音を立てると即死、というキャッチコピーから、スマッシュヒットした『ドント・ブリーズ』と何が違うのかと思っていて、本編自体にはさほど期待せず、ノア・ジュプ目当てで観に行ったんですが、内容も全く違うし、おもしろかった。

『ドント・ブリーズ』はじめ、『イット・フォローズ』『ゲット・アウト』『ヴィジット』など、最近のアイディア系ホラーにまた新たな一作という感じでした。
ただ、ホラー色は弱いので、怖さを求めていくと物足りないかもしれない。

作品の性質上、シーンとしてるところから大きな音とともに怖いものが出てくるビックリ演出が多数あるのでは…と思っていたけれどほとんどなかった。

以下、ネタバレです。













予告などだと音を立てたら死ぬことしか明らかになってなかったので、何が襲ってくるのかも、一体どうやって生活をするのかもわからなかったけれど、序盤にルール説明がある。

最初から兄弟の一番下の小さい子が危なっかしいんですけど、予告やスチルやプレミアの画像などで事前に見ていた限り、四人家族だと思っていたので、この子は早々に離脱するんだろうな…というのはなんとなく察しがついていた。ただ、長女のリーガンが渡したおもちゃのせいで死んでしまうとは思わなかったので切なかった。最序盤だけれど、これがこの先、リーガンの心に大きな影を落とす。

一番下の子が襲われた時には、相手が何者なのかはまったくわからない。けれど俊敏な生き物だった。決して人間ではない。
やはり『ドント・ブリーズ』のように相手が人間のほうが怖いのではないかと思う。これで、怖さはあまりなくなった。

父はこの生き物について調べている。壁に貼ってある新聞などから、メキシコに落ちた隕石がキーワードになりそうだったので、どうやら宇宙から来たのではないかということがなんとなくわかる。本当に何者なのかというのは最後までわかりません。ただ、音を察知して襲ってくるということだけが、はっきりしている。

前半は静寂の中での家族の生活が描かれる。リーガンは聾者らしく、耳に補聴器をつけている。それでおそらくこの謎の生き物が襲来する前から家族で手話を日常的に使っていたのか、セリフはほとんど手話である。アメリカ手話らしい。手話部分は英語字幕と日本語字幕が同時に出るので勉強になる。

セリフや音楽がない中で、微かな生活音を立てながら、家族が身を寄せ合って、少し不便なサバイバル生活をしている様子は、映画として観たことがないものだった。牧歌的で、少しほのぼのとも見えてしまった。かなり実験的だったと思う。

あまりホラーっぽくはないな…と思っていたところで、妊婦である母が一人家に残されている時に事件が起こる。洗濯物が入った袋を引き上げようとするが、階段の釘に引っかかってしまい、その釘が飛び出てしまう。
ああ、これは後で踏むんだろうな…と思っていたら案の定。しかも、破水している時に。
当然謎の生き物がやってくるんですが、それから逃げつつの出産するまでのシーンの緊迫感が素晴らしかった。怖いというよりはいろいろなアイディアがちりばめられていておもしろかった。

家の周りには電球があって、夜に灯るのが綺麗だった。質素な生活の中で豊かに生きる知恵なのかもしれない。謎の生物は目が見えないようなので、視覚表現はいろいろとできるようだった。
ただ、その電球は、家の中でピンチなのを伝えるために色が赤くもできるとは知らなかった。遠方にいる家族にピンチを伝えるために声を出すわけにはいかないのだ。なるほど。そして、真っ赤な電球が多数灯っている様子は見た目的にもピンチなのがよくわかる。
それで、家から離れた場所にいる父と息子が音を出して謎の生物の気を引いてピンチを脱した。

リーガンの弟、マーカスは臆病者で家から離れた場所に出かけるのも嫌がっていた。けれど、母に年をとったら守ってくれと言われて、いやいやながら父親と狩りへ出かけていく。
ここで、父と語っていたし、謎の生物の気をひくための花火も一人で点火しにいって、ちゃんと成長していた。母を守ったのだ。

ホラーというよりは家族愛の映画の面が強いと思う。
父も子供達に手話で愛していると伝えてから、絶叫して生物を引き寄せていた。つらかったが、手話があれば、少し離れていても声を出せなくても思いが伝えられるというのも面白いアイディアだと思った。

また、いくつか、えっ?それ伏線だったの?というものが回収がされていくのがおもしろかった。ルールが明示されて、少し後にそれが応用される。とはいえ、最初に出て来た時にはそれがルール説明なのだとはわからないのが巧みだと思う。

滝に行って、もっと大きな音がしてる場合は声を出しても大丈夫というルールが、親子の狩りシーンで出てきて、その後に家の中の水漏れで地下室がピンチというシーンが出てくる。水漏れも結局、滝と同じである。

細かいところだけれど、遊ぶことも限られていて、マーカスが暇つぶしに車を運転するようにハンドルを持っているシーンが序盤に出てきますが、後半に子供二人で車で逃げて来るシーンがあって、なるほど繋がっていると思った。

ただ、ここまで世界観がちゃんと作られているのに、なぜこの中で子供を作ってしまったのか。赤ちゃんはいつ大きな声で泣くともしれないのに。
ホラー映画を観ていると、ルールにのっとった生き残りゲームというように見えてくることがあるけれど、赤ちゃんはルールをより厳しくする要素の一つに思えてしまった。
けれど、幼い子供を失ったからかもしれないし、もう一人作ることでリーガンを安心させようとしたのかもしれない。それとは関係なく、もう一人子供が欲しかったのかもしれないけど。

この映画はほとんど家族四人の俳優しか出てこないが、四人とも上手くて見応えがあった。

エミリー・ブラントは安定してますが、特に最後の銃を構える顔ですね。リーガンとともに、戦う覚悟を決めた顔がとても恰好よかった。一気に表情が変わっていた。
弱点もわかったし、何匹いるからわからないけどきっと一掃できる日も近いのだろうという、希望と強さが感じられた。

