『ゴッズ・オウン・カントリー』



シネマートの未公開映画を上映する映画祭、“のむコレ2018”にて。
今年の“東京国際レズビアン&ゲイ映画祭”でも上映されていましたが、その時は見逃していて、でも、かなり好評だったため気になっていました。
今回も、配給がついているわけではなく個人の方が買ってくれたため、のむコレで合計5回のみの上映とのこと。

以下、ネタバレです。









ヨークシャーの牧場が舞台。田舎でもあるし、生き物相手の家族経営のため、病気だが厳格な父と祖母と暮らすジョニーは行き場も逃げ場もない。おそらく毎晩、町へ出かけて行っては酒を飲むことだけが楽しみ。いや、楽しみではなくて、それしかやることがない。
毎朝二日酔いだし、ベロベロに酔ったところを客だか店の人だかに送ってもらい、車から放り出されて外で寝たりしていた。あんな飲み方をしていたら、近いうちに必ずアルコール中毒になってしまう。でも、おそらくそれならそれでいいとも思っていそうだった。生きる楽しみはなく、すべてをあきらめている。
休暇で帰ってきた都会の大学へ行った友達に会っても、八つ当たりのような態度をとっていた。でも、家族に囚われているとも考えていそうだし、あの態度も仕方ないのだろう。彼は都会に出ることはできない。

ちなみに、ジョニーの恋愛やセックスの対象は男性だし、ゲイなのですが、別にそこでの閉塞感は描かれていないと感じた。セックス相手も割とすぐに見つかるし、ゲイだからといって迫害されるわけでもない。後半で祖母が泣くシーンもあるけれど、だから反対されるということもない。これは今の時代特有のものなのかもしれない。

ジョニーの不甲斐なさに呆れ、羊の出産シーズンに人が雇われる。そこに来るのがルーマニアからの移民、ゲオルゲ。ジプシーと呼ばれることに心底憤っていたけれど、ルーマニアでジプシーということはロマなのかもしれない。ゲオルゲ側の事情についてはまったく描かれないけれど、もしかしたら家族を殺されたり、酷い差別を受けたのかもしれない。それこそ、ゲイであること以上に。

映画は終始ジョニー視点であり、ゲイムービーとは言っても、ラブストーリーというよりは、ジョニーの成長物語になっている。ラブストーリーだったら、二人それぞれの背景…逃げ場がなくすべてをあきらめるような生活をしていたジョニーとともに、ゲオルゲのことを描かれただろう。ゲオルゲの背景も知りたかったけれど、重きを置かれているのがそこではないため、ゲオルゲのことも描いていたらとっ散らかった印象になりそう。

ジョニーはゲオルゲを住まわすトレイラーハウスについても、酷いことを言っていたし、羊の出産を一緒に手伝っていても、産まれてきて動かない子羊について「あきらめろ」と言っていた。けれど、ゲオルゲは必死にさすり、羊は動き出す。まるで、生き返ったかのようで、これは死と再生でキリスト教のイメージでもあると思った。子羊なこともある。
でも、そこまででなくても、死んだように生きていたジョニーがまた人生をやり直すという暗示なのかもしれない。

ジョニーは最初は何もかもやる気がなさそうだったし、やめてくれと言われているのに「ジプシー」と呼んで怒らせたりもしていた。けれど、子羊を生き返らせたのを見たシーンや、本気で怒られたあたりから、一目置くようになっているようだった。たぶん、ここまでジョニーは人のことを馬鹿にして、ちゃんと向き合ってはいなかったと思う。それが、人に対して少しだけ尊敬するような気持ちが芽生えてくる。ジョニーは、子羊の件はともかくとして、家族でもない人間から真剣に怒られたことなどなかったのではないだろうか。そこまでは、他人は馬鹿にしてもいいと思っていたけれど、駄目なのだと気付かされたのだと思う。

