『ひかりのまち』


1999年公開。マイケル・ウィンターボトム監督で音楽のマイケル・ナイマンをはじめとしたスタッフ、また、シャーリー・ヘンダーソン、ジョン・シムといった出演者も『いとしきエブリデイ』と同じです。

ドキュメンタリータッチというか、淡々と人物たちを描写していく手法は『いとしきエブリデイ』と同じだが、こちらのほうが事件がちゃんと起こる。
三姉妹を中心に、その両親や夫や子供などのことが同時に描写されるいわば群像劇。誰を贔屓するでもなく、それぞれを公平に描いている…が魅力だと思ったので、日本版の予告がナディアだけを中心としているのはちょっとどうかと思った。ナディアだけが結婚していなくて恋人もいなくて…というわかりやすい独りの状態だったので作りやすかったのかもしれないけれど、結婚していても孤独感は感じるし、それぞれの立場で違った悩みもある。登場人物それぞれが違った悩みを抱えていて、誰一人として人生幸せで幸せで…という状態の人がいなかったから、全員についての予告を作るのは難しいから一人にクローズアップしたのだろうか。“この街にきっと愛してくれる人がいる”というキャッチコピーもナディアの予告を見せられたあとだと安直と思ってしまったが、結局、全体を観てみても、描かれているのはそのことだったと思うので、これはいいのかもしれない。

あと、もうこれも仕方がないのはわかったからいいんですが、原題が『Wonderland』なんですね。ジョン・シム演じるエディとモリー・パーカー演じるモリーの間に子供ができて、エディは「名前はアリスがいいんじゃないか。アリス・イン・ワンダーランド」って言うんですよ。この時、ワンダーランドはロンドンのことを指している。ロンドンのアリス。この映画はロンドンという街についても描いているので、『Wonderland』というタイトルになったのだと思う。だから、邦題もこのままにしてほしかった。けれど、日本だと、そもそも『アリス・イン・ワンダーランド』ではなく『不思議の国のアリス』。ここで、もうワンダーランドが出てこないからタイトルにできない。かといって、邦題を『不思議の国』にするのもなんだかよくわからない。なので、もう『ひかりのまち』で仕方ない。納得はしたんですが、観ている最中 は、だからWonderlandなんだ!タイトル変えちゃったら意味ないじゃん!と少し憤りました。

ジョン・シム、やっぱり99年となるとかなり若いです。会社を辞めたいけれど、子供も産まれるし、奥さんになかなか言い出せない、しかも実際に辞めたあとバレちゃうという役柄。弱く、でもどこにでもいるような、誰もがそうするだろうなという役だった。あなたは悪くないよ。

あなたは悪くないよ、というのはこの映画に出てくる登場人物誰にも言えることだった。一人一人が悩みを抱えて、その上でとった行動が別の人を傷つけて、人間関係がおかしくなったり、少し近づいたり。
『いとしきエイブリデイ』に比べて事件が起こるとは言っても、比べて、というだけの話だし、劇的な何かはそんなに起こらない。思わず共感してしまうような、私たちの身の回りでも充分起こりうる些細な出来事。それを人物たちの近くに寄り添うようなカメラが優しく切り取っていく。

フランクリンが家で聴いていた音楽が、パルプとマッシヴアタックで私と趣味が合いそうだった。中で説明があったかどうかちょっとわからないんですが、これらはフランクリンがナディアを想いながら聴いていた音楽みたいですね。

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