ変わる。
ドナというか、メリル・ストリープが出てこなくても、ドナは話に出てくるし、常にみんなドナのことを考えているし、若いドナは出てきている。作品の中にずっとドナはいた。メリル・ストリープの出演がカメオ的になってしまったのは予算の関係もあるのかもしれないけれど、作り自体が実はとてもうまいのではないか。

また、エンドロール前の、歌のシーンが最高に楽しい。カーテンコールですね。登場人物が全員出てきて歌う。ここまで観て、全員のことが好きになっているので楽しかった。だから、過去、現在関係なく、全員勢揃いの海外版ポスターがとても良い。
過去の若いハリーがノリノリで煽りに行くのに、現在のハリーが踊らないぞ!といった感じにむすっとしている場面も楽しかった。

ABBAの曲がいいのはもちろんのこと。ミュージカル映画で曲が悪かったらどうしようもない。でも、それだけではなく、キャラクターが本当に良くて、観ているだけでにこにこしてしまった。とても好きな映画になってしまった。

大ヒット映画の続編、しかも10年ぶりともなれば、つまらなそうとかやめときゃいいのにと思ってしまっていたが、ちゃんと前作ありきに徹していたし、リスペクトを感じた。

また、エンドロール後にギリシャの税関職員の男性の小ネタがあるんですが、これも本当に最高でした。本編中でも印象的な動きを見せていたけれど、最後の最後にもにっこりさせられた。





ダニー・オーシャン(ジョージ・クルーニー)の妹、デビーが主人公。とはいえ、続編という感じでは無かった。前シリーズを未見ですが、おそらくほぼ繋がりはない。

監督は『シービスケット』『ニュートン・ナイト』などのゲイリー・ロス。

以下、ネタバレです。








刑務所を出たデビー(サンドラ・ブロック)が化粧品売り場と高級ホテルで華麗に万引きや詐欺まがいのことをするオープニングが楽しい。ほとんど歩みを止めないままテンポ良く進んでいくが、このテンポの良さはそのまま作品のテンポの良さに繋がっていたと思う。

デビーは旧友、ルーに声をかける。ルーを演じたのがケイト・ブランシェットでサンドラ・ブロックも恰好良かったが二人並ぶと倍増する。デビーとルーが並んでシャボン玉を吹いているシーンはキュートでした。
「塀の中で、あなたのことを考えてたのよ」「プロポーズ?」というやりとりもよかったし、そのあとにスプーンを差し出すシーンもよかった。。
自分に自信をなくしたデザイナーのヘレナ・ボナム=カーターも可愛かった。気弱っぽくおどおどしていて、とても有能には見えなかったけれど。
サンドラブロックと は黒髪とブロンドで並んでいるだけでも本当に恰好いいのに、二人で並んでシャボン玉を吹いて気を引こうとするシーンは可愛かった。
他にも、恰好良く、媚びずに生きてる、手グセの悪い女性たちを集めていく。

メットガラで女優がつけてるダイヤのネックレスを奪うという作戦が実行される。ターゲットの女優役にアン・ハサウェイ。犯罪集団の女性たちとは違って、ちょっと抜けているけど愛嬌があって綺麗で可愛いという感じに描かれていて、これがおそらくこれまでの映画での女性の描かれ方なのではないかなと思う。
しかし、メンバーが7人、タイトルがオーシャンズ8ということで、察しはつくけど仲間になります。「同性の友達がいないから」と言っていた。同性に嫌われる女性像でもあったわけです。

テンポ良く仲間が集まり、下準備もいざ実行という時にも、ずっとテンポが良かった。ただ、そのテンポを大事にするあまり、ピンチらしいピンチに陥らず、様々なことがあっけなく成功していた。
カルティエの人はフランス語を話しただけで心を許すのか。美術館御用達の鉄壁の警備会社の防犯カメラ担当の人は、いくらワンちゃんが好きだからって脇が甘すぎる。警護の人は女子便所だからついていかないってことはないだろう…といろんなことが気になった。
展示の宝石を盗むのも、あれは最初から作戦のうちだったのか。5年かけて練ったと言ってたけど。

また、保険会社の男性が無能すぎる。まったく追いつめない。ジェームズ・コーデンが演じてるからただのコメディキャラで、重要な役ではないですよということなのだろうか。だったら、後半にあんなに時間を割かないでほしい。もっとメンバーの活躍が見たかった。
もう一つ気になったのは、ダイヤは手に入れたけど、結局のところデビーの復讐にみんな加担したということになってしまう。それ、作戦の説明の段階ではルーしか知らなかったような。

あと、所謂、女の武器というか、色仕掛けみたいなものは、途中まで入れなかったのだから、一切無くても良かったと思う。潔く削ってほしかった。でも、デビーじゃなくて、ダフネにやらせたのでいいのかな…。

キャラクターとテンポは良く、楽しく観られたけれど、もっと脚本を練って、驚くようなどんでん返しとか仕掛けがほしかった。さらっと終わってしまった。
ただ、もし同じ出演者での続編があるならば、それは観たいです。




『追想』





原作はイアン・マキューアンの『初夜』。未読です。
監督はドミニク・クック。映画というよりは舞台の演出が中心の方のようで、2007年には『るつぼ』でローレンス・オリビエ賞の演出家賞を受賞している。2014年には大英帝国勲章も授与されている。

