もともとのサブタイトルは“スマウグの荒し場”でこちらのほうが原題(The Desolation of Smaug)通りだし、恰好もいいと思うけれど変えられてしまいました。
前作の本当に続きからはじまるので、いきなりこの作品から観るのはやめたほうがいいと思う。
161分とかなり長いですが、まったく長さを感じない、むしろもっと観たいと思ってしまった。

前作に続き、HFRでの上映を観てきました。通常の1秒24フレームのところ、48フレームになっている。通常版と見比べていないのでわからないのですが、明るいシーンはとても明るく、暗いシーンでも観やすかった。ただ、これは前回も思ったことなんですが、明るいシーンでだいぶ色がぱっきりしてしまい、少しコントのように感じられる。でも暗いシーンで細かい部分までしっかり見えるのはいい。
あと、最初の方で人物のアップがあるんですが、目がガラス玉のようにきらきらしていてすごく綺麗だった。綺麗だなと思って目玉を見ていたら、ためらうみたいに細かく動いていたのも印象的でした。

以下、ネタバレです。




前作がピンチになったらガンダルフが駆けつけて敵を一刀両断、というパターンが映画内に何回か出てきたので、今回、序盤でガンダルフが離脱した時にはまた同じかと思った。ピンチになったら助けに来るために離脱したのかなと思ったくらいでした。ごめんなさい。今回はガンダルフはずっと別行動なのと、それほど出番も無かった。
今回もピンチのときにホビットたちだけで切り抜けるということはそんなになかった。今回はエルフが助けにくることが多かった。最初は、助けるというより捕らえられましたが。

エルフの住処とドラゴンが陣取っている場所での人物がとても小さいために広さがよくわかる。HFRのおかげかどうかわかりませんが、小さい人物までよく見えた。あと、確か、前作も同じだったような気もするんですが、人物の近くからカメラが後ろにぐわっとひいて移動していくことで、広さがよくわかる。と同時に、この動くカメラはなめらかすぎて、少し酔う。だいたい動きが激しいカメラで酔うことが多いけれど、例外です。

序盤の樽で川下りをしな がら逃げるシーンがとにかくすごい。川を下っているので、常に動いているために目が離せないし、川なので動きが不規則。その動きは良い方にも悪い方にも作用するために予測不可能でスリリング。また、ホビット(とビルボ)たちは人数が多いので、それぞれがいろんな動きをしていそうなので何度も観たい。
ここで助太刀にくるエルフの動きは無駄がなく、流れるように弓矢を放っていて恰好良かった。樽に入ったホビットたちの頭の上に立ち上がって弓を使ったりとスマート。対するホビットは、樽ごとぐるぐる回って周囲の敵をやっつけたりと、戦い方の違いがそのまま種族の特徴にもなっているようでおもしろかった。

この川のシーン、総CGだと思っていたのですが、流れがゆっくりなところはニュージーランドの本物の川で、荒いところはセットを作ってそこに水を流して撮影したので、溺れないように必死だったらしい。

原作も読んでいないし、ロード・オブ・ザ・リング三部作も観ていないのでわからないのですが、まるでゲームのような世界観にわくわくする。途中で出てきた水の村もゲームに出てきそう。言い伝えがあるとか、いまは竜のせいで貿易が途絶えて貧しくなっているとか、高い場所に矢を放つための巨大な弓が設置されているとか。ころころ意見を返る利己的な王様もよくいる。

竜が金貨に埋もれているというシチュエーションもいい。炎を吐く前に、体がオレンジ色に光るのもゲームっぽい。ゲームをしていたら、オレンジ色に光ったら次のターンは炎が来るので、防御でかまえてなきゃいけないパターン。

竜は炎を吐くシーンも怖いのですが、金貨に埋もれていた姿を現したときのでかさが怖い。そして、翼をばさっと広げたときの更なるでかさも怖かった。
逃げているときに、金貨がちゃりんと落ちて、え?自分から落ちた?と思ったら、頭上を飛ぶ竜の鱗に挟まってたのが落ちてきてた、というシーンは竜だというのにリアリティが感じられてより怖かった。

また、すごく怒った竜が飛び立つときに金色でコーティングされているのも、もう最強といった具合でした。あの姿からは絶望感しか感じられない。その竜が金色は払うけれど、村の方へ向かって飛んで行くシーンで今回はおしまい。

えー! この状態でまたあと一年待たなくてはいけないとは…。
村にはキーリたちがいるというのと、黒い矢が一本だけ残っているというのが希望でしょうか。あと、ガンダルフもどうなってしまうのか。

最後の方は竜と罠にはめようとするホビットたちと、村で療養しているキーリたちとレゴラス、ガンダルフとの三元中継の切り替えが見事でした。どのシーンに切り替えてもピンチで、ハラハラしました。

ここだけでなく、全編ハラハラしっぱなしだった。皮を変える者の家、森での巨大蜘蛛との戦闘、エルフの住処から逃げ出す、樽での川下り、村へ忍び込む、竜とホビット/ガンダルフとネクロマンサー/村を襲うオークと常にピンチ。こんな連続なので、息つく暇なく161分が経ってしまう。おもしろかったし、ホビットの人数が多いから一人一人の動きを全部見ることができていないと思うのでもう一回ちゃんと観たい。