監督であり、父親役のジョン・クラシンスキーは実生活でもエミリー・ブラントの夫らしい。片耳ずつイヤホンをつけてダンスを踊るシーンが美しかった。やはり、『ベイビー・ドライバー』や『タリーと私の秘密の時間』でも出て来たけれど、最近はワイヤレスが主流でも、この場合のイヤホンは有線に限る。糸というか、コードで繋がれているところに情緒がある。

リーガン役のミリセント・シモンズは、実際に聾者だというのに驚いた。今年四月に公開された『ワンダーストラック』にも出演していたようで観たい。まだ映画出演経験が少ないようだけれど、これから増えそう。

マーカス役のノア・ジュプは、予告で見た限りだとだいぶ幼く見えたけれど、映画で全身が映ったら結構頭身が高かった。童顔なので、幼く見えていただけのようでした。『ワンダー 君は太陽』よりも更にお兄さんっぽく見えて、順調に成長してるなという感じ。ただ、怯えた顔も泣き顔も可愛かったです。
毛糸の帽子も可愛いけど、とったときのくるくるの髪型も可愛い。
これまでの出演作については『ワンダー』の感想の最後のあたりに書きました。
あと、出演ドラマ『ナイト・マネジャー』の感想はこちら

今後の予定は
12月にアメリカで公開予定のウィル・フェレルがシャーロック・ホームズ、ジョン・C・ライリーがジョン・ワトソンを演じる『Holmes and Watson』。
2019年はシャイア・ラブーフの自伝映画『Honey Boy』にシャイア・ラブーフの少年時代役で出演。ちなみに青年時代はルーカス・ヘッジズが演じる。
もう一作は『Ford v. Ferrari』。フォードのデザイナーのキャロル・シェルビー(マット・デイモン)とドライバーのケン・マイルス(クリスチャン・ベイル)がフェラーリをル・マンで倒そうとする姿を描く伝記映画で、ノア・ジュプはケンの息子のピーター役。

また、『HHhH』が原作の『The Man with the Iron Heart』(2017年)にもアタ・モラヴェツ役で出演していて、『ナチス第三の男』の邦題で来年一月に日本でも公開されます。

『クワイエット・プレイス』は続編構想もあるらしい。別の家族の話になるのか、敵は同じままなのか、いろいろと気になるけれど、今のところは続けなくてもいいのではないかと思ってしまう。




『オクジャ/okja』



2017年ネットフリックスでの配信のみのオリジナル映画。ポン・ジュノ監督。
『最後の追跡』と同じく、こちらも映画館で公開されていないのがもったいないが、このような作品が増えていくのだろうか。

ストーリーについてまったく調べていなかったんですが、内容自体はシンプルながら、とっかかりと題材がなんでこんなことを思いつくんだろう…と思ってしまうような意外性があった。内容は全く違うけれど、突拍子もなさは『スノーピアサー』と同じです。

以下、ネタバレです。







舞台はおそらく近未来。食料が不足していて、スーパーピッグという豚を改良した謎の生物を使って食糧不足を解消しようとルーシー・ミランドが会社を立ち上げる。世界の26軒の農家に預け、10年後にどこの農家が一番うまく育てられるかを競わせるというエンターテイメント性も付加して、発表も派手にして、話題性も抜群。しかし、このスーパーピッグは品種改良がおこなわれていたことは消費者には知らされていない。ルーシーの発表会の様子は胡散臭さすら感じられた。ルーシー役にティルダ・スウィントン。57歳ですが、メイクによって何歳にも見えるし、疲れている時には歳をとって見える。人物自体の胡散臭さも彼女が演じるからこそ表現できている。それに、生き生きと演じているのがわかって笑ってしまう。
『スノーピアサー』と同じようなぶっとんだ印象で、ポン・ジュノ監督の彼女に対する印象…というか信頼がうかがえる。

この時点ではスーパーピッグについては謎のままなんですが、ここから10年後に舞台が移る。26軒の農家のうちの一つへ移る。おそらく韓国の山の中。少女ミジャが巨大な生物と戯れている。これが10年経って育ったスーパーピッグらしい。鳴き声は豚っぽいけれど、顔はカバに似ている。乳房は一つ。少女と意思の疎通ができているようだったし、感情もありそう。それに、崖から落ちそうになっている少女を機転を利かせて救うということで知性もある。目が人間の目に似ているのも特徴的だと思った。
ミジャはオクジャと名前をつけて、彼女と4歳から一緒に育って来たようだ。しかも、両親が亡くなっているようだし、山奥なので友達もいなさそうだった。オクジャがミジャの唯一の友達である。

ところが、10年後のコンテストでオクジャが一位になってしまう。ミジャの家にルーシーと同じく胡散臭い動物博士が来るんですが、演じているのがジェイク・ギレンホール。似ているなとは思っていたけれど、あまりにもハジけた役だったのでエンドロールを見るまで自信が持てなかった。
そして、ソウル、それからニューヨークへ連れて行かれてしまったオクジャを連れ戻すミジャの旅が始まる。

ソウルでなんとか取り戻せそうになるものの、失敗…しそうになるところで、動物解放戦線(ALF)が邪魔をする。Animal Liberation Frontとは実際に存在する団体らしく、劇中の通り、かなり過激な行動に出るようだ。動物解放のためには手段を選ばないらしく、テロリスト的な扱いを受けているらしい。それに比べると、劇中の団体はおとなしかったかもしれない。
ALFのリーダー的なジェイ役にポール・ダノ。このポール・ダノはかなり良い役でした。過激な手段に出つつも、ミジャの意見を尊重しようとする。物腰も柔らかい。ただ、いつものポール・ダノのような気弱さはない。意志は強い。
だから、通訳の役割だったALFのKが嘘の訳をした時にも怒って、ボコボコにしてALFを追放していた。

ホテルマンに変装したジェイが、韓国語と英語を併記したプラカードでミジャに物事を伝えているシーンも好きでした。「私たちはあなたが好きです」で締めているところも良かった。一人きりだと思っていたミジャにやっと味方ができる。

