『ひかりのまち』


1999年公開。マイケル・ウィンターボトム監督で音楽のマイケル・ナイマンをはじめとしたスタッフ、また、シャーリー・ヘンダーソン、ジョン・シムといった出演者も『いとしきエブリデイ』と同じです。

ドキュメンタリータッチというか、淡々と人物たちを描写していく手法は『いとしきエブリデイ』と同じだが、こちらのほうが事件がちゃんと起こる。
三姉妹を中心に、その両親や夫や子供などのことが同時に描写されるいわば群像劇。誰を贔屓するでもなく、それぞれを公平に描いている…が魅力だと思ったので、日本版の予告がナディアだけを中心としているのはちょっとどうかと思った。ナディアだけが結婚していなくて恋人もいなくて…というわかりやすい独りの状態だったので作りやすかったのかもしれないけれど、結婚していても孤独感は感じるし、それぞれの立場で違った悩みもある。登場人物それぞれが違った悩みを抱えていて、誰一人として人生幸せで幸せで…という状態の人がいなかったから、全員についての予告を作るのは難しいから一人にクローズアップしたのだろうか。“この街にきっと愛してくれる人がいる”というキャッチコピーもナディアの予告を見せられたあとだと安直と思ってしまったが、結局、全体を観てみても、描かれているのはそのことだったと思うので、これはいいのかもしれない。

あと、もうこれも仕方がないのはわかったからいいんですが、原題が『Wonderland』なんですね。ジョン・シム演じるエディとモリー・パーカー演じるモリーの間に子供ができて、エディは「名前はアリスがいいんじゃないか。アリス・イン・ワンダーランド」って言うんですよ。この時、ワンダーランドはロンドンのことを指している。ロンドンのアリス。この映画はロンドンという街についても描いているので、『Wonderland』というタイトルになったのだと思う。だから、邦題もこのままにしてほしかった。けれど、日本だと、そもそも『アリス・イン・ワンダーランド』ではなく『不思議の国のアリス』。ここで、もうワンダーランドが出てこないからタイトルにできない。かといって、邦題を『不思議の国』にするのもなんだかよくわからない。なので、もう『ひかりのまち』で仕方ない。納得はしたんですが、観ている最中 は、だからWonderlandなんだ!タイトル変えちゃったら意味ないじゃん!と少し憤りました。

ジョン・シム、やっぱり99年となるとかなり若いです。会社を辞めたいけれど、子供も産まれるし、奥さんになかなか言い出せない、しかも実際に辞めたあとバレちゃうという役柄。弱く、でもどこにでもいるような、誰もがそうするだろうなという役だった。あなたは悪くないよ。

あなたは悪くないよ、というのはこの映画に出てくる登場人物誰にも言えることだった。一人一人が悩みを抱えて、その上でとった行動が別の人を傷つけて、人間関係がおかしくなったり、少し近づいたり。
『いとしきエイブリデイ』に比べて事件が起こるとは言っても、比べて、というだけの話だし、劇的な何かはそんなに起こらない。思わず共感してしまうような、私たちの身の回りでも充分起こりうる些細な出来事。それを人物たちの近くに寄り添うようなカメラが優しく切り取っていく。

フランクリンが家で聴いていた音楽が、パルプとマッシヴアタックで私と趣味が合いそうだった。中で説明があったかどうかちょっとわからないんですが、これらはフランクリンがナディアを想いながら聴いていた音楽みたいですね。


2007年公開。ずっと観たいと思っていてやっと観ました。
登場人物が豪華。とはいえ、一般的にはそんなに豪華じゃないかもしれないけれど、一部ジャンル俳優さんたちが揃っています。
ジョナ・ヒルが主人公なんですが、『JUNO』や『スコットピルグリム』のマイケル・セラ、『キック・アス』のクリストファー・ミンツ=プラッセ、セス・ローゲンとビル・ヘイダーなど。
監督は『宇宙人ポール』のグレッグ・モットーラ。『アドベンチャーランドへようこそ』も観てみたいです。そういえば、マイケル・セラとジェシー・アイゼンバーグは顔が似ている気がする。

まず、オープニングがお洒落キッチュでかわいい。踊るシルエットに鮮やかな色合いの、一時期のiPodのCMみたいなあれ。セス・ローゲンとマイケル・セラが踊っています。

ジョナ・ヒル演じるセスら三人は高校生同級生で童貞、プロムで意中の相手との初体験を目指す。けれど、プロムには酒が必要、高校生が酒を入手するためにすったもんだある。
シンプルな大筋があって、それと別にフォーゲルの警官二人とのコント的なやりとりもあり、それがちょくちょくと大筋に関わってきて、少し複雑化させる。
なんかこの無駄な問題の起こり方と、脚本の構成が『21ジャンプストリート』を思い出させた。プロム、ブロマンス、ジョナ・ヒルというわかりやすい共通点もありますが。

