『サプライズ』



2013年公開。監督は『ザ・ゲスト』のアダム・ウィンガード。
アニマルマスクの三人組が殺しにくる。家に何者かが侵入してくるホーム・インベージョンというジャンルになるらしい。

父と母の35周年の結婚記念日を祝うために、子供たち四人がその妻や恋人をつれて別荘へ集まる。隣りに家(それも別荘?)はあるものの、人里離れた森の中のようだった。
そこへ、トラ、ヒツジ、キツネという奇妙な動物のマスクをかぶった人物が侵入し、家族を次々に殺していく。

あまりホラー映画を好んでは観ないのですが、なんとなくのおしゃれさと、どんでん返しがありそうな雰囲気だったので観ました。

タイトルが『サプライズ』だったし、結婚記念の祝いのドッキリみたいな意味でのサプライズかと思った。両親以外の人たちはみんな知っていて、殺されたフリをしているだけで、全部嘘かと。
某映画(タイトルを書くとネタバレになるので書きません)のように、ホラー映画を模した違うジャンルになるのかと思った。
しかし、最初の被害者こそ、窓の外を見てたら、ボウガンで襲撃され額を射抜かれるという、細工しようと思えばできそうな殺され方だったのに対して、他の被害者は喉をかっ切られるなど、どう見ても殺されていた。かなり無惨な殺され方をした人もいた。
原題は『YOU'RE NEXT』、“次はお前だ”ということで、ホラー映画でした。

そうなると、奇妙なマスクの中身が気になる。
わざわざマスクをしているということは、家族の誰かなのだろうと思った。四人兄弟とパートナー+両親で10人と全体の人数が多すぎるのも気になった。この中で一人消えていてもわからないのではないかと考えた。
けれど、どう考えても全員揃っている場面でマスクが出てきたりして、凝ったトリックでもやらないと、マスクの中身が家族ということはなさそうだった。

結果的に家族ではなかった。マスクをとって、はっとするようなシーンは無かった。では、なぜマスクをしていたのだろうか。
殺人犯というものは、顔を見られたら困るのでマスクをしているものなのかもしれない。でも、皆殺しにするべく来たみたいだったし必要だったのだろうか。

ただ、映像的には効果があったと思う。中身が誰だかわからないというのは不気味である。それに、トラ、ヒツジ、キツネのマスクの殺人者など見たことがない。しかも、動物であってもコミカルな造型ではないからスタイリッシュなのだ。
このマスクが、私がこの映画をなんとなくおしゃれな雰囲気だと思った原因だろう。

途中から、中の一人が反撃に出る。殺すか殺されるかという場面だから仕方ないとは思うけど、一人でどんどん殺していく。犯人とさほど変わらない残酷な方法もとっていた。
最初は、恋人といちゃいちゃしてたし、ただの若いお姉ちゃんかと思ったら思わぬ才能でした。

隣りの家の人たちは、結果的になんで殺されたのかよくわからなかったのですが、殺される前にCDの一曲をリピート再生していた。Dwight Twilley Bandの『 Looking For The Magic‬』‪(1977年) ‬という、踊りたくなるような楽しい曲。それが、死体のある部屋で、もう生きている人間はいないのに、ずっと流れ続けているのは不気味。

その曲はエンドロールでも流れる。登場人物の名前が出て、それぞれの死に様のポラロイド写真(おそらく、到着した警察が撮った証拠写真という設定?)が横に付いていたのは笑って良かったのかもしれない。

映画の公式サイトでもこの曲が流れるのですが、DISC REPEATと書いてあって、映画を観た人だけがニヤリとさせられる。けれど、夜に聞くとちょっと怖いのも映画を観た人だけです。






2008年公開。『ふがいない僕は空を見た』『四十九日のレシピ』のタナダユキ監督。蒼井優主演。

そもそも、女友達とその彼氏とルームシェアをすることになったが、女友達は彼氏と別れ、友達の元彼と主人公が二人で住むことになってしまい…となったら、ありがちなラブコメみたいなものを想像してしまうだろう。最初は反発し合っていても、一緒に生活するうちに打ち解けて…というような、少女漫画によくあるような展開になるのかと思った。

しかし、ラブはまったく関係なく、その男に半ば騙されたような形で主人公の鈴子は前科持ちになってしまう。2008年頃だとおそらく蒼井優はもっとも旬の女優だったと思うので、こうくるとは思わなかった。
中学受験を控えた弟からめちゃくちゃに非難され、鈴子は百万円を貯めて、家を出ることを決意する。

百万円を貯めて家を出て行くまでの話なのかと思っていた。それか、終盤で弟と仲直りし、百万円は貯まったけれども出て行かないという話かとも思っていた。
けれど、あっさり百万円は貯まり、弟とも序盤で仲直りして、鈴子は家を出て行く。

映画は、家を出た鈴子がその先々で暮らしながら、百万円を貯め、場所を移っていく話だった。元々住んでいた場所、海の家、山間の村、地方都市とそれぞれの場所でその土地の人と出会い、触れ合い、傷つく。四部構成のようになっていた。

海の蒼井優はタンクトップでのびをする姿が瑞々しかった。次の山パートでは桃農家の収穫を手伝うため、まったく違う恰好が見られ、両方とも可愛らしい。
元々が可愛らしいのもあるけれど、ここではないどこか外から一人で来た若い女性ということで、嫌でも周囲の目をひく。

海では、地元のちゃらちゃらした若者に声をかけられる。結局、鈴子はまったく相手にしていなかったけれど、あの若者は海の家の常連で、海の家の家主(?)とも仲がいいようだった。子供もよく懐いていた。悪い奴だったら海の家に出入りさせないだろうし、ちゃらちゃらして見えるだけど、ただの海が好きな男の子だったのではないかと思う。特に、鈴子が何も言わずに出て行ったあとの落胆具合を見ると、少し可哀想にも思えた。

山では、住み込みで桃の収穫を手伝っていただけなのに、村の桃をPRするキャンペーンガールにされそうになる。村長や村民は、鈴子の気持ちなどは考えずに、自分の村のために若い女性が立ち上がってくれると思っているし、若い女性はテレビなどに出たがっていると思っている。価値観の押しつけである。鈴子が断ろうとすると、これだから都会の人間は…と、自分たちの意見が通らないことが許せない。村民を(おそらく、集落に一つはある○○(村の名前)会館などという集会所に)集めて、鈴子を囲んで非難めいたことをしていたたまれない。
そもそも、自分のことを誰も知らない場所に行って一人になりたかったのに、村民はどんどん距離をつめてくる。結局、その場にいられなくなった鈴子は、自分が前科持ちであることを告げて、集会所から走り去る。

村の桃農家の息子春夫役にピエール瀧。その佇まいだけで、もういい年だけれど嫁が見つからないのだろうとか、たぶん村唯一の若者でいろいろな面倒ごとを押し付けられているのだろうとか、でも村を出ることはできないのだろうとか、様々なことが想像できるあたり、うまいと思う。優しげな表情だけれど、どこか顔つきが暗い。内向きの思考を持っていそう。鈴子が入っているときに、扉越しに湯加減を聞くのは、覗く気などはないのだろうが、人との距離感がわかっていない。