オクジャはスーパーピッグの中で、データや見た目から優勝したのだが、そのせいで研究所に連れて行かれてしまう。オクジャの耳の裏にはカメラが取り付けられているのだけれど、このシーンがかなりつらい。
巨大な雄によるレイプ、部位のサンプルを採取されての試食…。これらが、酔った動物博士によって行われる。彼だって、本当は動物が好きだったはずで、人気の落ち込みによって歪んでしまったのではないか。
ただ、オクジャに関しては可哀想とか見てられないとか思うけれど、私は普通に豚肉を食べるし、豚に関してはここまで考えない。この映画はそこに関しても警鐘を鳴らしているのだろうか。製作がプランB(ブラッド・ピットの会社)であり、少し説教くさいこともなくはないのかなとも思う。けれど、おそらくそこが主題ではないかなと思った。

サンプル食べる試食係が三人出てきますが、そのうちの一人が少し気になったので調べてみたら、Cory Gruter-Andrewという子でした。俯いていたので、ルーカス・ヘッジズかトーマス・B・サングスターかと思ったら違った。『Summer of 84』という15歳の男の子4人が肝試し的な冒険をするって映画に出てるみたいで観たい。今年8月に公開されたばっかりのようですが、日本ではやらなさそう。(追記:2019年8月3日より新宿シネマカリテ他でロードショーとのこと)
ネットフリックスで配信されているドラマ、『アンという名の少女』のシーズン2や『ハンドレッド』のシーズン3のE3、4、7、9にも出演しているらしい。

ルーシーの会社の従業員役の俳優たちも豪華。秘書のような役割のシャーリー・ヘンダーソン(相変わらず声かわいい)や『ブレイキング・バッド』のガス役でお馴染みジャンカルロ・エスポジート(相変わらず怖い印象)など知っている顔が次々と出て来る。

スーパーピッグのナンバーワンのお披露目式のパレードが浮かれていて禍々しい。映画最初のスーパーピッグ発表会も空元気と楽しそうな雰囲気で胡散臭かったけれど、パレードはさらに規模が大きくなって、禍々しさだけが際立つ。
スーパーピッグを模った巨大な風船人形、パレードをしている人も豚の帽子を被っていて笑顔で手を振っている。
動物博士はステージではしゃぎまくり、調子のいいことばかりをスピーチするルーシーの後ろで柱に乗ってぐるぐる回って上がっていく様子もいらっとして、何をやっているのか見ていたら、その柱からミジャが出て来た。あの中ではミジャだけがまともに見えた。

ミジャはここでオクジャと久しぶりに対面をするんですが、酷い目に遭ったオクジャはミジャのことがわからない。目が充血していて、やっぱり、オクジャに感情を与えているのは瞳なのかなと思った。
それでも、ミジャがオクジャを信用してあげて、オクジャも正気を取り戻す。ここでは、裏でルーシーたちは逃げ、警察とALFとが揉めてるんですが、ミジャとオクジャにはそれらがまったく関係なさそうだった。二人だけの世界になっていた。

オクジャは解体施設へ運ばれるんですが、そこには無数のスーパーピッグがいる。次々に解体されていく様子はグロテスクで、でもやっぱりここで、豚肉は食べるしな…と考えさせられた。
この施設からはオクジャと、子供のスーパーピッグ一匹だけを救ってミジャは村へ帰る。

おそらく、ALFが正義のように描かれていても(ポール・ダノが良すぎて私が勝手に正義だと受け取ってしまっただけで実際には描かれていないのかも…)、動物を食べるのはやめよう!というのが主題の映画ではないのだ。
かといって、『ブタがいた教室』的な、豚を学校で育てて食べるという教育の話でもない。
主題はあくまでも少女と不思議な生き物の友情だと思う。不思議な生き物の危機を、少女が救うというシンプルなストーリーに、ALFや食品偽造などが関わって来ているだけだ。

というのも、ミジャ自体、魚を捕って食べていたし、おじいさんも鶏の煮物を作っていた。家で鶏を飼っていたから、あれが鍋になっていたのかもしれない。
鶏や魚とオクジャ、何が違うのかというと、やはり感情とか知性という話になるのだろうか。ただ、イルカは頭がいいから追い込み漁は可哀想みたいな話とも繋がって来てしまいそうで、それも違う気もする。

ただ、オクジャというかスーパーピッグは遺伝子操作によって作り出された謎の生物だというのが違うのかもしれない。
ここで思ったんですが、あの目と感情と知性、それに耳打ちをしあったり、「電話をさせて!」と言っていたということは言葉もわかるということで、これってもしかして、人間の遺伝子も入っているのでは…。
映画内でそんなことまでは明かされないけれど、もしかしたら。

エンドロール後、ジェイとKは一緒に出所する。Kがタバコを吸っていて、それをジェイに渡すと、ジェイは靴底でその火を消す。とてもいい関係。

Kについて、裏切り、そして戻ってくるというのはテンプレだとも思うんですが、さじ加減が完璧だった。悪い奴ではないのは、わざと違う訳をして瞬時に後悔していたことからもわかる。困っている時に戻ってくるのも良かったし、これからはジェイにちゃんと従うのだろうし、ジェイも許していた。
最後、ジェイなりALFメンバーがミジャに会いにいくという展開もなくてもいい。ミジャはいままで通り、オクジャと子豚と祖父と穏やかに暮らしていくし、ALFたちは目出し帽をかぶって次の現場へ急ぐのだ。それぞれの日常が続いていくというラストが好きでした。





タイトル通り、くまのプーさんと大人になったクリストファー・ロビンの再会が描かれている。
クリストファー・ロビン役にユアン・マクレガー、妻イヴリン役にヘイリー・アトウェル。
監督は『ネバーランド』、『主人公は僕だった』、『007慰めの報酬』、『ワールド・ウォーZ』のマーク・フォースター。