以下、ネタバレです。









予告編が結構見せすぎで、6時間だけの結婚ということも本当は知りたくなかった。そして、原作のタイトルから、初夜で何か起こる…ということは、セックス絡みのことで破局することになるのだろうというのは予想していた。
ただ、映画の作りとして、二人が出会い、愛を育んで、結婚式のシーンがあってのクライマックスで破局という感じかと思っていたがそうではなかった。

映画の開始時、すでに結婚式は終わっていて、二人はハネムーンでイギリス南部のチェジルビーチ(原題は『On Chesil Beach』)のホテルに来ている。そこで、二人が食事をし、初夜を迎える様子が丁寧に描かれる。
合間合間に出会いや、お互いの家を訪れる様子など過去のことが挟まれるせいもあるけれど、簡単に事態は進まないし、二人は何かに怯えているようで、一触即発といったムードである。とても新婚夫婦の初夜といった雰囲気ではない。ロマンティックというよりはぴりぴりとした空気感が伝わってくる。

セックスに至るまでの緊張感が丁寧に描かれているのはこの前の『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』もそうだったんですが、それとは違い、こちらは緊張感が最高潮に達して、爆発してすべてが台無しになってしまう。

最初に予告を観た時点では、階級の違いでうまくいかなくなるのかと思っていたけれど、挟まれる回想を見る限りだと、その辺はクリアできていたようだ。ただ、フローレンスの母とエドワードが接するシーンは出てこなかったのと、フローレンスの父とも良好ではない様子だった。

ビーチで思いをぶつけ合っているシーンを見て、フローレンスが「セックスの才能がない」と言っていたので、ノンセクシャル(でいいのかな。恋愛感情はあってもセックスはできない)なのかと思ってしまった。訳が少し違ったのだろうか。
また、エドワードがフローレンスを「不感症」となじるシーンもあったが、それも訳がどうなのだろう。この部分は原作を読んでみたい。

でも、直接的には描かれないけれど、フローレンスが精液を見て思い出していたのは父親とのことだったので、虐待をされていたのではないかと思われる。でも、セックス指南書を読んだ時にはキャー!となって少し楽しそうでもあったので、普段は思い出さない、心の奥底のトラウマのような記憶なのだろうか。

いずれにしても、1975年の時点では、フローレンスに子供がいたので、養子でない限りは夫が事情を理解し、辛抱強く待ったのだと思う。

エドワードはヒッピー仲間にも言われていたけれど、若すぎて繊細だったのだと思う。それに加えて、エドワードは喧嘩っ早くて短気だった。だから、ビーチで別れるしかなかったのだろう。

結局、フローレンスと結婚したのは楽団の仲間のチャールズだったことが映画の後半で明らかになる。彼なら階級も同じだろうから親も賛成だろうし、フローレンスとも好む音楽も合うだろうし、描く夢も同じだ。恋愛感情を抜きに考えたら、結婚するにはうまくいきそうではある。

映画内で、エドワードだけのシーンだと、ロックが流れる。対して、フローレンスのシーンではクラシックが流れる。これは互いの音楽の趣味でもあると思うけど、二人のシーンでもクラシックが流れていた。序盤に二人のシーンでチャック・ベリーが流れますが、1975年に娘がエドワードのレコード屋に来た時に、「お母さんは普段はクラシックしか聴かないけど、チャック・ベリーは好きみたいで」と言っていた。逆に言うと、フローレンスは、チャック・ベリー以外はエドワードの趣味は理解してなかったのではないか。エドワードはもしかしたら、フローレンスに合わせてクラシックを理解しようとしていたのかもしれない。劇中に流れる音楽のチョイスからそう考えてしまった。
そうすると、やはりエドワードはどこかの時点で我慢ができなくなって、うまくいかなかったかなとは思う。

それに、若かった、繊細だったというのはもちろんあると思うけど、もう少し歳をとってから二人が出会っていたら、階級も何も構わずの恋はできなかっただろう。そう考えると、どのみちうまくいかなかったのかもしれない。

エドワードの家の中、カメラが彼の背中に張り付くように動いていたのが印象的だった。それほど広くない田舎の家というのがよくわかった。カメラワークも凝っていたと思う。
特にラスト、フローレンスが「二人で生きていきたい」と語りかけても、エドワードは彼女に背を向ける。そこで、フローレンスは諦めて、エドワードに背を向けて歩き出す。二人が離れていくのに合わせてカメラが引いていき、なんとか二人の姿をスクリーンにとどめようとするが、ついにカメラは止まり、歩みを止めないフローレンスだけがスクリーンから消えて、エドワード一人が取り残されるという。切ないが、どうしようもなく綺麗だった。

きっと、エドワードはまだあの浜辺に立ち止まったままなのだ。
2007年、おそらくまだ独り身のエドワードが、成功したフローレンスの楽団の演奏会に行くシーンは、『ラ・ラ・ランド』を思い出した(『初夜』が出たのは2007年)。エドワードは気持ちをとどめたまま、たぶん後悔をしている。女性は後悔をしていたとしても、前を向いて進んでいる。二人の道が分かれてからの、この45年の過ごし方がまったく違う。
けれど、あのきらきらした時間は、二人の胸の中にずっと残り続けるのだ。