HFRだったせいもあるかもしれないですが、画面に見とれてしまって字幕がおろそかになったので、吹替のほうが良かったかなとも思ったけれど、字幕がアンゼたかしさんだったので字幕で良かった。

今回は前作ほどビルボの出番は多くないんですが、相変わらずマーティン・フリーマンの動きが可愛い。首を傾げたり、足をトントンってやったり。可愛いけれど、可愛いのをわかってやっているのであざとい。

竜のスマウグですが、声だけでなく動きもベネディクト・カンバーバッチのモーションキャプチャーによるもの。顔や体にセンサーをつけて這いつくばって、低い声を出して、本当に演じていた。素晴らしいです。


監督がマシュー・ヴォーンからジェフ・ワドロウへ変更になっています。
クロエ・グレース・モリッツが前作から比べると容貌がだいぶ大人になっていますが、それは別に問題なく可愛かったです。
でも、話のトーンがいまいち合わなかったです。監督が変わったせいもあるのかもしれないけどわからない。

以下、ネタバレです。




本当に、どこが悪いというわけじゃなくて、単純に合わなかったのだと思う。
前作は楽しめた残虐描写も今回は若干ひいてしまった。前作は子供(ヒットガール)が日本刀を振り回すのが問題になったせいか、署名活動のすえに上映が決まったようだった。前作でも充分に残虐だったのだと思う。でも、ヒットガール大暴れのあのシーンは恰好良かった。

今回もヒットガールは可愛く恰好良かった。
今作では学校へ通い、普通の女の子として過ごそうとする。スクールカーストで上のほうの女子たちと、男子アイドルのビデオを見ているシーンはおもしろかった。いままで知らなかった世界に戸惑いながらも、少し楽しそうなミンディは可愛かった。
もうミンディを中心とした学園物にすれば良かったのにと思ってしまった。キックアスの仲間たち、コスプレ軍団側のストーリーはいらなかった。

当然、学校や仲間に馴染めなかったミンディが、本来の力を発揮した途端人気が出始め、スクールカースト上位の女子たちがいじめるんですが、そのいじめが陰湿すぎた。そのミンディは可哀想だったけれど、それに対しての復讐が、命は奪わないまでも、気分が悪くなるものだった。確かにあのギャルたちは酷いことをしたけれど、それでもスカッともしない。

それと、あっけなく人が死にすぎる。しかも、重要な役どころの人が何人も。あまり殺す意味もなく死んでしまうので、キャラクターが大事にされていないと感じてしまった。原作があるし、原作の通りなのかもしれないけれど。あと、前作でもヒットガールの父親やレッドミストの父親も死んでいるわけだし、前作と同じかもしれないけど。
特に、デイヴの父とクリスの執事みたいな人は、普通の映画だと死んだかと思ったら実は生きてた!みたいな感じで本当に死んでた。あれ、二人ともの身内をあんな風に消す必要があったのかどうかがわからない。

最後のほうの、キック・アス軍であるジャスティス・フォーエバーとマザー・ファッカーたちの戦いは、全員が特殊能力を持っているわけではなくコスプレをしている人たちだから、生身の人間たちが大人数で殺し合いをしているようにしか見えなかった。

前作では、キック・アスが必死で殴りながら正義を叫ぶシーンや、ビルの窓の外で秘密兵器によって飛行しながら危機を救いにくるシーンエンジンであがって行くところなど、必殺のシーンがあった。今作は印象に残っているのが嫌な気分になるシーンばっかりだった。


突然HIV陽性と宣告されたカウボーイ、ロン・ウッドルーフの実話。
マシュー・マコノヒーは21キロの減量が取り沙汰されますが、演技もすごかった。(追記:アカデミー賞、主演男優賞マシュー・マコノヒー、助演男優賞ジャレッド・レト、W受賞おめでとうございます)

以下、ネタバレです。




映画の中でウッドルーフがドラッグディーラー呼ばわりされるんですが、何の情報も仕入れずに観た私も、ドラッグディーラーの話なのかと思っていた。なんとなく、主人公からダーティな雰囲気を感じ取っていたからかもしれない。
実際は、独学で治療薬の知識を得て、国で認可されてない薬を求めて世界各国に飛んで密輸するという話だった。密輸なのでダーティといえばダーティなんですが、末期症状と診断された患者自身が奔走するので、必死さと生きようとする強さが伝わってくる。

動かなければ死んでしまうという状況になったときに、自分ならどうするだろうと考えた。死ぬ気で頑張るなんて言葉はよく聞かれるけれど、本当にその状況になったときに、ウッドルーフのように、開き直りにも似た思い切りで行動できるだろうか。

密輸にしても、国の認可を受けている薬が毒物だと自らの身体をもって実験をしてわかっているからで、これも仕方ないとも言える。でも、一応は法律には背くわけで、それができたのもまた勇気だと思う。