以下、ネタバレです。









予告編を見た限りだと、大人になって人生に行き詰っていたクリストファー・ロビンが100エーカーの森に行って、プーとその仲間たちと再会、遊んだりプーの言葉で子供の頃の自分の心を取り戻して、また日々の生活に戻っていくという、所謂『行きて帰りし物語』の形式なのだと思っていた。日々の生活に戻るけれど、100エーカーの森での経験によって成長するから以前のような陰鬱な気持ちは消える。

しかし違っていて、これは私が原作の『くまのプーさん』に詳しくないから知らなかっただけかもしれないけれど、プーさんはクリストファー・ロビンのイマジナリーフレンドではなく、本当に存在していた。
しかも、100エーカーの森を飛び出してロンドンの街中にも来る。それも、プー自らの意志で。ちゃんと思考しながら木の穴を抜けて来るし、ロンドンでは最初、困惑もしていた。クリストファー・ロビン目線の中だけで動くプーというわけではなく、プー視点もある。

それに、プーやその仲間はクリストファー・ロビンにだけ見えるわけではなく、動いて喋るぬいぐるみとして存在していて、他の人が見て目を丸くしたり叫び声をあげたりしていた。
予告でヘイリー・アトウェルがティガーたちを抱っこしている映像は見ていたけれど、それもあくまでもぬいぐるみを抱っこしているのかと思っていた。

例えば、『パティントン』であれば、あれは人語を話し二足歩行だけれど、みんなに受け入れている世界観である。一部、おもしろくないと思っていた人もいたようだけれども、それでも存在自体は受け入れていたようだった。プーの場合は、驚いたり叫ばれたりということは、やはり、ぬいぐるみが動くのが当たり前の世界ではないということになる。そうなると、クリストファー・ロビンが幼い頃に一緒に遊んでいたのもただのぬいぐるみに男の子が魂を宿したわけではなく(イマジナリーフレンド)、本当に動くぬいぐるみだったのだろうか。このあたりは、原作を読めばわかるのだろうか。

世界観がよくわからなかったんですが、エンドロール後にビーチで寝転んでいるプーとその仲間たちを見たら、もう細かいことはどうでもいいという内容なのかなとも思った。ちなみに、ビーチの椅子に寝ている御一行はポスターなどで出ていて可愛かったけれど、まさか、森を抜け出して劇中でこの姿が見られるとは思わなかった。
ビーチに来ていたのは普段せこせこ働いて、たぶんクリストファー・ロビンと同じく心が死んでいる人たちである。彼らが有給をとって海に遊びに来て、プーたちを見て好意的にとらえていたということは、動くぬいぐるみはあの世界では周知されたのだろうか。

なんか設定ばかりが気になってしまって、プーがのんびりしたことを言ってクリストファー・ロビンが何かを発見して癒されて変わっていくという様子を見せられても、予告編でそこまではわかっていたことだし、あまり心に響くものがなかった。

ただ、アニメCGと実写の共演ではなく、本当にぬいぐるみ形態だったし、表情が過剰に変わらなくて一見無表情に見えるところは良かった。ぬいぐるみプーとユアン・マクレガーの並びは見ていて可愛かったです。

あと、マーク・ゲイティスのコミカルとも言える大仰な悪者演技は愉快でした。あの様子を見ると、本当に真剣に考えながら見るものではないのかもしれないとも思ってしまった。
オープニングも絵本の絵で、終わる時にも絵本の絵に変わるので、もう、あまり辻褄とかは考えず、ファンタジーとしてふんわり楽しむのでいいのかもしれない。
それにしては前半、プーに再開するまでのクリストファー・ロビンの日常は厳しかったけれど。

あと、プー界隈のことを何も知らないので、ドーナル・グリーソン主演サイモン・カーティス監督の『グッバイ・クリストファー・ロビン』(2017年公開)はあわせて観たい案件なのではないかと思うので観たい。劇場未公開だが、Amazonにてレンタル中、10月にはDVDとブルーレイが発売される。








前回のアカデミー賞外国語映画賞にノミネート(レバノン初)(受賞は『ナチュラルウーマン』)。ダブル主演だと思われますが、その一人、ヤーセル役のカメル・エル=バシャがベネチア国際映画祭で主演男優賞を受賞(パレスチナ人初)。
監督、脚本のジアド・ドゥエイリは、クエンティン・タランティーノの『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』にアシスタントカメラマンとして参加していたという経歴の持ち主。

予告を見ただけだとわからなかったけれど、某ラジオで難民映画と紹介されていて、確かに難民問題も扱われている映画でした。

単なるご近所トラブルのようなところから、話が意外な方向へ転がっていく。

以下、ネタバレです。













最初はバルコニーから水が漏れていて、工事に支障が出るからどうにかしろと業者が注意をしに行ったら、住民であるトニーが聞く耳を持たないため、勝手に配管に繋ぐ工事をしていたら、それをハンマーで壊すという暴挙に出られてしまう。
直してやってるのにその態度はちょっとどうかしてるし、怒りがわいた。だから、工事の現場監督であるヤーセルが「クズ野郎」と発した時も当然だと思った。

けれど、これについて、ヤーセルが謝罪をしなかったことが発端となって話がどんどん大きくなって行く。

トニーの態度にはいちいちイライラしたけれど、それは、トニーがレバノン人で、ヤーセルがパレスチナ難民であることが原因のようだった。単に気難しい性格というわけではなかった。
しかも保守派でその中でも極右政党を支持しているようで、そうすると難民だというだけでちょっとしたことでも許せなくなってしまうのは、仕方がないとも言えないけれど、一概に悪いとも言い切れないのかもしれないと思ってしまった。

トニーは序盤に、妻に「ここは暑いから、あなたの実家に戻りましょうよ」と言われても、「貯金をしてこの家を買ったから実家には戻りたくない」と言っていた。これも、ただの頑固な生活かと思っていたけれど、それも、後半に進むに従ってその理由も明らかになる。トニー自身も子供のころに住んでいた村を追われた経験を持っていた。そうなると、映画を観ながらトニーのことを、こいつ横暴だな…と思っていたけれど、もう責められない。

