独特の日本画のようなタッチだったので、スクリーンで観てきました。
アニメの専門的なことはわからないのでなんとも言えませんが、相当苦労をして作られているんだろうなというのは察することができる。見て過程などを見てみたい。
筆ですっと描いたような絵がそのまま動いているのは、観ているうちに慣れてしまうけれど、時々わざと改めて思い出したりしていた。
また、姫が走るシーンなどは、筆のタッチも荒々しくなっていて、線まで含めての表現だった。

売店で、普通のアニメ絵になってしまっているラバーストラップみたいなものが売っていたけれど、少し雰囲気がちがってしまっていた。やはり、あのタッチが良かったのだと思う。

ストーリーはほぼ知っている昔話のままなのでネタバレも何もないかと思いますが、一応、以下ネタバレです。







捨丸が原典に出てくるかどうかは知らないのですが、それ以外の流れは知っていた。
だから常に、ああ、いまはこんな感じだけれど、結局月に帰ってしまうのだな、と思いながら観ていた。
特 に、最初のほうのよちよち歩きの姫を翁が「ひーめっ!ひーめっ!」と呼んで自分のほうへ来させようとするシーンが泣ける。大人げなく掠れてしまっている。なんなら、少し泣きそうでもある。それは、姫の成長を思ってなのかもしれない。声をあてているのが、地井武男さんというのもまた良かった。

子供が元気良く歌っていた童歌を、姫が変調させた歌がとても怖かった。

月に帰るシーンもやはりこわい。月からの使者が演奏している音楽も、楽しげなのが怖かった。何も悩まずに済むのが極楽なのか…。かぐや姫も、あれだけ、笑ったり泣いたり怒ったりしていたのに、無表情で歩くこともせずに、すーっと月からの使者のほうへ引き寄せられていく。

そもそも、かぐや姫という話に、なんとなく怖いというイメージを持っていたけれど、こうして真剣に物語に向き合うことで、より恐ろしさがわかった。

それにしても、こんなエキセントリックなSFが平安時代初期にはもうあったというのがすごい。


エズラ・ミラーが出ていたので観ました。『少年は残酷な弓を射る』では終始怖い顔か笑ってもにやりという感じでしたが、今回はにこにこしていて、きっと素だとこんな風なのではないかなと思った。

以下、ネタバレです。





元々は小説で、その著者が映画も監督したという話をあとから見て、納得した。たしかに、小説に画がついているようだった。どの辺がどうとはいまいちわからないんですが、映画を観終わったあとのなんとなくの違和感がすっと解決したような感じがした。

パトリック(エズラ・ミラー)とサム(エマ・ワトソン)がパーティで流れた『Come On Eileen』に喜んで、一緒に踊るシーンや、トンネルに入った時に外に顔を出すシーンなど、青春っぽくていいシーンもあったけれど、いまいち入り込めなかった。原作は十代のバイブルみたいなので、私が歳をとりすぎてるからかもしれない。登場人物がそれぞれに重い過去を背負っていて、誰にも共感できなかったせいもあるのかもしれない。

あと、気になってしまったのが、サムがデヴィッド・ボウイの『Heros』を知らなかったこと。サムが高校生だからとはいえ、昔の曲やバンドに詳しいという設定なのに、あんなに有名な曲を知らないということがあるんでしょうか。
しかも、キーになる曲っぽかったのに、原作では出てこないみたい。
原作の著者が監督もしているということは、何か意味があっての変更なのでしょう。原作も読んでみたほうがいいのだろうか。

『ロッキー・ホラー・ショー』を演じるシーンにわりと時間が割かれるんですが、芝居の稽古中にまったくパトリックが出てこなくて、実は主人公チャーリーが作り出した幻だったとか、どうかしちゃったんじゃないかと思ったけれど、ただ単に出てきていないだけだった。けれど、不自然なくらい長い間出てこなかった。
あとから考えたら、『ロッキー・ホラー・ショー』のあたりにパトリックを出すと、セクシャリティ関連で絡ませなきゃいけなくなるからかもしれない。
チャーリーはわりと細めの子なんですが、「ロッキーには似合わないよ」と言われていたり、『ロッキー・ホラー・ショー』の登場人物がなんとなくわかっていたほうが面白いシーンも。

あと、製作にジョン・マルコヴィッチの名前があったのが気になりました。


グラナダ・テレビジョン制作のイギリスのドラマ。1995年放送のCase8“悲しい出会い”だけ見ました。ジョン・シムゲスト回。

中途半端な回だけ観ても、警察側の人間関係の問題などはわからなかったのですが、一応一つの事件で前後編の二話で完結していました。

施設育ちの少年ビル・ナッシュ(ジョン・シム)は一度養子に迎えられたが、その家に赤ちゃんができ、契約が破棄されてしまう。孤独なビルは職業訓練の工場でやっと愛してくれるグラディに出会うが、ふとしたことから人を殺してしまい…という話。