最後のほうの仲直り後に隣りに並んで寝て、「愛してる」って言い合うあたりはブロマンスとして、シャレになっているのかどうか。翌朝、セスとエバンは下ネタを言いながら楽しく買い物をしていて、途中で女の子と会って、別れ別れになる。大人びてすました感じで女の子と去っていくエバンの背中を寂しそうに見るセスは、あれだけヤりたいヤりたい言っていながらも、まだ子供のまま遊んでいたそうな顔だった。
エンドロールの最後にも「愛してる」って一言入るのもなんでなの…。

エンドロールにいろんな男性器の絵が出てくるのも笑った。板前、兵士、ミサイル、メデューサ、手術、汽車、魔法使い、タコ、ユニコーン、アメリカ大統領、モグラたたきなどなど、パターンが豊富すぎた。そして、最後に三人組の男性器イラストもあって、それは笑えるけど少し泣きそうになった。

男の子同士のぎゃーぎゃーした下品会話も楽しいし、プロムにかける青春具合も甘酸っぱい。警官二人とフォーゲルのやりとりもぜんぶ面白い。初体験は済ませられなくても、最後に少しだけ大人になる登場人物たちが愛しくなった。あれだけ下品でも、観終わったあとになぜか、爽やかな気持ちになれる。


セス・ローゲンとエヴァン・ゴールドバーグが脚本。あれ、登場人物の名前もセスとエヴァン?と思ったら、二人の実体験に基づいているらしいです。フォーゲルについても本物がいた。
本当はセス・ローゲンはセス役をやりたかったそうですが、さすがに高校生役は無理でジョナ・ヒルになったらしい。『21ジャンプストリート』に原案で参加しているジョナ・ヒルがまんまと高校生活を楽しむ役をやってたことを思い出した…。

DVDに入っていた特典映像の未公開シーン集はどれも下品すぎてカットされて当然だった。
XXシーン集も猥談集。細切れにしたアウトテイクを組み合わせてるのかな。いずれにしても、ストーリーとは関わってこない無駄話。連続で見ると強烈。
短かったけど、NG集も入っていた。こうゆうわいわいした映画での出演者の仲良さそうな一面が見られるのは楽しかった。

そういえば、今作では高校の同級生役だったジョナ・ヒルとマイケル・セラとクリストファー・ミンツ=プラッセは、いまの感じだとジョナ・ヒルだけが歳をとって見えますが、実際、一人だけ5歳上でした。


2012年公開。これも、予想していたのとだいぶ違っていた。
予告と“笑えて最後は少しほろりとする”という宣伝文句だと、もっとコミカルな感じを想像していた。コンクラーベによって選ばれた法王がその重圧からか、息抜きのために宮殿から抜け出して、市民とギャップコメディーを中心としたほのぼのとした触れ合いがあって、宮殿へ戻って職務を全うする。そんな話だと思っていた。なぜ、話が想像できていても観賞したかというと、ほのぼのとしたあたりが観たかったからです。

法王に選ばれたメルヴィルが逃げ出すところまでは正しかった。でも、笑いの要素は残された枢機卿たち側にしかなかった。法王がいると思っているので、影武者が法王の部屋の電気をつけていれば、嬉しそうにそちらに向かって手を振ったりしている様子も可愛かった。
特に、法王のカウンセラー役で呼ばれた精神科医が中心となっての国別バレーボール大会は可愛かった。人数の少ないオセアニアチームの得点シーンは感動してしまった。法王関連のことよりも、このバレーボール大会の瑞々しさが印象に残っている。
枢機卿に混じって奮闘する精神科医がキャラクターとしても結構良かったんですが、このナンニ・モレッティという方が本作の監督であり、脚本・製作もつとめていた。

法王側なんですが、元々役者になりたかったらしいんですね。それで、小劇団に関わったりするんですが、代役に立候補しても無視されてしまう。触れ合いもそれほど濃密なものでもない。表情もずっと暗いままだった。

ラスト、バチカンに連れ戻されて、演説をするんですが、結局、「私は法王にはなれない」という旨をみんなの前で伝えるんですね。期待に溢れた瞳で法王を見上げていた信者や枢機卿が泣き崩れて、THE ENDっていう。なんというか、バッドエンドっぽかった。
普通だったら、外の世界に出て、成長して、そこの演説ではありがたい話や就任する旨を伝えて、新しいローマ法王を受け入れて終わると思うんですよ。
出来ない仕事を出来ないとはっきりと言う強さを獲得したということでしょうか。悲痛な面持ちの演説と人々が悲しむシーンで終わるというのは、なんともヨーロッパ映画っぽいなとは思いました。