映画のほとんどが法廷劇なんですが、それぞれの弁護士が事態をまとめて話し、さらに裁判長がそれをまとめてくれるので話の流れというか、レバノンで何が起こっていた(いる)のか、ひいては中東情勢までがとてもわかりやすい。
レバノンの映画を観たのはたぶん初めてだと思うし、何も知らなかったけれど、その国の内情を知ることができるのは外国の映画を観る醍醐味だと思う。

ただ、この映画は深刻な事態を深刻に描くドキュメンタリータッチのものというわけではなく、両者の弁護士が実は父娘というのが途中で明らかになったりと、ちょっとウェットな面もある。それが映画の観やすさになっているのも魅力だと思う。

ついには二人は大統領に呼ばれたりするんですが、そのあと、ヤーセルの車のエンジンがかからなくて困っている時に、車工場勤務のトニーが戻って来て直してあげたシーンで涙が出た。困った人を助けてあげるという、普遍的な行いをするシンプルなシーンである。
その人の背景を無視して、一人の人間としてなら、ちゃんと親切にしてあげられるのだ。
また、終盤、ヤーセルがわざと罵ってトニーに突き飛ばす機会を与えて、喧嘩両成敗というか、これでおあいこねという感じになる。不器用だけれど、いい方法だと思った。互いの気持ちが理解できる。

映画内では、終盤になると、事が大きくなりすぎて、二人よりも周辺が騒ぎすぎていた。もう、ただ二人の話ではなく、みんなが自分の話として怒ったり罵ったりしていた。
その人の国、宗教、政治派閥など、信じているものや所属している場所。それが相反するなら敵対してしまう。自分が正しいと信じているから主張をわかってもらいたい。わかってもらえなかったり、逆に罵られれば、争いが起きる。
けれど、一方向からだけでなく、その人の背景なども交えて事情を鑑みれば、理解できることもあるのかもしれない。
でも、国、宗教、政治派閥などはその人を形作ってるものだと思うし、アイデンティティでもあるだろうから、それを全部とっぱらえというのは無理な話だろう。
それに、集団になると、よりヒートアップするだろうし、なかなか難しい。
ただ、一概にどちらが悪いとは言えないということは覚えておいたほうがいいんだろうなとは思った。

アメリカだとトランプ支持者なんかは個人的には信じられないけど、彼らにも彼らなりの事情があるのだと思うと、それも一概に非難するわけにもいかない。

難しい問題で、双方の言い分がわかった上でどうにもならないことが多くて、何度も唸り声をあげながら観てました。
ただ、邦題に入っている“ふたつの希望”という言葉はとてもいいと思う。原題はフランス語タイトルL'insulte、英語も同じ意味でThe Insultということで、単なる“侮辱”になってしまうので。

映画内では丸く収まるが、映画の最初に『この映画は監督と脚本家の意見であり、レバノン政府の見解ではありません』という注意書きが出たことを思い出した。映画を観て、何かが片付いた気持ちになってしまったけれど、いまだに問題は解決されていないのだ。





2012年公開。イギリスでは2011年公開。原題『You Instead』。
ルーク・トレッダウェイ目当てで観たんですが、監督は先日観た『最後の追跡』のデヴィッド・マッケンジーだった。
スコットランドの夏フェスが舞台。
ルーク演じるアダムはTHE MAKEというバンドをやっていて、夏フェスに出るべく会場を訪れるんですが、そこで、ガールズバンドと喧嘩になる。そこに現れた謎の男性に、音楽を通じて仲良くなれというようなことを言われ、ガールズバンドのモレロとアダムは手錠で繋がれてしまう…という内容。

ちょっと、最初から少女漫画みたいなんですが、展開も少女漫画だった。
仲が悪いから手錠で繋がれててもいちいち衝突するし、お互いに彼女も彼氏もいる。でも、モレロと一緒に仕方なくステージで演奏したことで心が通じ合う。アダムは彼女を振って、モレロに惹かれていくけれど、モレロは遊ばれていると思って相手にしないが、結局惹かれ合う。

『ブリジット・ジョーンズの日記』でも夜のグラストンベリーの様子を見て驚いたけれど、本作に出てくるスコットランドのフェスも夜は大概乱れてる。みんながみんな、夜の相手を探しているようだった。海外のフェスはそんな感じなのだろうか。

そして、手錠をはずす鍵を実は少し前に入手していたけれど黙っていたアダムはモレロを怒らせてしまう。けれど、ステージ上から、モレロの名前を呼びかけるんですね。この辺も、少女漫画っぽい。しかも、THE MAKEは思っていたよりも売れているバンドだった。一番大きいステージで演奏していた。音楽は80’Sっぽいエレクトロポップのような感じでした。その音楽性でそのステージ?とは思ってしまった。
それだけ人気だと、フェスの夜に女性と二人でうろうろしていても大丈夫だったのかなとも思った。それに、ライブ前のサイン会で、ファンガールたちがきゃっきゃ言っていたのに、ステージ上で恋人の名前を呼ぶなんて。しかもお客さんにも一緒に名前を呼んでくれと言っていたけれど、ファンガールたちも呼んだのだろうか。彼女たちの気持ちは…。モレロも現れて、後方からお客さんの上を通ってステージに送られていた。ファンガールたちの気持ちは…。あれだけお客さんがいたら、過激なファンもいそうなものだけれど…。
そして、ステージ上でキスをしてハッピーエンドという。
少女漫画だと思えばいいけれど、いろいろとうまくいきすぎる展開に思えてしまった。

どちらかというと、うまくいっていないTHE MAKEでキーボードを担当していたもう一人のメンバーとマネージャーのそれぞれの最悪な夜について描いてほしかった。ラブストーリーではなくなるし、音楽映画でもなくなるけれど。

