Aug 10
原作はイアン・マキューアンの『初夜』。未読です。
監督はドミニク・クック。映画というよりは舞台の演出が中心の方のようで、2007年には『るつぼ』でローレンス・オリビエ賞の演出家賞を受賞している。2014年には大英帝国勲章も授与されている。
以下、ネタバレです。
予告編が結構見せすぎで、6時間だけの結婚ということも本当は知りたくなかった。そして、原作のタイトルから、初夜で何か起こる…ということは、セックス絡みのことで破局することになるのだろうというのは予想していた。
ただ、映画の作りとして、二人が出会い、愛を育んで、結婚式のシーンがあってのクライマックスで破局という感じかと思っていたがそうではなかった。
映画の開始時、すでに結婚式は終わっていて、二人はハネムーンでイギリス南部のチェジルビーチ(原題は『On Chesil Beach』)のホテルに来ている。そこで、二人が食事をし、初夜を迎える様子が丁寧に描かれる。
合間合間に出会いや、お互いの家を訪れる様子など過去のことが挟まれるせいもあるけれど、簡単に事態は進まないし、二人は何かに怯えているようで、一触即発といったムードである。とても新婚夫婦の初夜といった雰囲気ではない。ロマンティックというよりはぴりぴりとした空気感が伝わってくる。
セックスに至るまでの緊張感が丁寧に描かれているのはこの前の『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』もそうだったんですが、それとは違い、こちらは緊張感が最高潮に達して、爆発してすべてが台無しになってしまう。
最初に予告を観た時点では、階級の違いでうまくいかなくなるのかと思っていたけれど、挟まれる回想を見る限りだと、その辺はクリアできていたようだ。ただ、フローレンスの母とエドワードが接するシーンは出てこなかったのと、フローレンスの父とも良好ではない様子だった。
ビーチで思いをぶつけ合っているシーンを見て、フローレンスが「セックスの才能がない」と言っていたので、ノンセクシャル(でいいのかな。恋愛感情はあってもセックスはできない)なのかと思ってしまった。訳が少し違ったのだろうか。
また、エドワードがフローレンスを「不感症」となじるシーンもあったが、それも訳がどうなのだろう。この部分は原作を読んでみたい。
でも、直接的には描かれないけれど、フローレンスが精液を見て思い出していたのは父親とのことだったので、虐待をされていたのではないかと思われる。でも、セックス指南書を読んだ時にはキャー!となって少し楽しそうでもあったので、普段は思い出さない、心の奥底のトラウマのような記憶なのだろうか。
いずれにしても、1975年の時点では、フローレンスに子供がいたので、養子でない限りは夫が事情を理解し、辛抱強く待ったのだと思う。
エドワードはヒッピー仲間にも言われていたけれど、若すぎて繊細だったのだと思う。それに加えて、エドワードは喧嘩っ早くて短気だった。だから、ビーチで別れるしかなかったのだろう。
結局、フローレンスと結婚したのは楽団の仲間のチャールズだったことが映画の後半で明らかになる。彼なら階級も同じだろうから親も賛成だろうし、フローレンスとも好む音楽も合うだろうし、描く夢も同じだ。恋愛感情を抜きに考えたら、結婚するにはうまくいきそうではある。
映画内で、エドワードだけのシーンだと、ロックが流れる。対して、フローレンスのシーンではクラシックが流れる。これは互いの音楽の趣味でもあると思うけど、二人のシーンでもクラシックが流れていた。序盤に二人のシーンでチャック・ベリーが流れますが、1975年に娘がエドワードのレコード屋に来た時に、「お母さんは普段はクラシックしか聴かないけど、チャック・ベリーは好きみたいで」と言っていた。逆に言うと、フローレンスは、チャック・ベリー以外はエドワードの趣味は理解してなかったのではないか。エドワードはもしかしたら、フローレンスに合わせてクラシックを理解しようとしていたのかもしれない。劇中に流れる音楽のチョイスからそう考えてしまった。
そうすると、やはりエドワードはどこかの時点で我慢ができなくなって、うまくいかなかったかなとは思う。
それに、若かった、繊細だったというのはもちろんあると思うけど、もう少し歳をとってから二人が出会っていたら、階級も何も構わずの恋はできなかっただろう。そう考えると、どのみちうまくいかなかったのかもしれない。
エドワードの家の中、カメラが彼の背中に張り付くように動いていたのが印象的だった。それほど広くない田舎の家というのがよくわかった。カメラワークも凝っていたと思う。
特にラスト、フローレンスが「二人で生きていきたい」と語りかけても、エドワードは彼女に背を向ける。そこで、フローレンスは諦めて、エドワードに背を向けて歩き出す。二人が離れていくのに合わせてカメラが引いていき、なんとか二人の姿をスクリーンにとどめようとするが、ついにカメラは止まり、歩みを止めないフローレンスだけがスクリーンから消えて、エドワード一人が取り残されるという。切ないが、どうしようもなく綺麗だった。
きっと、エドワードはまだあの浜辺に立ち止まったままなのだ。
2007年、おそらくまだ独り身のエドワードが、成功したフローレンスの楽団の演奏会に行くシーンは、『ラ・ラ・ランド』を思い出した(『初夜』が出たのは2007年)。エドワードは気持ちをとどめたまま、たぶん後悔をしている。女性は後悔をしていたとしても、前を向いて進んでいる。二人の道が分かれてからの、この45年の過ごし方がまったく違う。
けれど、あのきらきらした時間は、二人の胸の中にずっと残り続けるのだ。
『追想』
Posted by asuka at 10:00 PM