世界観がたまらなく好きでした! ジム・ジャームッシュ監督、トム・ヒドルストンとティルダ・スウィントンが吸血鬼の恋人同士、ジョン・ハートとミア・ワシコウスカも吸血鬼役で出るという情報だけでもう、とんでもなく期待をしていたんですが、裏切られませんでした。ただ、アート寄りの作品なので、好き嫌いは出そう。

ガチガチに作り込まれた景色の中に、完璧に作り込まれた俳優さんが配置されていて、どこを切り取っても絵になる。まるで美術品を鑑賞するみたいに映画を観ました。
完璧に作り込まれているので人間味はない。いいんだよ、吸血鬼だもの。

以下、ネタバレです。







吸血鬼の話のせいで夜や部屋の中でのシーンが多いからかもしれないけれど、色もかなり寒々しく統一されていた。その中で、コップに入った血の赤さだけがとても鮮明に見えたのは、たぶん何か色をいじっているのだと思う。モノクロ映画で血だけが赤いような印象だった。

小さいコップで飲み干して、恍惚とした表情で口を開くと牙が少し見えるのが色っぽかった。ただ、このように血を摂取している以上、人間の首に噛み付いて血を吸うシーンはないのだなと思って残念な気がした。ヴァンパイア映画において、一番色気のあるシーンだと思うので。途中のセリフでも出てきますが、15世紀ではなくもう21世紀なのだから、とのことです。時代遅れなんですね。

トム・ヒドルストン演じるアダムとティルダ・スウィントン演じるイヴは恋人同士というより結婚してました。しかも何世紀も前から。
ラブストーリーというと、二人の危機が訪れて克服してハッピーエンドみたいなものが多いですが、二人にはあてはまらない。もうそうゆうのは越えた存在だった。
ミア・ワシコウスカ演じるイヴの妹、エヴァが現れて一騒動あるという前情報を聞いた時にも、二人の中を邪魔するのかと思ったら、恋仲ではなくもっと大幅にひっかきまわす役だった。
最後のほうの血がなくてピンチに陥っているときに、イヴが「あなたに贈り物をしたいから全財産をちょうだい」と言ったときも、恥ずかしながら全財産を持って逃げてしまうのかと思ってた。琵琶にも似たウードという楽器を買ってきてあげてた。ギターも置いてきてしまったし、音楽好きの彼にモロッコの楽器を。本当に愛ですね。

二人がベッドの上で向かい合って全裸で寝ているシーンがあったんですが、まったくいやらしくない。本当に絵画みたいでした。裸だと余計に作りものめいていた。

二人の背格好がよく似ていたのもおもしろい。長身で手足が長くて、性別が曖昧。ティルダが髪が白に近いブロンドで服装も白、対するトムヒは黒髪に黒い服装だったので、二人が寄り添っていると、陰陽のマークにも見えた。

血を吸うシーン自体は出てこないですが、最後の最後で噛み付こうとしているワンショットが出てくる。こちらに向かって歯を剥いている画で、そうくるとは思わなかったし一瞬だったので、イヴの顔しか見てなかったんですが、アダムも口を開いていたのかな。それを確かめにもう一度観たいくらい。

エヴァはあぶなっかしいし言うことを聞かないし、あーこれ絶対に何か悪いことが起こるな…と思っていたら案の定起こるあたり、かなりイライラさせられた。ただ、観終わってからは、あの無邪気さが子供っぽくて可愛く思えてくる。酷い目に遭わされたけれど、憎めない役だった。でも、あのタイプは反省しないだろうし、直らないと思う。

舞台がいまや廃墟の町となったデトロイトと、治安が悪いことでも有名なタンジールというのも良かった。デトロイトのつぶれた劇場が駐車場になっている建物は実際にあるみたいですね。
また、両方の町のライブハウスが出てきたのもおもしろかった。特に、タンジールのライブハウスで歌っていた女性は役名がヤスミンで本名もヤスミンのようだった。「これから有名になるな」というアダムの言葉は、そのままジム・ジャームッシュの言葉に置き換えられるのかもしれない。
アダムはアンダーグラウンド音楽を作っていて、でも姿を見せないあたりがミステリアスで人気があるという役だったし、部屋でもヴィンテージギターを弾いたりアナログ盤をかけたりしていた。エンドロールでも劇中で彼が作ったとされる重くディレイのかかった曲が流れていたし、音楽映画の側面のあると思う。

いくつか謎が残ってるんですが、手袋をしていたのはなぜなんでしょう。今回みたいに突然逃げることになることもあるから指紋をつけないようになのかな。サングラスも同じ理由でしょうか。
エヴァがパリで起こした事件がなんだったのかは明らかにならなくてもいいんですけれど、タンジールへ行く飛行機のロンドン経由がまずいのはどうしてだったんでしょうか。パリとは関係ないけど近いから? それとも、ロンドンでも何かやらかしたことがあるんでしょうか。そう考えると、長い年月の間に、行けない場所がかなり増えていそう。
アダムが発注した弾丸は、胸に当てていたし、いつか自殺をするためだったんでしょうか。