ビルとグラディは出会って、これからというときに殺人を犯してしまう。もうこの時点でハッピーエンドは見えてこない。その殺人もビルがグラディを守ろうとしてのことだったというのがまた切ない。

劇中でフィッツも触れているけれど、ボニー&クライドだった。逃避行中のちょっとしたことが幸せそうだった。一本の煙草を二人で吸って煙を吹き付けたり、炭酸の飲み物をめちゃくちゃ振って栓を開けたり。些細ないちゃいちゃが眩しい。

育ちのせいだと思うけれど、ビルが破滅的でかなり感情の起伏が激しい。けれど、その命短しみたいな部分が魅力的でもある。グラディもその自由奔放な姿にひかれたようだった。

最後、ジョン・シムが拳銃を持つシーンがあって、ジョン・シムと拳銃の相性について考えてた。まだあんまりジョン・シム出演作品観ていないけど、あんまり恰好良く銃を撃つ役をやっていないんですよね。今回も脅すだけで撃たない。撃たれるけれど…。

1995年だと、撮影もその辺りだったと考えるとジョン・シム、25歳くらいだと思うんですが、17歳の役をやっていた。しかも美少年役。童顔だし、少年に見える。少しいしだ壱成に似てる。可愛い。ただ、いまは43歳年相応に見えます…。

あと、脚本家が『ステート・オブ・プレイ』と同じ、ポール・アボットという方だった。ここでのつながりでジョン・シムは『ステート・オブ・プレイ』の主人公に抜擢されたんでしょうか。

いまをときめくベネディクト・カンバーバッチとトム・ハーディ共演のBBCとHBOの共同制作のドラマ(2007年)。
ホームレスを保護する人権活動家であるアレクサンダーが、ホームレスのスチュアートの生い立ちを書いた本のドラマ化。実話。アレクサンダー役がベネディクト・カンバーバッチ、スチュアート役がトム・ハーディです。

いま観るとキャストが豪華。『裏切りのサーカス』でも共演していますが、この二人が出演してるテレビドラマで観られるなんて、イギリスの方が羨ましい。
相変わらず、日本語字幕の付いているものは無いので英語で観たため細かい部分はよく解っていないのですが、ホームレスとは言え、いまは明るく振る舞っているスチュアートの過去の話を聞いていくと、子供時代に受けた酷い仕打ちが明らかになって…というもの。悲しい話だけれど、二人が交流を深めていく様子は観ていてほっとした。

セリフが全て理解できたわけではないけれど、二人の演技がとにかく素晴らしい。ぼそぼそ、ごにょごにょ喋るトムハ、初めて。でも、この作品のインタビューではいつものチャーミングなトムハでした。
バッチさんも正義感あふれるまなざしが素敵な好青年役が似合っていた。最近、写真ばかりで動くバッチさんは久しぶりに見たんですが、演技をしている彼はやっぱり恰好良かった。

劇中で、スチュアートがアレクサンダーに料理を振る舞うシーンが出てくるんですが、それがすごくまずそうなのがおもしろかった。何かの肉をわりと長時間揚げて、それをパンの上に置いてケチャップを乱暴にかけ、パンで挟んで全体重をかけてつぶす。あれは食べたくない…。





一度目を観ている途中でジョン・シムが気になったので、こんなに好きな状態で観るということは、完全にジョン・シム目当てです。すみません。
以下、ネタバレです。




父親不在の家族が…という文句だと父親役であるジョン・シムはほとんど出ないような感じがするし、実際、出番が少なかったような印象でしたが、彼に注目して観てみると、案外出番があった。一度目は子供たちの演技の印象が強すぎて、ジョン・シムはかすんでいたんだと思う。

何度か刑務所に面会に行くシーンが出てきますが、最初の面会のシーンのときには、子供たちもお父さんに会える!とはやる気持ちを抑えきれないようでしたが、私も早くジョン・シムが観たくてドキドキしてました。

子供たちを実際に五年間かけて追っていて、一番上のお姉さんの身長の伸び具合とか、他の子も顔が大人びていたり、いっちょまえに他の生徒と喧嘩をするようになっていたりと、成長がよくわかるんですが、大人側は五年の違いはあまりわからない。
でも、五年前のジョン・シム(映画の中での初登場時)は少し顔がむくんでいるようでした。映画の中での出所後にあたる、一番最近のジョン・シムは見慣れたジョン・シムだった。多分、『Mad Dogs』を観ていたせい。