原題もThe Night Manager。ナイト・マネジャーという役職を知らなかったのですが、ホテルの夜の時間帯の最高責任者のことらしい。
イギリスBBCとアメリカAMCの共同制作。2016年放送。日本ではAmazonプライムビデオで配信中。Dlifeで4月に放映されていて、8/13より再放送があるとのこと。もともと全6話ですが、日本では40分前後の全8話に編集されている。

プライムタイム・エミー賞の監督賞と作曲賞を受賞。監督は2010年のアカデミー賞外国語映画賞『未来を生きる君たちへ』のデンマーク出身のスサンネ・ビア。
ゴールデングローブ賞のリミテッドテレビドラマ部門でトム・ヒドルストンが主演男優賞、オリヴィア・コールマンが助演女優賞、ヒュー・ローリーが助演男優賞を受賞。
他にもBAFTAや様々な賞を受賞したりノミネートされていたりしています。

原作はジョン・ル・カレの1993年の小説。原作は未読なので、どの程度忠実なのかわかりませんが、シーズン2も放映されるらしい。

トム・ヒドルストンがホテルのナイト・マネジャー役ということで、姿勢が良く、礼儀正しく品行方正な様子が彼にとても合っていた。ホテルのユニフォーム姿も素敵でした。
ただ、彼はもちろん見た目が恰好良いのですが、たぶん役の上でも恰好良いらしく、地元のほぼマフィアのような有力者の愛人と寝てしまう。それで、愛人はジョナサン(トム・ヒドルストン)に武器取引のデータを流し、それがきっかけで愛人は殺され…という感じにジョナサンは事件に巻き込まれていく。

私はジョナサンが何か影のありそうな男だな、ジョン・ル・カレだしスパイなのかなと思っていたけれど、最初の時点では本当にただのホテルマンだった。ただ、父親がスパイだったという話は出てきた。そして、イギリスの国際執行機関員アンジェラ(オリヴィア・コールマン)に武器取引のデータを流したことで、彼女から、武器取引の中心人物、リチャード・ローパー(ヒュー・ローリー)の組織の奥に入れと言われる。ここで初めてスパイになる。
オリヴィア・コールマンは妊婦役なんですが、妊婦と言ってももういつ産まれてもおかしくないくらいお腹が大きい。そのお腹のまま、銃を構えたりするのでひやひやした。オリヴィア・コールマン、相変わらずうまい。少し『ブロード・チャーチ』での役に似てるかなと思った。

ジョナサンは、2話でも女性と寝て経歴詐称に役立てたり、ローパーの妻にも惚れられて寝たりするので、やはり容姿の良い役なのだと思う。
ただでさえ容姿の良いトム・ヒドルストンが容姿の良い役を演じているので、容姿の良さが際立って迫力があった。また、人も数人殺すので影もあるし、恋人がいるわけではなく、8話中で三人の女性と寝て、一人は有力者の愛人、一人はまったく好きではない女性、もう一人は人妻と、最初の品行方正具合はどうしたと問い詰めたくなる感じでしたが、そのようなダーティーなトム・ヒドルストンもよかったです。
あれ、最後にローパーの妻が「連絡するわね」だか「連絡して」だかと言っていたけれど、たぶん二度と会わないと思う。結局最後まで本名は明かさなかったし、スパイとして潜入していた以上、事件が片付いたら会わないのがルールだろう。

ローパーの妻役がエリザベス・デビッキ。お金持ちの妻役なので、毎回毎回着ているドレスもゴージャスだし、彼女も憂いを抱えていて、悲しんでいる瞳が綺麗だった。また、ショートヘアがよく似合っていて、顔が一層小さく見えた。実際、とてもスタイルが良い。
トム・ヒドルストンも相当スタイルがいいし、顔が小さいと思っていたけれど、エリザベス・デビッキと並ぶとトムヒの顔が大きく見えるというくらいだった。

エジプトの高級ホテル(実際にはスペインのホテルだったらしい)から始まり、スイスのツェルマットの山奥の高級ホテルからマヨルカ島の高級リゾートへ舞台が移り…と映像もとても見応えがあった。
また、7話で再び、元いたエジプトのホテルへ戻ることになるのにぞくりとした。全ての始まりの場所が終わりの場所になる。働いていた時代の友人に協力してもらうのもなるほどと思ったし、アンジェラもエジプトのホテルに来る。
ジョナサンは身分を偽ってローパーの組織の内部に潜入して以降も、アンジェラとはちょこちょこ接触はしていたけれど、そのどれもがもちろんローパー一味には知られてはいけないものだから、暗号などを使っていてスパイ物特有のハラハラ感も味わえた。けれど、7話で久しぶりにちゃんとアンジェラと会って抱き合うシーンは本当にほっとした。

なんとか事件がちゃんと片付くのかなと思っていたが、最終話が進んでも事態が悪い方へ進行していき、雲行きが怪しくなって来る。まさか、シーズン2に持ち越されるのでは…と思いながら、残り30分になったあたりから、ちょこちょこと残り時間を確認してしまった。
無事にローパーは逮捕されたけれど、ローパーの言う通り、彼は金持ちだし、根回しもきく。すぐに釈放されるのではないか…と思っていたら、武器の取引を失敗した相手にさらわれる。それ以降のことは描かれないけれど、おそらく無事ではないだろう。