原作はイアン・マキューアンの『初夜』。未読です。
監督はドミニク・クック。映画というよりは舞台の演出が中心の方のようで、2007年には『るつぼ』でローレンス・オリビエ賞の演出家賞を受賞している。2014年には大英帝国勲章も授与されている。
以下、ネタバレです。
予告編が結構見せすぎで、6時間だけの結婚ということも本当は知りたくなかった。そして、原作のタイトルから、初夜で何か起こる…ということは、セックス絡みのことで破局することになるのだろうというのは予想していた。
ただ、映画の作りとして、二人が出会い、愛を育んで、結婚式のシーンがあってのクライマックスで破局という感じかと思っていたがそうではなかった。
映画の開始時、すでに結婚式は終わっていて、二人はハネムーンでイギリス南部のチェジルビーチ(原題は『On Chesil Beach』)のホテルに来ている。そこで、二人が食事をし、初夜を迎える様子が丁寧に描かれる。
合間合間に出会いや、お互いの家を訪れる様子など過去のことが挟まれるせいもあるけれど、簡単に事態は進まないし、二人は何かに怯えているようで、一触即発といったムードである。とても新婚夫婦の初夜といった雰囲気ではない。ロマンティックというよりはぴりぴりとした空気感が伝わってくる。
セックスに至るまでの緊張感が丁寧に描かれているのはこの前の『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』もそうだったんですが、それとは違い、こちらは緊張感が最高潮に達して、爆発してすべてが台無しになってしまう。
最初に予告を観た時点では、階級の違いでうまくいかなくなるのかと思っていたけれど、挟まれる回想を見る限りだと、その辺はクリアできていたようだ。ただ、フローレンスの母とエドワードが接するシーンは出てこなかったのと、フローレンスの父とも良好ではない様子だった。
ビーチで思いをぶつけ合っているシーンを見て、フローレンスが「セックスの才能がない」と言っていたので、ノンセクシャル(でいいのかな。恋愛感情はあってもセックスはできない)なのかと思ってしまった。訳が少し違ったのだろうか。
また、エドワードがフローレンスを「不感症」となじるシーンもあったが、それも訳がどうなのだろう。この部分は原作を読んでみたい。
でも、直接的には描かれないけれど、フローレンスが精液を見て思い出していたのは父親とのことだったので、虐待をされていたのではないかと思われる。でも、セックス指南書を読んだ時にはキャー!となって少し楽しそうでもあったので、普段は思い出さない、心の奥底のトラウマのような記憶なのだろうか。
いずれにしても、1975年の時点では、フローレンスに子供がいたので、養子でない限りは夫が事情を理解し、辛抱強く待ったのだと思う。
エドワードはヒッピー仲間にも言われていたけれど、若すぎて繊細だったのだと思う。それに加えて、エドワードは喧嘩っ早くて短気だった。だから、ビーチで別れるしかなかったのだろう。
結局、フローレンスと結婚したのは楽団の仲間のチャールズだったことが映画の後半で明らかになる。彼なら階級も同じだろうから親も賛成だろうし、フローレンスとも好む音楽も合うだろうし、描く夢も同じだ。恋愛感情を抜きに考えたら、結婚するにはうまくいきそうではある。
映画内で、エドワードだけのシーンだと、ロックが流れる。対して、フローレンスのシーンではクラシックが流れる。これは互いの音楽の趣味でもあると思うけど、二人のシーンでもクラシックが流れていた。序盤に二人のシーンでチャック・ベリーが流れますが、1975年に娘がエドワードのレコード屋に来た時に、「お母さんは普段はクラシックしか聴かないけど、チャック・ベリーは好きみたいで」と言っていた。逆に言うと、フローレンスは、チャック・ベリー以外はエドワードの趣味は理解してなかったのではないか。エドワードはもしかしたら、フローレンスに合わせてクラシックを理解しようとしていたのかもしれない。劇中に流れる音楽のチョイスからそう考えてしまった。
そうすると、やはりエドワードはどこかの時点で我慢ができなくなって、うまくいかなかったかなとは思う。
それに、若かった、繊細だったというのはもちろんあると思うけど、もう少し歳をとってから二人が出会っていたら、階級も何も構わずの恋はできなかっただろう。そう考えると、どのみちうまくいかなかったのかもしれない。
エドワードの家の中、カメラが彼の背中に張り付くように動いていたのが印象的だった。それほど広くない田舎の家というのがよくわかった。カメラワークも凝っていたと思う。
特にラスト、フローレンスが「二人で生きていきたい」と語りかけても、エドワードは彼女に背を向ける。そこで、フローレンスは諦めて、エドワードに背を向けて歩き出す。二人が離れていくのに合わせてカメラが引いていき、なんとか二人の姿をスクリーンにとどめようとするが、ついにカメラは止まり、歩みを止めないフローレンスだけがスクリーンから消えて、エドワード一人が取り残されるという。切ないが、どうしようもなく綺麗だった。
きっと、エドワードはまだあの浜辺に立ち止まったままなのだ。
2007年、おそらくまだ独り身のエドワードが、成功したフローレンスの楽団の演奏会に行くシーンは、『ラ・ラ・ランド』を思い出した(『初夜』が出たのは2007年)。エドワードは気持ちをとどめたまま、たぶん後悔をしている。女性は後悔をしていたとしても、前を向いて進んでいる。二人の道が分かれてからの、この45年の過ごし方がまったく違う。
けれど、あのきらきらした時間は、二人の胸の中にずっと残り続けるのだ。
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