妻だけで面会に来るシーンで、イアン(ジョン・シム)が性欲を露にするんですが、その時の視線が独特でした。嫌がる奥さんに性的な言葉を言わせようとするんですが、ニヤニヤしているわけではない。真剣で、怖いくらいで、切羽詰まっていて、それでいて切なさが混じったようなあの視線。この時に、髭が伸びて髪もぼさぼさになっているのがまた効果的。

あと、ベッドシーンがあるんですが、裸になったときに肩のスペードのタトゥーを確認。『Mad Dogs』の風呂シーンで見て気になっていたんですが、役作りではなく、本物のタトゥーらしい。

映画内では何度も面会シーンが出てくるけれど、実際にはきっと何ヶ月ぶりかの対面なんですよね。会えないときを埋めるような、ぎゅうっとするハグと、別れるときのキス。愛が溢れていて、優しくて、本当に家族が愛しいのだということがわかる。
そして、別れたあとの、空虚な目と、独房ではなくて二人くらいの部屋だけれど、狭い部屋でベッドに横になったときの生気を失った顔。家族と接しているときの表情が一切消える。少し前には、家族の近況を聞いて一喜一憂していたのに、部屋に戻るとただただ天井をじっと見つめるだけ。何を考えているかもわからない。

これは一回目にも思ったけれど、それならなんで自ら刑期を延ばすようなことをするんだろうね…。彼の弱さなのかもしれないけれど。何をやったかはわからないけど、そもそも、一度捕まってるわけですからね。その時点で、本当に家族を大切にしているとは言い難い。

妻役のシャーリー・ヘンダーソンも、夫に直接不満をぶちまけるシーンもあるけれど、夫の母に、「そんなことだから、イアンがああなった」と思わず文句が出ちゃうシーンもあった。
四人の子供を寝かしつけて、すごく疲れているはずなのに、ベッドに横になってもすぐに眠れない。目を開けてため息をついている様を見ると、心底まいっているのがわかる。
イアンがいないときに、他の男の人に縋りたい気持ちもわかる。子供たちも懐いていたけれど、離婚ということにはならずに、ちゃんと告白をするあたりで、最初からやり直そうという決意が感じられる。隠したままではやり直せない。
イアンは浮気のことをとても怒っていて、そのあとの朝食中にも何か考えているような表情の描写があった。しかし、深い説明はないまま、子供たちの歌の発表会からラストの海のシーンへと進む。でも、あのラストを観たら、きっと許して、彼も自分の行いを反省して、最初からやり直すのだろうなと思う。
あのマイケル・ナイマンの叙情的な音楽と冬の海にいる六人の家族を遠くから映す映像だけで、丸くおさまった雰囲気が感じ取れる。説明や、事件などは変に起こらなくてもいいのだ。

『Mad Dogs』


2011年にイギリスSky1にて放送された、ジョン・シムが出ているテレビドラマのシリーズ1。邦題は『Mad Dog/マジョルカの罠』。日本語字幕無しで観たために、細かいところはよく理解できていないです。
中年男の友達四人組がリゾートに遊びに出かけるも、事件に巻き込まれてピンチに陥る。

四人が全員40代(いまは50歳になってる人も)というのと、リゾート地の日差しや景色の綺麗さがこの作品の魅力だと思う。
いい大人がどんどんピンチに陥ってわたわたする様が面白い。人が殺されたりもするけれど、おっさんたちの様子は何故か微笑ましい。
普通、登場人物がピンチになると、応援するような気持ちで観賞することが多いですが、このドラマの場合は、本当にひとごととして楽しんでしまう。

最初の、酷いことが起こるなんて考えもせず、きゃいきゃいしながらリゾート地に向かう様子も可愛い。車の中で、四人で『Like a Virgin』を歌って大はしゃぎ。このシーン、何度でも観たい。
それで、結構早い段階でジョン・シム演じるbaxのメガネが割れるんですが、旅行なので替えはなく、それをかけつづける。シーズン1最終話では更に壊れてセロハンテープで補修するんですが、シリーズ2も3も、DVDのジャケットを見ると、どうやら同じメガネをかけている。あのまま行くんだ…。

二話目では自分たちが殺したわけではない死体を処理するシーンが二回出てくるんですが、その二回ともなぜか愉快な音楽が使われている。ドラマ中の四人は決してふざけているわけではなくていたって真面目だし慌てているのに楽しげに見えてしまう。やっぱり、大変な目に遭ってるのをみて笑うっていう視聴方法でいいんだと思う。
あと、リゾート地だから仕方ないけど、真剣なシーンなのに、服装が麦わら帽子に半ズボンなど、緊張感が無いものになっている。しかも、着ているのがおっさんたちなので可愛い。
あと、これもリゾート地ならではですが、別荘にプールがついているので、裸で飛び込むシーンが何度か出てくる。おっさんたち全員の裸が見られます。
それと別にジョン・シムについてはお風呂シーンがあった。右肩にスペードのタトゥーがあるのを発見。
ジョン・シムのメガネをかけたりはずしたりの演技が良かった。遠くのものを見る時にかけたり、女刑事と話す時には割れているからなのかはずしたり、逆に近くのものを見る時には割れているから見づらいのかはずしたり。

