『ルーム』



主演のブリー・ラーソンがアカデミー賞主演女優賞を受賞している。他、作品賞・監督賞・脚色賞にもノミネートされました。
原作は小説とのこと。脚色賞を受賞していることから、少し違いがあるかもしれないので読んでみたい。作者ご本人が脚色を担当したらしい。
監督は『FRANK-フランク-』のレニー・アブラハムソン。

以下、ネタバレです。







どの映画でもそうなんですが、観る前にあまり情報を頭に入れないようにして臨んでいる。それでも、映画館に行くと、上映前に流れる予告編は見てしまう。事前に多くの、もしくは重要なネタバレがあるという話を聞いている場合はそれもなるべく見ないようにするが、この映画の場合は見ていました。

そこで得た事前情報として、主人公は監禁されているというのと、その息子が死んだフリをして逃げるということは知っていた。
けれど、なかなか逃げず部屋の中のシーンが長い。

部屋の中でも空間は狭いが様々なことが起こる。狭い中でも運動不足にならないように息子を走らせる、男が生活に最低限必要なものを持ってくる、仕切りのない風呂に入る、電気を止められる…。
過酷な生活と、外の世界を信じられない息子について描かれているが、逃げ出すこと前提で見ていたので、部屋の内部でのシーンの長さに不安をおぼえる。
もしかして、逃げ出すのがクライマックスだったらどうしよう。部屋の中からカメラの動かない、ワンシチュエーションものだったらどうしよう。
それならそれで新しい試みだとは思うけれど、だったら、予告編を見るんじゃなかった…と後悔しかけたが、そんなことはなかったので良かった。

また、逃げるシーンにあまり時間が割かれていなかったのも良かった。
トラックから飛び降り、犯人に見つかって連れて行かれそうになるが、犬の散歩の男性がちゃんと察して警察を呼んでくれる。パトカーの中でも、運転手の男性は「児童養護施設に連れて行こう」とか「そいつちょっとおかしい」とか心ないことを言っていたけれど、後部座席の女性警察官が親身になって話を聞き、事情を察し、母親の監禁場所もあっさり見つかる。犯人もちゃんと逮捕されていた。
ちょっとあっさりすぎるし、女性警察官の察しが良すぎるのはご都合主義っぽくはあるけれど、命からがら逃げてきたことを観客が知っている以上、ひっぱるシーンではないと思う。
決死の覚悟でトラックから飛び降りたのに、犯人に連れ戻されたら、また部屋からやり直しになってしまう。警察に連れて行かれて、上手く話せない息子の事情聴取に長時間割かれ、ラストで母親が助け出されるというのも、察せない警察官たちにいらいらしそう。
そんな、息子の孤軍奮闘とか犯人との攻防というようなサスペンス展開はいらないのだ。

この映画で本当に描きたかったのはこの先なのだというのがわかって、観ていてほっとした。
ちゃんと時間をはかったわけではないけれど、体感だと25%が部屋、5%が逃げるシーン、70%が外に出た後くらいだろうか。見終わってみると、このペース配分がちょうど良かった。

生まれて初めて、トラックの上から一面に広がる青空を見た息子のシーンが泣ける。息子の目線のカメラで、青空だけではなく、電線も見える。普通の風景ではあるけれど、それを見て、喜びというより、驚きと恐怖をおぼえているような表情をしていた。母親とも生まれて初めて引き離され、不安感でいっぱいという表情だった。
息子にとって初めての世界との接触はきらきらしていて、喜びに満ちたものなのかと思っていた。そんな、“センス・オブ・ワンダー”中心の話なのかと思っていた。

ほどなくして母親も解放され、二人で外の世界へ出るが、出たところでめでたしめでたし、ではないのだ。当然、ない。

あまりの世界の広さと勝手の違いに怯える息子と、周囲の状況の変化に戸惑う母親。
両親の離婚もショックだったろうが、息子(孫)のことを見られない祖父が一番ショックだったろう。もしかしたら、離婚の原因は自分かもしれないと思ったかもしれない。

七年というのは決して短い時間ではない。学生時代に友達と撮った写真を見て、この時一緒だった彼女たちは何をしているかわからないけど誘拐されていないと言っていた。何故、自分だけが時間を奪われなくてはいけなかったのか。

それに、映画では開始したらもう息子がいたけれど、その前が一番苦しんだと思う。一人きりで部屋に閉じ込められ、妊娠し、出産を決め…。その時期が一番つらいし、苦しんだと思う。映画では描かれていなくても、充分に伝わってきた。描かれていたら、映画自体がエグいものになっていただろうし、考えればわかるのだから映像化されていなく良かった。

マスコミもまた、そんなこと聞くなよという感じなのですが、「息子さんが大きくなったら父親のことを話しますか?」とか「生物学上の父親という意味です」とか…。このシーンだけ、テレビ向けに、しっかり化粧をしているのも痛々しい。他のシーンではブリー・ラーソン、ほぼノーメイクである。
そっとしておいてあげて…と思ったけれど、それが彼らの仕事なのだろう。マスコミのストーリー上の役割でもある。それでも、そういうズケズケと攻撃されるシーンは極力少なくなっていて、それも良かった。

母親は結局、自殺を試みて入院することになり、ふたたび息子と引き離される。
どんどん追いつめられていく母親とは対照的に、息子の急速な世界の広がり方には勇気づけられた。
最初は嫌がっていたレゴでもちゃんと遊べるようになる。階段も一人で下りられる。食べ物もなんでも食べられるようになる。家族だけではなく近所の人とも会話ができるようになる。特に、「グランマ、大好き」と言うシーンが良かった。友達ともボールで遊ぶ。
すべてを飲み込み、吸収しながら、大きくなっていく。

最初は部屋に帰りたいと言っていて、それは、そこしか知らなかったら、狭くて母親と二人きりの空間に帰りたいのも仕方がないのかなと思っていたけれど、次第にしっかり順応していっていた。子供だからなのだろう。
後半だと、息子のほうが母親よりも大人に見えてしまった。

ラスト付近で、息子が部屋に行きたいと言ったときに、もしかしてまだあの部屋に戻りたかったのかと思った。けれど、部屋に行って、「縮んだ?」と言ったときに、ちゃんと外の世界に慣れたのがわかってよかった。

息子は、洋服ダンスやベッドなどに「バイバイ」とさよならの挨拶をしていた。母親しかいない部屋で、「おはよう」と声をかけていたそれらは息子にとっては大事なともだちだったのだろう。
母親にとっては忌々しいだけでしかないその場所も、息子にとっては世界だったのだ。逃げるときに怖い思いはしても、それまでの五年間は“幸せ”に暮らしていた。愛おしくもあって当然なのだ。

けれど、比較対象がないから“幸せ”だっただけだというのも知ったのだろう。それをふまえた上での別れを告げる「バイバイ」だったのだ。またここに住みたいという言葉が出てこなかったことで、彼の世界が確実に広がったのだというのを感じられて良かった。



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