鈴子が集会所から去った後、春夫が村民に反論するが、その時にもその場で声を発するわけではなく、わざわざマイクのある場所まで行って、マイクを使って話すところに性格の律義さと村ルールにのっとっているあたりやっぱり彼も村の人なのだというのがわかって面白い。
ただ、他の村民が鈴子のことをまったくわかっていなかったのに対して、春夫だけがかろうじて理解してくれていたのがわかって、泣きそうになってしまった。

板尾創路やリリー・フランキーも役者としていいと思うけれど、彼らは出てきても彼らにしか見えなくなってしまったし、特にリリー・フランキーなどはリリー・フランキーっぽい役しかやっていないように思える。その点、ピエール瀧は様々な役を演じ分けていると思う。

次の鈴子の移動先は東京から特急で一時間という地方都市。バイトも海の家や農家ではなく、ホームセンターという普通の場所。そこで、鈴子は価値観が似通っているバイトの中島を好きになる。
中島も鈴子のことが好きになるんですが、この告白シーンがとても良かった。中島を演じたのが森山未來。前髪が長いんですが、告げたあとで、ちらっちらっと窺うような目で鈴子を見るのがたまらない。
鈴子もいままでしかめっつらだったけれど、中島の部屋で中島が育てているハーブ類を見て初めて笑顔を見せていたのが可愛かった。

ところが、中島と同じ大学の後輩の女の子が新入りバイトとして来たあたりから雰囲気がおかしくなる。中島が鈴子にことあるごとに金を貸してくれと言い出す。
そうなると、微笑ましかった部屋のハーブ類も、貧乏くさく思えてくる。最悪である。
鈴子は百万円を貯める前に、バイトを辞めて次の場所を目指すことにする。

ここで終わりで良かったと思う。鈴子がバイトを辞めてしょんぼりしている中島に、新入りのバイトちゃんが急に「誤解されたままでいいんですか?」などと言い出す。なんでも、百万円貯まったら鈴子が出て行ってしまうことをおそれた中島は、お金を借り続けることで百万円に届かないようにしたようだ。それをバイトちゃんが全部口で説明する。バイトちゃんはいかにもライバルのように出てきて、でも別に中島とはなんでもなく、最後に真実を口頭で説明するという役割だった。なんて都合の良いキャラクターなんだろう。

そんなこと、中島が鈴子に面と向かって言わせれば良かっただろう。そこを見せ場にしてほしかった。
でも、最後に中島が鈴子を追いかけ、鈴子がなんとなく中島が引きとめに来るのを待っている様子なシーンで終わるので、そのぼんやりした会えるの?会えないの?たぶん会える!みたいなラストが撮りたかったのだろう。

それでも、あの説明セリフは急にリアリティがなくなるというか、中島というより観ている私たちに向かって話しているような感じがしてしまうというか、雑な印象を受けた。時間が無かったのだろうか。もういっそ、本当にヒモだったほうが清々しいと思う。

鈴子が場所を転々とする合間合間に、弟の様子も描かれる。弟は学校でいじめられている。場所を変える鈴子とそこから逃げられない弟の様子は対照的だった。子供だから百万円稼ぐこともできないし、有名中学の受験をひかえているため、やり返すこともできない。その点、鈴子は嫌な目にもたくさん遭っていたけれど、その場を離れれば終了である。

弟から、この前いじめられっこに立ち向かってしまい、中学受験ができなくなったという手紙が届き、鈴子はそこで自分と弟との違いに気づいて涙を流す。
私はいままで嫌なことから逃げていた、私も立ち向かわなくては。と、ここも、弟に向けての手紙の返事で全部説明する。
そんなことはここまで観ていれば、ここでいちいち改めて言われなくてもわかっている。手紙を読んで、涙を流せば、観ている側は、やっと鈴子も弟の立場と気持ちに気づいたかと思うだろう。

景色の撮り方などは綺麗だったので、もう少し情緒のある感じに仕上げられそうなのに残念。観ていてわからないと思ってセリフで説明させたのかもしれないけれど、過剰に親切である。そのくせ、ラストはぱっきりとは終わらせない。どちらでもとれるラストにするなら、説明セリフの数々もいらなかっただろう。



『ペントハウス』



2012年公開。アメリカでは2011年公開。
お金持ちの元で働く者たちの反乱という情報しか知らなかったため、なんとなく、反乱を起こすのはお手伝いさんたちなのかと思っていたら、ベン・スティラーがきっちりした恰好で出てきたので驚いた。お金持ちが住んでいるのはマンションの最上階(ペントハウス)で、ベン・スティラー演じるジョシュはそのマンションの従業員だった。高級マンションの、更に役職がマネージャーのため、ちゃんとした恰好だったのだ。

雇い主が従業員の年金まで横領していたため、その金を取り戻そうとする。ジョシュ一人では…ということで、マネージャーの人脈を生かし、人を集めて行くのだが、その仲間たちが豪華。ジョシュの妹の夫であり、マンションのコンシェルジュのチャーリー役にケイシー・アフレック。アホの役の演技が秀逸。新入り従業員エンリケ役にマイケル・ペーニャ。『アントマン』と『火星の人』の映画版『オデッセイ』の出演も控えていて楽しみ。マンションの住人で、株に失敗し退去を命じられたフィッツヒュー役に『プロデューサーズ』のマシュー・ブロデリック。

ベン・スティラーが主演だから、製作や監督など、彼も何かしらに関わっているのかと思い込んでいた。ベン・スティラー、ケイシー・アフレック、マイケル・ペーニャ、マシュー・ブロデリックを並べてみてもわかるように、ひょろひょろしていて緊迫感がない。多分、このメンバーでわちゃわちゃと会話をしながら、最上階を目指して行くコメディなのだろうと思っていた。キャラクター同士のやりとりを中心に楽しむ、スモールバジェット映画。

ところが、ジョシュの隣りの家に住んでいて、幼馴染みのスライドがメンバーに加わって雰囲気がガラッと変わる。スライドを演じたのはエディ・マーフィ。彼が加わることで、お金を取り戻しに行くのが、盗みに行くような装いに逆転し、一気にまるで集団クライムムービーのように変化するのが面白い。

もちろんやりとりも楽しいのだ。特にエディ・マーフィは早口で汚い言葉をまくしたて、他のキャラクターを圧倒していた。そして、原案も彼らしい。ベン・スティラーは関わっていなかった。

中盤の、ビルから車を下ろすアクションも本格的だった。犯罪集団ではないので、手際が悪いのも特徴的。特に、フィッツヒューのアクション面での役立たず感は愛しい。
ビルの下の通りではサンクスギビングのパレードをやっているとか、エレベーターの上にいるけれど子犬も抱えていて…というような、ハラハラ具合もよく考えられている。途中で裏切った奴が間一髪のところで助けに来るのもいい。

監督はブレット・ラトナー。『ラッシュアワー』『X-MEN:ファイナル ディシジョン』『ヘラクレス』などを監督していて、なるほど、アクション要素がしっかりとしていたのも頷ける。