また、最初はゲイに差別的な発言を繰り返していたウッドルーフが同じ境遇になって、ビジネスパートナーとして行動して、トランスジェンダーであるレイヨンと少しずつ打ち解けるのも良かった。ずっと憎まれ口は利いていたけれど、それは差別的な発言ではなく、親しみをこめたものだった。
同じような患者に薬を分けるようになったのも、レイヨンに心を開いたからだろう。

レイヨン役のジャレッド・レトもかなり減量をしたらしい。女装をしているのですが、セリフやしぐさなどが大仰にならずに自然なのが良かった。ウッドルーフにやいやい言う気が強い面やイブに見せる優しい面もありつつ、ドラッグがやめられないという弱い一面も持ち合わせた難しいキャラクターだったと思う。

マシュー・マコノヒーはいつもとは違って外見的には痩せているのに、力強くて頼りになる役柄だった。外見に反して、演技力でこの印象を与えるのだからすごい。

また、世界各地にいって、身分を詐称しながら取引をするんですが、その映画の中で演技をするシーンがちゃんと演技をしているように見えた。もともとのウッドルーフだってマシュー・マコノヒーの演技なのに。ちなみに、世界各地の中には日本も入ってるんですが、たぶんセットかなにかだと思う。実際にロケには来ていないはず。

この映画のポスターが最高。ビルなどの大都市を背景にしたウッドルーフが両手を広げて得意げな笑顔で立っている。なんてことないようで、映画を観賞後だとかなりグッとくる。
世界は俺のものとでも言うべき力強さやウッドルーフの生命力の強さを感じるし、社会の大きな力にも勝てるという確信めいたものも感じる。

この映画も『アメリカン・ハッスル』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』と主人公の質が似ていると感じた。清廉潔白ではないが、自分のしていることに自信と誇りを持っている。


2012年公開。マイク・ミルズ監督。ユアン・マクレガー主演。ユアンが演じるオリヴァーの父親ハル役のクリストファー・プラマーがアカデミー助演男優賞を始め、様々な賞にノミネートもしくは受賞している。

原題も『Beginners』だし、タイトルからしても、“人はいくつになっても新しいことにチャレンジできる”みたいな意味合いがあるのだろうし、そんなキャッチコピーが付いていたように思いますが、そんなポップで明るい前向きなものとは少し雰囲気が違った。
最終的には前向きになりますが、もっと重く、深い話だった。

母親が亡くなったあと、父親にゲイであることをカミングアウトされるが、その父親もガンのため亡くなってしまう。
オリヴァーの現在の様子と、末期ガンと闘いながらも人生を謳歌している父親ハルの様子と、子供の頃のオリヴァーの様子を織り交ぜながら語られていく。

なんとなく、オリヴァーの恋愛が話の主体なのかと思っていた。好きな人が出来たけれど話しかけられない、けれど父も年をとってから勇気を出していたし僕も頑 張ろう、と好きな人に告白してうまくいくまでの話なのかと思っていた。実際はそうではなく、オリヴァーと意中の女性アナの出会いから接近するまではわりと容易だった。

問題はその先だった。ユダヤ人の母親とゲイの父親と、すでにその二人の両親を亡くしたオリヴァーは悩みを抱えていて、人付き合いがうまくない。最初こそ、うまくいっていたものの、結局別れることになる。

いままでのことが積み重なっているのだから、性格なんて急には変わらないし、悩みが急に消えることはない。でも、つらいのは自分だけではないのだ、ということにオリヴァーが気づくのが感動的だった。
アナにもまた違った悩みがある。悩みを持った人間同士が実際に会って、顔を見て話し、そして抱き合うことでわかることがあるかもしれないし、自分の悩みも少しは解けるかもしれない。母親や父親にも悩みがあったのだ、ということも、オリヴァーは回想の中で理解しているように思える。

ラスト付近で「僕がゲイだから会いにも来なかったんだろ?」と言っていた父親の恋人アンディとのシーンも直接会うことでわだかまりが解消していて泣けた。オリヴァーとしてはそんなことを考えていなくても、アンディにはゲイという多分自らが感じているであろう引け目もあるし、自分からは連絡なんてできない。でも、アン ディが気持ちをぶつけることで、オリヴァーにも伝わって、そんなことはないとハグをすることで、わかり合えた。オリヴァーは息子でアンディは恋人だけれど、ハルが亡くなることで生じた喪失感をわかちあえるはずだ。

もちろん悩みなんて人それぞれのもので、相手の心の中を完全に理解することはできない。それは親子であれ、同じことだ。けれど、相手の気持ちを考えてみると、わかることもあるし、自分のことも話してみると、理解してもらえるかもしれない。すべてではなくても、悩みが軽くなるかもしれない。

オリヴァーは、臆病ながらも人の悩みを受け止め、自分の悩みとも向き合った。きっと、この先はうまくいくだろう。

アーサー役のコスモくんの演技が素晴らしい。ジャックラッセルテリアです。パルムドッグ賞をとっていたかな?と思ったけれど、この年は『アーティスト』のアギーがいたんだった…。