映画自体、本当にフェスに潜入して5日間で撮ったとのこと。だから、ルーク・トレッダウェイがステージで歌ったんですね。お客さんたちもエキストラではなく、夏フェスに来ていた人らしい。他のバンドの演奏風景も少し映るし、最初の方は音楽ドキュメンタリーのようでもあった。でも、ちょっとストーリーがありきたりすぎたかなと思った。



2016年アメリカ公開。日本では2017年にDVDスルー。
監督は『MUD』、『ラビング』のジェフ・ニコルズ。原作があるものなのかと思っていたけれどないようで、脚本もジェフ・ニコルズらしい。

謎の力を持った少年を男性二人が連れ出して、それをカルト教団や国家安全保障局が追うという内容。少年はゴーグルを付けていて、なぜかと思ったけれどはずすと目が光って周囲を攻撃する。力を抑制するためだったらしい。
また、人工衛星を落としたりと力はかなり強そうだった。急に謎の言葉で話し始めて、ラジオを合わせるとまったく同じ内容が流れていたりもした。
結局、自分は『上の世界』から来てそこへ帰るのだと言い出す。宇宙人みたいなものだったようだ。
男性二人のうちの一人は父親、もう一人は父親の幼なじみだった。そして、母親と大人三人で少年に対する追跡を振り切りながら、帰るのをサポートする。

おもしろくなくはなかったけれど、ちょっと描き足りなかったかなと思った。逃げているシーンから始まるから、少年と親の平和だった頃の心の交流はあまり描かれていないから、いざ別れるとなっても、どれだけの仲だったのかよくわからない。特に、母親と少年はあまり近しい存在には見えなかった。
また、幼なじみもなぜそこまでしてサポートしてくれるのかよくわからなかった。父親とどの程度仲が良かったのだろうか。
含みを持たせたラストは良かったと思うんですが、少年の力についてもいまいち不明。不明でいいのかもしれないけど。できれば全6回くらいのテレビドラマにしてほしかった。

ただ、父親がマイケル・シャノン、幼なじみがジョエル・エドガートン、少年がジェイデン・リーバハー(『IT』の吃音の少年、ビル役)、母親がキルスティン・ダンスト、カルト教団の教祖がサム・シェパード、国家安全保障局の男性がアダム・ドライバーとキャストがすごく豪華で、全員とてもうまい。
特に、描かれていないけれど何かを捨てて決意して一緒に行動しているんだろうなと思わせるジョエル・エドガートンの物悲しさと強さを感じる演技が良かった。あと、アダム・ドライバーの弱気で情けなさそうだけれど優しく多分仕事ができるんだろうなと思わせる演技も良かった。彼らの話も連続ドラマだったらもっと詳しく描かれたはず…。


2015年公開『アントマン』の続編。
監督は前作と同じペイトン・リード。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』と同じく、シリーズで同じ監督だと世界観も同じになるのがよくわかった。(だから、GotGについては別の監督で続編というのはありえないと思っている)

MCU20作目。ですが、時系列は前作『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の少し前とのこと。MCU10周年ということで10の文字が浮かび上がり、他のシリーズにも想いを馳せた。
けれど、この映画自体は、MCUを追っていなくても、単体でも楽しめる。前作を観ていたほうがキャラクターに愛着はわくかと思いますが、本作からでも十分楽しい。

以下、ネタバレです。『インフィニティ・ウォー』のネタバレも含みます。















前作ではアントマンは小さくなるだけだったけれど、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』にて大きくもなれることが明かされた。今回は大きくなる能力も存分に使われる。

前作は駄目な父親のスコットがヒーロー(アントマン)になって娘の信頼を取り戻す話だったと思う。
クライマックスでは量子世界へ行って、不可能と思われたそこからの帰還を成し遂げる。ハンクの妻も量子世界で行方不明になっており、ひょっとしたら帰還が望めるのでは…という話が出ていた。
今作は、ハンクの妻であり、ホープ(ワスプ)の母であるジャネットを探す話がメインです。だから、どちらかというとアントマン(スコット)よりは、ハンク親子がメインかなと思った。
他にも、スコットと娘のキャシーはもちろん、ビルとエイヴァも擬似ではあるけれど父娘のようで、全体的に親子愛がテーマだったと思う。

敵らしい敵は出てこない…というのは言い過ぎだけど、強力で極悪な所謂ヴィランは出てこない。
バーチは結局ただの金に汚い小狡い男だし、エイヴァもジャネットの力を利用しようとはしていても、元々は被害者だから、悪とも違う。
だから、戦い自体は殺してやろうとか殺されるといったものではなく、奪ったり奪い返したりがメインです。

ただ、そのバトルが自分も大きくなったり小さくなったりするし、出てくるもののサイズも自由自在に変えられるので観ていて愉快。
予告でもビルを縮ませてスーツケースのように運んだり、キティちゃんのペッツを投げつけてから大きくして障害物にしたりと、映像的に見応えがありそうだと思ったけど、そのようなものの連続だった。
カーチェイスもミニカーになったり、蜂になって敵の車に侵入して中で大きくなったりと一筋縄ではいかなかった。
海で大きくなってクジラと間違えられたり、スマホでばんばん写真を撮られているのもおもしろかった。
また、今回も蟻たちは手伝ってくれる。大量の蟻たちが出てくるけれど、海辺ではどんどんカモメに食べられてしまっていた…。でもこれも虫ゆえの特徴である。

バトルを純粋に楽しめたのも、生死が関わってなかったせいもあるかもしれない。
ただ、量子世界に行ったハンクがジャネットを見つけて連れて帰るというミッションは、どちらかが死ぬか、二人とも死んでしまうのではないかと思っていた。こちら二人がメインで、アントマンとワスプはサポートといった感じに思えた。

