『あしたのパスタはアルデンテ』



2011年公開。イタリアでは2010年公開。イタリア映画ですが、主題歌というかエンドロールの曲がなぜか中国語に聞こえた。

パスタとかアルデンテとかタイトルについていますが、別に食はそれほど関係がない。主人公が実家のパスタ工場で働くことになるくらいです。

主人公トンマーゾはゲイで、家族の前でカミングアウトしようと兄に相談する。実際の家族会議の場面で、兄が弟の秘密を話し始めるので、それは優しさではないぞ…と思っていたら、兄が自分はゲイであるとカミングアウトしてびっくりした。弟に先に言われたら自分が言えなくなると思ったのだろう。姑息である。その上、父親はショックで倒れてしまうし、工場を継ぐ者もいなくなってしまう。弟は、仕方なく工場で働くわ、カミングアウトはできないわで散々な目に遭う。

作家になりたいという夢もかなえられない、好きな人がいるのに工場で一緒に働く女性とくっつけられそうになる、その好きな人も男性なので家族に紹介できない…。トンマーゾはあらゆることを我慢して、耐えて、自分を偽って生きている。
父母、特に父親が古いタイプの人間で、理解がないと大変ネーなどと思って観ていたけれど、終盤、トンマーゾの祖母の事件で一気に見方が変わった。

祖母は重い糖尿病で甘いものが食べられないようだった。それが、ある晩に、決意をしたように、綺麗に化粧をして、甘いものを存分に食べる。あの食べているときの恍惚とした表情を見て、彼女は甘いものが好きで好きでたまらなくて、我慢していたのだなと知る。
翌朝、彼女は亡くなるが、ここまで生きてきたのだ、好きなことを我慢してまでこれ以上長生きして何になるとでも言いたいようだった。

彼女の行為に勇気づけられてトンマーゾは本当は作家になりたいから工場は継げないと告白する。ゲイであることのカミングアウトはできないが、それは父親が倒れているのでまだ仕方がないだろう。

そして、勇気づけられたのはトンマーゾだけではない。トンマーゾの場合は、ゲイであること、作家になるのが夢であること、それらを隠して、耐えて生きていたけれど、内容は違えども、決して人ごとではないのだ。

これまで、ゲイの登場人物がそれを隠して苦しむ映画などを観ていて、大変だとは思っても、私は同性愛者ではないので自分に置き換えることは難しかった。けれど、この映画を観て、作品の主人公はトンマーゾだけではなく、祖母でもあり、兄であり、すべての登場人物であり、主題はゲイのカミングアウトだけではなく、我慢することでの後悔とあらゆる抑圧からの解放と考えると、もう完全に自分の映画でもあると思った。
もちろん、完全に理解できているわけではないだろう。でも、自分に寄せて考えることができた。

祖母の葬列と、過去の、祖母が若かった頃の結婚式が交錯するラストが美しかった。
祖母は浮かない顔で、過去に望まぬ相手と結婚してるんですよね。これはオープニングでも少し出てくるんですが、本当に結婚したかった相手と無理心中をはかろうとしている。
けれど、結婚式では兄と父が和解していたり、姉の夫とトンマーゾの友達(姉の夫のことが好みだと言っていた)が踊っていたりと、様々なごたごたが丸くおさまっている。祖母の結婚式なので、参列者たちはいるはずのない人々なので、現実ではなく理想なのかもしれない。それでも美しいことには変わりなく、望まぬ結婚ではあっても、何か報われたのかもしれないというような気持ちになった。

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