ラストは、救ってもらったみんながジョシュの釈放に向かって奮起するような、もう一騒動が欲しかった気もする。それでも、ジョシュ自身が満足げな表情を見せていたしいいのかな…。それとも、あれ以降は各々で考えてくださいということだろうか。
もう一アクション、スカッとしたものが見たかったとも思う。





“ナイトクローラー”と呼ばれる職種が実際にあるのかどうかわかりませんが、事件や事故があったときに、警察の無線を傍受して現場に駆け付け、映像を撮ってテレビ局に売るという違法すれすれ(場合によっては違法)の職業に就いた男の話。日本のサイトだとパパラッチなどと書かれていますが、その語感から受ける軽い印象とは違うものです。
監督はダン・ギルロイ。『落下の王国』や『リアル・スティール』の脚本を手がけているが、監督は今回が初とのこと。主演はジェイク・ギレンホール。
アカデミー賞脚本賞にノミネートされていた。

以下、ネタバレです。







ジェイク・ギレンホールが役にぴったりはまっていたし、彼がいなかったら成り立たなかったであろう映画。
12キロ体重を落としたということで、頰がこけ、目だけがぎょろぎょろと更に大きく見える。
彼の目は感情がまったく現れない。その黒々とした瞳は何も語らないので、口で何を言っていても、顔が笑っていても、奥では怖いことを考えているように思える。『プリズナーズ』や『複製された男』でも、主役級であってもジェイク・ギレンホールが演じた人物を信じていいのかわからなくなった。今作では目が目立つので、その信用してはいけない雰囲気がより顕著である。
(ちなみに、最近だとオスカー・アイザックが同じような濁った目をしている。少し前にも書いたけれど、『スター・ウォーズ』の新作への出演が決まっているけれど、からっと明るいヒーロー役はできないと思うけど、どんな役なのだろうか)

映画の最初で、ジェイク・ギレンホール演じるルイスはフェンスや部品を盗んで回収業者に売って金銭を得ていた。
そこから、事故現場を撮影し、テレビ局へ映像を売って金銭を得るようになる。どこで事故が起こったかというのは警察無線を傍受しているから、結局は盗んでいるのと同じで、最初とやっていること自体はそれほど変わらないように思える。
ただ、やり方がどんどん派手になっていくにつれて、撮る映像も過激なものになり、得られる金銭も多くなっていく。するとさらに、やり方が派手になり…と、どんどんのぼりつめて行く。

ルーが犯罪現場を撮影するときに、被害者の家に不法侵入したり、被害者の遺体を動かすときに、崇高ともいえる綺麗な音楽が鳴っていた。普通だったら、それは人に見られたら困る部分だし、バレるのバレないのというようなサスペンス調の音楽が流れそうな場面だ。でも、それは外部の意見なのだ。ここではルーの内面に寄り添っているのだと思う。
彼にとっては正しい行為なのだ。だって、家の中に入らないと、緊迫した映像が撮れないじゃない。だって、遺体がそこにあったら、壊れた車とワンフレームにおさまらないじゃない。

ルーは交渉術に長けている。交渉術というより、まくしたてて隙を作らない。これも目の力もあると思うけれど、自信に満ちあふれていて、例え犯罪すれすれであっても、自分のやっていることに迷いが無い。話していると圧倒されて、イニシアティブをとられてしまうのもわかる。
人を好きになっても、恥じらいのようなものは一切見せずに仕事と同じく、交渉によって触れ合いや快楽を入手していく。相手の感情などは関係ない。俺はこれを提供するのだから、お前からも提供しろ。しないなら、俺も提供しない。その提供する、強いカードを得るために、ルーはなんでもする。

どうして彼がこうなってしまったのかというと、もちろん、過激な映像が視聴者に望まれているからというのがあるだろう。
犯罪現場の遺体の映像をニュースで流すのはさすがにやりすぎだと思うし、フィクションだと思うけれど、アメリカのローカル局とのことだったのでどうなのだろう。本当にあるのかもしれない。
さすがに遺体の映像を見たいとは思わないけれど、後半の逃走車を追いかけてロサンゼルスを疾走するカーチェイスのシーンではわくわくしてしまったので、結局過激な映像を求めているのは同じである。

また、イニシアティブをとり続けないと怖いというのもあるのかもしれない。ルーはどん底を知っている。だから、なんとしても這い上がらなくてはいけないという貪欲さを持っているのだ。

エサは金であり、主導権、発言権などの権力だ。それを食べて、ルーはどんどん大きくなっていく。もっと成り上がっていくだろうし、更に怪物になっていくだろうという予感が感じられた。

ルーのことがダークヒーローと書かれていたり、この映画がサクセスストーリーなどと書いてあるのは違和感がある。ルーは悪党にしか見えなかった。
だから、後半で刑事に捕まったときにはやった!と思ったし、野放しにしてはいけないと思ったけれど、充分な証拠がなかったせいか、釈放されてしまう。
そして、ラストが新入社員を向かえるシーンなのだ。

もっともらしい社名のロゴを冠したワゴン車二台と、ロゴ入りポロシャツを着て、新入社員を四人迎え入れていた。四人ともお揃いのポロシャツだ。
最初に雇われた部下は、研修扱いでろくに給料を払われていない。そのせいで、部下はルーから学んだ交渉術を駆使し、金を得ようとしていた。その結果、ルーは自分の手を汚さずに、部下を殺していた。

新入社員と書いているけれど、彼らもおそらく研修扱いなのだろう。それでも彼らの輝かしい未来を信じて疑わないまぶしいくらいの表情と、仕事のできる上司のようなことを言って鼓舞しつつ、でも目は死んでいるというルーの対比にひんやりした。前任者の行く末を知っているから、多分彼らも同じ扱いを受けるのだろうと思うとぞっとする。

でも、こんな風に、観終わった後で不安な気持ちになるような演技をするジェイク・ギレンホールは本当に素晴らしいと思う。
撮影する際の音楽のように、ルーの内面に寄り添えば、この映画は大ハッピーエンドである。困ったものだ。




二回目。パンフレットや監督インタビューなども読んでから観ました。

以下、ネタバレです。






最初の飛行機アクションだけじゃなくて、水中アクションもカーチェイスもトム・クルーズ自身のものらしくて驚いた。
飛行機アクションは8テイク撮ったなどとパンフレットに書いてあって、映画を観ながら、これを八回も…とひやひやした。
60メートルくらい深い水中へ潜り、アクションを行う練習をしたとか、5、6分息を止めなければならなかったと見ると、映画を観ながら思わず一緒に息を止めてしまったが、全然もたなかった。あのシーンは長回しらしい。
カーチェイスは隣りにサイモン・ペグを乗せたまま、急ブレーキをかけてスピンさせたり、車を転がしたりしたらしい。確かに、水中シーンもそうなんですが、カーチェイスもトム・クルーズの顔がちゃんと映るように撮影されていた。エアバッグが作動する瞬間もちゃんととらえられている。
カーチェイスの次のバイクで追跡するシーンもトム・クルーズご本人らしい。カーブを曲がるときに、車体を傾け過ぎて一回膝が擦ってしまう瞬間も映っていた。ここはヘルメットをかぶっていないので更に危険。でも多分、ヘルメットをかぶるとトム・クルーズだとわからなくなるからかぶっていないのだろう。映画内ではもちろん、かぶっている暇など無かったから、だと思う。