一応の一件落着なので、原作はここまでなのかもしれない。だとすると、シーズン2はオリジナルになるのかな。ちなみに本国版の四話にジョン・ル・カレご本人がカメオ出演していたらしい。

出演者が豪華なんですが、私は『ワンダー』に出ていたノア・ジュプ目当てで見ました。
撮影が2015年だったらしいんですが、『ワンダー』よりもだいぶ幼く見えた。しかし、『ワンダー』の撮影も2016年だったらしく、子役は一年で結構成長するのがよくわかった。

ノア・ジュプは8話編集版だと3、4、5話に出演。ローパーの息子ダニー役。父親に怯えている部分はありそうだったけれど、聡明で良い子。父親の部屋に入って足を怪我して海に立たされたというのは、「怪我が治るから」と言っていてたけれど、おしおきとか虐待の類だと思う。

3話出てきた場面から、エリザベス・デビッキに頭を強めに撫でられて照れ臭そうに体が斜めになってしまっていたのが可愛かった。音楽に合わせて、二人で踊るのも可愛い。ローパーの部下にシャンパンを初体験させられて、興味津々で飲んでいる様子も可愛かった。
ダニーは暴漢に誘拐されるが、そこをトマス(ジョナサンの偽名)が救うことで、ローパーの組織に潜入する。もちろん暴漢も仕込みである。
怪我をして寝込むトマスにイカの本を読んであげるダニーも可愛かった。
そして、護衛付きだけれど、トマスと二人で街へ出た時のピンクのシャツもよく似合ってました。トマスに肩車をされて笑顔になっていた。また、アイスを買ってあげるシーンでのピスタチオアイスというチョイスも最高で、青いシャツのトムヒとピンクのシャツを着たノア・ジュプが手を繋いで薄緑色のアイスを舐めるというのはちょっとしたシーンながらもとてもよかった。
「パパの部屋にはミントのお菓子が隠してあるから入っちゃいけないんだって」と言うシーンや、寝る前に絵本を読んであげると言っていたトマスとの「どの本にする?」「『三匹の子豚』」「じゃあ、トマス版で読んであげよう」「やった!」という会話も子供(子供ですが)っぽくて、良かったです。
5話の頭で、学校があるからなのか、リゾート地のマヨルカ島から家に先に帰る。帰り際、ローパーに渡した花の絵がやけに大人びていたのも印象的でした。

今年4月にロンドンで行われた『クワイエット・プレイス』のプレミアの映像を見ると、もうだいぶ背も伸びていて、2015年とはだいぶ違う。声も低くなりかけています。これからの成長も楽しみだし、これまでの出演作ももっと観たい。
できたら、もう五年後くらいに、ローパーの復讐を企てる息子役で再び『ナイト・マネジャー』に出てきてほしい。シーズン4くらいで。






私はこの映画がロシア製作だと思っていたので、本国で上映禁止になっていてそれは大変なことになっているし、随分チャレンジャーだなあと思っていた。けれど、イギリス、フランスの製作で、しかも原作もフランスのグラフィックノベルだった。それでも、上映禁止になっているということは、ロシアに随分怒られていることには変わりない。

スティーヴ・ブシェミが出ているところで気づけばよかったんですが、ロシア語ではなく、英語作品です。スターリン死後の側近たちの椅子取りゲームを描いたほぼ実話の政治ものというととっつきにくい印象ですが、思った以上に観やすかった。

監督もスコットランド生まれのアーマンド・イアヌッチ。次作は来年公開予定のチャールズ・ディケンズ原作の『The Personal History of David Copperfield』。ティルダ・スウィントン、ベン・ウィショー、ピーター・カパルディ、アナイリン・バーナードと楽しみなキャスト。

以下、ネタバレです。













コミカルだし、思わず声を出して笑ってしまうシーンがいくつもあったけれど、不謹慎ギャグというか、笑わせようと思ってるわけではなくて、大真面目なのに結果的に面白くなっちゃってるというシーンが多かった。スターリンが倒れた後と葬儀での騒動だから、それでコントをやろうとすると、当然そうなるのだろうけど。

しかし、ただ笑っておしまいというわけではなくて、そのコミカルなシーンと同時に市民は秘密警察や軍にあっけなく撃たれる。葬儀に訪れた市民も1500人も撃たれていた。壁に立たされて順番に撃たれるシーンでも、急に殺さなくていいってよという通達が来て、隣りの人が撃たれて横で倒れているのを見ながら釈放されるというシーンもあった。あまりにも、ただの作業としての銃殺刑。

上層部のごたごたが中心に描かれているから市民はさほど出てこないけれど、画面の後ろで連行されたり、銃声だけが聞こえて来たりと、決してただゲラゲラ笑うだけのコメディではない。医者についても、優秀な医者から優先して殺してしまったから、ヤブ医者しか残っていないというのも笑えるけれど笑えない。