三話目、やっぱりこれもリゾート地で暑いせいだろうけど、おっさんたちの着てるシャツは背中に常に汗のあとがついていて、そのままあたふたしてるから可愛い。
あと、また死体を処理するシーンが出てくるんですが、ボートからうっかり海に落としちゃって、慌てている時、若い女の子の集団が乗ったボートが音楽をがんが んにかけながら通り過ぎる。女の子たちは酔っぱらっているのか若いからなのか、キャーキャー言いながら、おっさんたちのほうへ手を振ったり、おっぱいを出したりしているけれど、おっさんたちはそれどころではない。でも、なけなしの愛想をふりまいて力なく手を振り返しているのも可愛かった。ここも何回も観たい。
あと、物騒なんですが、baxが銃を持ち出す。普通のおっさんなので、当然、銃など持ち慣れていなくて、その演技がうまかった。構え方もたどたどしいし、うっかり撃たないように銃口を後ろに向けていた。

四話目が一応シリーズの最終回ですが、まったく終わらなかった。いきなりシーズン2から見始めたらわからないと思う。たぶん、そのままシーズン2へ続く。
四人が感情をぶつけ合いながら本気で喧嘩をするシーンがあるんですが、その言い合っている内容が英語ではよくわからなかった。残念。字幕が欲しい。あと、前回の予告でbaxが銃を撃つシーンが出てきてたんですが、ここの四人痴話喧嘩シーンで撃ってた。ここでなの…。
戦闘態勢に入るために(?)、化粧をしたり、仮面をかぶったりして士気を高めているおっさんたちの様子も面白かった。回を追うごとにどんどんピンチになって、必死になっていく。そして、その化粧を落とすために、プールにざっぱんと入るのは恰好良かった。


観終わってから海外のWikipediaを読んだんですが、最初は四人がバンドをやる話だったらしい。確かに、四人が恰好良く写っている宣材写真を見ると、バンドにも見える。ただ、目新しさがないということで却下されたらしいです。
四人を演じている俳優さんたちがうまいし、キャラクターをとても好きになった。シーズン2も楽しみ。
『ステート・オブ・プレイ』でドミニク・フォイを演じていたマーク・ウォーレン、一人は『ライフ・オン・マーズ』のフィリップ・グレニスター。二人ともジョン・シムと共演しているので、もう一人の俳優さんも多分、どこかで共演していて、親交の深い四人なのではないかと思う。

マーク・ウォーレン、ジョン・シムよりも若いのかと思っていたら、3つも年上でびっくりした。

『フィルス』


ジェームズ・マカヴォイ主演、原作は『トレイン・スポッティング』のアーヴィン・ウェルシュ。
アーヴィン・ウェルシュとジョン・S・ベアード監督のトークショー付き試写会へ行ってきました。写真撮影オッケーでした。めずらしいイベント。
お二人ともやっぱりロボットレストランに行かれたらしい。最近、来日するアーティスト、みんな向かってる感じがする。すっかり名所に。「この映画もクレイジーだけど、あの場所はもっとクレイジーだった!」
マカヴォイを主演に選んだ理由については、まず、エジンバラ警察が舞台なので、スコットランドの俳優であることが第一。それと、資金繰りが大変になるので、ある程度知名度があること。そして、演技ができること。
マカヴォイはアル中の顔がむくんだ感じを出すために、撮影前に毎日ウイスキー半ボトルを空けていたらしい。そのことは、監督さんは撮影終了後に知ったらしい。ウイスキーってあたりがスコットランド人らしい。
原作者の方は、「日本とは文化が違う面もあるからわかりにくいかもしれないけれど、楽しんでほしい」と言っていたけれど、そんなにわかりづらいところはないと思うけど、どのへんのことだろうか。

以下、ネタバレです。

あ、その前に、この映画のグッズで、ロンドンでみんな着てた、“Superdry 極度乾燥(しなさい)”のパロディTシャツがグッズで出てました。“Superfilth 極度最低(しなさい)”。気になったけれど、バックプリントで思いきり中指を立てていたので買えず。