飛行機のシーンのことだけがピックアップされているし、初回時は何も情報を入れなかったので普通のアクションとして観ていたが、二回目は、イーサンというより、トム・クルーズの身を案じながら観てしまった。ひやひやしました。

オペラハウスから逃亡するシーンも、紐を持ってはいるものの屋根から飛び降りたらしい。23メートルの高さで、これはトムとしてはそんなに難しくなかったらしいけれど、レベッカ・ファーガソンはアクション女優ではないし、低い高さから飛び降りる練習をしてから臨んだとのこと。ただ、彼女もサイモン・ペグと同じく、トム・クルーズと一緒のアクションだからきっとできたのだろう。
トムと一緒に降りてきて、地上についたときに、心底ホッとした顔で歩いていて、多分この表情は演技ではないのだろうなと思った。

レベッカ・ファーガソン、オペラハウスのシーンが特に素敵だった。黄色いスリット深めのドレスも綺麗なのですが、身のこなしが優雅。銃をゆっくりと組み立て、首相を狙うときに膝を立てると、ドレスから足がむき出しになる。恰好良いけど男勝りというわけではなく、セクシーだけど肉感的というわけではなく、エレガントだけどお高くとまっているわけではない。
女性だから大きな男性とは面と向かって戦っては勝ち目がないからなのか、足を利用して体によじ上るようにして上から攻撃していたのも良かった。

『CRAVE』というアメリカの雑誌のクリストファー・マッカリー監督のインタビューを読んだのですが、『ゴースト・プロトコル』の最初の脚本ではイーサンの妻は亡くなっていたらしい。でもそれは良くないと思って、ブラントとのエピソードを加え、ラストにあのシーンを足したとのこと。でも、彼らはそれぞれの人生を生きるために(イーサンは仕事に打ち込むために)、離婚をしたらしい。そのため、今作では妻の話は出てこなかったのだ。
だから、イーサンにはロマンスがあっても良かったとのこと。ただ、今回ロマンスをそのために封じたわけではなく、イーサンとイルサは互いに尊敬し合う間柄として描いたのだそうだ。守ってもらう女性ではなく、しっかりと戦うこともできる登場人物としてのイルサなのだそう。

あと、飛行機のシーンはクライマックスっぽいのに最初に持ってきた理由は、クライマックスシーンには、チーム全員が揃っていて欲しいから、イーサンがあのまま飛んで行ってしまっては、話が続かなくなるからとのことでした。見せ場ではあるけれど、話が途切れてしまうとのこと。なるほど、ちゃんと考えがあってのことでした。クリストファー・マッカリーは元々脚本も多く書いているし、画づくりだけでなく、話の流れもちゃんと意識しているというのがわかった。

思えば、最後、ソロモン・レーンをガラスの箱の中に閉じ込めたときに、その四方にルーサー、ブラント、ベンジー、イーサンそしてその後ろにイルサが立っているシーンは、チーム全員が揃っているとしか言いようがない。まさに、チームの力が結集されているのが一目でわかるシーンだった。

相変わらずベンジーが可愛かったですが、最初のほうでイーサンが発見されなくてほっとして顔がにやけそうになるのをこらえているブラントも可愛かった。ラスト、アレック・ボールドウィン演じる長官に向けてのしてやったりという表情も好きです。

しかし、表情といえばサイモン・ペグである。動きも表情も多少大袈裟で漫画っぽさがあるから、完璧なヒーローのようなトム・クルーズと漫画っぽいという点で共通している。だから、二人で並んでいてしっくりくるというか、相性がいいのだと思う。
ベンジーが「ウソ発見機には嘘ついたけど、俺はイーサンのこと友達だと思ってるからここに残る!」と捲し立てた後、言ってやったぞというような表情をしますが、漫画によくある鼻息のマークが見えるようだった。

カーチェイス中にブラントとルーサーの乗った車と偶然会った時、イーサンは想定内だったのか軽い感じで挨拶をするけれど、完全に想定外だったと思われるベンジーは声は聞こえないものの「てめえらこんなとこで何やってんの!?」とでもいうような表情をしていて、その対比がおもしろい。二人の性格の違いがよく表れて(現れて)いると思う。





『ミッション:インポッシブル』シリーズ5作目。監督は前作のブライアン・シンガーからクリストファー・マッカリーに変わった。マッカリー脚本、監督シンガーで『ユージュアル・サスペクツ』で組んでいたり、『ワルキューレ』『アウトロー』『オール・ユー・ニード・イズ・キル』でトム・クルーズとも何度か一緒に仕事をしたりと馴染みの顔のようだ。
そのせいか、とてもリラックスしているというか楽しそうに演じているような印象を受けた。

前作『ゴースト・プロトコル』のチームプレイがとても好きだったので、今回はどうなるだろうと思っていたが、ポーラ・パットン演じるジェーンの出演はなかったものの、サイモン・ペグ演じるベンジー、ジェレミー・レナー演じるブラントは引き続き登場。特に、ベンジーが大活躍である。

以下、ネタバレです。







ポスターなどのメインビジュアルで使われている、トム・クルーズが飛行機に捕まって飛ぶスタント無しのシーンは最初で出てきます。あれがクライマックスではなく、話の導入部分だというのがまず良い。クライマックスだった場合、映画を観ながらもあのシーンを待ってしまうけれど、最初から出てくれば純粋に気持ちを盛り上げる役割しか持たない。もったいぶらないあたりも好感が持てた。

ほぼいろいろなアクションシーンの連続だった。少し、『ワイルド・スピード SKY MISSION』を思い出した。そのどれもこれもが見ごたえのあるものだった。

飛行機の次はオペラ会場内でのアクション。ステージでは開演中で、観客は観賞している中、舞台装置を使いながら戦うのがスリリングだった。それが、イーサンと敵一人ではなく、複数で展開されるのもおもしろい。裏方のベンジーとも連携をとりつつ、戦う相手も何人か存在し、多角的に見られる。
また、この一連は台詞はほぼ無く、オペラがずっと流れていた。今回、ドルビー・アトモスで観たんですが、ここのオペラの音響が素晴らしかったのも、一役買っていると思う。伸びやかな歌声と、その裏での死闘というギャップにしびれる。

ドルビー・アトモスですが、この他にテーマ曲の音が粒っぽく飛んできたり、蹴っ飛ばすときのガスッという音のキレなども良く感じた。

その次は、発電所に潜入してデータを盗む極秘任務。実際に潜入するのがベンジーで、裏方がイーサンという普段とは逆の取り合わせ。ベンジーはあくまでもすまして歩いていくだけで、そのための下処理をイーサンがやる。
ここの水中アクションもおもしろかった。水中だから動きづらく、しかも息が続かないので時間が限られているため緊張感がある。そこで予期せぬ出来事が起こるものだから、思わず「あっ!」と声が出てしまった。

その次は、さきほど死にかけたイーサンによるカーチェイス。ベンジーが助手席で、「なんでイーサンが運転席なの?」と言っていたのも笑った。観客の気持ちを代弁してる。車のまま階段を下りたり宙返りしたりとめちゃくちゃだった。横に座ったベンジーの反応も最高で、一拍おいたあとでの「あぶない!」もかわいかった。

