『コードネーム U.N.C.L.E.』



1960年代のテレビドラマ『0011ナポレオン・ソロ』のリメイク。旧作を見ていないので、映画版が決まったエピソードのリメイクなのか、それとも登場人物だけが同じなのかがわからない。
監督は『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』『スナッチ』『ロックローラ』『シャーロック・ホームズ』シリーズのガイ・リッチー。ガイ・リッチーが監督で、アメリカCIAのスパイとロシアKGBのスパイが嫌々コンビを組まされるとなれば、もう期待せずにはいられない。しかも、CIAスパイがヘンリー・カヴィル、KGBスパイがアーミー・ハマーである。先行で公開された映画内のスチルだけ見ても、男前が二人並んでいてとてもかっこいい。

ガイ・リッチー監督作品のプロデュースを多くつとめていたマシュー・ヴォーンが監督し、突い最近公開された『キングスマン』もスパイものであり、比較されることも多いかもしれないけれど、どちらもブロマンスものではあるけれど、作風はかなり違っていた。『キングスマン』のほうがぶっとんだ世界観で派手さはある。しかし、一見地味でも、スタイリッシュさでは本作のほうが上に感じた。

以下、ネタバレです。








アメリカのスパイとロシアのスパイということで、これはいがみ合いながらも仲良くなっていくパターン、いわゆるケンカップルなんだろうなあと思っていた。おおまかに見ればそうなんですけれど、性格が正反対だったり、王道が貫かれているのがたまらなかった。
アメリカのスパイ、ナポレオン・ソロは常に余裕。スーツをびしっと着こなし、背筋もピンと伸びている。女好きな面も考えると、ジェームズ・ボンドタイプだとも思う。
対するロシアのスパイ、イリヤ・クリヤキンは、まず服装が野暮ったい。背が高いが、猫背である。ソロは自分に自信がありそうだったけれど、クリヤキンは自信はあるかないか以前に、そんなことを考えたこともなさそう。
そして、こちらは常に力勝負で全力投球。余裕はない。女性に対する態度も同じ。最初、ギャビーのことをどうでも良さそうだった時には、別にちょっと意地悪なくらいで普通の態度だった。けれど、少し意識し始めるともう駄目で、どんどん好きになってしまう。その様子が見て取れるのがたまらなく可愛い。大型犬を思わせる愛らしさすら感じる。しかも、キューンキューンと、捨てられた犬がさみしげに鳴いている感じ。

このキャラクターを、まるでギリシャ彫刻のように隙の無いハンサムのヘンリー・カヴィルと、嫌味の無いかっこよさとつい笑いがもれてしまう可愛さを兼ねているアーミー・ハマーが演じているのが本当に合っている。
舞台が60年代なのですが、ヘンリー・カヴィルのハンサムさは完璧すぎて少し古さすら感じさせるものなので、世界観とよくマッチしている。また、アーミー・ハマーの、『ソーシャル・ネットワーク』の双子、『白雪姫と鏡の女王』の王子、『ローン・レンジャー』のローン・レンジャーと、なんかきまらない、多少可愛くなってしまう様が今回も出ていていい。あれは、役者の持つ力なのかな…。それとも、育ちの良さがぽやぽやした雰囲気を出してしまっているのだろうか。

前半、施設に潜入するシーンの針金を破る道具、ロシアのほうが技術力は高いのだなというのがわかっておもしろかったし、得意げなクリヤキンの様子もおもしろい。中に入ってからの、金庫を破るソロのスマートさも恰好いい。
逃げたあとでの水上戦、モーターボートをクリヤキンが操縦し、ソロが助手席に乗っていたんですが、荒い運転でソロはぽろっと水中に落ちる。「落ちるなよ!カウボーイ(ソロのこと。アメリカ人だからこう呼んでいる?)」と言ったクリヤキンが、とっくに落ちているソロを確認して、え?ってなるのも良かった。
そして、ソロは陸まで泳いで、止めてある車に乗り込む。ラジオで曲を流しながら、車の中にあったワインやパンを拝借し、優雅にお食事。この時のヘンリー・カヴィルの、水もしたたるいい男っぷりもすごい。本当にハンサムな男性が水に濡れるとハンサム度がアップするのがよくわかった。
優雅にお食事の後ろで、水上ではクリヤキンのボートが別のボートに追い回されている。沈められたところで、やれやれといった感じで助けに入っていた。でも、まだまだ序盤だし、潜入する時のカッターの件でバカにされ、絆もそれほど強くもなっていないけれど、ちゃんと助けてあげるあたりも余裕がある。逆にクリヤキンが陸に上がっていたら、ざまーみろとばかりに放置しそう。

