『桐島、部活やめるってよ』


映画の前に原作を読んだんですが、あまり好きになれなかったので、観に行くのも躊躇してました。ただ、吉田大八監督というのと、やたらと評判がいいので行ってみたんですが、すごくおもしろかった。行ってよかった。行く前に原作を読むんじゃなかった。
以下、原作と映画について、ネタバレがあります。





原作は、一章ごとに語り手が変わる一人称視点の短編の群像劇。それぞれの話し言葉で書かれているため、文章が幼く読みにくかったけれど、高校生の心の中のことだし、わざとなのかもしれないと思った。
また、チャットモンチーやRADWIMPSなどの固有名詞も多く出てきた。チャットモンチーの歌詞を引用されても共感はできなかったし、RADWIMPSは聴いたこともない。しかし、それは私が高校生とは年齢的にだいぶ隔たりがあるため、わからなくて当然、読んだ私がいけなかったと思ったのだ。
しかし、映画は予告編で全世代向けと謳われていた。その点も、映画を観るまでは半信半疑だったのですが、上記のバンド名は両方ともまるまる省かれていた。それだけでも、好感触である。

固有名詞の関連だと、原作では、映画部の二人が『ジョゼと虎と魚たち』や『メゾン・ド・ヒミコ』、犬童一心や岩井俊二の話をしていた。2010年刊行ということでそれほど昔の本でもないのに、映画好き高校生のする話題にしては少し古臭く感じた。いまなら、園子温あたりではないか。『愛のむきだし』あたりについて、熱く語りそうなものだけど、と原作を読んだときには思ったけれど、映画では「昨日、満島ひかりが夢に出てきてさー」と話していた。やっぱり、そうでしょう? 

また、映画部が撮っているのをゾンビ映画にしたのが大正解。原作だと好きな女の子を撮影したり、青春映画っぽいのを撮っていたようですが、やっぱり自主映画といったらゾンビでしょう。最近で言うと『スーパー8』や『キツツキと雨』もそうでしたが、絶対にゾンビ映画って撮りたくなるものだと思う。
題材をゾンビにしたことも正解ですが、それをクライマックスに効果的に生かしたのも素晴らしい。桐島を追いかけて、屋上に全員集合して、結果的に映画部の撮影現場に生徒たちが乱入する。そこで神木くん演じる映画部の前田は、乱入してきた生徒たちを襲え!とゾンビ役に言う。スクールカースト最下層の生徒たちの反乱である。
カメラを通して見えるリアルなゾンビ、臓物、噴き出す血などは空想だけれど、頭の中ではどうにでもできるし、それを映像化することもできる。映画の良さまで描いている。

原作だとゾンビ映画を撮っていないので、この反乱シーンももちろん無い。スクールカーストの上側の意見や内面の描写が多いため、作者は学生自体、上に属していたのだろうと勘ぐってしまった。下の生徒については、内面よりも外側から眺めているような書き方だった。

映画のクライマックスであるゾンビのシーンですが、ここの音楽がまたいい。この映画は音楽が極端に少ないのですが、吹奏楽部が合奏をはじめて、その合奏曲がずっと流れる。それをバックにして、一連のシーンがはじまる。
その前に吹奏楽部沢島が、想い人である宏樹と恋人沙奈のキスを目撃してしまい、複雑な気持ちを抱えながら合奏に臨んでいる。その前には、校舎裏での沢島と前田のやりとりがある。最初から流れが途切れることがないのも、この映画のすごいところだと思う。

音楽も少ないけれど、セリフも少ない。それでも、状況がわかるような画面づくりがされていて目が離せない。情報量が多いし、そこからいろいろと推測できて楽しい。
前田が体育の授業のサッカーでわたわたするシーンは、グラウンドの端っこにいる前田だけが映されてることで、よりみじめさが際立つ。
前の席の好きな男の子が窓の外を見たときに、つられるようにして視線を追って窓の外を見てしまうシーンはとても美しかった。まるで一枚の写真のよう。
ほとんど学校内ですが、その一つ一つのシーンの切り取り方が本当に綺麗で、その映像を見ているだけでも少し泣きそうになった。きらきらした青春映画。

原作だと、登場人物の心の声が全部わかってしまうので、多少うるさく感じる。宏樹なんかは彼女に対し“可愛いけれど、中身は空っぽ”などと辛辣なことを思っていた。
映画でも彼女にはあまり興味は無いみたいだったが、もう少し穏やかそうだった。流されやすそうにも見えけど、私は映画版の宏樹のほうが好感が持てます。ちょっと妻夫木似です。最後、カメラを向けられて泣きそうになるシーンなどうまかった。心の中がわからない分、表情だけで表現していた。

神木くん演じる前田は序盤では黒ぶちの大きなメガネの縁が目にかかっていて表情も読み取りにくく、意志も弱そうだったけれど、話が進むにつれて、メガネをかちゃっと指で押し上げて、ちゃんと相手を見て、意見が言えるようになった。神木くんはもちろんだけれど、他の役者さんも全員うまかった。いかにもいそうなタイプが集められていることもあって、人選も完璧だったと思う。登場人物が多い映画で全員これだけいいのは珍しい気がする。

服装の違いもおもしろかった。ほぼ制服だけど、着崩し方とか、髪の毛の巻き方とか、ヘアアクセサリーとか、鞄につけているキーホルダーなどで、ちゃんとそれぞれの個性が出てた。少し派手めなスクールカースト上層部の女の子たちって、いまだにバーバリーのマフラーなんでしょうか? 私が高校生の頃もそうだったけども。

桐島の扱いも原作と映画では違った。原作だと一章でしっかり出てきて会話もしている。“桐島が部活をやめること”が“やりたいことをやめること”、もっと言えば“夢を諦めること”のメタファーになっていた。印象を受けました。個人の想いを桐島に投影し、それぞれがいろいろ考える。
映画だと、文武両道で人気者という、完璧な人間だったが、姿が出てこないため、概念のような扱われ方だった。一瞬、屋上に影が見えたのも、本当に桐島だったのかわからない。エンドロールにも桐島とは書かれていなかった。映画版は、桐島がいなくても話が成立しそう。桐島成分を差し引いても充分におもしろかった。

スクールカースト最下層の生徒の反乱と映画内映画のセリフですが、「ここが僕たちの世界。ここで僕たちは生きていかねば」からはメッセージ性を感じる。撮影したのはもっと前だろうし、最近のいじめ問題を意識しているわけではないだろうけど、不思議と世相を反映していると思う。

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