終盤に近づくにつれて話が核心に迫っていき、アクションはそこまで派手ではなくなる。けれど、最後の対決シーンの、イルサとイーサンの共闘が恰好良かった。一瞬、シーンとなる間の取り方もよくわかっていた。

今回のヒロインというか、ボンドガール的な役割のイルサがとても良かった。敵なのか味方なのかわからないあたりが峰不二子っぽくもある。あそこまで肉感的ではないけれど、不思議な色気があるし、暗い過去を背負っているのが好みでした。
イルサを演じたレベッカ・ファーガソンはそれほど映画に出ているわけではないけれど、今回かなり好評っぽいし、実際に良かったので続編にも出てきそう。別れ際に「私を見つけられるわ」と言っていたのは、伏線なのか、それとも前半の台詞とかけているだけなのかわからないけれど。

今回、イーサンの奥さんの描写がなかったのが気になる。『ゴースト・プロトコル』でも、最後にちらっとは出てきて、その“離れてはいるけれどいつでも見守っているよ”という関係が好きだったので、どうなったのだろうと思った。
イーサンとイルサは、いい感じにはなっていたけれど、結局キスなどはしないので恋愛まではいってなさそう。

台詞がかかっているといえば、前半にアレック・ボールドウィン演じるアランがブラントに向かって、「Welcome to CIA.」と言い、最後には逆にブラントがアランに「Welcome to IMF.」と言うんですが、最初のCIAの時に字幕が「これがCIAだ」となってしまっていて、最後は「ようこそ、IMFへ」になっていて、まったくかかってなかったのが残念。粋な台詞は粋なまま残して欲しい。

序盤のオペラのシーンでは、オーストリアの首相の暗殺を止めようとするんですが、イーサン自身が首相を撃っていた。軽い怪我を負わせることで、最悪の事態を避けようとする狙いだったけれど、今回、イーサンの無謀な行動は目立ち、少しジャック・バウワーを思い出してしまった。ただ、ジャックが単独でごりごり進み、視聴者すら置いてけぼりにしていたのに対して、イーサンには仲間がいる。

一人で突っ走ろうとするイーサンに、ベンジーが嫌だ俺もついていく、「なぜなら俺はイーサンの友達だからだ!」ってうわーっと一気に話すシーンがある。たぶん、一気に話さないと恥ずかしくて言えないようなことを臆面もなく言っちゃうんですが、そこで、イーサンがほのかに嬉しそうな顔をするのがとてもいい。
トム・クルーズは『オール・ユー・ニード・イズ・キル』でも、あるシーンでこの表情になるんですが、私はトム・クルーズのこの顔がとても好きだなと思った。ちなみに、『オール・ユー〜』では嬉しそうにプラスしてほっとしたという顔をしているんですが、今回は嬉しそうに得意げが入っているのがちょっとかわいい。

なんとなくだけど、イーサン=トム・クルーズに見えた。高嶺の花的な存在のスターになかなかこんなことを言う人もいないだろうし、「俺のことを友達と思ってくれるの?」とでも言うような、孤独感から解放されたような顔に感じた。考え過ぎかもしれませんが。

また、最初にベンジーがこう表明することで、ベンジーのこの映画内での立ち位置が前提としてはっきりする。今作ではブラントはCIA側に寄っているようだったが、ベンジーは何があっても、イーサンの味方なのだ。結局、ブラントもイーサンのことが好きなのは最後にわかるけれど。

前作『ゴースト・プロトコル』はブラントが可愛かったが、今作ではベンジーが可愛い。前作はジェレミー・レナーのギャップ萌えによる部分が多かったけれど、今作はサイモン・ペグの本来の魅力が存分に発揮されている。
お調子者で飄々としているようでいて、いい加減ではない。仕事はしっかりするし、仲間は裏切らない誠実さを持つ。

ベンジー七変化というか、いろいろな恰好をしているのもいい。最初は姿を隠す兵士のような、カモフラージュっぽい服装。着ぐるみのようだった。
そして、オペラに行くのにはタキシード。イーサンに無線で「その服装、似合ってるよ」と言われ、きょろきょろと探していたのが可愛かった。
発電所に潜入するときにはいいスーツ。そのスーツが窮屈だったのか、すぐに脱いでアロハに。後半ではたぬきだかあらいぐまだかの顔がどーんと出てるダサセーターならぬダサTを着ていたり、最後には警察のコスプレも。

もう映画全体がほとんどサイモン・ペグのプロモーション・ビデオみたいになっていて、サイモン・ペグのことが相当好きな人の意見が入っているのを感じた。
トム・クルーズは『ショーン・オブ・ザ・デッド』でペグのことを知ってファンになったそうだし、映画にも製作に関わっているし、もしかしたら彼の意見なのでは…とも思った。



『ウォーリアー』



2011年公開。日本では8/4にDVDスルーになった。
前から評判は聞いていたけれど、DVDになるまでだいぶ時間がかかった。

トム・ハーディ演じるトミーとジョエル・エドガートン演じるブレンダンの兄弟が主役。兄のブレンダンが自己破産寸前になっていて、教師の仕事だけではどうにもならない…というときに、弟のトミーがファイトマネーで救うのかと思った。
ブレンダンは妻と娘二人と暮らし、職にも就いていて一見まともそうなのに比べ、トミーは住所も不定みたいだったし、屈強な体だったし、どことなく悪そうな雰囲気だった。だから、莫大な掛け金のかかる違法な路上ファイトなどをするのかなとも思ったけれど、ブレンダン自らが闘っていて驚いた。
よく見たら、DVDのパッケージも二人が並んでいる姿だった。トム・ハーディしか見ていなかった…。
ちなみに、2011年のトム・ハーディというと、『インセプション』やかつらの似合ってなかった『嵐が丘』の後で、『裏切りのサーカス』の前です。体型的にはこの頃が一番好みかもしれない。役作りとはいえ、『ダークナイト ライジング』はパンプアップしすぎな気が…。

兄弟が中心の話だけれど、二人が対峙するのが映画の中盤あたりだった。そこまでは別々に人生を歩んでいた。
トレーニングも兄弟でも一緒にはやっていなかったけれど、一人一人に時間は割かず、画面を分割して見せていたのはうまい。トレーニングの方法は違うにしても、一人一人やっていたら時間も倍かかるし、それよりは試合に時間を割きたいと思ったのだろう。

二人で夜の海で再会するシーンで、二人がまったく違う境遇にいることがわかる。
そもそもは父が酒乱だったことが原因だった。トミーは母と逃げ、ブレンダンは父の元に残った。残った理由としては、後に妻となる女性と付き合っていたことと弟を気に入っていた父の目をひきたいこと。ただ、家庭を持ったけれど自己破産寸前だし、父は結局、トミーのトレーナーをしている。
トミーは母と逃げたが、母は病気だった。本当はブレンダンにも一緒に来て欲しかった。母を失ったあと、トミーは海兵隊に入る。