昇進のために周囲の人物を陥れることしか考えていない快楽主義者の主人公が、好き放題やってバカ騒ぎする娯楽ムービーかと思っていた。予告編から受ける印象はこのあたりまでです。
もちろんその部分も面白い。いままで観たことのないマカヴォイが観られる。細かいことだとおならをして人のせいにする、子供の風船を空へ放つ、同僚の男性器の小ささを暴露するということから、親友の妻へいたずら電話を繰り返す、ドラッグを吸いまくるなど、本当に逮捕されかねないことまで、なんでもやる。
マカヴォイが演じているせいもあるのかもしれないけれど、憎らしいながらもどこか可笑しいし、愛嬌がある。登場人物たちからは嫌われていても、映画を観ている観客からは憎めない存在として描かれている。
マカヴォイ演じるブルースの罵り方も早口でテンポが良かったり、作り自体がポップで深刻さがない。下品で野蛮であっても、勢いがあるし、ケラケラ笑って観られる。

そのまま、軽い感じで終わっていくのかと思っていた。
アル中ヤク中気味でも一応警察なので、一つの事件が軸になっているのですが、その謎解きが進むにつれて、少しずつ、ブルースの過去が明らかになっていく。それにつれて、映画自体にほころびが見え始め、徐々に雰囲気が変わっていく。

前半もおもしろかったけれど、後半に行くにしたがってはっとする瞬間が多く出てくる。ある親子との交流や、同僚の女性からの罵倒、部屋に転がる酒のボトル、自分の家族の写真、スーパーでの邂逅…。
どうして、いまの彼がこんな状態になっているかがわかっていく。
特にスーパーでの場面が泣けた。出て行った妻と子が新しい父親と一緒にいる場面を見かけて動揺している様を、かつて事件で関わった親子に目撃される。ブルー スはその親子に一瞬だけ甘えそうになるが、つらさをぐっと隠す。その親子にだけは、自分の情けない姿を見せたくなかったのだろう。なけなしのプライドが見えた。ただ、甘えられたら変わっていたのではないか、という気もする。

出て行った妻にあまりにも恋焦がれたため、妻と同化したいという願いが彼を女装へ走らせる。ブルースが女装している姿というのは、前半で出てきたら笑うところです。ただ、後半の雰囲気の中だと痛々しさしかない。好きな人に手が届かないから、好きな人そのものになってしまいたい。もうそれは、自分とはかけ離れた綺麗なものを崇拝するような気持ちに近い。

そして、観客がブルースの心の内を完全に理解したときに、流れてくるのがレディオヘッドの名曲『Creep』! カヴァーですけど、ここで流れなくてどこで 流すんだというくらい、歌詞がこのシーンそのまんまだった。安直といえば安直だけれども、流れると思わなかったし、思い入れもある曲なので涙が止まらなかった。


この映画はジェームズ・マカヴォイがハマり役でした。ポスターなどに使われているメインヴィジュアルは汚いけれど、それだけではない。女装は、汚いけれど元の顔立ちが綺麗なので少し似合っていた。最後の警官の制服を着てキリッとしているシーンはよく知ってるいつものマカヴォイというか、恰好良かった。
最近立て続けで上映されている『ビトレイヤー』『トランス』『フィルス』とまったく違うタイプの役を演じ分けているのも素晴らしい。しかも、どれも濃い役です。

他の出演者では、ジェイミー・ベルはドラッグ大好きで男性器が小さいという役柄だったんですが、もう、そうにしか見えなくなってしまった。好きな俳優さんではあります。
あと、『ワールズ・エンド』や『アリス・クリードの失踪』に出てたエディ・マーサンが人の良い親友役で出ている。人の良い役が多い人という印象だし、顔に特徴があるし、イギリス映画によく出てくるので気になっている。
(調べてて初めて知ったんですが、『アリス・クリードの失踪』のもう一人の男性も『フィルス』に出てたみたい)

途中、ブルースが幻覚の中で人の顔が動物になっているように見えるシーンが何度か出てくるんですが、明らかに動物のマスクだし、どうなんだろう?と思っていたら、エンドロールに可愛らしいアニメが。なるほど。


追記;原作も読みました。原作のブルースはもっと様々な問題を抱えているのですが、映画版は悩みのほとんどが妻とのことだけだったので、だいぶロマンチックな方向にまとめてあると思った。

原作だと、ブルースの腹の中のサナダムシがもっと活躍する。第二の自我のようにどんどん話す。本人が望んでか望まずか、記憶の奥のほうにしまった昔の家族関係の話は映画には出てこなかった。父親から虐待されていたり、弟を死なせてしまったりと、もっとえぐめの話もあったけれど、映画では省かれている。
ラストで家にくるのも夫を亡くした母子ではなく、ブルースの元妻子のようだった。
更に、首を吊っての自殺の際にサナダムシが外へ出る。
この辺の描写はもちろん映像化はできないだろうし、喋りまくるサナダムシというのもそこだけCGにするのもおかしいし、一気に省いてしまって正解だったと思う。それに伴って家族関連の話も省かれて、出て行った妻を想う女々しさがクローズアップされていたのは私はそれはそれで好きです。原作もおもしろかった。