いくつか謎が残っていても、すべてをあきらかにする必要はないか、とも思えるのが、こうゆうアート系作品のいいところ。観ていて、どことなく懐かしい気持ちになってしまったのは、昔、このタイプの耽美趣味の作品を頻繁に観ていたせいでしょう。

12/18『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』
ジェイミー・ベルやダニエル・クレイグ、またサイモン・ペグとニック・フロストコンビが声優をやっているというので観てみました。CGアニメという情報しか頭に入れていなかったので、CGとはいえ、ほぼ実写で驚いた。二次元というよりは三次元。
動きも完全にモーションキャプチャーらしいので、声だけではなく俳優さんたちが演技もしているとのこと。船長役は『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムで有名なアンディ・サーキスだった。

これ、顔のモーションキャプチャーはどうなんだろう。ジェイミー・ベルはなんとなく面影はあったものの、ダニエル・クレイグはわかりにくかった。ペグ&フロストは同じ顔なので違いそう。しかし、この双生児警官役を一人二役ではなく、このコンビにやらせるとは。と思ったら、脚本にエドガー・ライトの名前があった。なるほど。

ただ、飛行機のプロペラに巻き込まれて遠くに放り投げられるなど、アニメ的な表現も折り曲げられていたので、二次元と三次元の中間辺り、どちらかというと三次元よりという感じでしょうか。
特に犬のスノーウィの動きが良かった。本物の犬っぽさがありつつも、あんな犬種はいないと思う。でも、とても優秀で頼りになるし、可愛かった。

この映画、たぶん3D上映だったと思うんですが、砂漠の奥から船が現れるシーンが大迫力だったので、映画館で観たかった。その後の船同士の撃ち合いのシーンも3Dが合いそう。

タンタンの絵本は読んだことがないのでどうなのかはわかりませんが、映画のタンタンはどちらかというと子供向けというよりは大人向けでした。これも、アニメだから子供向けと思い込んでいたので驚いた。まさか、タンタンが拳銃を使うとは思わなかった。しかも、かなりの腕前。ファミリー向けとも違う感じがした。

冒険はわくわくするし、映像も綺麗だったけれど、明らかに続編がありそうな終わり方が残念だった。今回の冒険については一段落させて欲しかった。
宝を見つけて、船長が「思ってたよりも少ないな」って言っていたけれど、観ている側も同じことを思っていたわけです。それで、「もう一つの地図が!」って言って終わりって。もう一つの地図のところまで行って、真の宝物を見つけて終わりにしてほしかった。あと、30分くらい長くするとか…。
でも、調べてみると、三部作と明言されてたようで。最初からそのつもりで観ていたら、こんな消化不良のような気持ちにはならなかったと思うのが残念。


びっくりする映画体験だった。観終わった後、エンドロール中も脱力していたし、3Dメガネをかけたまま席を立とうとしてしまった。
映画館を出てからも、なんとなくふわふわしていたし、
『アバター』は公開時ではなく少し経ってから観たんですが(青い人が恐かった)、その時も前情報を入れずに観たらこんな感じになったのだろうか。
そんなことは絶対にないのはわかっているのに、宇宙に俳優さんたちを放って、クルーが宇宙でカメラを構えて撮影しているようにしか思えない。そして、どうやったらこんな映像が作り出せるのかわからない。
できる限り大きなスクリーンで、そして絶対に3Dで観たほうがいいです。91分とトータルタイムは短いので、3Dが苦手な人も我慢できる時間だと思うし、3Dを想定して画面が作られている。ちゃんと飛び出しもするし、奥行きも素晴らしい。

以下、ネタバレです。






音のボリュームが上がっていきタイトルが出ると、一気に静寂に包まれる。最初の画面からしてただごとではなかった。地球が見える。遠くから宇宙飛行士がゆっくりと飛んでくる。このシーンは長回し風に作ってある。しかも3Dだ。向こうからゆっくりふわふわとこちらに本当に飛んでくるのだ。この辺りで、既に映像に圧倒されて少し涙ぐんでいた。
ちなみにこの辺りはヒューストンと船外活動中のクルーが通信をしているのですが、字幕を読むのがいやになるくらいスクリーン全体から目を離したくなかった。吹替のほうがじっくり観られそう。専門用語が多かったのでちゃんと読んでいたのですが、実はあまりストーリーには関わってこない。ロシアがやらかしたということだけ