邦題がまったく違ったので気づくのが遅れたんですが、2008年にイギリスで公開された『Tu£sday』が2013年9月にDVDで出てました。タイトルに£が入っているし、これは絶対に日本公開はされないんだろうなと思って油断してた。
特典映像として日本版予告編も入っていたけれど、映画公開にあたっての予告というよりは、DVD販売にあたってのプロモーションビデオなのではないかと思う。

『Life on Mars』の主演のフィリップ・グレニスターとジョン・シムが出ていて、それを売りにして日本版のDVDになったようなので、『MAD DOGS』もいつか日本版のDVDが出るといいですね。

実話を元にしているとのことですが、どの辺までが実話なのかは不明。偶然に偶然が重なるタイプの話なので、まるまる実話だったらなかなかすごい。
手練の銀行強盗グループがある銀行に押し入ろうとしたら、別の男が先に銀行強盗をしていて、更に銀行内部でも保管していたエメラルドを強奪しようとしている。
三つのグループ+警察からなる群像劇のようでもあり、群像クライムムービーというと、少し前のタランティーノとかガイ・リッチーあたりが想像されるが、それよりは規模が小さいというか、登場人物の描き込みが甘いというか、少しもったいない感じの仕上がりになっている。

そのすったもんだある当日の様子と、警察での一人一人の取り調べの様子が交互に出てくるけれど、取り調べを受けている側は別に何を話しているわけでもないんですよね。少しあぶない部分はあっても基本的にだんまりを決め込んでいる。
その取り調べのシーンで話される事柄によって、その当日の映像も変わっていくのならわかるのだけれど、犯人たちがだんまりでも当日の様子は段々明かされていく。『バンテージ・ポイント』のような感じで、一つのできごとを多角的にとらえることで初めて全体像が見えてくる。それはおもしろいんだけれど、じゃあ、取り調べシーンいらなかったんじゃないの?と思ってしまった。
それに、最後まで見ると、結局刑事さんは当日現場に最初から居たんですよね。一部始終見ている。なら尚更、取り調べる意味がよくわからない。

ただ、取り調べシーンでは一人一人の正面からの顔が大写しになるから、ジョン・シムファンとしては嬉しい。挑発するようににやにやする顔がたまらなかったです。暗めの照明のせいもあるかもしれないけれど、取調室のフィリップ・グレニスターも恰好良かった。

ジョン・シム、拳銃を持つ役というのがあまりないと思うんですが、今回は銀行強盗役だしさすがに…と思ったら、運転手役で今回もなし。煙草かと思ったらチュッパチャップスのような飴をなめていたりする可愛い役。30歳後半の男がチュッパチャップス…。
彼女役にケイト・マゴーワン。ジョン・シムの実際の奥さんで、彼のファンとしてはキスシーンを見るのは少しつらかった。

そういえば、銀行強盗メンバーの一人が彼女に花を渡そうとしていて、彼女なのに気づいて失恋、みたいなシーンがあったけれど、あれ、どこで知り合ったのかもよくわからなかったし、あのシーンがいるのかどうかもわからなかったし、いれるならいれるで、銀行強盗メンバー内で恋愛のごたごたとかで揉めるとか、もっと掘り下げてほしかった。

あと30分増やして、もっと銀行強盗メンバーの話を入れてほしかった。プロローグ的な最初の強盗シーンと次の計画を練るシーンの少しだけだった。計画を練るフィリップ・グレニスターが頭脳担当ととして、運転手役としてのジョン・シムなのはわかった。ただ、後の二人のキャラクターがいまいちよくわからなかったのが、残念。建築屋帽子屋とかのなんでもない雑談シーンみたいなのはもっと長く観たかった。

取調室でも全員一応シラをきっていたから、このまま証拠不十分で釈放されてシリーズ化か、とも思ったけどそんなこともない。だって、刑事さんは最初から見てたんだもの。それに実話を元にしてるなら、強盗は捕まるに決まってる。

ただまあ、映画のラスト、刑事さんが引き出し開けたらそこにダイヤがありましたーは、さすがに実話ではないですよね。あれは少しにやりとさせられました。


2002年公開。ペドロ・アルモドバル監督。
単純には進んでいかない、ちょっと歪なラブストーリーだった。

昏睡状態に陥っている女性に、あたたかく話しかけながら献身的に介護をするベニグノの様子は、見ていて素晴らしいと思う。
ただ、その彼女のことを本気で愛してしまい、セックスしてしまうとなると、話は別だ。劇中だとレイプという言葉が使われる。確かに合意の上でのことではないし、看護士がそんなことをしては、病院の信用問題にも関わる。

しかし、観ているとすごく自然な流れに感じてしまうのだ。
もしかしたら、看護士になる前のベニグノが長期間母親の介護をしていたことと関わってきているのではないかと思う。
女性経験がないと言っていたし、ずっと介護に時間を割いていて、外界との接点がないせいで、常識が欠如しているという面もあっただろう。
ただ、それだけではなく、介護していたのが母親だったことも関係があるのではないか。母親は勿論、息子のことを愛している。しかし、昏睡状態の女性は彼を愛していない。同じ介護でも、相手が違うのに、混同しているのではないかと思う。