ベリヤの無慈悲な最期もひんやりした。結局、味方を失った者は容赦無く殺される。ただの権力争いではなく、生死をかけた争いで、根回しがうまく小狡いフルシチョフが勝ったという感じだった。

フルシチョフを演じたのがスティーヴ・ブシェミ。おしゃべりで調子のいい男だった。スターリンにウケたギャグ/ウケなかったギャグをメモしたり、慌ててパジャマで駆けつけたりと小物感に溢れていた序盤から、画策しつつ  を陥れるべく目を光らせ、結局は最高指導者になってしまう様子は、結果がわかっていてもおもしろかった。

側近たちはそれぞれ個性が強いけれど、その他、スターリンのアル中の息子やソビエト軍のあまりにも体育会系な雰囲気が漂う元帥など、どんどん面倒な人物が増えていく。
それぞれがそれぞれの事情を抱えているから、ちょっとした群像劇である。

葬儀のパーティーのシーンでは思惑が渦巻いていて、小分けになって何かしら話してるんですが、そこを歩くフルシチョフにカメラがついていくシーンは、会場の様子もわかるし、彼の暗躍具合もわかる。カメラワークが凝っていた。

この映画はスターリンが死去するシーンから始まるのかと思っていたが、ラジオでのオーケストラの演奏シーンから始まり、そこのプロデューサーかディレクターだと思われる裏方の男性がパディ・コンシダインだったのに驚いた。その時点でもロシア製作だと思っていたからだ。言語もロシア語だと思っていたが、英語だったので、少しほっとした。

政治もので、ブラックコメディというと、2015年(日本では2016年公開)の『帰ってきたヒトラー』を思い出したが、あれは笑える部分もあったにはあったけれど、それよりは少し怖くなってしまったし、なんとなく、ドイツ映画のノリに私がついていけてないような気持ちになってしまった。

今回もロシア映画だし、ブラックコメディとはいえ、合わなかったらどうしようと少し身構えていたけれど、イギリスとフランス製作なのと知っている俳優が多く出ていたことでまずとっつきやすかった。
かつ、美麗な美術(考えてみれば当たり前だけれど、ロシアでは撮影できなかったそうで、室内でのシーンはほぼイギリスで撮影したらしい)と、凝ったカメラワークも見応えがあった。



『ミッション:インポッシブル』六作目。監督は前作と同じくクリストファー・マッカリー。
以下、ネタバレです。









本作は盛り上がり部分にアクションがあるというよりは、全体的に様々なアクションの連続で息をつく暇がない。だから、三幕というよりは全編クライマックスという印象だった。

前作はイーサン・ハントが飛行機にぶら下がる部分がポスターになっていて、そこが一番のクライマックスだろうと思っていたらアバンで出てきて驚いた。今作はヘリからぶら下がる部分はアバンではないです。
でも、病院で尋問していて実は病院じゃなかった!というシーンは痛快でした。ここで出てくるシンジケートの一員の男性役のKristoffer Jonerというノルウェーの俳優さんが気になりました。『レヴェナント』には出ていたみたいですが、ノルウェーの映画中心のようです。少し、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズに似ている。ケイレブくんの20年後という感じ。

ストーリーは爆発テロを起こされる前にプルトニウムを奪い返せというシンプルなもの。
わかりやすく依頼が来て、“なお、このメッセージは何秒後に消滅する”という、ミッション:インポッシブルお決まりのシーンを経てスタート。
ただ、それに際して、犯罪者と交換するために護送車から奪還しろとか、IMFとCIAとMI6の思惑が絡みあう。全員が味方というわけではないのだ。さらに、ベンジーが変装するし、CIA女ボスや監視役のウォーカー(ヘンリー・カヴィル)の胸の内は特に読めない。

序盤、早々にプルトニウムを手にできそうになるけれど、イーサンは、ルーサーを救い、代わりにプルトニウムが奪われてしまう。
一人の仲間を救うために、世界中の人類を危険にさらすという行為を、IMFの新長官は責めなかった。しかし、本作はプルトニウム奪還任務の影で、イーサンの優しさと弱点にのなりうる甘さに焦点が当てられていたと思う。

序盤、スカイダイビングのように飛行機から飛び降りるシーンがあるが、イーサンはそこで気絶したウォーカーを救う。
この時点では仲間だと思っていたから憎まれ口を叩かれていても当然救うんですが、結局、後半、苦しめられることになる。しかもまた空中で。
イーサンも「あの時、助けなければよかった」と言っていたが、イーサンなら絶対に助けてしまうのだ。

また、妻であるジュリアから離れたのも結局優しさ故なんですよね。前作では、とても魅力的なヒロインであるイルサが出てきて、いい感じにもなっていたので、でもどうするのだろうと思っていたら本作でそのあたりの決着もついたのがよかった。

ウォーカーを演じたヘンリー・カヴィルは『コードネームU.N.C.L.E.』の印象が強かったので、男前なインテリの役かと思ったけれど、スーパーマン役のためかだいぶ筋肉が付けられていて、腕っ節の強い筋肉バカといった感じでした。特にイーサンと二人で飛び降りた後でのクラブのトイレでの戦闘シーン、スーツのジャケットを脱いだら、ワイシャツがはちきれんばかりになっていて、そこでの重量のありそうなパンチがすごかった。迫力のある格闘シーンだった。