お互いがお互いのことを恨んでいて、でも、それぞれの言い分もわかる。結局は父が悪い。
けれど、その父も、飲酒を1000日間断って、反省しているようだった。妻を亡くしたせいか、年老いたせいか、だいぶ丸くなっている。
トレーナーとしてトミーにつきつつ、試合中はブレンダンのことも応援していた。

映画の後半1/3くらいはずっと総合格闘技の試合だった。それだけ、格闘技シーンに力が入っていたのだろう。実際の格闘家も出演していたらしい。ただ、普段格闘技を見ないため、格闘シーンのリアルさなどはあまりよくわからなかった。

ただ、闘い方として、トミーは腕っ節が強く、一撃KOなどもして見た目が派手。入場曲もなく、試合が終わったらさっさと帰ってしまう。ラストネームを母の旧姓にしていたせいで、名前を検索しても出てこない。謎めいた強い選手に観客は熱狂する。

対するブレンダンは、実況アナも最初バカにしていたけれど、実は根性があり、身体能力も高く、技のかけかたなどに素質がありそうだった。地味だけれど、普通の男が勝ち上がっていく様子にも観客は盛り上がる。
また、ブレンダンの場合は、家族や同僚、教えている生徒など、応援してくれる身内も多数いた。トミーには応援してくれる身内は一人もいない。強いてあげれば父かもしれないけれど、ブレンダンにとってはそれが一番羨ましいのかもしれない。

ラストネームも違うし、闘い方、境遇などもまるで違うから、二人が兄弟だとは盛り上がっている観客たちは知らない。映画を観ている私たちだけが知っているから、あの観客たちとは違う盛り上がりで見ているという優越感があった。

だから、決勝戦の前に、ニュースで“驚くべき事実が〜”みたいな感じで発表しなくても良かったのではないかと思う。どうせ観客たちは盛り上がってるんだし、兄弟だとわかったところで、変わる事実はなかった。映画を観ている人たちは知っていることだし、わざわざそこで発表されてもなんの驚きも無い。

実は兄弟でしたという発表と共に、実はトミーは軍を逃亡していて、試合が終わったら逮捕されるという情報も明かされる。それも、公にする必要があったんでしょうか。相棒の奥さんもそれ、レポーターに言っちゃうってことは、やっぱり少なからずトミーのことを恨んでいたのかな…。
逃亡したという事実だって、父親にひっそり話すとか、映画を観ている側に伝える術はいくつもあったはずだ。それを公の場で、試合を観ている観客にまで明かさなくてもいいのにと思ってしまった。

二人は闘う理由も違ければ、ここまで歩んできた人生も違う。でもどっちも譲れないのは変わらない。
圧倒的に強いのはトミーだったけれど、暴力的だし、ゴングのあとで一発殴るという反則をした時点で、ああ、ブレンダンが勝つのだなと思った。
ブレンダンが技をかけてトミーの肩をはずしてからも、片手でパンチを繰り出したり、来いよというように挑発したりしていた。
この最後の試合のトミーというか、トム・ハーディは今までとは顔つきがまったく違っていて、本気を出しているのが伝わってきた。

最後に、トミーを抱きしめながら、ブレンダンが「俺を許してくれ」と言ったのが感動的だった。中盤に夜の海で会ったときには、「母さんと逃げたお前を許してやる」という、なぜか偉そうな態度をとっていたのだ。闘ううちに、成長したのかもしれない。

また、父が、二人の姿を見て、本当に自分の役目は終わったのだなと安堵の表情を浮かべていたのも良かった。大きくなったな、二人とも、というあたたかい視線を送っていた。台詞はないのだけれど、表情ですべてが伝わってきた。
父親役のニック・ノルティは、本作でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたとのこと。




『ジュラシック・パーク』シリーズの四作目。私は過去作を一つも観ていないのでわかりませんが、映画を観た感じと、解説などを読む限りでは、観ておいたほうが楽しそう。話がわからなくなることはないのですが、作品内のルールがわからない部分もあった。

あと、公式が作ったジュラシック・ワールドという架空のテーマパークのサイトhttp://jp.jurassicworldintl.com/が凝っていて楽しい。ただ、ジュラシック・ワールドを所有しているマスラニ社のサイトにもリンクがはってあるけれど、こちらは日本語版なし。せっかくなら、こちらも日本語サイトがあるとおもしろかった。
映画を観る前に、マップなどをつぶさに見て頭に叩き込んでおくと、位置関係などがわかりやすい。

以下、ネタバレです。







過去作は観てないけれど、恐竜が逃げ出してパーク内の人々を襲うということはなんとなく知っていた。今作では、最初のほうではスタッフなどが安全を売りにしていたし、いつもと変わらぬ日常を過ごそうとしていた。でもきっと、今回も逃げ出すのだろうとは思っていた。そうしないと話が動き出さない。だから、序盤は少し退屈でした。

それで、遺伝子操作され、お客さんのニーズに合わせて作った凶暴な恐竜が飼育小屋から逃げ出した?となったときに、やっと来た!と思った。しかし、その時は逃げておらず、かく乱して扉を開けさせるという小技を使ってきた。

あとは、パーク内でその凶暴恐竜を捕獲しようとする、それだけの話です。単純明快。いろんな恐竜が出てくる。

最初はパークのお客さんには被害は無かったけれど、プテラノドンのような飛ぶ恐竜を飼育してる施設が破壊されて空から襲いかかったときに、やっとディザスタームービーっぽくなってきたと思った。けれど、そこでモブではない、名前のある登場人物が無惨とも言える方法で殺されてしまい、わくわくしていた気持ちが一気に沈んでしまった。

クリス・プラット演じるオーウェンはヴェロキラプトルと心を通わせようとしている。サーカスのライオンに芸を仕込むように、うまくいったらエサをあげたりしていた。あの、有名な“待て”のシーンを見てもわかるかと思う。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』よりは少し太った感じ。ただ、恐竜と心を通わせるというような野性的な役がよく合っていた。

クレアというパークの運営管理者の女性が出てくるんですが、彼女もオーウェンと一緒に捕獲に乗り出すことなかったのにと思ってしまった。どこか、安全な場所からオーウェンに指示を送るくらいで良かった。もちろんあの、スーツっぽいかっちりした服が乱れていく様とか、針金のようにぱっきり伸ばした髪の毛が湿気により元の天然パーマに戻っていく様が好きだという気持ちもわかる。ピンヒールで走り回る様がいいのかもしれない。でも、私はよくそんな恰好で足手まといにならなかったなとしか思わなかった。

もちろん彼女には、最後にTレックスを出すという重要な仕事があった。でもこれだって、管理棟の中にいて、Tレックスの格納庫みたいなところをボタン一つで開ければ良かった。明かりを持って走るのはオーウェンでもいいし、相棒的な役割のバリーでも良かった。

バリーを演じたのがオマール・シーだったんですが、体も整ってて恰好良く動けそうだったわりに出番が少ない。オーウェンとバリーが捕獲に乗り出して、クレアは後方支援にしてほしかった。どう考えても、現場に出る恰好ではない。シャツを開いて腕まくりしたって大して動きやすくなったようには見えなかった。