また、映画の中盤で『縮みゆく男』という劇中サイレント映画に結構長い時間を使うんですが、このラストが縮んだ男が自分の彼女の女性器に入っていくというもので、これも何かの暗示のようにも思える。母体回帰的な感じもするけれど、実際には彼女の中である。
サイレント映画ということで、昔っぽく作られているので、最後に映るのも明らかに作り物とわかる女性器ではあるけれど、かなり大きく映るし少しぎょっとする。
この映画を観たベニグノが内容について語りかけている時に欲情したのかどうかはわからないけれど、昏睡状態の女性を犯したため、映画が引き金になっていることは確か。

このあたりについて、彼がそんな行動に及んだことに母親の介護が関わっているかどうかは特に説明はないが、なんらかの影響は少なからず及ぼしているとは思う。

なので、なんとなくベニグノに共感しそうになってしまうんですが、ここで、待ったをかける普通の人の存在としてマルコというキャラクターが出てくる。

マルコもベニグノと同じく、愛する人が昏睡状態に陥ってしまい、立場が似ていることから病院で友人となる。ただ、マルコの場合は実際にお付き合いをしていた女性である。
おそらく信頼からだとは思うけれど、昏睡状態の女性と「結婚しようと思ってるんだ」などと臆面もなく言ってしまえるベニグノはやはりその時点で少しおかしいと思うし、それを叱責するマルコは正しい。
もっと前からベニグノにマルコのような友人がいたら、ベニグノの思い込みによる暴走は止められたのではないかと思う。

ストーリーも良かったけれど、途中で挿入されるバレエシーンも美しかったし、闘牛シーンは衣装を着るところから美しかった。映像も素晴らしかったです。

ベニグノを演じているのがアルモドバル監督の常連らしいハビエル・カマラ。『アイム・ソー・エキサイテッド!』とはまるっきり違う役柄で、相当演技ができる役者さんなのだということがわかった。

フェレ・マルティネスが出ていると思っていたけれど、最後まで観ても発見できなかったのでこれじゃなかったか…と思っていたけど、『縮みゆく男』の男優役らしい。もう一度観てみても、メイクはしてるし喋らないし動きも特殊だしで、ご本人っぽさはあまりわからなかった。


ポン・ジュノ監督。クリス・エヴァンス、ジェイミー・ベル、オクタヴィア・スペンサー、ティルダ・スウィントン、ソン・ガンホ、ジョン・ハート、エド・ハリスという豪華俳優陣が揃えられている。
以下、ネタバレです。





温暖化を止めるために打ち上げられた薬品で地球が逆に氷河期になってしまう。そこを走る箱舟のような列車が舞台。最後の少しのシーンを除いて、すべて列車の中で話が進んでいく。

一番後ろの車両に貧困層が集められていて、前のほうの車両には富裕層が乗っている。先頭車両にはエンジンを守る列車の持ち主。貧困層の者たちが革命を起こし、先頭車両を目指していく。
貧困層が住んでいるカプセルホテルを汚くしたような場所を見て、SABU監督の『蟹工船』(2009年)を思い出した。しかも、権力者をひきずりおろすべく革命を起こす。

設定がすごく漫画っぽいと思ったら、フランスの漫画が原作らしい。これが列車ではなく舞台が塔だったら、最上階を目指すゲームになりそう。
行方を阻む敵のヴィジュアルも漫画やゲームっぽい。斧を持って顔を隠していて…というのは、ドラクエのモンスターの実写版のよう。
また、最後のほうにラスボスからの「世界の半分をお前にやろう」的な提案があるあたりもゲームっぽい。

近未来SFだからかもしれないけれど、どこというわけではなく雰囲気ですが、ウォシャウスキー姉弟監督っぽい感じがした。車両ごとに違う世界に迷い込むような様子が『クラウドアトラス』でいろいろな世界をタイムトラベルするのにも似ている。あと、出演俳優陣の豪華さと多国籍具合も似てる。

車両ごとの異なった世界は見応えがあっておもしろかった。給水所、温室、水族館、寿司屋、子供の英才教育をする学校、金持ちのサロン、クラブ…。それぞれに特色があって、しっかり作り込まれていたので見ていて楽しかったし、扉を開けるごとに広がる次の世界はどんなものだろうとわくわくした。

登場人物が多いが、それぞれのキャラクターがちゃんと作ってあるのも良かった。
ジョン・ハートはレジスタンス側の長老でご意見番。この前の『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』あたりと同じ感じですね。エド・ハリスは列車を作った男でラスボス。貫禄があったし、彼の理論にも少し頷きそうになってしまうくらい説得力があった。オクタヴィア・スペンサーは子供を攫われた母親役だが、やはりうまい。ジェイミー・ベルは主人公を慕う子分のような役。
クリス・エヴァンスはレジスタンス側のリーダーで正義感の強い役。だが、哀しい過去を持っていて、その告白するシーンとそれ以降のシーンがうまくて見入ってしまった。
ソン・ガンホは初めて観たんですが、無頼者っぽい演技が良かった。それぞれ全員アクが強い。
そして、何より一番アクが強かったのがティルダ・スウィントン。列車内の総理ということで体制側。こちらもいつもの通りの支配者かなと思ったら、支配者は支配者でも、簡単に寝返るようなコモノだった。しかも、瓶底眼鏡に入れ歯という外見も仮装のよう。いつもの冷たさを感じるような美しさはまるでない。ただ、これ、本人はものすごく楽しんでいるのが伝わってくる。この人は演じないとおばさんにならないらしい。演説シーンの語り口調も大袈裟でおもしろかった。日 本人の庭師みたいな人に「大丈夫ですか?」って言葉に「ダイジョブ!」って日本語で答えていたのもキュートでした。