走り出したゲオルゲを、ジョニーが「どこに行くんだよ!」と叫んで、走って追いかけるシーンが感動的だった。もうすべてをあきらめて、死んだように生きていたジョニーではなく、自分から人を追いかけるまでになった。完全に変わったことがわかった。
ジョニーを演じたジョシュ・オコナーの表情が素晴らしかった。最初はずっと拗ねた顔か、酔ってどうにもならないような表情ばかりだった。けれど、ゲオルゲと接するうちに、かすかに笑顔を浮かべるようになり、そのうち、完全に恋をする表情になっていた。
しかし、ここでハッピーエンドにはならず、ここからジョニーの家族の問題になる。父が倒れ、介護問題が浮上する。ここまで、ジョニーは自分の人生が駄目なのは田舎から抜け出せないからであり、それは家族のせいだと思っていた面があると思う。それでも、ゲオルゲと接して変わったジョニーは、家族に対しての接し方も変わる。もう人のせいにはしない。

ラストで、ごたごたがあって別の農場へ移ってしまったゲオルゲを迎えに行くジョニーも良かった。前半では丘の上へ走って追いかけるだけだったが、家を離れ、住所のみで北部の農場までバスで出かけていき、ちゃんと「戻って欲しい」と言う。最初からは想像ができないし、途中からジョニーの成長が嬉しかったし、どうしようもなさを含めて愛しくなっていた。だから、迎えに行っても、ごにょごにょとうまく話せないあたりは、がんばれ!と心の中で応援してしまった。

ゲオルゲと一緒に戻るときに、肩にもたれかかっていたのも心から良かった…と思った。そして、トレイラーを引き払って、家の中にゲオルゲを迎え入れて、扉が閉まるというラストがまたいい。
これもまた“扉が閉まるエンド”である。
余韻がたまらない。扉の向こうで物語は続くけれど、映画としてはここでおしまいというのがよくわかるし、ああ、いいものを見た!という気持ちで終われる。最高のエンディングです。

最初の部分からそうだったのですが、確かに男性同士のは恋愛をするけれど、所謂ゲイムービーとも違うと思う。
ゲイを理由に二人が別れて終わるわけではない。家族にも反対をされない。カミングアウトシーンがあるわけではない。ゲイを理由に悩むというシーンもそこまでない。ジョニーに関してはまったくないと言ってもいい。ゲオルゲのここまでがどうだったかはわからないが、描かれていないのでわからない。
型通りではないし、だとすると、ゲイにする必要はあったのかという部分もあるけれど、別にかまえることなく…というのが、時代の変化なのかもしれない。
ベストゲイムービーと言われていても、それよりは一人の青年の成長物語として、とてもいい映画でした。あの土地や家族と、あきらめではなく、ちゃんと折り合いをつけてこの先を生きていくという決断が見えた。
また、イギリスらしく天気はずっと悪く、広大な牧場は厳しそうながらも、美しかった。牛の世話や羊の出産シーンも多く、生命力にもあふれていた。
だから、最初はいびつといえばいびつなんですよね。生命力にあふれた場にいる青年が、人生をあきらめていて、ただただ死ぬのを待つような生活をしている。ただ、その対比がおもしろくもある。

成長物語というのは普遍的なものだし、別にゲイムービーとか気にせずに観られるから、普通に配給会社が買って、全国ロードショーとかDVD出したりしたらいいのに…と思ったけれど、男性同士の性行為シーンはあるし、今回の上映のために権利を買った個人の方のインタビューを読むと、「配給会社なら、ゲイ映画として同時期の『君の名前で僕を呼んで』を買う」とおっしゃっていて、確かにそうだとは思った。
いい映画だとは思っていても、有名俳優が出ていないとか、地味目と言われてしまえばそうだし、話題とはいってもごく一部なのかもしれない。
配給の厳しさがよくわかったし、他にも好きないろいろな映画が日本で公開するのは難しそうだということもよくわかってしまった。

ただ、観に行った回は楽しみにしていた方々ばかりだったようで、音も立てる人もおらず、最高の環境で観ることができた。上映終了後には拍手も起こっていました。


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