塵が大量に飛んでくるシーンも本当に塵はこちらに飛んできたし、時々、サンドラ・ブロック演じるライアンの視点になるから、リアリティがあって本当に怖かった。映画を観て、あまりのリアリティを感じて涙ぐんだのは、『インポッシブル』の津波のシーン以来です。あれも怖かった。

一人飛ばされたライアンはジョージ・クルーニー演じるマットに救出されるのですが、この状況に合うこと合わないことをべらべら話し続ける。さっき一人で宇宙空間に投げ出された状況とは比べ物にならないほどの安心感。
ライアン視点のカメラが多いせいもあるけれど、マットが本当に頼りになる男に見えて、マットだけでなく演じるジョージ・クルーニーのことも好きになってしまった。ライアンはどうだかわからないけど、私が。
結局最後までライアンがどうだったのか、そのような描写は無いのでわからない。でもその辺りの恋愛感情を排除してあるのも良かったと思う。極限状態、サンドラ・ブロック、恋愛というと…。

ライアン視点のために、姿勢が安定せずにぐるぐるまわってしまうシーンなどは、まるでアトラクションのようだった。このアトラクションを最大限に楽しむには、やはり3Dのほうがよろしいかと思います。

地球の一般人と交信しているシーンでは、最初、地球の人ではなくてどこかの宇宙人だというオチなのかと思ってしまった。
普通の人間だとわかったあとでは、この人がNASAに連絡して、NASAから助けが行く展開ならいいのに、と思た。でもこれ、自分がライアンの立場だったら、というのを無意識のうちに考えていたみたい。宇宙人でもいいから助けてくれ、どうにかしてNASAと連絡をとって助けにきてほしい。そんなことを考えてしまうくらい、ライアンと一緒に追いつめられた。ライアン視点のカメラが臨場感ありすぎるせいでしょう。

ライアン視点カメラ、長回しカメラの他にも、ライアンが無重力下で流した涙が球状になり、その球がこちらに向かって飛んできて、急に焦点が合うと、そこに上下逆のライアンが映っているというカメラワークもお洒落だった。


地球での様子、例えばヒューストンが緊急事態に陥ってる様や、犬の鳴き声を真似していたおじさんが映ったりしたら台無しだったと思う。ただのパニック映画になってしまっただろう。それに、長まわし風の映像が多用されていることからも想像できるけれど、実際に宇宙にいる感じが薄れてしまう。地上=現実に戻されるし、緊張感を途切れさせたくもなかったのだと思う。
その結果、登場人物は二人。ほとんどはサンドラ・ブロックの一人芝居、そして91分という上映時間になったのだろう。

様々な要素が排除されているけれど、ストーリーがないわけではない。非常にシンプルではあるけれど、生きていく強さはしっかりと描かれている。ライアンは娘を亡くしている。途中、あきらめて、もうすぐ娘に会える…という思考に陥っていたが、マットの幻に勇気づけられ、娘に伝言を頼むわね、という考えに変わっていた。
また、地球に帰還したときにも、重力におしつぶされそうになりながらも、両足で力強く立ち上がる。

この帰還シーンですが、画的に『パシフィック・リム』のラストを思い出させた。『パシフィク・リム』は海の底から、『ゼロ・グラビティ』は空の上からという違いはあるものの、脱出ポットのハッチが飛んでいく様子、映画中唯一明るく青空が見える、中から出てくる女性は特殊な服装をしているなど似通っていて、ヘリコプター部隊が飛んでくるのではないかと思ってしまった。お互いがエンドロールのスペシャルサンクス欄に名前を載せ合うくらいだし、意識してのことだと思う。

ちょっと説明を読んでも、文章だけではいまいちよくわからなかったけれど、撮影用の専用のプログラムを組むのに四年かかっているとか、あの無重力状態はまったくそうは見えないけれどワイヤーアクションであるとか、CGと役者さんたちの演技、照明などがものすごく細かく決められていてそれを合致させているとか…、メイキングを映像で観たい。


2012年公開。ポール・ダノ主演ということで、観たかったんですが、脚本とルビー役のゾーイ・カザンが実生活でも彼女だということで、なんとなくの嫉妬心から映画館へは行けませんでした。

スランプに陥った作家が書いた小説の女の子が、現実に飛び出してきて恋に落ちる…というストーリーから、ファンタジーお洒落恋愛映画かなと思っていた。もちろん、ファンタジー的な要素もあるし、ポール・ダノもちょっと髪の毛を茶色く染めていたり、ルビーのファッションもお洒落ではあったけれど、それだけではなかった。

映画の序盤の二人は、きっと付き合い始めて三ヶ月くらいの良い面しか見えてない時期のようでとても楽しそう。しかし、時間が経つにつれて嫌な面が見えてくる。嫌われるのを恐れて、主人公のカルヴィンはルビーを思い通りにあやつろうと、タイプライターに文章を打ち始める。