ピンチがあって、そのピンチを脱するためにアクションシーンがあるんですが、その脱し方やアクションの種類が見たことのないものでどれも見応えがあった。
それが連続して出てくるから、本当に息をつく暇がない。

ベンジーがガイドをしながら、屋根の上やらオフィスやらを疾走しながらの最短距離での追跡やパリの街中での超絶カーチェイスなど、口をあんぐりさせながら見ていた。最初のスカイダイビング部分もなんですが、前作では飛んでいる飛行機にしがみつき、前々作ではドバイの高速ビルによじ登ったトム・クルーズが一体本人でどこまでやったのかなと思ったら、ほとんど自分でやっていた。

スカイダイビングはヘイロージャンプと呼ばれるもので、スカイダイビングと違うのは抵高度まで自由落下をしてからパラシュートを開くらしい。敵に見つからないための降下方法として軍が用いているものらしいけれど、100回以上飛んだとか…。また、屋根から屋根にジャンプするときに足を骨折して、そのまま走ってたとか…。メイキングやインタビュー記事を読むと、トム・クルーズのプロ魂は感じるけれど、無理しないでほしいとも思う。

そして、クライマックスのヘリでの追跡シーンは実際にトムがヘリの免許をとったらしいし、乗っていたのも一人だとか…。低い位置での複雑な運転などもこなしつつ、演技をして、カメラで撮影もしていたという…ちょっと他では考えられない。その後に断崖絶壁にぶらさがっていたときにも足の骨が折れていたというのがもう。
ただ、本当にすごいとは思うけれど、これをトム・クルーズが…と考えてしまうことで、イーサン・ハントには見えなくなってしまうことも何度かあった。
すでにミッション:インポッシブルシリーズはイーサン・ハント=トム・クルーズという印象なのでいいのかなとも思うけれど、本作は特に、ストーリーというよりはトム・クルーズのアクションを見る映画なのかなと思ってしまった。
ただ、イーサン・ハントだしトム・クルーズなのだから絶対に死ぬことはないし、爆発は止められるのだろうというのはわかってはいてもハラハラしてしまった。無事に起動装置が止められたときには心底ほっとした。この、映画本編中ずっと緊張している感じは『ダンケルク』を思い出しました。

私は、ミッション:インポッシブルシリーズだと前々作のゴースト・プロトコルが好きで、それは、チーム戦が描かれていたからなんですね。
本作もクライマックスシーンでイーサンがヘリでウォーカーを追跡し、地上でベンジーとイルサがプルトニウムを探し、ルーサーとジュリアがコードを切るというのはチーム戦でもあるとは思うけれど、ヘリとあまりにも乖離してしまっているというか、もう少し直接的な協力プレイを見たかった。
ただ、本作はイーサン自身の優しさと甘さについての話でもあると思うので、彼一人に特別に焦点が当てられているのも仕方がないのかなとも思う。

また、ブラントが今回は出番がないのが残念だった。ジェレミー・レナーがアベンジャーズで忙しくスケジュールが合わなかったらしいのと、監督からの「冒頭で仲間の犠牲になって死ぬというのはどうか?」との提案を断ったとのこと。
でも、本作では、最初に仲間の犠牲になろうとしたルーサーをイーサンが救ったことでストーリーが動き出すし、その彼の優しさがテーマにもなっていると思うから、仮にブラントが序盤で死んでしまったら、話全体が変わってしまいそう。というか、イーサン、ブラントも救ってあげてほしい…。きっとまだ続くのだろうし、次作に期待しています。

観ようと思っていても映画館が満席なことが続き、そのうちどんどん話題になって更に入れない…といったところに拡大ロードショーが決まったのでやっと観られました。

以下、ネタバレです。ネタバレを知らぬまま観たほうが面白い作品です。











ゾンビものというのは聞いていたので、なんとなく、ゾンビ映画撮影中に本物のゾンビが現れて…?という話かと思っていた。

チープな映像でスタート。ゾンビになってしまった恋人に追いつめられるシーンというのはゾンビ物によくあるゾンビセンチメンタルですね。
そこに監督がカットをかけて、俳優陣を怒鳴り散らす。ポスターにも出ていたし、この監督の横暴で、ゾンビパニックが起こるのかと思っていた。実際、ゾンビ映画撮影中にゾンビが…という内容だったけれど、そこに本物が現れると思っていたのだ。

カットをかけても階段を登っていく俳優陣にカメラが付いていく。なるほど、全編長回しでファウンドフッテージ方式(私は、この時点でもまだ本物のゾンビが出てくると思いこんでいるので、カメラマン自体もゾンビに襲われて、あとで映像が発見されるのかと思っている)なんだな…と思いながら観ていたら、監督が長回しカメラに向かって、カメラ目線で「カメラを止めない!」と言う。え、これを撮ってるの誰かがいるってことなの?