甥っ子二人を自分の手で見つけたかったのかもしれないけれど、後方支援のほうが充分に役立てたはず。現場に出たクレアは足手まといにもならず活躍もせずだった。

そもそも、オーウェンはなぜクレアのことが好きだったのだろうか。ああいうワイルドな男性は、恋愛よりも仕事!みたいなツンとしたキャリアウーマンにひかれるものなのだろうか。
巨大な恐竜の捕獲をしているから相手に対する気持ちの動きみたいなものは描かれないけれど、キスシーンだけは二回も出てくる。恋愛要素自体がいらなかったと思う。クリス・プラットには似合わない。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のような飄々としたものは良かったけれど。

恋愛要素はなしで、もっと兄弟メインにしてほしかった。恐竜大好きの弟さんも可愛かったし、お兄ちゃんがどんどんしっかりしていくのがいい。結局、こんなことがあって、両親が離婚するのかしないのかはわからないけれど、これだけしっかりすれば、安心して兄に任せられると思った。オーウェンに懐きかけてたし、オーウェン+兄弟だけで良かった。

最終兵器としてTレックスを放ったときは、そういえば出てきてなかった!という驚きとともに気持ちが盛り上がりました。巨大恐竜同士の戦いは、去年公開されたギャレス・エドワーズ監督の『GODZILLA ゴジラ』を思い出した。
そういえば、最初のインドミナス・レックスのチラ見せ具合や、擬態から急に襲ってくるところなども手法が似てるといえば似ている。

Tレックスは結局インドミナス・レックスを食べ損なったけれど、近くにいたクレアたちのことはなぜ襲わなかったのだろうか。また、人間が全員逃げた島でギャオーと吠えるTレックスは恰好良かったけれど、そのままでいいのだろうか。
プテラノドンとか飛べる恐竜たちは近くのコスタリカなどへ辿り着いてしまいはしないのか。

私は本作が初めて見るジュラシックシリーズなので、Tレックスは味方であって訓練によって人を襲わないとか、何か知らないルールがあるのかもしれない。けれど、知らないままだと、話のたたみ方が雑だと思ってしまった。それとも続編前提でたたんではいないのだろうか。もし続編をやるなら、もっとオマール・シーの出番を増やしてください。

このTレックス、首の傷がやたらと映ったのですが、これは『ジュラシック・パーク』に出てきたのと同じ個体であると示すものだったらしい。
途中で、朽ち果てた、まるで廃墟のようなジュラシック・パークの残骸が出てくる。20年前云々という話が出てくるけれど、実際に映画が公開されたのが1993年とほぼ20年前である。
これは、公開時に観ていた人にとっては感慨深いと思う。

ルールなどの確認のため、近いうちに『ジュラシック・パーク』を観てみようと思っているが、どうしたって、20年前に観た人の気持ちにはなれない。羨ましい。




前回は2D吹替だったけれど、今回は3D字幕と違うバージョンで観てきました。
二回目なので気づいたことなど。
以下、ネタバレです。




序盤、ケビン、ボブ、スチュの三人がニューヨークへ行くまで様々なボスに仕えますが、その時に、ミニオンたちが原始人のような毛皮(ギャートルズみたいな)を着てたり、ドラキュラのマントをつけてたり、ナポレオンの帽子をかぶっていたりといろんな服装を見せてくれるのはサービスみたいなものでしょう。途中からは、三人はオーバーオール、他の人は冬のコートと服装が変わらなくなる。前作でもメイド服とかいろいろ着てたし、ミニオンズの服装チェンジは見所でもある。

ボブが熊のぬいぐるみのティムのことを常に気にかけていて可愛かった。序盤の夜のショッピングモールでポップコーンを食べながらテレビを観ているシーンでは、ティムにも一粒食べさせてあげてた。食べさせて、というか、口のあたりに一粒置いていただけだけど。
スカーレットとハーブがイチャイチャするシーンでは、ティムの目元をおおっていた。
イギリスに移動するシーンでは、シートベルトをティムにもしてあげて、頭をぽんぽん叩いていた。
最初のケビンの旅に立候補するシーンから、怖いおとぎバナナ聞いても寝ちゃうところ、ラストでスカーレットにおもちゃの王冠を被せてあげて「バイバーイ」って言うところなど、ボブはどこのシーンでも愛らしかった。

愛らしいのとは少し違いますが、ロンドン塔から女王を誘拐する時、ボブが足をびよんびよんさせながら移動しますが、その時、キンクスの『You Really Got Me』が流れ出すのがとても恰好いい。ちゃんと前奏から流れる。不思議と音楽とあのびよんびよんで移動するのが合っている。
その前、王冠が保管室から外に出た時のSEが少し007っぽかったんですが、オマージュなのだろうか。

スカーレットやハーブなどはもちろんなんですが、ミニオンのセリフにも一部字幕がついていた。ちなみに、吹替だと「ナカマー!」のあたりは英語だと「Buddys!」でした。ネズミと別れるシーンでは「サヨナラ」という日本語も出てきたり。

字幕版ならではとしては、イギリスパート、特に、女王とテレビキャスターのイギリス訛りが露骨でおもしろかった。TVが聞き取れずに「テリー?」と聞き返してたかな。
あと、悪党の大会もヴィラン・コンベンション、略してヴィラコンと呼ばれていて、ああ、コミコンの悪党版かーと思って、あのイベントの雰囲気がわかりやすかった。
王冠を失った女王がパブで話すギャグ、「女王がなんで歯医者に行ったかわかる? 王冠をかぶせてもらうためよ!」というのも、歯のかぶせものを英語でCrownと呼ぶのがわかって、吹替よりもわかりやすかった。
個人的には、ロンドンの地下鉄の名物アナウンス、“MIND THE GAP”が聞けたのが嬉しかった。

Abbey Roadにアビーロードと字幕がついていた。吹替ではついていなかった。けれど、Abbey Roadがアビーロードだとわからない人はその次のビートルズの足を見てもわからないだろうし、ついててもついてなくても、わかる人はわかるし、わからない人はわからないと思う。
ちなみにビートルズの足ですが、一番前の人が白く、あとの三人が青っぽい色で実際のアルバムジャケットとちゃんと似せていた。

英語版のキャストですが、ナレーションのジェフリー・ラッシュはいい声で読み聞かせをするような喋り方で良かった。マイケル・キートンの大袈裟演技もおもしろい。
スティーヴ・クーガンは分身博士とロンドン塔のタワーガード役だったんですが、どちらも地声からはだいぶ変えてきていて、声の仕事もしているのかなと思った。IMDbを見ると時々やっているらしい。予告で観たこれから公開される『ペット』にも出てるみたい。
特にタワーガードはしゃがれたおじいさん声を出していてうまかった。
スカーレット役のサンドラ・ブロックはわりと普通のサンドラ・ブロックだったことを考えると、吹替の天海祐希はかなりうまかったなと思う。手を振るシーンとか。
真田広之の悪党の相撲取りもガラガラ声を出していてうまかったし、結構台詞が多かった。英語です。

エンドロール、少年グルーがミニオンの一人(ボブだったかも)の頭を撫でてあげてた。まだ素直で優しかった頃のグルー。そのあとで、ワッと大量のミニオンが押し寄せて囲まれちゃうのもいい。ミニオンはグルーが大好きだし、グルーもミニオンが好き。