「あなたが付き合えるのはあなただけ」という元彼女の言葉が示す通り、カルヴィンは相手を自分の型にはめようとしていた。ルビーは自分の創作物なのだから、恰好の相手だった。

ラスト付近、怒ったカルヴィンは黙ってカチカチとタイプライターを打ちながら、ルビーに様々な指示を送る。しかし、目の前で服を脱ぎながら踊ったり、あなたのことが好きだと言っていても、まったく嬉しくも楽しくもなさそうで、そのうち、犬にしたり、「あなたは天才!」と連呼させるなど、わざと自分の嫌なことをさせていた。
まるで自分で自分を責めるようなその所業。カルヴィンのセリフはなく、タイプライターを泣きながら打っているだけだったが、支配者気取りの狂った感じから、どうしたらいいか自分でもわからなくなってしまったような苛立ちまで、見事に演じていた。歪で暗くて、いつものポール・ダノです。

人を思い通りにすることで、その虚しさに気づくという逆説的な方法がとられていた。本来は相手は自分の思い通りに動かないのが普通なのだと、やっと気づいて成長する。
一見、奇抜なストーリーと思いきや、その根本にあるのは普遍的でわかりやすく、共感も得られるメッセージだった。

彼女との別れもタイプライターの文章で。言葉はなく、タイプされる文字を映していくというカメラワークがうまい。

監督は『リトル・ミス・サンシャイン』のジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス。あまり深い描写はないけれども、カルヴィンの家族の一風変わった家などはこの監督らしく、もう少し細かく見たかった。ファミリーものではなくあくまでもラブストーリー主体ということだろう。
作中でははっきりとは描かれないけれど、カルヴィンは母親の恋人・モートをあまりよく思っていなさそうだった。モートによって変わってしまった母親のことを憂いてるようだった。それも結局、彼女の気持ちを考えず、いつまでも自分の知っている母親でいてほしいという願望からなのだろう。
モートの奔放さがルビーと似ているのも面白い。カルヴィンは元々ルビーのそんな部分に憧れを抱いて作ったのだろうから、モートのことも、心の中では憧れていたのではないだろうか。憧れ半分、嫉妬半分かもしれないけれど。
カルヴィンの相談相手であり、友人でもある兄のハリーも魅力的なキャラクターだった。

曲の使い方も素敵だったんですが、音楽のニック・ウラタさんは『フィリップ、きみを愛してる!』の方らしい。

一つ気になったのは、結局ルビーは本当に小説から飛び出してきたのかなど、存在がよくわからないままだというところ。最後には記憶を消したルビーと偶然会ってもいたから、存在がまるまる消えてしまったわけでもなかった。最後に“彼女はもうカルヴィンの創造物ではない”と書いていたので、本物の人間になったということなのだろうか。
最後、小説を書く手段をタイプライターからMacBookに変えてたけれど、あのタイプライターもしくは紙が原因だったのだろうか。でも別に、どこかで拾ってきたタイプライターという風でもなく、ずっと使っていたものだったようなので、不思議なタイプライターってわけでも無さそうだったけれど。


2013年公開。なぜか、“老夫婦が旅をしていて、立ち寄ったロンドンがゾンビにまみれていてたたかう”という内容だと思い込んでいたけれど違った。たぶんタイトルと、おじいさんとおばあさんが猟銃みたいなのをかまえているポスターのせいだと思う。実際は紀行でもなんでもないし、ロンドンといっても中心部の話ではないので、所謂ビックベンやタワーブリッジなどは出てこない。ロンドンらしいものといったら、二階建てバスくらいである。それで、ポスターに出ていた老人二人は夫婦ではなく、主役でもない。おじいさんのほうはある意味主役級ではありますが、おばあさんはあきらかに違う。

タイトルの原題は『Cockneys vs Zombies』。“cockney”というのはイーストエンドオブロンドンで使われている方言のような言葉のことらしいので、“cockneys”はその言葉を喋る人たち、下町っ子みたいな感じらしい。
このイーストエンドというのがロンドンの中でも貧困地区にあたるらしく、この映画の主人公の兄弟も、労働者階級の家で、両親も強盗で捕まっている。
背景を知れば知るほど、『ロンドンゾンビ紀行』というタイトルとあのポスターがいかに合っていないかがわかる。

ただ、最初に想像していたよりも面白かったので、文句は言いません。終わり方はややあっさりしていたけれど、ゾンビものは最後に収拾つかなくなることが多いし、仕方ない。ヘタに話を大きくされるよりは、これくらいでいいと思う。誤魔化されたこともいくつかありそうな気がするけど。
兄弟たちの銀行強盗についても簡単に許されていたけれど、ゾンビのほうが町の一大事だし、これも仕方ないでしょう。

