『恋するリベラーチェ』


映画館で見かけた、グラムロッカーみたいな化粧をしたマット・デイモンのポスターが気になったので観ました。予告編は流れてなかったんじゃないかな…。
ボーンシリーズや最近の『エリジウム』など、どちらかというと、男らしいマッチョなアクションをこなす俳優なイメージだったので、こうゆう少しキワモノ風なポスターは意外でした。

リベラーチェという実在するピアニストの恋人が書いた伝記の映画化。スティーブン・ソダーバーグ監督作品。もう映画は撮らないんじゃないの?と思っていたら、これはテレビ映画だそう。

以下、ネタバレです。






観終わるまで、リベラーチェがマイケル・ダグラスだって気づかなかった…。前情報を入れていないにしても、かつらと表情のせいで、ものすごく若く見えました。
そして、演技も素晴らしかった。最初の、ステージ上でピアノを弾いてるシーンから、お客さんとして観にきているスコット(マット・デイモン)や他の観客と同様に、リベラーチェにすっかり魅了されてしまった。
スパンコールやラインストーンがちりばめられた衣装にピアノもギラギラしていた。これは、いままでピアノ弾きと言えば、黒いタキシードと黒いピアノだったことに対する反発らしい。
ピアノには枝付き燭台も飾られていた。原題は『Behind the Candelabra』。ただ単に、枝付き燭台の後ろ側にいるリベラーチェを指しているのか、それとも、Candelabraの華やかさをリベラーチェに例えて、リベラーチェの素顔みたいな意味もあるのかも。

最初のピアノショーのシーンは映画というより本当にピアノショーのようだった。『マジック・マイク』もショービジネスの裏表みたいなものを描いていたけれど、『恋するリベラーチェ』もテーマ自体は似通っている。ただ、『マジック・マイク』のほうがもっと乾いた印象を受けた。こちらは湿っている。ドロドロです。

リベラーチェはキュートで、楽しいことが好きで、高慢で、人を愛することがやめられないし、愛されたいという欲望も尽きることを知らない。年齢は関係ない。独りよがりに見えるけれど、だからこそ、スターになれたのだろう。
スコットはそんなリベラーチェに振り回される。一方的に愛を押し付けられて、戸惑いながらも次第に夢中になっていく。キスやセックスがわりとはっきりと描かれて、マット・デイモンのお尻も何回も出てきていた。キスシーンにはベン・アフレックも嫉妬したらしい…。

しかし、ほどなくして飽きられてしまう。リベラーチェは別の男に夢中になる。
スコットが最初にリベラーチェの楽屋に行った時にちやほやされるが、その画面手前側で、前の男が不機嫌そうに、黙って一人でご飯を食べていた。それと、同じ構図で後半には、手前側にスコットが一人でご飯を食べ、奥にリベラーチェが若い男をもてなしていた。きっと、いままでもこの繰り返しだったのだ。

憎しみの中で別れたスコットがリベラーチェの葬式で観たショー的なものは彼の頭の中のことだろう。哀しみというよりは、まるで宝塚のような華やかさ。ここでリベラーチェが言う、「いいことも、度がすぎると素晴らしい」という言葉はソダーバーグ監督の映画を撮るのをやめるにあたっての遺言めいたものにも感じられた。
それを見つめるマット・デイモンの表情が素晴らしい。一人の観客として、リベラーチェを観ている。それは、なんでこの人のことを好きになったのかを思い出した顔だった。

主演のマイケル・ダグラスとマット・デイモンの演技が本当にすごかったんですが、アメリカではテレビドラマとして放映されたため、アカデミー賞にはノミネートされないらしい。けれど、エミー賞は総なめだったらしいです。(追記)ゴールデングローブ賞にも多数ノミネートされています。

美術や衣装も観ているだけで、ワクワクしてしまうきらびやかな世界だった。リベラーチェの舞台の衣装やアクセサリー、ピアノなどはもちろん、リベラーチェの屋敷の装飾品や家具もじっくり観てしまった。

リベラーチェがピアノを弾くシーンが何度か出てきますが、実際にリベラーチェが弾いたものも含まれているらしいです。

映画の中盤で、整形で顔が変わり、ドラッグのせいで体型が変わるなど、姿形が自在に変化していたけれど、撮影期間が30日だったみたいなので、特殊メイクやCGみたいです。
それで、大阪の矢田弘さんという特殊メイクアーティストの方が、エミー賞の特殊メイク部門をこの映画で受賞してました。

映画を観終わったあと、パンフレットを買うかどうか迷っていたんですが、思った通りのキラキラした装丁だったので購入。それに、映画が終わったあとで、スコットがリベラーチェにコートをかけてあげてるメインヴィジュアルを見ると、二人が良かった頃を思い出して泣けて仕方なかった。

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