『ナショナル・シアター・ライブ:ジュリアス・シーザー』



ナショナル・シアター・ライブでの上映。シェイクスピア原作の有名な戯曲ですが、「ブルータス、お前もか」くらいしか知らなかった。シーザー役にデヴィッド・コールダー、ブルータス役にベン・ウィショー、マーク・アントニー役にデヴィッド・モリッシー。
キャシアスが女性(ミシェル・フェアリー。『ゲーム・オブ・スローンズ』のスターク家の母、キャトリン・スターク役)になっていたり、配役にはアジア系などの有色人種も多く、多様性に配慮されていた。
舞台演出にニコラス・ハイトナー。

以下、ネタバレです。










服装がスーツやTシャツなど現代のものだったり、戦闘のシーンで防弾チョッキを着ていたり、シーザーを討つシーンは拳銃だったりと、舞台が現代的ではあるけれど、流れは原作に忠実のようである。また、セリフの言い回しが古くさい部分があって、名言的なものが多い舞台だし、それも原作のままなのだと思う。

シーザーを討つシーンは、ブルータスの一派が次々に銃を撃つ。原作でも次々に刺していたシーン。死んだシーザーの血で、一派は手を赤く染める。そして、「千載ののちまでもわれわれのこの壮烈な場面はくり返し演じられるであろう、いまだ生まれぬ国々において、いまだ知られざる国語によって」という名言が出る。それを観ているのは、メタ的というか、不思議な気持ちになった。
このシーンで、シーザーを慕うマーク・アントニーが現れるんですが、ブルータス一派と握手をするシーンが印象的だった。敵役と握手をし、しかも、手は慕っていた人物の血で赤く染まる。しかし、ここでブルータスの着ていた白いシャツにマーク・アントニーの赤い手形がべったりと付く。これが不気味な呪いのようになっていて良かった。

また、この後のローマの群衆を前にしてのマーク・アントニーの演説も良かった。デヴィッド・モリッシー、うまかった。やはり、演説シーンがうまい俳優さんには簡単にほだされてしまう。
あと、最初のバンドのシーンで、背中に“マーク・アントニー”と書かれているジャージで出て来て、背中を指差して“俺がマーク・アントニーです!”みたいにやるのがおもしろかった。

この『ジュリアス・シーザー』、一番おもしろいのは普通の座席もあるのですが、アリーナ席には椅子がない。立ち見でステージの周りを囲んでいる。それで、全部のシーンではないけれど、ローマ人の群衆役として、舞台に参加しちゃう。

オープニングもいきなりバンド演奏から始まる。小さいステージがあってその周りに観客が立っているから、まるでライブハウスのよう。演奏されるのも、オアシスの『Rock 'n' Roll Star』や『Eye of the Tiger』など、所謂ノれる曲。それで、ジュリアス・シーザーTシャツを着ている人がいたり、プラカードを持ってる人がいたり、標語がステージセットに掲げられていて、何かと思ったら、シーザーの凱旋を祝うパーティの一環だった。

またマーク・アントニーの演説はシーザーの葬式なのですが、客席には写真が黒枠で囲まれた遺影を掲げている人もいた。「ブルータスの家を燃やせ!」など叫んでいるのは役者さんだったので、プラカードや遺影などはもしかしたら役者さんが持っていたのかもしれない。それでも、そこに集った全員の総意のように思えた。ローマ人の群衆が棺を囲むシーンも、全員悲しんでいるように見えて、ブルータス一派が窮地に立たされているのがよくわかった。
舞台効果としてよくできていたと思う。

また、棺を囲むシーンもそうなんですが、お客さんたちは結構自在に動かされていて、暗いシーンで全体的に一歩後ろに下げるとか、少し間違えたら将棋倒しになりそうだった。
上がってくるステージの形もいろいろなパターンがあり、その上に客がいても怪我をしてしまう。おそらくスタッフの連携が完璧に取れていたのだと思う。

アリーナで観るのも楽しそうだったが、背が低いので一番後ろだと見えなさそう。通常の座席で見た後でアリーナで観てみたかった。

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