『トーク・トゥ・ハー』


2002年公開。ペドロ・アルモドバル監督。
単純には進んでいかない、ちょっと歪なラブストーリーだった。

昏睡状態に陥っている女性に、あたたかく話しかけながら献身的に介護をするベニグノの様子は、見ていて素晴らしいと思う。
ただ、その彼女のことを本気で愛してしまい、セックスしてしまうとなると、話は別だ。劇中だとレイプという言葉が使われる。確かに合意の上でのことではないし、看護士がそんなことをしては、病院の信用問題にも関わる。

しかし、観ているとすごく自然な流れに感じてしまうのだ。
もしかしたら、看護士になる前のベニグノが長期間母親の介護をしていたことと関わってきているのではないかと思う。
女性経験がないと言っていたし、ずっと介護に時間を割いていて、外界との接点がないせいで、常識が欠如しているという面もあっただろう。
ただ、それだけではなく、介護していたのが母親だったことも関係があるのではないか。母親は勿論、息子のことを愛している。しかし、昏睡状態の女性は彼を愛していない。同じ介護でも、相手が違うのに、混同しているのではないかと思う。

また、映画の中盤で『縮みゆく男』という劇中サイレント映画に結構長い時間を使うんですが、このラストが縮んだ男が自分の彼女の女性器に入っていくというもので、これも何かの暗示のようにも思える。母体回帰的な感じもするけれど、実際には彼女の中である。
サイレント映画ということで、昔っぽく作られているので、最後に映るのも明らかに作り物とわかる女性器ではあるけれど、かなり大きく映るし少しぎょっとする。
この映画を観たベニグノが内容について語りかけている時に欲情したのかどうかはわからないけれど、昏睡状態の女性を犯したため、映画が引き金になっていることは確か。

このあたりについて、彼がそんな行動に及んだことに母親の介護が関わっているかどうかは特に説明はないが、なんらかの影響は少なからず及ぼしているとは思う。

なので、なんとなくベニグノに共感しそうになってしまうんですが、ここで、待ったをかける普通の人の存在としてマルコというキャラクターが出てくる。

マルコもベニグノと同じく、愛する人が昏睡状態に陥ってしまい、立場が似ていることから病院で友人となる。ただ、マルコの場合は実際にお付き合いをしていた女性である。
おそらく信頼からだとは思うけれど、昏睡状態の女性と「結婚しようと思ってるんだ」などと臆面もなく言ってしまえるベニグノはやはりその時点で少しおかしいと思うし、それを叱責するマルコは正しい。
もっと前からベニグノにマルコのような友人がいたら、ベニグノの思い込みによる暴走は止められたのではないかと思う。

ストーリーも良かったけれど、途中で挿入されるバレエシーンも美しかったし、闘牛シーンは衣装を着るところから美しかった。映像も素晴らしかったです。

ベニグノを演じているのがアルモドバル監督の常連らしいハビエル・カマラ。『アイム・ソー・エキサイテッド!』とはまるっきり違う役柄で、相当演技ができる役者さんなのだということがわかった。

フェレ・マルティネスが出ていると思っていたけれど、最後まで観ても発見できなかったのでこれじゃなかったか…と思っていたけど、『縮みゆく男』の男優役らしい。もう一度観てみても、メイクはしてるし喋らないし動きも特殊だしで、ご本人っぽさはあまりわからなかった。

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