『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』


もともとは1997年にオフ・ブロードウェイで上演され、そのあと、映画化(2001年)。日本では2004年、2005年に三上博史、2007年、2008年、2009年に山本耕史、そして今回、森山未來主演で上演中です。
三上版が大好きで何度も観に行ったのですが、山本版は演出が違う方だったにもかかわらず、細かいセリフまでそっくりそのままだったので、一回しか行ってません。例えば、水を上に噴き出した際に、自分にかかってしまい、「パンクの精神は、自己犠牲!」というセリフなど。

しばらく経って、久しぶりのヘドウィグ。設定がかなり変えられていて驚いた。
以下、ネタバレです。







開演前、幕に原発関連の新聞記事が投影されていて、少し物々しい雰囲気だった。でも、何の関係があるのかは疑問だった。そうしたら、なんとなんと、舞台が福島。
原作では、ヘドウィグは旧東ドイツ生まれ、ベルリン壁の外に出るときに性転換手術→失敗→アメリカでベルリンの壁崩壊を知る。今回はその壁にあたるものが、原発の周りにはりめぐらされている。壁の中は無法地帯という設定。
バンドのメンバーが防護マスクをつけて出てきたのも、ファッションかと思ったら意味があった。放射能を測定して、安全を確認してからはずしてました。
それと、森山ヘドウィグのマントが日の丸パッチワークだったんですよね。あと、今回のロゴが英語でなくカタカナなのも、日本が舞台ということで納得。当然、歌も日本語訳版でした。お色直し後の衣装も、襟元が少し着物っぽい和風なのが可愛かった。
日本を舞台にすることで、電子レンジに顔突っ込んで歌うシーンがなかったのと、アメリカに出てきてトレーラーハウス住まいをしていた設定も消え、立ちんぼをやっていたシーンもなくなっていた。

舞台の変更はいいんですよ。これくらい大胆に変えていかないと、過去の上演と比べられてしまう。2012年版、ということでこうゆうのもいいかなとは思う。若い人たちにはベルリンの壁もピンとこないのかもしれないし。
ただ、個人的にはイツァークのキャラがだいぶ変更されていたのは不満でした。壁の中で生まれて、性別がない子供という設定でした。少年だか少女だかわからない。

イツァークは、ヘドウィグを影で支える存在であってほしかった。ヘドウィグが光でイツァークが影なんですよ。だから、イツァークがあんまり出しゃばってはいけない。今回のイツァークは喋りすぎだし、なにより歌いすぎ。歌部分だって、コーラス担当でないといけない。今回みたいにワンフレーズずつヘドウィグとデュエットみたいなことをしたり、まるまる一人で歌ってしまったりというのは、今までのイツァークのことを考えると、少し違うと思う。
『The Long Grift』にしたって、泣き崩れているヘドウィグの代わりに、仕方なくギターの人が歌うのが良かったのに、今回はイツァークまで歌っちゃう。

イツァークはもともと女装をしていて、クリスタルナハトという芸名をもつ有名人だった。しかし、ヘドウィグはイツァークが女装することを許さない(自分がかすむから?)。イツァークは抑圧されても、必死に耐え忍ぶ。それでこそ、後半にヘドウィグが愛想をつかされるシーンがいきてくるし、最後、ヘドウィグが許すようにイツァークにウィッグをつけてあげるシーンが泣けるのだ。そして、『Midnight Radio』の途中から、ヘドウィグを凌ぐような、完璧なドラァグクイーンとして登場する。ここにカタルシスがうまれる。まず耐え忍んでいないから、『Midnight Radio』で白いワンピースを着てきても、ただの可愛らしい女の子にしか見えない。

イツァークは三上版ではエミ・エレオノーラ、山本版では中村中が演じていて、キャスト発表時にあまりにも少女だったのでイメージが違っていて心配をしていたが、設定自体が変えられていた。
最初からそういうものだと思えばいいのかもしれないけど、それ以外にも、声が独特なので、他の人と一緒に歌ったときに浮いてしまうのも気になった。

曲が結構アレンジされていたのも2012年版ということかもしれない。最後のトミー・ノーシス版の『Wicked Little Town』が三拍子だったのは、より切なくなっていたのと、トミーの幼さみたいなものが表れていて良かったと思う。
『Sugar Daddy』はカントリー調のオリジナル版が好きなので、ピコピコアレンジはやめてほしかった。でも、ここで唯一森山ヘドウィグのキレのよいダンスが見られたのは良かった。少しPerfumeを模しているようだったのでピコピコさせる意味はあったのだと思う。イツァークも一緒に踊っていて、イツァークだと思わなければ可愛いのだけど、やっぱりキャラが違う。

トミーのキャラも弱かった。彼がロックを好きになる前に聞いていたアメリカの商業的な音楽の描写などがなく、どうしてヘドウィグにひかれていったのかがわかりにくかった。キャラが弱いというか、全体的に出番が少なかったです。

個人的に、顔面魚拓が無かったのは意外だった。ヘドウィグがタオルを顔に当ててはずすと、メイクが濃いためタオルにヘドウィグの顔の形がくっきりと写るという、結構わかりやすい笑いどころなのに。顔面魚拓っぽいTシャツが売っていたので当然あると思っていた。
よく考えたら、顔面魚拓もトミーがヘドウィグのバンドの演奏を見に来るシーンだから無いんですね。いろいろと説明不足な気はする。

前のほうがスタンディングでライブハウス形式だったため、『Sugar Daddy』でのカーウォッシュ(ヘドウィグが客席に下りていって、男性のお客さんの顔に股間を擦り付ける)は無かった。しかし、『Midnight Radio』ではスタンディングゾーンへダイブをしていて、映画のシーンを再現していた。

いろいろと気になるところはあったけれど、ヘドウィグを演じた森山未來はさすが。最近売れっ子なのにも関わらず、ちゃんと下品なところも省かれていなかったし、衣装なども含めてキュートに仕上げていた。歌声や歌唱法もクセがなくて聞きやすく、特徴がないながらもうまかったです。


上演後、拍手が起こって、カーテンコールかと思ったら、アンコールでした。劇中の曲をもう一度やるのかと思ったら『マイウェイ』。しかも、シドヴィシャスのパンクバージョン。開演前のSEでも流されていました。
歌詞は中島淳訳版のお馴染みのもの。「私には愛する歌があるから、信じたこの道を私は行くだけ」という歌詞を聞いてると、本当にヘドウィグにぴったりで、よく見つけてきたなと感心してしまった。

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