その無理矢理まとめた感があっても、88分というトータルタイムもちょうどいい。説明を多くしたり、話の整合性を保つために描写を細かくしたら飽きてしまう。あっさりしているのがむしろ好印象です。

観る前までは存在すら知らなかった主演の兄弟がかわいい。弟役はハリー・トレッダウェイ。『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』の双子の一人です。この弟がちゃっかり者の甘え上手。「いつでも相手になってやるよ!」というセリフのあとに、「うちの兄ちゃんがな!」と付けて、兄が驚くというシーンがたまらな い。
むしろ、兄弟よりも気が強いくらいの従姉妹もかわいかった。今回、銀行強盗をしたりゾンビが襲ってきたりしてたけれど、このキャラクターたちの日常ももっと見たかった。
おじいさん組も勇ましかったし、このキャラクターたちで続編が観たい。Cockneys vsシリーズを作ってはもらえないだろうか。


2004年制作。テレビ映画。NHK BSハイビジョンで『哀しみの暴君ネロ』のタイトルでも放送されたらしい。
ジョン・シムが出ているというので観ました。
史実もの。古代ギリシャの権力争いの中、善き皇帝だったネロが次第に暴君になっていく。

ジョン・シムはカリギュラ役で、出てきた時点で王だったので、おそらく出番はすぐに無くなるだろうなと思ったら、やはり序盤で殺されてしまった。
でも、貴重なギリシャっぽい衣装だったし、ちょっとパーマがかった髪型も他の作品では見られない。
売春宿へ向かう途中のいやらしい顔も見られたので良かった(その売春宿で殺される)。

ただ、暴君ネロという名前だけはなんとなく知っていても、古代ローマに特に興味が無かったために、ジョン・シムが出てこなくなってからは、ストーリーがやや退屈に思えてしまった。



アメリカでは2012年公開。日本では劇場公開はなくDVDスルーだったそうですが、なんでそうなってしまったのか理由がわからないくらい面白かった。ジョナ・ヒルとチャニング・テイタム主演。チャニング・テイタムは『サイド・エフェクト』の際にちょっと苦手加減が薄れてきたんですが、今回で一気に好きになってしまった。二人ともはまり役。

高校時代にイケてたチャニング・テイタム演じるグレッグ(この時の長髪のカツラからしてもう笑える)といまいちサエなかったジョナ・ヒル演じるモートンがポリスアカデミーで再会、お互いの足りないところ、頭脳と運動能力を補って二人揃って合格。正反対の二人が活躍するブロマンス風味のポリスものかと思った。
しかし、ある任務で失敗した二人は高校の潜入捜査をすることになる。ここから、まさかの学園ものになる。今更、チャニング・テイタムとジョナ・ヒルの学園ものを観ることになろうとは思わなかった。
この時点でだいぶおかしな脚本ですが、二人が逆の名前を名乗ることで事態がより複雑におもしろくなる。それぞれに合った設定をつけた上で学校に送り込まれたのに、それが逆になってしまう。グレッグはオタク気味の集団と化学を学び、モートンは生徒たちの中心になっているグループに入り演劇までやることになってしまう。

それぞれ、不得意なものの中で奮闘するさまは可笑しくもあるが、その克服は二人ともの成長物語にもなっていて感動的ですらある。特にジョナ・ヒルに関しては学生時代になし得なかった、プロムに女の子から誘われるという経験までする。潜入捜査によって、夢が実現された形になっていた。

こう書いていると、本当にただの学園もののようだけれど、そう見せかけつつも、学園内に蔓延しているドラッグの元締めを探すという捜査も組み込まれているのだから、よくできた脚本だと思う。
序盤に学校に入って名前が逆になるシーンもそうですが、話がスムーズに進んでいかない。どうせこう進んでいくんだろうという予想が裏切られ続ける。それでも着実に話が前に進んでいくのが面白かった。

主演の二人の友情物語の側面もいい。性格が漫画のような正反対で、学生時代には違うグループに属していて絶対に仲良くならないタイプだけれど、職場が同じだし、なんせもう大人だから仲良くなれる。そのコンビが再び学校にぶちこまれるという、本来ならばありえない話のつくりがおもしろい。
トイレでお互いの口に指をつっこんでいるのを用務員さんに目撃されたり、片方が女の子と電話しているところにちょっかいをかけたりとブロマンス面でも濃厚。

また、あいだあいだに細かい下品なギャグが組み込まれているけれど、それも声を出して笑ってしまった。どこを切っても楽しめるエンターテイメント映画だと思う。

あと、私はまったく前情報を入れずに観たのですが、急にジョニー・デップが出てきて驚いた。すごく似た人かとも思ったけれど、変装を解くという驚かせる手法で登場した人物なので本人なのだろうなと思って、あとで調べたらやはりカメオ出演とのことでした。チョイ役ですが、やっぱり恰好いいし、なんだか、得した気分になった。