あと、なぜかペ・ドゥナが出ると思い込んでいて、ソン・ガンホの娘役の子がそうかと思ってたんですが、それにしても顔が違う、ノーメイクだから?と思っていたら違う子だった。『グエムル』に出てた子らしい。ちなみに、観てないんですが『グエムル』にペ・ドゥナも出てるらしい。

世界観もいいし、キャラクターもいい、話の筋も現代の世界の構造にも通じるところがあって考えさせられた。
楽しんで観られたことは観られたんですが、エンターテイメントとして売っていくにはちょっと人が死にすぎるかなとは思った。また、殺され方が大体残酷なのも気になった。

あと、ラスト、主人公級の二人は先頭車両まで生きて辿り着いたのに、扉の爆発であっさり死んでしまったっぽいのがなんとも…。そしてそのあと、列車から出てきたヨナとティミーがしっかり毛皮を着ていたのがちょっと違和感があった。ヨナは毛皮を羽織るくらいだったのに、あんなにかっちりと着ていたのは不自然に思えた。ティミーは子供用の毛皮をどこで見つけたんだろう。もともとクラブから盗んできたものだったと思うので、小さいサイズのものを一緒に盗んだとは思えないし、大人用のを小さく作り直す時間もなかったと思う。細かいところなんですが、少し引っかかった。

エンドロールのスペシャルサンクスのところにポール・ダノの名前があったんですが、あれはなんだったんだろう。気になる。


前作はばりばりのファンタジーかと思っていたら、ファンタジー世界からソーがこちらの世界にやってくるような話でぽかんとしたんですが、今回はそれがより顕著になっているというか、イギリス紹介映画の一面もある感じだった。
監督はケネス・ブラナーから変わってアラン・テイラー。映画よりもテレビ番組を多く担当している人みたい。最近だと、『ゲーム・オブ・スローンズ』で何作か担当しているようです。
監督が変わったとはいえ、続編なので、前作と『アベンジャーズ』は観ておいたほうが良さそう。『アベンジャーズ』の一年後の話で、『アベンジャーズ』で起こった話も出てくる。

以下、ネタバレです。






前作の時も思ったんですが、まさか、自分の住んでいる現代の地球にソーが介入してくるとは思わないわけですよ。いわば、映画やゲームの世界から、ソーがそのまま飛び出してきた感じ。今回も、最初はアスガルドというソーやロキが住んでいる世界が舞台になっていて、戦闘が繰り広げられている。服装などもみんなあんな感じです。
ところが、その頃ロンドンは…と、普通に現代のロンドンにカメラが移って、そういえばマイティ・ソーってそうゆうところがあった!と思い出した。

当然あのままの恰好で来るから、現代の人からは「コスプレ?」とかつっこまれていたりもする。武器であるハンマーも持ったままだから、家に入る時、玄関の帽子とかかけるフックにハンマーをかけたりするのが細かい。重量に耐えられるのか?なんて野暮なつっこみはしない。ハンマーの棒の先に紐が付いていて、それの使い道を初めて知った。
アベンジャーズの面々も現代のニューヨークに現れているので、ロンドンの人たちは案外冷静。スマホで写真をばしばし撮っている(そしておそらくTwitterとかにアップする)。
地下鉄にソーが乗ってきちゃっても、やっぱり写真を撮るくらいで大騒ぎにはならない。揺れて女性がソーにもたれかかってしまい、「すみません」みたいな羨ましい場面も。あなたが普段使っている地下鉄にもソーが乗ってくるかもしれない!?みたいな現実感がある。

こんな感じで現代の地球に来ているソーはわりと呑気というか、地下鉄に乗っている様はほとんどクロコダイルダンディーみたいでカルチャーギャップコメディー映画かなとも思えるんですが、アスガルドやダークエルフのいる世界ではシリアスな戦いが繰り広げられている。
ラスト付近のバトルではロンドンと別の世界を行き来するために、観ている側もほのぼのしたと思ったら急に事態が深刻になって、緊迫シーンなのに映画を観ている顔はにやにやしているみたいな変な状況になった。気持ちの持っていき方がよくわからなくなってしまった。

30 st mary axeやTubeの愛称で親しまれているロンドン名物の地下鉄やロンドンバス、それにグリニッジにストーンヘンジと世界遺産も網羅(ただ、ソーはチャリングクロス駅から乗って、地下鉄内で乗客にグリニッジへの行き方を聞くとあと二駅だか三駅って言われるんですが、そんなに近くないし、たぶん地下鉄では行けない模様)。