ちなみにここに、スコットの悪友三人組も加わっている。この三人の悪ふざけは前作から引き続き可愛かった。『ダークナイト』のシフ役でお馴染みのデヴィッド・ダストマルチャンは、個人的に出てくるだけで嬉しいのですが、マイケル・ペーニャが徹頭徹尾ずっと可愛い。愛されキャラです。また、前作にもあった、早口で過去を振り返るシーンもあって大満足。この三人のカラーがそのままなのは、同じ監督ならではだと思う。
それを言うなら、ポール・ラッドもです。スコットはGotGのピーター・クイルをもっとダメにして年を取らせたキャラだと思う。しかも、今回は見た感じだと主役ですらなかった。それでも、なぜか魅力的だし嫌いになれないのはポール・ラッドが演じているからだと思う。特に、ジャネットが憑依したあたりの、感動的なのになんとなくコントみたいな空気は絶妙だった。

本作は、これはこれで楽しく観られたからいいのですが、一つケチを付けるなら、アントマンとワスプの二人の共闘シーンがもっとあっても良かったかなとは思う。これはスコットのスーツが最後まで不調(やっぱり主役だとは思えない…)だったせいもあると思う。不調なせいで、娘の学校で中途半端なサイズに縮んでいたシーンは、デッドプールが下半身だけ赤ちゃんになっていたのと同じような気持ち悪さがあった…。スコットも自在にサイズを変えられたら、もっとまともに戦えたのかもしれない。
『シビル・ウォー』で、ホークアイの弓矢にアントマンが乗っていたけれど、あんな感じの斬新な共闘が観たかったとも思う。二人ともサイズを変えられたら、色々出来そう。次回に期待。

ハンクもジャネットも量子世界から帰ってくるし、エイヴァの体も治った。FBIに監視される期間も終わり、スコットとホープもいい雰囲気。
楽しく観られたし、これ以上のハッピーエンドってないと思っていた。完全に油断してました。

エンドロールで、スコットが量子世界に入っていき、普通の世界のハンク、ジャネット、ホープとコンタクトを取っていたんですが、急に音声が途切れる。
不思議に思っていたら、三人は塵のように消えてしまって…。
あー! 『インフィニティ・ウォー』とここで繋がってしまった!
かさぶたを無理やり剥がされて、爪でぐりぐりとやられたような感じだった。『インフィニティ・ウォー』と同じくなすすべなく泣くしかないようなつらさがまた訪れた。
だいぶ傷が癒えてきたと思ってたのに…。そうだった。世界は大変なことになっていた。

本作は時系列的には『インフィニティ・ウォー』の前ということは以前から言われていたが、『インフィニティ・ウォー』を観た後ではそりゃそうだろうと思った。『インフィニティ・ウォー』にアントマンは参加していなかったが、あの後の世界を一人(タイトルからするとワスプもいるのだろうから二人か)で背負っていくのはつらすぎるだろうと思っていた。
それに、前作『アントマン』はこぢんまりはしていても、クスッとくるし、親子愛が描かれている、誰が観てもおもしろい作品だった。『インフィニティ・ウォー』後の世界はどうしたってシリアスにならざるをえない。『アントマン』の世界とはかけ離れてしまう。
だから、本作はあくまでも『インフィニティ・ウォー』とは別次元での楽しい話なのかと思ってた。

違うのだ。『アントマン』もMCUなのだし、同じ世界線である。
繋がってしまったのはいいんだけど、スコットは量子世界に取り残されてしまっているけどどうなるのだろう。気になるし、もしかしたら何かキーになるのかもしれない。
クォンタム…ということは『ドクター・ストレンジ』…? それに、量子世界で、『ドクター・ストレンジ』に出てきた万華鏡のような映像も少し出てきた。何か関係があるのかもしれない。

つらいけれど、ますます『アベンジャーズ4』が楽しみになったことは間違いないです。
本作は単体の作品としても楽しめたし、引きでばっちり次作以降への興味も持続させる。
毎回思うけれど、MCUを追っていて良かったし、これからも追い続けるしかなくなった。


『最後の追跡』



アメリカでは2016年公開。日本ではNetflixでの配信のみ。
テイラー・シェリダン脚本作で、彼が脚本を担当した『ボーダーライン』、『ウインド・リバー』とアメリカフロンティア三部作になるとのことなので観ました。
原題『Hell or High Water』。どんなことが起ころうとも、みたいな意味。
去年のアカデミー賞で作品賞、助演男優賞、編集賞、脚本賞にノミネート。邦題だとテキサスレンジャーのジェフ・ブリッジスが主役みたいに見えますが、助演男優賞にノミネートされているので、主役は兄弟だと思う。
兄弟を演じたのが、兄がベン・フォスター、弟がクリス・パイン。

兄弟が銀行強盗を…みたいなあらすじが書いてあったけれど、いきなり銀行強盗のシーンから始まるとは思わなかった。町の静かな朝の様子をカメラが長回しでとらえるオープニングは、少し『フロリダ・プロジェクト』のオープニングを思わせた。
イラクに行ったのになんの補助も出ないといった落書きがあったり、サブプライムローンの余波なのか、そのような看板が立っていたり。誰もが金に困っているようだった。
場所はテキサス州西部。テキサス州は東部はヒューストンなどがあり栄えているが、西部は貧しい地域のようだった。周囲に建物もない。
テキサスレンジャーも一般の人もカウボーイハットをかぶっていたので、カウボーイが多いのかもしれない。牧場は多そうだし、土地は広大そうだった。

兄弟が銀行強盗をしているけれど、兄は刑務所帰りと言っていたし、悪いことにも慣れているようだった。しかし、弟は銀行強盗などはしたことがないようだった。ただ、計画を立てたのは弟のようだった。弟の計画は慎重なものだったけれど、兄はその計画通りにはやらない。慣れていないことと、その杜撰さですぐに捕まってしまうのかと思ったけれどそうはならなかった。