2005年公開。結合双生児という体の一部が繋がって生まれてしまった双子がバンドのボーカリストとギタリストに抜擢される。
ドキュメンタリータッチで描かれるため、実話なのかと思ってしまったがそうではないらしい。途中で監督の話なども入るけれど、それはこの映画の監督ではなかったので、映画の中で双子の生涯を描く映画を撮影しているという少し変わった構成。

ただ、双子役を演じているのは、ハリー・トレッダウェイとルーク・トレッダウェイという実際の双子の俳優さん。『ソーシャル・ネットワーク』ではアーミー・ハマーは一人だけれど、こちらはちゃんと二人います。
トレッダウェイ兄弟は綺麗な顔をしているし、双子なので更に破壊力がある。この映画以降、二人で一緒に出ている映画がないようなのでもったいない。

映画内の演奏シーンがかなり恰好いいのだけれど、エンドロールを見ると実際に彼らが演奏していたし、ハリーは一曲作詞もしていた。十代の頃に、バンドを組んでいたらしく、なるほど慣れている。

1970年代のイギリスということで、パンクです。中でも暗めの『ドゥーラとドーラ』はバウハウスっぽくて好みでした。

実は、ジョン・シムが出ているということでこの映画を観ました。なぜか、マネージャー役だと思い込んでいたけれど、出てきたマネージャーの顔は違う。痩せて髭を生やしたらこうなるのかなとも思ったけれど、鼻の形が違う。途中でマネージャーが変わるのかと思ったけれど変わらない。
最後、エンドロールを見ていたら、special appearance(特別出演)のところにJohn Simmの名前が…。役名がBoatman。最初にボート漕いでた人だった。確かに似てると思ったし、(マネージャーのつもりで観てたので)どう考えてもマネージャーではなかったし、ちゃんと写りもしなかったし、トータル一分も出てなかった。本当に特別出演だった…。


スランプに陥った脚本家がネタづくりのためにサイコパスを募る広告を出したら変な奴らが集まってきちゃってさあ大変?みたいな宣伝のされかただったけれど、実際の内容は少し違っていた。ポスターに映っていた7人がそれぞれ集まってきた人たちなのかと思っていたけど、それも違っていました。

以下、ネタバレです。






広告を見て来たのはトム・ウェイツだけだったし、彼はどちらかというとメインというより、ゲスト出演っぽい感じでした。
あと、セブン・サイコパスとはいえ、ポスターに映っている七人はサイコパスではなく、登場人物が並べてあるだけ。この内の女性二人はまったく活躍しないし、セリフも少なく、出てきても殺されていた。
でもこれって、主人公のマーティ(コリン・ファレル)の書く脚本通りなんですよね。実際にそんなセリフが出てくる。「女には過酷な世界だから」と言っていた。

序盤では、マーティの書く脚本の内容が映像化されているシーンもあって、最後まで創作なのか本当に起こっていることなのかわからなかった。ラストも、「夢オチでもいいんじゃないか?」という助言があったのでまさか夢オチ?とも思ったけれど、違った。
この、書いた文章が映像化されていて、現実だか妄想だかわからないという部分は『危険なプロット』と構成が似ていた。

ハンス(クリストファー・ウォーケン)がテレコに吹き込んだ、ベトナム人のサイコパスの結末についてのアドバイスは、脚本についてのアドバイスであり、実際にマーティが置かれた状況に対するアドバイスでもあったのだと思う。それと、自分のしたことに対する後悔なのかもしれない。
きっと、自分も復讐で人を死に追いやったことを後悔していたのだ。奥さんを殺されていて、とても憎いはずなのに、復讐は繰り返してはいけないのだということを語る強さ。正しい心を取り戻したあとに、拳銃を出そうとしたのと勘違いされて撃たれたハンスの最期は、少し『グラン・トリノ』を思い出した。

脚本が進まない友人のためにちょっと頑張りすぎるくらい頑張るビリーを演じるサム・ロックウェルが良かった。全体的にはっちゃけた役で、出演者の誰よりもまともな部分が無い役だった。友人の脚本を派手にするために、わざわざ危険な戦いを挑んでいたけれど、結局は自分が楽しければいいという感じになっていたんだろうと思う。
途中で出てくる動物の顔の付いた帽子も可愛い。なんであんな帽子かぶってたのかは不明。子犬に照明弾の銃をつきつけている姿もピンチなはずなのに可笑しい。その銃が蛍光カラーなのもポップな印象になっていた。
ラストのウディ・ハレルソンとの戦いのあたりは彼の独壇場だった。
2丁拳銃が好きなんですけど、今作では両手に拳銃を持って、おまけに口に一つくわえているシーンがあって素晴らしかった。見せ方の恰好良さが追求されていた。主人公はこちらではないかと思えてくる。