ここまでロンドン紹介の内容になっているので、今回の敵役であるダークエルフの長、マキレス役がイギリスを代表するドラマ『ドクター・フー』の9代目ドクターであるクリストファー・エクルストンなのも納得がいく。
というか、彼の大きい耳と鷲鼻がすごくダークエルフの外見とマッチしていて、良いキャスティングだと思いました。

やはりトム・ヒドルストンが演じるロキがいい。アベンジャーズのときもそうでしたが、どこか愛嬌があって、悪役に徹せてない。
牢屋のような場所にとらえられているときに、外で騒がしくしていても読書を続けるマイペースな面も良かった。母上の死を悼むシーンの私服というか、ナチュラルな衣装でオールバックでなくなった姿はロキというよりトムヒでしたが、それも良かった。姿を自在に変えられるロキがキャプテン・アメリカになるのもおもしろく、アベンジャーズと世界が本当に繋がっているのだなと感じられた。すったもんだの末、ダークワールドに無事に着けたときの「チャラ〜ン♪」というセリフも可愛い。
今回、ソーとロキが共闘することになるんですが、仕方ないとは思うんですがそのシーンがわりと短いのが残念。一緒に戦うところがもっと観たかった。

あと、役者さんの中ではステラン・スカルスガルドですよね。ストーンヘンジで全裸で走り回ったり、パンツ一丁姿がおがめたりと大暴れでした。

前作でも思ったけれど、ナタリー・ポートマン演じるヒロインのジェーンが地味で…。しかも、今回は母上もジェーンのために殺されたようなものだし、もともと彼女がエーテルを吸収しなければ良かったのではないか、と思ってしまった。
でも元々裂け目みたいなのは出来てたみたいだし、彼女のせいだけではないのか。
最後のほうの異世界移動バトルみたいなのは天文物理学者である彼女の力あってのものだから、いらないとまでは言わないけれど…。

『エスター』


2009年公開。もっと前に公開されたのかと思ってた。怖い女の子のイラストのジャケットが有名。
死産してしまった夫婦が養子をとる。

雪が積もっているし、クライマックスも凍った池が舞台だったり、寒々しいのでいまの季節が似合う。

ジャンルがホラーになっていたので、エスターの正体は死産と関係しているのかいないかはわからないけれど、とにかく悪霊的なものかと思い込んでいた。
実際には、精神を病んだ大人で外見は子供のままだけれど33歳ということで、そんなのは反則だろと思ったんですが、その事実が明かされたあとだと、エスターが本当に子供に見えなくなるのがすごかった。ほうれい線みたいなのが見えた気がしたんだけど、気のせいかもしれないし、メイクだったのかもしれない。とにかくあれは大人だった。

それをふまえてしまうと、化粧をして父親の隣りに座るシーンが哀しく思えてくる。ましてや、病気なら余計に哀しい。

ジャケットのイラストのエスターよりも、映画中のエスターはお人形さんのように可愛かった。服装もひらひらしていたし、首のリボンも下の秘密はあれだけど可愛かった。

ジャンルはホラーというよりはサスペンスとかスリラーという感じがした。怖いし血も出るけれど、所謂ホラーと言われて想像するものとは違っていた。

本当に大人に見えたあたりや、序盤の少し不気味だけれど可愛い感じなど、エスター役の子の演技がうまかった。『ハンガー・ゲーム』にも出てたんですね。
あと、妹役というかマックス役の子もうまかったんですが、実際に聴覚に障害を持っていて、手話が使えるらしい。

お父さん役のピーター・サースガード、どこかで見たことあると思ったら『17歳の肖像』の魅力的な男性だった。あっちのほうが若く見える。私は『エスター』のほうがもっと前の作品なのかと思ってたんですが、公開の年は同じでした。『17歳の肖像』はイギリスで2009年10月、『エスター』はアメリカで2009年7月。あんまり夏公開が合わない景色だったけど。
あと、マギー・ギレンホールの夫らしい。


1997年公開。スペインでは95年公開。この前観た『バッド・エデュケーション』で恰好良かったフェレ・マルティネスが出ています。
学校で猟奇殺人ビデオを見つけた女子生徒が事件に巻き込まれる。

主人公のアナの部屋に『マイ・プライベート・アイダホ』のポスターが貼ってあったり、おしゃれな人形みたいなのが飾ってあったり、内装へのこだわりが見えた。なんとなく、卒業論文のテーマを暴力映像についてで書きそうな気がする。普通の女の子とは多分少し違うんだろうなと思う。

ポルノ映像や暴力映像などに詳しい所謂オタクの男子生徒チェマ役にフェレ・マルティネス。もっさりした長髪、髭、大きい眼鏡にホラー映画かメタルの黒いTシャツと、こちらもわかりやすいキャラクター。偏見に悩んでいるようだったけれど、私も途中何度か疑ってしまった。

騙されかけたと言えば、エドゥアルド・ノリエガ演じるボスコ。出てきたときにはどう見ても怪しくて、でも、男前だし、危険な香りがするところが魅力的でもあった。
特に、これはアナの夢だったけれど、部屋で首にナイフを突きつけながらキスをするシーンは映像もセクシーで恰好良かった。首から流れる血と、首もとへのキスはまるでヴァンパイアのようだった。アナと同じく、危ないと思いながらも惹かれてしまった。

