首都圏のみ、二週間限定での公開…だったけれど、結局、
好評だったためか、首都圏以外での公開も決定し、
二週間という期間も延長された映画館も出た。1000円均一ということは、Blu-
rayとかDVDの上映なのかもしれない。それでも、
大きなスクリーンで観られて良かった。
以下、ネタバレです。
低予算だからPOVのファウンド・
フッテージなのかと思ったけれども、
そうではないのかもしれない。前回観た時よりも、
より工夫に気づくことができた。
ただのモキュメンタリーではないのは、手持ちカメラだけでなく、
超能力によってカメラを浮かせている映像も出てくる点だ。
ゆらゆらと不安定だけれども、俯瞰の映像で浮かせている撮影者である人物も映っているのがおもしろ
い。普通のモキュメンタリーならば、
撮影者は自撮り以外では映らない。空から落ちてきて叩き付けられるカメラなども超能力ものならでは。
画面がゆらゆらしていることで、超能力の具合もわかる。
あり得ないはずの超能力を実感させるのにもってこいの方法だと思
う。最後のほうで、
アンドリューが叫んだ時にカメラにヒビが入るのも、
そのパワーに説得力を与えている。
手持ちのビデオカメラだけでなく、
病院の監視カメラやパトカーの車載カメラなどに切り替わることに
よって、
それまでの撮影者がカメラを持てない場合でも状況を追えるように
なっているのも工夫の一つ。
主役のアンドリューのカメラですべてを記録するというようなモノロ
ーグで始まるが、
マットの彼女もブログ用に常にカメラを回している。
アンドリューに車ごと持ち上げられた時の映像は、
まるで観客も車に乗っているような臨場感が味わえる。この場合、
アンドリューの視点では持ち上げられた車が映るだけで面白くない。視点を車の中に置いているのも、映像づくりの工夫だと思う。
大体、あの状態のアンドリューはもうカメラを回す余裕はない。
ファウンド・フッテージものに共通していることだとは思いますが、
どんな場でも、顛末を一番近くで見ているような感覚になる。
息をつく暇がないので、真剣に観ているとかなり疲れるし、こんなに近くで観ているのに、
事態がどんどん悪くなっていくのになんの手出しもできないのがも
どかしくなる。
あと、アンドリュー、マット、
スティーブは互いの名前を呼び合うシーンが多く感じた。これは、
誰が撮影しているか、わからなくならないようになのかな。
それにしても、
デハーン演じるアンドリューの性格がかなり面倒くさい。
怪我をして消防士を辞めることになって家にいる父の影響だと思う
ので仕方がないとは思う。そして、
あの捻曲がり方は思春期特有のものだとも思う。それにしても、
スティーブやマットに比べると子供すぎる。
友達のいなかったアンドリューに、
秘密を共有するような形で友達が出来た。
悪ふざけで超能力を使っているときのはしゃぎようは良かったけれ
ど、子供なので、同じように怒りに任せて力を使ってしまう。
スティーブもマットもいたずらにしか使っていないのに、
アンドリューだけだ。
カツアゲに行く時に消防士の服を着るのは、
父親への復讐の気持ちもあったのかもしれないが、
おそらく姿を隠していればバレないと思ったのだろう。しかし、
あっけなく声でバレてしまうあたりが、読みが甘いというか、想像力の無さは、
やはり子供なのだ。用意をしているときにデヴィッド・ボウイの『
ジギー・スターダスト』がかかるのは、アンドリューがジギー気取りなのだろうか。“Like a leper messiah”、そしてその末路は…。
童貞卒業できそうだったときに吐いたのは、
超能力で人気者になってしまったことの自責の念かなとも思ったけ
れど、きっとそこまで考えてない。ただ単に緊張しただけだろう。
でも、そこで拒まれたことをきっかけにして、
どんどん事態が悪化する。
人に拒まれる。父親にも嫌われている。誰も愛してくれないけれど、
俺には超能力がある。それで、力を爆発させるけれど、もし、
マットが取り返しがつかないことが起こった後のチベットじゃなくて、
アンドリューにちゃんと好きだと伝えていたらどうなっていただろ
う。「言う機会が無かったけれど…」と言っていたけ
れど、ちゃんと言われないと、
アンドリューにはわからないだろう。
マットに好かれているということがわかったら、
アンドリューももう少し救われたかもしれないのに。心の拠り所になるようなものがあったら、
まったく違っていたのではないか。結局、
さみしいだけなのだから。
マットは最後、カメラに向かって「正体を必ずつきとめる」とは言っていたが、
その場にカメラを置いていってしまう。だから、
マットが正体をつきとめることがあっても私たちにそれが知らされることはない。つまり、続編はありえない。
やっぱり、
超能力の正体はわからないままなんだろうという点でのもやもやは
相変わらず残った。
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