続編も計画されているということですので、次は是非映画館で公開してもらいたい。


2013年公開。AKB48による挿入歌が使われていると聞いて、洋画のエンディングに日本語の曲が使われているだけでもいやなのに作中に出てくるとなると…と思って映画館には行かなかったのでレンタルに。
そこが一番の懸念だったんですが、どうせ吹替で観てしまったし、映画中に出てくる部分は日本語らしい日本語はなかった。エンドロールは思いっきり日本語歌詞でしたが、曲調がちゃんと世界観を壊さないようにそれっぽく作ってあったので、逆に好印象でした。

ストーリーについては公開時より好評だったために心配してませんでした。おもしろかった。気は優しくて力持ちなゲームの悪役のラルフが主人公。
本当はラルフが出ているゲームの主人公、フェリックスがこの映画の主人公だったらしい。それで、ラルフももっとビーストっぽい外見だったらしい。フェリックスとラルフが出るゲームはドンキーコングをモデルにしているらしいので、ビーストというかはっきり言ってゴリラみたいな感じだったんでしょうね。

未公開シーン集を見ていると、そのほとんどにフェリックスが出てきていた。ラルフとヴァネロペと三人で冒険するシーンもあったみたいだけど、出番が大幅にカットされたのがわかる。主人公の座も追いやられて散々です。でも、彼女?もできたし、映画中唯一のロマンスシーンを演じているので結構いい役だと思う。

ゲー ムセンターのある現実世界、フェリックスとラルフのドットを使った古いゲームの世界、カルホーン軍曹の最新FPSゲームの世界、ポップなマリオカートのようなレーシングゲームの世界と、まったく違う世界を話が行き来する。それぞれの世界の特徴にこだわりが感じられて観ていて楽しかった。
ドット世界はモブキャラの動きもカクカクしていて、四角がモチーフになっていた。FPSゲームの世界は暗く恐ろしげ。ヘルメットをかぶっていて顔が見えないため、敵味方をヘルメットから漏れる光で区別したとのこと。
そして、なんといってもお菓子でできたレーシングゲーム、シュガー・ラッシュの世界がとても楽しい。ティム・バートン版『チャーリーとチョコレート工場』を思い出した。絶対に健康に悪い毒々しい色づかい。それぞれのお菓子、特に飴の質感が素晴らしい。熱いうちに伸ばしたときに入る筋、透き通った飴の艶とわずかに入った気泡。アイスをスクープですくった感じもうまく作ってあった。
なんと、建物などは現場で実際に作ってみたというからすごい。ちなみに、ガウディの建築デザインを参考にしたらしいです。

未公開シーンを観ていると、シュガー・ラッシュの世界から逃げ出したラルフが行くもう一つのゲームがあったらしい。たぶん、facebookのような感じで複数の人からいいね!の代わりにメダルがたくさん貰える、ゲームというか承認欲求が満たされ楽な生活ができる仮想空間のようなものだろうか。でも、これ以上世界を作るのは大変ということでまるまる無くなったとのこと。

ゲームセンターのたこ足配線の中が駅のようになっていて、コードを伝って来た様々なゲームの登場人物でごった返していた。このアイディアは夢があって楽しかった。これはニューヨークのグランドセントラルステーションの近くで打ち合わせをしているときに浮かんだアイデアらしい。画像を見ると、確かにそのまんまなのがおもしろい。

ラルフは住民たちに持ち上げられてビルから落とされるけれど、持ち上げられたときに画面越しにちょうどシュガーラッシュの筐体が見えて、ヴァネロペとアイコンタクトを取ることができるというラストが良かった。悪役をやっていても、心がうきうきするようなことがあるなら幸せでいられる。


これは、もしかしたらBlu-rayだけの特典なのかもしれないけれど、一時停止をすると、画面が切り替わって作品の豆知識が始まるのがおもしろかった。ディズニーインターミッションと言うら しいので、もしかしたら、他のディズニー作品にもこうゆう仕掛けがあるのかもしれないけれど、私は今回初めてだったために驚いた。
隠れミッキーがありますよとか、セントラルステーションにいるカメオ出演しているキャラの説明とか、ちらっと映る肖像画に描かれている人物とか、エンドロールの最後に画面が崩れた時に出ているアルファベットの秘密とか、壁の落書きに書いてあることとか、キャンディ大王が金庫を開けるときに上上下下左右左右BAのコナミコマンドを実行してるとか。ストーリーとは関係のない、でも知ってるとちょっと楽しいお話。映画内に細かく仕掛けられた事象をBlu-rayの仕掛けで説明するという遊び心が良かった。