そこまでは観ていても、エンドロールのスタッフの名前などが流れ始めると席を立つ人がかなり多かった。そのあとの映像も最高なのでもったいないと思った。
けれど、そのあとの映像は、悪役であるスカーレットとハーブも交えて一緒に踊っていたりして、カーテンコールのようにも見えるものである。エンドロールの途中で帰ってしまう人は、結局その程度の評価だったということだろう。演劇だったら終わった後で拍手をせずに出て行っているのと同じことだ。終わって、ちゃんと拍手をした人、おもしろかったと思った人に向けたサービス映像なのである。
3D良かったです。シャボン玉も来るし、ネズミも画面の外へ飛び出す。ちゃんと3Dの特性を生かすように作ってあるので、3Dでも観て良かった。


『ミニオンズ』



日本だと怪盗グルーシリーズとでも言うべきなのか、『怪盗グルーの月泥棒』『怪盗グルーのミニオン危機一発』(原題だと『Despicable Me1&2』)に出てきた、グルーの手下であり相棒であり友達でもありそうな謎の生物ミニオンを主役にしたスピンオフ。

以下、ネタバレです。








まず、冒頭のユニバーサルのロゴが出てくるシーンのファンファーレもミニオンが歌っていて、最初っからニコニコさせられた。

ミニオンの起源に迫る…というようなふれこみだったけれど、起源に迫るというか、謎生物なことには変わりなかった。ただ、恐竜の時代のもっと前、生命の誕生と共に誕生してたっぽい。起源はあまり関係なかった。
ただ、彼らの習性として、ボスを見つけて崇めるというものがあるらしい。恐竜や原始人、中世の吸血鬼、ナポレオンなどいろいろなものをボスにしていたけれど、ボスがいない状態だと、何もかもにやる気が出ない。
そのため、ミニオンのケビンとスチュワートとボブが、全員が仕えるボスをさがしに出かけるという話。
三人の冒険が中心となっている。

三人は1968年のアメリカに流れ着く。そういえば、映画の最初から、タートルズの『HAPPY TOGETHER』が使われていたけれど、ローリング・ストーンズも使われていたし、ヒッピーがデモ行進をしていた。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバムジャケットで有名なバナナを思わせる柄のワンピースを着た女性も出てくる。バナナが好きだから、ボブがついていっちゃうのも面白い。
三人は新しいボスにつれられてイギリスへ飛ぶんですが、そこでもキンクス、ザ・フー、ドアーズなどが使われていた。
下水からAbby Roadと書いてる矢印を伝って上に出ようとしたときに、ビートルズが出るのかなと思ったら、マンホールの上を踏みつけるビートルズの足だけが映った。
また、エディ・ヴァン・ヘイレンのようにギターを弾いた後に叩き付けて壊すシーンもあった。
主に音楽なんですが、60年代後半音楽ネタがかなりちりばめられているのも良かった。

イギリスに渡ってから、ロンドン塔に忍び込んでごたごたやるシーンなどは、なんとなく『ザ・マペッツ2/ワールド・ツアー』を思い出した。可愛い謎の生物が盗みを働くのが似ている。また、犯罪ではあるけれど、ばれるの?ばれないの?というようなヒヤヒヤが少なく、それほどシリアスではないあたりも似ていると思う。

紅茶を飲みながら追いかけてくる警官、ニュースキャスターも番組中に紅茶を…という国の偏見ギャグみたいなのも、『ザ・マペッツ2』にも出てきたことを思い出した。パブで文句を言いながら腕相撲しているのも国偏見ギャグかな。

スカーレットの夫、ハーブの作ったおもしろ道具(というか、盗みに使う武器)も個性的だったし、スカーレットの武装ドレスも恰好良かった。巨大化するケビンも良かった。

実は、最初の“ミニオンたちがボスをさがす旅に出かける”という時点で、もしかして…と思ったことがあった。現在はミニオンはグルーに仕えているわけで、この映画はグルーに仕えるところまでやるのだろうか。映画を観ている最中、ずっとそのことを考えていた。

話がクライマックスらしき部分に突入するとどきどきしてしまったんですが、悪党たちが謎の武器により氷漬けにされたところで、ついに来たと思った。
グルーさん登場である。しかも、少年時代のグルー。だから、舞台が1968年だったのだ。

怪盗グルーを観ていれば、少年時代のグルーがいかに孤独なのかわかる。それが、やっと、ここでミニオンたちと出会ったのだ。友達ができた。多少意地悪ではあるけれど、独りきりとは比べ物にならないくらいに幸せだろう。

また、この映画でミニオンたちがついていったスカーレットは結局、単なる悪党だったけれど、グルーの場合は、過去作を観ていれば、本当はいい奴なのがわかる。だから、私たちはミニオンがグルーについていけば、これからも楽しく過ごせることを知っている。何の心配もない。これが本当のハッピーエンドだ。
孤独なグルー少年を救ってくれてありがとう。友達ができて良かった。これから長い付き合いになる。

この映画はミニオンの起源の話ではない。確かにミニオンたちの話だけれど、スピンオフとはいえ、怪盗グルーシリーズと地続きである。
結局のところ、描かれているのはグルーとミニオンの運命の出会いだった。

この先ひねくれるんですが、少年時代のグルーは素直で、エンドロールでミニオンたちと一緒に歌ったり踊ったりいたずらしたりという様子が可愛い。心から楽しそうな姿を見て、本当に彼らが出会えて良かったと思った。

誰が担当しているのかわからないまま吹替で観ましたが、違和感無く見られた。最後に声優さんなどの名前が出る中、芸能人の名前も混じっていたけれど、全員うまかった。
特に、悪党一家のお父さん役がバナナマンの設楽だというのに驚いた。声優さんだと思っていた。おそらくミニオンの好物がバナナだからという安直な理由でキャスティングされたのではないかとも思われるが、大正解である。

ミニオンたちは何語だかわからない言葉(ミニオン語?)を話すが、途中途中で英語っぽいのも混じっているため、きっと日本語吹替もなにもないだろうと思っていた。けれど、ところどころ、ナカマ(仲間?)、サヨナラなど日本語が混じっているようにも聞こえた。
おとぎ話という言葉を聞き間違えて「オトギバナーナ!」と言うシーンで明らかに日本語なのを確認した。イギリスも、英語ならイングランドである。ミニオンについても、ちゃんと日本語吹替版なのだ。
調べると、ちゃんとベテランの声優さんが吹替えていた。すごい。凝っている。(『怪盗グルーのミニオン危機一発』でもそうだったらしい)ちなみに原語版だと、監督がミニオン全員(899人…)の声をやっているらしい。

真田広之がナレーターなのですが、彼は字幕版で相撲取りの悪党みたいな人の吹替もやっているらしい。
字幕版では、スティーヴ・クーガンとジェフリー・ラッシュという好きな俳優が声優をつとめているそうなので、そちらも気になります。
あと、今回2Dで観たんですが、エンドロール中の映像が、3Dのほうが絶対に楽しそう。そういえば、怪盗グルーシリーズでも、エンドロール中にミニオンの3D機能をうまく使ったいたずらがありましたよね。