一応主人公はマーティだけど、ビリーの前では地味すぎて霞む。コリン・ファレルのハの字困り眉は、巻き込まれ系の役に似合っていたと思う。

シーズーを抱えているおっさんとうさぎを抱えているおっさんが出てくるのはどうなんだろう。可愛かったけど、一本の映画の中に小動物を抱いてるおっさんが二人出てくるのって設定がかぶりすぎなんだけれど、いちいち捻ってきているので、これも狙ってるのかもしれない。

小粋なクライムムービーなんですが、クエンティン・タランティーノの影響が感じられた。結構、威勢良く血は出るし、頭もふっ飛ぶ。
特に最初のシークエンス、マフィアが二人でぺちゃくちゃ蘊蓄っぽいことを喋っていて、後ろから来た殺し屋にあっさり撃たれるというあたりはニヤリとさせられた。

この監督の前作も少し変わったクライムムービーらしい。殺し屋が指令を待ってだらだらするという2008年の『ヒットマンズ・レクイエム』、DVDスルーだったらしいですが観てみたい。


2003年のBBCドラマ。日本ではNHKで放映していたらしいです。全六話。
ジョン・シム目当てで見ようと思ったんですが、販売しているDVDは高いし、最寄りのレンタル店にも置いていなかったので、初めてレンタル店の取り寄せサービスを使いました。

ジョン・シムは新聞記者のカル・マカフリー役。友人で議員のスティーブンが不倫していた事務所の若い子が事故死したけれど、さぐっていくうちにそれは殺人の可能性が出てきて…?というストーリー。2009年に『消されたヘッドライン』としてハリウッドリメイクもされているらしい。

カルの飄々とした上司役にビル・ナイ。協力することになる軽薄っぽいジャーナリスト(あとでビル・ナイ演じる上司の息子だと判明する)役にジェームズ・マカヴォイとキャストも豪華。
ビル・ナイは別にいまとそんなに変わってる感じでもないのですが、マカヴォイがすごく若い。いまよりも随分細いのと、色が真っ白で頬が赤い。髪の毛も少しパーマがかっていて、まるで天使みたい。

一話目は登場人物が多い中で話が急展開していくので少しついていけなかったけれど、二話目で人物に慣れたせいで俄然おもしろくなる。マカヴォイの力も大きいと思う。バイク便のコスプレ、可愛かった。
あと、二話目の最初のほうで、バイトっぽい女の子にカルが逆さピースで「よう」って軽口たたいて、「よう」って中指立てて返される、なんてこと無いシーンがすごく良くて何度も観た。逆さピースというか、自分側に向けたピースって相手を侮辱するときに使うらしい。

三話目はまた少し話が入り組んでくるんだけど、カルがかなり女にだらしない役なのがわかる。いくら好きだからって、相手から誘われたからって、友達の奥さんと関係を持っちゃだめだよ…。しかも、その友達、容疑者っぽくもなってきてるのに…。
スティーブンの妻であるアンとのいちゃいちゃシーンはこの回だけでなくて、この先にも何度か出てくるけれど、もれなくどれも無駄にいやらしかった。『いとしきエブリデイ』でも奥さんとのシーンはだいぶいやらしかったんですが、ジョン・シム、もしかしたらそうゆう演技が得意なのかもしれない。

四話以降でもカルのアンに対する行動が軽卒で事態がこじれる。あと、やっぱりというか、イギリスのドラマはゲイの子が出てくる。

ドミニク・フォイというキャラクターが途中から出てくるんですが、金をつめばいろいろ話すし、でもその話すことも嘘ばっかりだったり、隙を見ては逃げ出そうとしたりと、どうしようもないながらも憎めなかった。彼絡みのところが大体ギャグでした。
ゲイだということが判明するんですが、それを武器にして話を聞き出す新聞社側のゲイの男の子、シドが可愛かった。得意分野に関しては任せられる変な頼もしさがあった。

新聞社側の人たちは全員良いキャラクターだったけれど、議員側やその関連のエネルギー団体の人たちは少しわかりにくかった。たぶん、名前だけしか出てこなかった人もいたと思う。

最後のほうの、屋外でカルがスティーブンのことを問いつめるシーンは二人の演技が最高でした。

ただ、終わり方は少し中途半端に思えた。六回見てきて新聞社の人たちに愛着もわいたので、打ち上げっぽいものが欲しかった。
カルが書いた件の事件の結末の記事が載っている新聞が印刷されるのを印刷所で見ているシーンで終わり。カルは何も喋らず、新聞の一面が映し出されるだけ。あと、一回くらい欲しかった…。