兄弟を追うのが引退間近の老テキサスレンジャーとその相棒。相棒はメキシコ人とネイティブアメリカンの血を引いているらしく、老テキサスレンジャーから先住民ハラスメントというか、からかいを受けていた。おそらく、悪気はなさそうだけれど、あの地域に住んでいるオヤジは不謹慎ギャグを言いがちなのだろうか。
『ウインド・リバー』でもそうでしたが、銀行強盗が起こっても、盗まれた額が小さいし、死人も出てないとなればFBIなどは派遣されない。田舎の事件は地元で解決しろということらしい。しかし、これも『ウインド・リバー』でもそうでしたが、おそらく範囲が思っているよりも広い。アメリカ大陸の広大さはあまり想像がつかないけれど、地元任せだとなかなかうまくいかないのだと思う。
老テキサスレンジャーがジェフ・ブリッジスなのですが、相棒は『ウインド・リバー』にも出ていたギル・バーミンガム。

テキサス州は元々ネイティブアメリカンが住んでいた土地で、そこにいたネイティブアメリカンの資金源のバッファローを白人が虐殺したことで追いやられたらしい。ただ、ネイティブアメリカンに限ってテキサス州でカジノを開くことが認められていて、カジノは『現代のバッファロー』と呼ばれているらしい。このあたりの話も知らなかった。映画内に直接出てくる話ではないです。でも、盗んだ金をマネーロンダリングをするのにカジノが出てくるので、あれがそうだったのかもしれない。

映画の作りとして、何かが起こって悩んだ末に銀行強盗に踏み切るわけではなく、銀行強盗シーンから始まるので、事態が少しずつ明らかになっていく。
この映画で取り上げられているのはテキサス州から追い払われたネイティブアメリカンではなく、ホワイトトラッシュです。
母親は多額の借金を残して亡くなる。その借金も銀行に騙された形で…と言われていたので、サブプライム関連かなとも思ったが、あまり詳しくは語られない。借金を返せないと牧場も取り上げられてしまうが、石油が出ることがわかったので、それは阻止したい。そのための、兄弟での銀行強盗だった。

兄役にベン・フォスター。いかにも荒くれという役柄だったけれど、うまかった。刑務所帰りでたぶん人生にもう何も目的も望みもない。テキサスレンジャーが言うように本当に『強盗が好き』だったのかもしれない。どちらかというと、弟の銀行強盗を手伝ってあげたという感じである。
弟役がクリス・パイン。クリス・パインは今まで優等生というか、ハンサム役が多かったけれど、頭はいい役ではあると思うけれど、泥臭く、影を背負っている演技がとても上手かった。今まで特に演技が上手い俳優としては認識していなかったけれど、一気に好きになりました。

元々血の絆があって、母が亡くなったことでさらに絆は強まったと思うけれど、銀行強盗を一緒に行ったことで共犯者として、絆は一層強まっているように見えた。忘れられた土地で、後戻りのできないところまで来てしまった兄弟。ハッピーエンドは望めないのだろうと思って観ていた。

銀行で撃ち合いになり、弟は背中を撃たれる。弾は貫通していても、放っておいたら危険である。そこで、兄は弟だけ逃すんですよね。
たぶん、自分には未来はないけれど、せめて弟だけでも…と思ったのだろう。
別れ際に「愛してるぜ、トビー」、「僕も兄貴のこと愛してる」と真面目に言ったあとで軽口を叩いて、違う方向へ車を走らせるシーンが泣けた。たぶんもう、一生の別れだと覚悟をしていたのだろう。

逃げた兄は丘の上からライフルでテキサスレンジャーを撃つ。相棒を失った老テキサスレンジャーは怒り、裏側から兄を撃つ。悲しい連鎖である。
弟は逃げ切り、金も手に入れて、牧場と石油は守られたが、老テキサスレンジャーは勘が鋭く、まだ弟を怪しんでいた。

これも途中で明らかになることだけれど、弟には別れた妻と子供が二人いる。普通、映画だと別れた妻はしっかりものだったり綺麗だったりするものだけれど、本作の場合は、妻も貧しい生活を送っているようだった。そういう土地なのだ。子供二人と暮らしているが、弟は自分のためではなく、この子供たちに牧場というか石油を残したのだ。

怪しんでいたテキサスレンジャーは牧場に来て弟と対峙する。
弟も銃を持っていたし、もしかしたら、撃ち合いになったりするのかと思った。
弟がこのシーンで言うが、貧乏な親の元に生まれると、子供も貧乏になり、またその子供も…というように、貧困が感染するように広がっていく。そこから抜け出すためには、一攫千金を狙うしかないのだ。
牧場を売らなくてもよくなったのだし、子供に引き継ぐこともできて、一応は作戦はうまくいった。勘付いているのは老テキサスレンジャーだけで、彼が何も言わなければ、この事件は終わりである。

兄を殺したテキサスレンジャーが来ても、弟は撃たなかった。テキサスレンジャーはあの場面で元妻(お金が入ったせいか小綺麗になっていた)と子供達が来なかったら、弟を撃ったのだろうか。
老い先短い(相棒に「一年後に死んでる」と言っていたのが冗談なのか、本当に病気か何かだったのかわからない)、テキサスレンジャーを引退した自分と、目の前の弟ではなくその子供達の未来を天秤にかけた時に、やはり撃てないのではないだろうか。
撃たないまでも、弟を捕まえたら、子供達も貧困から抜け出せない。それはこの先、その子供の子供とずっと続いていくのだ。ここで一旦断ち切れば、子供達の未来はきっと変わるのだ。その辺の事情だって、あの場でずっとテキサスレンジャーを務めて来た男ならわかるはずだ。

ただ、自分の功績というか、許せないという気持ちや正義感というのは、老テキサスレンジャーはもう何年間も積み重ねて来たのだと思う。
それを、初めて見逃すのだと思うと、かなりぐっとくるものがある。

兄弟とテキサスレンジャーたち。互いに、兄を亡くし、相棒を亡くしている。しかも、兄が相棒を撃ち、テキサスレンジャーが兄を撃った。因縁の二人である。
最後の会話のシーンは息詰まるような緊張感がありながらも、物哀しくもある。

砂ぼこりの舞う乾燥した土地は、いかにも暮らしにくそうだし、貧困もそれこそ感染するように蔓延しているだろう。
『ウインド・リバー』と同じく、描かれているのはこぼれ落ちた人々、見捨てられた人々である。