前半、ソロの部屋にロシアの盗聴器が、クリヤキンとギャビーの部屋にアメリカの盗聴器がそれぞれ仕掛けられていた。そのこっちにこんなものありましたよ?いえいえ、こちらにも?みたいな応酬のシーンもそれだけで面白かった。お互いがお互いの部屋の内情を実際に監視してるシーンは映画には出てこないんですが、ソロはホテルの受付のお姉さんを連れ込んで一晩過ごしてるし、クリヤキンとギャビーはギャビーが酔っぱらって挑発するだけで特に何もない。そんなお互いの一晩の性生活をお互いが知っていると思うと、何かおかしい。この辺にもソロの余裕が窺える。

余裕の違いはラストでも感じられた。お互いに、核兵器のディスクを奪ったら相手を殺しても良いとの指令を受ける。ここまで協力してきても、もともとの雇い主はアメリカとロシアなのだ。ましてや、冷戦時代である。そこで、クリヤキンはソロを殺してディスクを奪おうとする。けれど、ソロはクリヤキンがその覚悟で来たのを察し、自分も銃をすぐとれる場所に移動させる。ソロのほうが一枚上手なんですね。なので、たぶん、一触即発の状態からせーので撃ち合いになったら、ソロのほうが勝つと思う。けれど、一瞬はやかったソロの行動は、クリヤキンの父親の形見の時計を彼に投げることだった。
そもそも、その前に、クリヤキンの時計を見つけて確保しておいたのは、優しさと打算、どちらだったのだろうか。すぐに渡さなかったということは、このような事態に備えてのことだったのかもしれない。どちらにしても、ソロのほうが余裕がある。もちろん、クリヤキンはエディプス・コンプレックスの件も関係しているのかもしれない。でも、そもそも、ソロ側としてはクリヤキンを殺すつもりがなかったんですね。

そのあとで、ディスクを燃やしてそれをつまみに酒を飲むシーンが出てくる。屋外で酒を傾ける、先行スチルでも散々見たこれは、本作における打ち上げともいえるシーンだったのだ。やっぱり打ち上げのある映画はいい映画。そして、ラストで彼らがシルエットになるんですが、それがお互いに背を向けているのがいい。最後までこうだ。一件落着のように見えて、仲良しになどなっていない。
(このシルエットは007シリーズのオープニングっぽくしたのだろうか。)

二人にはそれぞれアメリカとロシアが付いているのですが、ガイ・リッチーはイギリスの監督なのに、いやにイギリス色が薄い作品だなと思った。ヘンリー・カヴィルがイギリス俳優だとしても。リメイクだから仕方ないのかな、とも思った。けれど、中盤から出てくるヒュー・グラントが曲者だった。いやにちょい役だなーと思っていたら、とんでもない。
結局、途中から出てきたイギリスが漁父の利で見せ場をかっさらう展開は恐れ入りました。ちゃんと、ガイ・リッチー監督作品だった。

そして、イギリススパイのギャビーもまたいい。最初はただのお姫様ポジションのヒロインかと思ったけれどとんでもない。彼女をめぐる気持ちの移り変わりも良かった。たぶん最初はソロのことが好きで、クリヤキンが気に食わなそうだった。酔っぱらってレスリングでクリヤキンに突進した夜も、ただ酔っぱらっていただけだと思う。けれど、クリヤキンはそこで完全に好きになっちゃうんですね。キスしそうでできないシーンが特に良かった。クリヤキンが手をギャビーの腰のあたりにまわしたときに、彼は恋に落ちたのだと思う。
また、最後にもキス未遂が出てくるのが良かったです。関係は進みそうで進まない。でもだからこそ、次に続けられると思うんですよ。続編ありますよね?

ガイ・リッチー、いままでの作品でも見たいものを見せてくれる監督だったけれど、本作でもそれは変わらない。もういいなあという展開しかない。かゆいところに手が届くというか、頭の中を覗かれているというか。
キャラクターの関係性だけでなく、二回目の潜入シーンを大胆に省略しているのも良かった。一つの映画に二回も潜入シーンいらないもの。そして、省略したあとで、君たちはこれを観たいんだよね?と言わんばかりのカーチェイスにがっつり時間を割く。映画全体の時間があまり長過ぎるのも考えものだ。そこでいるシーンいらないシーンの選別が重要になってくると思うが、この省略は大正解だと思った。道を無視してのカーチェイス、楽しかったです。

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