映画館で見かけた、グラムロッカーみたいな化粧をしたマット・デイモンのポスターが気になったので観ました。予告編は流れてなかったんじゃないかな…。
ボーンシリーズや最近の『エリジウム』など、どちらかというと、男らしいマッチョなアクションをこなす俳優なイメージだったので、こうゆう少しキワモノ風なポスターは意外でした。

リベラーチェという実在するピアニストの恋人が書いた伝記の映画化。スティーブン・ソダーバーグ監督作品。もう映画は撮らないんじゃないの?と思っていたら、これはテレビ映画だそう。

以下、ネタバレです。






観終わるまで、リベラーチェがマイケル・ダグラスだって気づかなかった…。前情報を入れていないにしても、かつらと表情のせいで、ものすごく若く見えました。
そして、演技も素晴らしかった。最初の、ステージ上でピアノを弾いてるシーンから、お客さんとして観にきているスコット(マット・デイモン)や他の観客と同様に、リベラーチェにすっかり魅了されてしまった。
スパンコールやラインストーンがちりばめられた衣装にピアノもギラギラしていた。これは、いままでピアノ弾きと言えば、黒いタキシードと黒いピアノだったことに対する反発らしい。
ピアノには枝付き燭台も飾られていた。原題は『Behind the Candelabra』。ただ単に、枝付き燭台の後ろ側にいるリベラーチェを指しているのか、それとも、Candelabraの華やかさをリベラーチェに例えて、リベラーチェの素顔みたいな意味もあるのかも。

最初のピアノショーのシーンは映画というより本当にピアノショーのようだった。『マジック・マイク』もショービジネスの裏表みたいなものを描いていたけれど、『恋するリベラーチェ』もテーマ自体は似通っている。ただ、『マジック・マイク』のほうがもっと乾いた印象を受けた。こちらは湿っている。ドロドロです。

リベラーチェはキュートで、楽しいことが好きで、高慢で、人を愛することがやめられないし、愛されたいという欲望も尽きることを知らない。年齢は関係ない。独りよがりに見えるけれど、だからこそ、スターになれたのだろう。
スコットはそんなリベラーチェに振り回される。一方的に愛を押し付けられて、戸惑いながらも次第に夢中になっていく。キスやセックスがわりとはっきりと描かれて、マット・デイモンのお尻も何回も出てきていた。キスシーンにはベン・アフレックも嫉妬したらしい…。

しかし、ほどなくして飽きられてしまう。リベラーチェは別の男に夢中になる。
スコットが最初にリベラーチェの楽屋に行った時にちやほやされるが、その画面手前側で、前の男が不機嫌そうに、黙って一人でご飯を食べていた。それと、同じ構図で後半には、手前側にスコットが一人でご飯を食べ、奥にリベラーチェが若い男をもてなしていた。きっと、いままでもこの繰り返しだったのだ。

憎しみの中で別れたスコットがリベラーチェの葬式で観たショー的なものは彼の頭の中のことだろう。哀しみというよりは、まるで宝塚のような華やかさ。ここでリベラーチェが言う、「いいことも、度がすぎると素晴らしい」という言葉はソダーバーグ監督の映画を撮るのをやめるにあたっての遺言めいたものにも感じられた。
それを見つめるマット・デイモンの表情が素晴らしい。一人の観客として、リベラーチェを観ている。それは、なんでこの人のことを好きになったのかを思い出した顔だった。

主演のマイケル・ダグラスとマット・デイモンの演技が本当にすごかったんですが、アメリカではテレビドラマとして放映されたため、アカデミー賞にはノミネートされないらしい。けれど、エミー賞は総なめだったらしいです。(追記)ゴールデングローブ賞にも多数ノミネートされています。

美術や衣装も観ているだけで、ワクワクしてしまうきらびやかな世界だった。リベラーチェの舞台の衣装やアクセサリー、ピアノなどはもちろん、リベラーチェの屋敷の装飾品や家具もじっくり観てしまった。

リベラーチェがピアノを弾くシーンが何度か出てきますが、実際にリベラーチェが弾いたものも含まれているらしいです。

映画の中盤で、整形で顔が変わり、ドラッグのせいで体型が変わるなど、姿形が自在に変化していたけれど、撮影期間が30日だったみたいなので、特殊メイクやCGみたいです。
それで、大阪の矢田弘さんという特殊メイクアーティストの方が、エミー賞の特殊メイク部門をこの映画で受賞してました。

映画を観終わったあと、パンフレットを買うかどうか迷っていたんですが、思った通りのキラキラした装丁だったので購入。それに、映画が終わったあとで、スコットがリベラーチェにコートをかけてあげてるメインヴィジュアルを見ると、二人が良かった頃を思い出して泣けて仕方なかった。