ゾンビ映画自体はありきたりだし、血糊や切断された手足も安っぽい。カメラも手持ちでそれで走るからぶれぶれだし、映像自体も汚い。出ている俳優も舞台のような大げさな演技だった。長回しというのはいいアイディアだと思ったけれど、そのせいで、特に舞台感が強くなっていた。
この映画は、もともと300万円という低予算で作られたことが話題になっていた。それが頭にあったので、まあそれくらいでしょう…と、流れるエンドロールを観ながら思ってたんですが、待って、監督の名前が違う。制作著作ゾンビチャンネルって? え? 何を観せれられてたの?それに上映時間が短いような?

混乱していたら、時間が一ヶ月前に遡る。このゾンビの番組の企画が来るところからスタート。映像もがさがさしたものではなくなる。もちろん、ワンカットではない。
ここからは前半のゾンビ映画製作の裏側が始まる。そして、ここからが本番だった!

主人公はドキュメンタリー番組の再現VTRなどを作っている。監督ではあるが、ろくな仕事がまわってこない。ゾンビの企画も、まあ所詮B級だし、ちゃんとした監督に依頼することはないだろうということでまわってきた。馬鹿にされているのだ。

俳優たちもスタッフもテレビ局の上の人らもかなり濃い。監督は上と下の板挟みで大変そうだった。でも、前半に観たようなチープっぽいゾンビ映画でも、関わってきている人がこれだけいることに驚く。

しかし、ここで気の弱そうな監督は、前半のゾンビ映画で役者として出ていてしかも横暴な監督役だった。監督の妻も、前半の映画に役者として出てきていた。一体何があったんだ…と思っていたら、俳優陣が事故に遭って、急遽代役として出ることになったんでした。
だから、前半の映画で演技が大袈裟だと思ったのも、計算され尽くされていたのだ。

撮影に入り、ここからは前半の映画の種明かしのようなスタイルになる。
前半の映画は本当にチープで、え?今の何?とか、こんなシーンいる?みたいな引っかかる部分がいくつかあったんですが、そのすべてに理由があって、それが一つ一つ明かされるたびに声を出しながら笑ってしまった。笑いすぎて涙も出てきた。

まず、序盤で監督が主演の若者二人にキレ気味に怒りますが、これは元々の気弱な監督が我慢していた部分(女優に対しては「お前の人生は嘘ばっか!」、男優に対しては「いちいちケチつけやがって!監督は俺だ!」など)をどさくさに紛れて出していて、ここからまず笑った。
引っかかったシーン、「カメラは止めない!」と言ってたのは本当に監督としての指示だった。後ろで何もしないのに座ってるのおかしいなと思ったら下痢をしていた。護身術の話は唐突だと思ったらトラブルが起きたから引きのばせというカンペが出ていた。手持ちカメラが明らかに下に置かれたシーンがあったが、カメラマンの腰が砕けて動けなくなっていた。

ワンカット長回し、しかも生放送だから、トラブルが起きるたびに一つ一つを解決したり取り繕ったりしながら番組が進む。これは、三谷幸喜の『ラヂオの時間』を思い出した。
実際、この映画の上田監督は三谷幸喜が好きらしいので、いしきされているのかもしれない。

ちなみに、私はまだ少し本物のゾンビの存在を疑っていたため、小屋に隠れている女優の元に足だけのゾンビが現れるシーンが不気味だったんですが、これも足だけメイクをしたカンペを持った人だった。種明かしをやってくれてよかった。

本物のゾンビが現れて場をめちゃくちゃにすることなどない。エンディングに向かって、みんなが力を合わせる。
壊れたクレーンの代わりとして、スタッフや俳優陣が組体操のピラミッドを作るのは、全員が力を合わせている様子が視覚的にもわかりやすい。
みんなきつそうな顔で必死になっている。頑張れ!と応援したくなる。ここに、企画を持ってきたこなれたテレビマンの男性と主演男優がいたのに泣いてしまった。この二人は監督のことを馬鹿にしていたのだ。でも、クライマックスでは全員が協力しあっている。
しかも、正面を向いた時にゾンビメイクの俳優陣が混じってるのもコミカルでいい。

一番上に監督が乗り、監督は娘を肩車して、娘がカメラを持つ。これは、娘が幼い頃に撮った昔の写真と同じ構図なのだ。この伏線の回収のされ方はお見事でここでも泣いてしまった。映画づくりの映画であり、映画愛も感じられるけれど、ここに娘からの尊厳を取り戻すという父娘愛という要素も加えられている。

前半に観たチープなゾンビ映画の裏側でこんなことが起こっていたとは。
たくさんの人が関わっているし、普通に映画を観ただけではわからない部分が描かれているのが楽しい。

本物のエンドロールでは、最初の映画の本当の撮影風景が流れる。もちろん、本当に映画後半の感じで撮られたわけではないのだ。だから、たぶん二周同じ撮影をしている。血糊なども大変そうだし、すごい労力。熱意とアイディアに脱帽です。本当におもしろかった。

種明かしをすべて知った上でもう一度観たいけれど、笑うシーンではない部分で笑ってしまいそう。初見の方々の邪魔にはならないようにしたい。

原題はIncredibles 2。独特のキャラデザだし、インクレディブルと付いているからわかると思うけれど、2004年公開の『Mr.インクレディブル』の続編。続編とはいえ、キャラが同じというくらいで話はそこまで繋がっていません。この作品から観ても大丈夫。