チェマは外見は冴えないし(とはいっても、元々のフェレ・マルティネスは恰好良いのは観ていてわかる程度)、ボスコのような雰囲気はなかったけれど、違う魅力があった。
アナと二人で学校のビデオ保管庫から逃げ出すシーンは特に好き。飄々としていて、ピンチをピンチと感じさせないのは、ある意味頼りがいがある。真っ暗な場所でマッチの火の明かりだけが頼りというシチュエーションもいい。また、マッチだから、すぐに火が消えて真っ暗になってしまうのも良かった。
真っ暗で何が起こってるのかわからないけど抱きついた?と思ったのに、明るくなったら抱きついてなくて、そのズラし方もやきもきした。

一つの事件を追いながらも、三角関係も描かれていた。チェマはアナが好きで、アナはボスコが好き。チェマが嫉妬する様子は可愛かった。ラストもほわっとした感じですが、良かったと思える。

ラスト付近では、病院内のテレビで流されるワイドショー番組の映像で事件の全貌を明らかにする。そして、事件で作られた猟奇殺人映像がテレビで流されるのを食い入るように見つめる病院の患者たちが映し出される。結局、このような需要があるから、猟奇殺人ビデオが作られるのだ。過激なものを求めるあまり、実際に殺人を犯す。みんなが観たがるからいけない。そんな問題提起まで掲げる隙の無さに感心した。

また、猟奇殺人のビデオが題材になっていても、過激な映像は最低限におさえられているのも良かった。この映画内で猟奇映像をどんどん流していたら本末転倒です。


こちらも『アメリカン・ハッスル』と同様に、アカデミー賞に多くの部門でノミネートされています。日にちは空けているものの、二作を立て続けで観て、かなりお腹がいっぱいになってしまった。『それでも夜は明ける』もはやく観たいと思っていたけれど、来月で助かった。いまはもう、これ以上は入りません。

ジョナ・ヒルもマシュー・マコノヒーも良かったけれど、やっぱりこの映画はレオナルド・ディカプリオのための映画だと思う。ありとあらゆる思い切ったディカプリオが見られるし、ここでアカデミー賞とれなかったらどこでとるんだ?という感じだった。

以下、ネタバレです。






“ウォールストリート”とタイトルについていても、経済の映画ではなく、まるでロックスターの栄華の話のように思えた。
セックス、ドラック&ロックンロール! ギターは持たなくても、社内での煽りをきかせたマイクパフォーマンスはロックスターかプロレスラーのよう。そのあとの社員の熱狂っぷりも、ライブ会場のようだった。

社内に娼婦を呼んでやりたい放題したり、下着か水着姿の女性たちのマーチングバンドが入ってきたり。セックスシーンは多くてもいやらしくないのは、撮りかたのせいなのか、それが話のメインではないからなのか。

友達から始まった会社経営の話というと『ソーシャル・ネットワーク』を思い出すが、あのようにならないのは、ジョーダン・ベルフォートの人柄なのかもしれない。常に周囲の注目を集めていた。

マシュー・マコノヒー演じる会社の先輩との最初の会話のシーン、矢継ぎ早に話して、自分のペースに持っていき、ジョーダンは戸惑いながらも彼のペースにあっという間に巻き込まれる。この話術がのちのジョーダンに影響を与えているのがよくわかるシーンだった。

退任するしないの演説のシーンを始め、映画を観ている私もジョーダンのペースに巻き込まれた。ジョーダンのペースなのか、ディカプリオのペースなのかわからない。

強力なドラッグで立ち上がれなくなったシーンも釘付けになった。立ち上がれなくなって、這うように進み、階段を滑るように降りる…というか、落ちる。テレビで流れるポパイのごとく、ドニーを救い出すまでの一連の演技は圧巻だった。ディカプリオの様々な姿が見られるのがこの映画の魅力だと思うが、このシーンは本当に、他の映画では見られないディカプリオだった。

ジョーダン・ベルフォートも『アメリカン・ハッスル』のアーヴィン・ローゼンフェルドも、出てきたときや序盤はあんまり好きになれなかった。しかし、映画を観終わると、二人とも本当に愛おしい。特に、このジョーダン・ベルフォートについては、すべてを見せてもらった感じがするので、親近感すらわく。
両方とも人を騙すことでお金を得る詐欺師だった。褒められたことではない。しかし、二人とも自分のやっていることに信念と誇りを持っているから、次第に恰好良く見えてくる。
ラストシーン、セミナーのシーンでの穏やかな表情は、決して今までやってきたことを後悔している顔ではない。

何より、クリスチャン・ベイルやレオナルド・ディカプリオが彼らのことを好きなのがわかる。酷い事をしているようでも、その演じ方に愛がこもっているように見えたのだ。

靴のブランドのCMが本物のCMだとか、最後のセミナーの司会者がご本人だとか、隠された遊び心に気をつけながら、もう一度観てみたい。