『危険なプロット』


フランソワ・オゾン監督。すごい美少年が出ているというので観に行きました。
生徒に絶望している教師は、
一人の生徒の文章力とその内容にひかれる。他人の家族を執拗に観察している作文は次第にエスカレートし、教師もその内容が気になり…というストーリー。
映画のスチルやこの内容からサスペンスっぽいのかなと思ったら、コメディと書いてあった。観てみると、爆笑というわけではなく、皮肉混じりなおもしろさで、なるほどフランスっぽいと思ったけれど、スペインの舞台が原作らしい。
映画も舞台のテイストがふんだんに感じられた。演技というよりは、舞台特有のテンポの良いセリフの掛け合いで進んでいく。

以下、ネタバレです。








教師ジェルマンが生徒クロードの文章を見こんで、文章を手直ししていくのだけれど、フランス語がわからないので、文法のことなどは一切わからなかった。また、結局字幕を読んでしまっているだけなので、文章がうまいというのも、正確には伝わってはいないのだと思う。それでも、翻訳もうまいという話も見かけたけれど、どの部分がうまいのかもピンとこない。
この映画のような、文章を主体とする作品は、もしかしたら他の国での上映は向かないのかもしれない。

そう思いながら観進めていったけれど、文章だけではなく、その文章を映像にして見せるという手法で多少カバーされている。やはり、本ではなく映画なのだ。
教師が手直しすると、同じような映像が変わるという工夫もおもしろかった。例えば、父親のシャツの色を書くと、映像でも色の付いたシャツを着ていたり。それはクロードが書いた文章を読んで、ジェルマンの頭の中に思い浮かんだイメージを映像化したものなのだと思う。

ストーリーはそれほどのあっと驚く展開はない。一番話が動くのはクロードの友人ラファが自殺するあたりでしょうか。真実なのか、それともクロードの創作なのかわからずに混乱してくる。私たち(観客とジェルマン)はクロードの文章の中でしか、ラファとその家族のことを知らないのだと痛感させられる。
結局は、全員がクロードに弄ばれている。周囲を引っ掻き回して、望んでか望まずか、破綻させて終わる。

クロードを演じたエルンスト・ウンハウワーくんは本当に美少年で、すべての人を操るというのは、あれだけの美貌がないとできないだろうからハマり役です。説 得力がある。少年ということもあり中性的な顔立ちで、綺麗なだけではなく、少し影もある。美形ではあっても、関わってはいけない妖しい雰囲気をまとってい る。一緒にいても、決して幸せにはなれなさそう。
また、上半身裸のシーンが少し出てきますが、あれもかなりの威力があった。マッチョでもない、がりがりでもない、ぷよぷよでもない。色白で、完成されきってない躯。まさに少年の躯だった。

クロードは母親がいないことで母親くらいの年齢の女性に憧れるのか。父親の怪我も、もしかしたら、クロードが関わっているのではないか。彼の家族についての 描写は重要そうではあるけれど、そこまで言及されない。最後のほうに、父親の介護をしているシーンが少しあるくらいだった。
また学校での様子も詳しく語られない。ラファ以外の学生、特に女生徒は出てこない。
あくまでも、クロードとジェルマンと、クロードの描写するラファの家族の様子が重点的に描かれていて、余計な要素は出来る限り排除されている。その辺は舞台が原作というのも関わっているかもしれないけれど、話があっちこっちにいかずコンパクトにまとめてあって観やすかった。

ジェルマンがクロードの文章にのめりこんでいく様子は、まるで底なし沼に沈んでいく様子を見るようだった。文章のうまさが気になるのか、文章に書かれている他人の家の様子が気になるのか。もう最後のほうは、文章が妄想でも現実でもどちらでもよくて、ただクロードの頭の中が知りたいという欲望に塗れていたと思う。
妻を抱かなくなったのも、もっと夢中になれるものを見つけてしまったからだろう。

結局、ジェルマンは教師という職と妻の両方を失う。しかし、学校にもどこか冷めていたようだし、制服の件で校長先生らしき上の人とも折り合いがつかないようだったし、妻のことももう愛してはいなかったのかもしれないし、近くにクロードが残った。
最後に二人で知らない家庭の様子を想像してストーリーを作っている様子は楽しそうだったし、そこから再スタートすればいいのではないか。
すべてを失って破綻したように見えても、あれでハッピーエンドなのだと思う。

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