以下、ネタバレです。





どちらかというと、大人向けかなと思ってしまった。
本作はヒーロー活動と家庭と…という二面が別々に描かれていて、ヒーロー活動側が母親であるイラスティガール、家庭がMr.インクレディブル…というか、ヒーローではない父親のロバートが主人公である。
女性の活躍が描かれるのは最近の作品の傾向であり、この続編が2006年あたりに公開されていたら、決してこのような作品にはならなかったと思う。
自動運転の車が出てくるのも今風かなと思う。

また、敵も女子だし、彼女とイラスティガールは男に対する不満を話して意気投合するシーンもある。世の女性たちがどれだけ抑制されているのかがよくわかる。

また、邦題を『Mr.インクレディブル2』にしなかったのかも納得。
本作ではロバートはほとんどヒーロー活動をしない。家事で疲弊している主夫である。今までやってこなかったツケなのだろうし、きっと皮肉でもあると思う。
でも、イラスティガールの活躍を描くために、彼の出番が極端に減らされているのは残念といえば残念。

イラスティガールの新しいユニフォームはシックなグレーなんですが、彼女が洗脳されて、Mr.インクレディブルが助けに行くとき、赤いユニフォームとグレーのユニフォームが戦っていると、見た目がまさに正義と悪という感じでなるほど、ここで生かされるのか!と思った。けれど、ごく短時間の戦いだった。もっと長くても…と思うけど夫婦だしこれくらいか。

それにしても、夫の力で正気に戻るのかと思ったらジャック・ジャックの力だった。最初と最後には家族全員で戦う場面があるものの、Mr.インクレディブル自体は、あまりヒーローとしての見せ場はなかった。父親としての見せ場はあった。

同じく、子供達も、ジャック・ジャックの覚醒はあったけれど、ヒーロー活動はあまりなかった。続編があるなら、そこで子供のヒーロー活動が見たい。

ヴァイオレットがヒーローマスクを取ったところをうまく行きそうだった男の子に見られてしまうんですが、男の子は記憶を消されちゃってヴァイオレットとのデートの約束も忘れてしまう。ヴァイオレットはもちろん激怒するけど、最後、仕方ないと事実を受け入れた上で、もう一度最初から始めようとするのが良かった。大人になってる。
ヒーロー活動とは違うけれどいいシーンでした。

序盤から一家を支援する金持ち実業家兄妹が出てきて、いかにも怪しいんですが、結局、悪者は妹だけだった。
見た目も『マイティ・ソー バトルロイヤル』のグランドマスターっぽい(というか、ジェフ・ゴールドブラムっぽい)感じ。金が余っていて道楽に使っていそう。
でも、どうやらミスリードを誘うだけのキャラクターだったのがかわいそう。ただの純粋なヒーロー好きだったのに。

また、他にも描き方が雑だなと思ったのは、一家とフロゾン以外の能力者です。
彼らはいわば、X-MENシリーズでいうミュータントだったり、エージェント・オブ・シールドでいうインヒューマンズだったりという、能力を持て余して今まで隠れて暮らしてきた人たちです。彼らがやっと脚光を浴びられると思ったら、悪者の洗脳により、ほぼヴィランのようなことしかしない。
ヴォイドはイラスティガールの補助として少し活躍してたけど、他の人も正義のほうで活躍させてほしかった。様々な能力は悪いことに使おうとは思ってなかったはず。
一方で割を食うキャラクターがいるというのはどうにもかわいそうだと思ってしまった。

もっとヒーロー要素が強くても…と思うけど、家庭とヒーローとを描くのがこのシリーズの特徴なのだろうし、バランスが取れているのかもしれない。それにしても、ちょっと、家族部分とヒーロー部分が乖離していた。

家族側でジャック・ジャックが覚醒したりするけど、それはヒーロー要素というよりは、そのまま成長の意味だろう。イラスティガールというか、生身のヘレンの「初めて能力を使うところ見逃しちゃった」というセリフは、赤ちゃんが初めて立ったところを見逃しちゃったというのと同意義だと思う。

ファミリーで力を合わせて戦うというシーンが最初と最後なんですか、そこでフロゾンがやたらと恰好いい。
ただ、狙ってやっているんだとは思うけど、最初も最後も、止まらない大型の乗り物を必死で止めるというミッションで、だからフロゾンの役割も似てしまう。
止まらない乗り物の疾走感とひやひや感はいいんだけど、違ったタイプのピンチにしたほうが良かった気もします。

エンドロールでヒーローたちのテーマソングが流れてどれも恰好いい。
特にフロゾンが黒人だから、ソウルフルなブラックミュージックになっているのが凝っていた。
ここでも、子供たちの曲は無かったので全員分欲しい。これも、続編でお願いします。

同時上映の短編、『Bao』。饅頭という意味かな。
オリエンタルな音楽が流れてきて、舞台はおそらく中国。
女性が饅頭を作っているが、その一つが赤ちゃんに変わる。ファンタジーかなと思って観ていたんですが、饅頭がどんどん成長していくうちに、許せないことが起こり、彼女はその饅頭を食べてしまう。ヒヤッとしたが、そこから現実に戻って、ああ、そういうことか…と。
内容はありきたりではあると思うけど、描き方がうまい。泣きました。